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朝の情景コンペ
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うなぎおんな
 投稿時刻 : 2013.05.12 16:32
 字数 : 2898
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うなぎおんな
太友 豪


 三日三晩降り続けた雨がようやく上がた。
 ほとんど目には見えないほどのぬか雨であたために、洪水や浸水の起きる気遣いはなかたが、それでも街を東西に分かつように流れる川はいつもより水かさを増している。
 いつもは川底の小石も見分けられるほどに澄んだ水も、今朝は土を多量に含んだ茶色い水となている。
 川を下流へとずと下ていくと、次第に街は大きなビルが建ち並ぶようになていく。大きなビルが増えていくのと比例するように、川の水は透明度の低い緑褐色へと変わていく。
 川の上には車が行き来できるような大きな橋が何本も架けられている。
 その橋の上を、ヘドライトを点灯したトラクが黒い煙を吐き出しながら何台も行き来している。
 雨は上がたが、空はまだ厚い雲に覆われ東の空を明るく照らし始めているはずの太陽の気配はほとんど感じられない。
 街全体をぼんやりと照らし出しているのは、人間の作り出した灯だ。
 うなぎおんなたちは、いつの間にかこの街のある橋の下に住み始めた。それがいつからのことだたのか、もう誰も知らない。この街の一番の長生き老人に聞いても、街の郷土史をひもといてもうなぎおんなたちがいつからここに住み始めたのか知らない。
 ある若いうなぎおんなは、汽水線の近くに架けられた大きな橋の橋脚のあたりをねぐらにしている。街の住人たちのほとんどは勘違いしているが、うなぎおんなたちは夜寝るときには水から這い上がる。えら呼吸をしているわけではないのだ。
 若いうなぎおんなは、橋脚の根元の縞状に造成されたコンクリートの塊から川の中へと身体を滑らせる。うなぎおんなの素肌はぬめぬめとした粘液に包まれ、常にしめている。
 ぼんやりとした色の濃淡だけで構成されていたうなぎおんなの視界が一気に鮮明なものになる。彼女たちの世界を地上の人間にわかるように説明するのは難しい。
 うなぎおんなたちの目は、人間たちと比べると弱くなている。もともと濁り水のこの川では目はあまり役に立たない。彼女たちは、目よりも音を聞く力を磨き上げてきた。
 彼女らが音を聞くのは、耳だけではない。ぬめぬめとして青白く光るようなその素肌でも水中のわずかな音を感じ取る。
 無数の音が揺れている。
 群れるということすら知らずただ漂うばかりの小さなものたち。
 それを喰らう小魚の群れ。その中の無数の小さな思惟の乱れをそのまま反射するようなさざめき。
 小魚を喰らう大型の魚が活動を始めるのはもう少し経てからだ。
 水面から勢いよく鳥が水中に飛び込み、一匹の小魚をくちばしにくわえ急上昇していく。
 小魚たちが、一瞬だけ散開し、数秒後には少しだけ深いところで同じ群れをつくる。
 うなぎおんなは川の一番下。川底の泥のさらに下にある苔のようなものを食べる。
 この苔のようなものは、数日遅れで川の状態を反映した味へと変わる。
 雨が降り続いた後の苔の味は、人間で言えばライムを搾たような酸味のきいたもので、若いうなぎおんなは肌がぴりぴりするのもいとわず川の下へ下へと潜ていく。
 うなぎおんなたちにはそれぞれ縄張りのようなものがある。まだまだ若いうなぎおんなには、当然ごく限られた縄張りしかない。誰かが決めているわけではなく、うなぎおんなたちの間の力関係でいつの間にか何となく決まているものだ。
 若いうなぎおんなは、自分の縄張りの川底に苔のようなものがなくなてしまていることに愕然としながら、水面の上へと顔を出した。
 うなぎおんなたちは、苔のようなもの以外でも人間が口にできるようなものであれば何でも食べることができる。まだうなぎおんなとして経験の浅い彼女は、苔だけを食べ続けていればいずれ縄張り内の苔を食い尽くしてしまうと言うことに気づけなかた。
 ぼんやりとした灰色の空を見上げて、若いうなぎおんなは細く高い笛の音に似た声を上げて嘆いた。うなぎおんなたちは一度の呼吸で肺に空気を十分ためられるように気道が人間とは違たかたちになている。そのために、声も人間とは違たふうに聞こえる。
 若いうなぎおんなはしばらく頭を悩ませ、誰も入てはいけないことになている場所ならばまだたくさん苔があるに違いないということを思いついた。
 彼女は自分の思いつきをすぐに実行した。
 その場所は、汽水線の近くの橋からさらに海側にある。うなぎおんなたちは淡水でも海水でも関係なく生きていくことができる。しかし、ふしぎと若いうなぎおんなが海の方へと出て行くことは禁じられていた。そのなかでもうなぎおんなたちが、いきどまりと呼ぶあたりには絶対にいてはいけないといわれていた。
 うなぎおんながやわらかな関節を持つ足で水を蹴ていくとどんどんと彼女を包み込む水の様子が変わていく。
 いきどまりの近くまで来ると、水を蹴る必要もなく勝手に身体がそこに向かて流されていく。
 いきどまりとは、いくつかの潮の流れがたどり着く場所なのかもしれない。
 わかいうなぎおんなは、流れに身を任せて行き止まりにたどり着くと一気に水底まで潜た。人間とは違う身体のつくりをしたうなぎおんなであればそんな芸当もできるのだ。
 水面より上の光が全く届かない水底は、黒曜石のように冷たく黒かた。
 若いうなぎおんなはほそいこえを出しあたりの様子を探る。砂状の水底。若いうなぎおんなの期待に反して、苔は生えていた痕跡すらない。
 それでもあきらめずに何度も声を使てあたりを探ていると、少し離れたとこりに一抱えほどもありそうな四角く堅い筺があることを感じた。
 どう考えても食べられそうになかたが、興味を引かれたわかいうなぎおんなはその筺に泳ぎ寄るとその筺のあちこちをまさぐり始めた。
 水中に長い間放置されていただろうにさびていないその筺の中心部にダイヤルがある。
 うなぎおんなは何の気なしにそれを回してみる。何度も回しているうちに、指の感覚と音とで、これがダイヤル式の鍵であることに気付く。
 それほど苦労することもなく、うなぎおんなは錠を外し、筺を開け放た。
 筺の中には、白くぶよぶよと膨らんだ奇妙な果実が揺れていた。
 うなぎおんなは大ぶりな鞠くらいの大きさを奇妙な果実を両手で抱くと、水面の梅に向かて水を蹴た。
 水の上に顔を出していると、水中であれこれやている間に強い風が雲を吹き飛ばしたらしい。青い空が見える。東の方にわずかに残た雲から、光のはしごのように太陽の光が降り注いでいる。
 若いうなぎおんなは、ぼやけた視界の中でしばらく空を見上げた。いきどまりの海面部分はわずかに渦を巻いている。何もしていないのに身体がくるくると回ていく。
 うなぎおんなは胸に抱いた白くぶよぶよと含んだ奇妙な果実をなで回す。腐り果てた肉がひとなでごとにはがれ落ち、いきどまりの渦に巻き込まれ海の底へと吸い込まれていく。
 彼女は胸の奥に今までに感じたことのないうずきを覚え、歯の生えていない顎骨に自分の桜のつぼみのような乳首を含ませた。
 彼女は記憶の中に幽かに残る旋律を細く高い笛の音のような声で紡ぎながら、奇妙な果実を抱きながらいつまでもいつまでもくるくると回ていた。
 人間の朝がもうすぐやてくる。 
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