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キムワイフ ゜
〔 作品1 〕» 2 
緋色の滲み
 投稿時刻 : 2017.04.06 03:04 最終更新 : 2017.04.29 23:31
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- 2017.04.29 23:31:31
- 2017.04.15 15:04:26
- 2017.04.06 03:04:09
緋色の滲み
白取よしひと


 そこは淀みも塵も沈み切ていた。無用となた実験機材は、あたかもこれから何者かによて使われるのを待ち望んでいるのか、静けさと共に整然と並んでいる。実験台には厚く塵が積もり、ひと風吹けばここの空気は、息をするのをためらうほどに汚れるのは間違いないが、閉め切た窓により外界と遮断されておりその心配はない。ともかくも、窓から差し込む日差しによて、ここは明るくそして整然さからくる規則感により実際ほど不潔には感じられない。
 さきまで空を叩いていた偵察ヘリの音はどこかに消えてしまた。おさんたちがオメガと呼ぶその小さなヘリOH-1は、混沌としたゲリラ戦が続く中、東北軍にとて貴重な空の見張り番だ。静寂が戻た実験室で、陸自からもらた編み上げ靴の音が固く響く。
 ふと実験台を見回すと視界の隅に緑の色彩が過ぎた。

―― キムワイプ!

 懐かしくそして四角いその箱は、『引き出してくれよ』とばかりに、紙が頭をもたげている。僕はその誘惑に抗う事なく素直に一枚引き抜いた。ガサリと抜いた固い紙の感触は昔のままだ。
 僕はそれを両手で広げて見入た。そして浸た。没入した。
 
 和美の指を切た試験管は、その役目を果たし床へ落ちて砕け散る。和美はとさに指を口に含んだ。驚いた僕は、キムワイプを引き抜き彼女に渡す。指にあてられたキムワイプは存分に彼女の鮮血を吸い、ごわごわしたパルプに血を滲ませる。
 今、僕が手にしているキムワイプの中央から、緋色がじわりとひろがりだした。それは留まることなく滲み続け、緋色が紙の端に達すると抱えきれないその鮮血をぽたりぽたりと床に落とし始める。和美の血。僕は性的な衝動が込み上げた。記憶に練り込まれたその緋色は和美そのものだた。
 
 スライド式ドアのごろごろとしたローラー音が、僕を現実に引き戻した。振り返ると、同じ青年志願隊の加藤が立ている。
「耕太こんなとこで何してるんだ? どうやらこの校舎でしばらく拠点確保するらしいぜ」
 まだ妄想の興奮から醒めやらない僕は黙て頷いた。
「明日には俺たちにも火器が配られるらしい」
「それはほんとか!」
「大方、チイニーズだと思うけどな」
 東北軍の主力は、東北知事会の檄文に賛同した陸自各部隊と県警だ。僕ら志願隊は各県で募集され陸自の傘下に入ている。そんな状況だから致命的に武器が不足していた。僕が携帯しているのも、サバイバルナイフ一丁と手榴弾一個だけだ。
 
―― どうしてこんな事になてしまたんだ。
 
 あの悪夢とも言える地震を想い起こした。東日本大震災の傷跡も癒えきていない状況で、無情にも再び激震が襲た。震源は北関東から福島寄りになり、それによて北関東に配備されていた原発施設が壊滅的な被害を被た。メルトダウンだ。放射能は風向きにより北関東から東北に向かて流れ、その悪魔の粉は再び純朴な東北人を襲た。市民たちは家族の健康を守るため、地震によて封鎖された高速を避けて下道を南下する。福島、白河、そして遠く宇都宮に至る幹線道路は大渋滞となた。原発難民だ。
 政府は、初め東北に対し同情的だた。
 
―― そうさ。それも最初だけだ。
 
 大地は日本を滅ぼそうとしたのか。地震は連鎖し、東京湾を震源とする地震が起きたかと思えばその余波は東海地区に及んだ。 この地震によて首相を初めとする、政府要人の多くが犠牲になた。僅か残た内閣の面々は神奈川の東部方面区座間基地に逃れ、政府の立て直しにかかたと聞いている。その臨時政府とも言えるメンバーが下した指令が東北隔離だ。関東を目指し移動していた市民を、武力により押し返したのである。これにより、東北は核の密室に封じ込められた。
 憤た東北の知事たちは、仙台に集結し前後策を練た。国を頼りにはできない。いや、『国は東北を見捨てた』のだ。喉元に突きつけられた刃物の如く現実は明白だた。防衛庁長官を経験している福島県知事坂井に依ると、東北配備の自衛隊には関東救護の指令が出たらしい。足下で大被害が出ているにも関わらずだ。
 宮城県知事が発言した。
「仙台霞目駐屯地にも同様な指示が出たらしい。指令は俺に陳謝していたよ」
 知事会は緊迫していた。この未曾有の危機をどうやて乗り切るか。今、この時も市民は喘いでいる。救助を待ているのだ。
 
―― 独立。
 
 ぼそりと岩手県知事が呟いた。それに何人かが頷く。独自の警察力に依て市民を護り、そして救助する。独立を海外に宣言し支援を請う。これであた。国が東北を見捨てた以上この道しかないかと思われた。中央では、この機を狙たテロも多発していると聞く。
 
―― もしかしたら、今ならできるかも知れない。
 
 群発した大震災と、それによる津波や火災により日本列島は大被害を被ていた。大地の振動に刺激され、九州阿蘇山は炎を巻き上げていると聞く。
 諸外国の動きも呆れるほど速い。日本を支援する名目で、臨時政府に取り入り大部隊を投入した米国。ロシアは北海道に上陸した。そして、国防上、どうしても日本列島が邪魔な中国は東北独立国に賛同した体を見せ、支援を申し出る。今や国体の維持は風前の灯火であり、諸外国の思惑でこの国は蹂躙され、各地で戦闘が始また。
 東北方面区の陸自は知事会の要請に従てくれた。坂井の口利きが功を奏したのである。県警も然りだ。知事会は隊員たちの心情を考慮し、関東以南から赴任していた隊員の自主退役を許した。やがて戦火は北上し、ここ宮城でも小競り合いが起きている。
 
「こんな目立つ建物にいち、空爆の恐れがあるんじないか?」
 僕の疑問に加藤は自衛官から聞いた情報を語り出した。何でも臨時政府が置かれた座間では、競合各国が秘密裏に談合ならぬ裏協約を結ぼうと折衝しているらしいのだ。大国間で争うのは流石に避けたいらしい。それでどの辺りを妥協点にするつもりなのだろう。
 
―― 日本分割?
 
 その言葉が僕の頭を過ぎた。加藤は続ける。
「だから、大々的な空爆は控えるだろうと」
『だがな……』と加藤は一度言葉を句切る。
「水面下のゲリラ戦は未だ続くだろうよ。この辺りにもかなりな数が潜んでいるそうだ」
 加藤は埃の積もた実験室に興味がないと見え、立ち去ろうとしている。僕は窓際に寄て外を眺めた。
「耕太。あまり窓際に寄るなよ」
 加藤はその一言を残し実験室を後にした。外には住宅街がひろがている。この地区は殆ど銃撃戦しか行われていないので家屋の損傷は目立たない。住民は既に避難しているので閑散としていて、まるでゴーストタウンだ。
 ピシと乾いた音が鳴た。
 
―― !
 
 やられたと思た刹那に膝を落とし窓下の壁裏に入たのは、反射的に冷静な判断があたのかも知れない。あのままだと三点速射を放たれたに違いないのだ。僕を撃た狙撃手は、仲間の反撃を恐れて既に移動しているはずだ。
 弾丸は胸を外れ腹部を貫いている。傷を押さえた手に血潮が温かい。僕はこのまま死ぬのだろうか。顔を上げると台の上に緑の箱が見えた。
 
―― キムワイプ。
 
 届くはずもないその箱に僕は手を伸ばした。その姿はしだいに霞み、和美の面影になた。
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