星離る
「大津皇子が、捕らえられたというのはまことか」
「は
……」
満月が上るころ、嶋の宮に呼びつけた忠臣・物部麻呂に、草壁皇子は険しい顔で尋ねた。
物部麻呂は苦悶の表情を浮かべ視線を落とした。
「大后さま曰く、殯の宮にて、謀反の徴があ
ったとのこと……」
「大后……母上が? 何かの間違いであろう。大津が謀反、それも、御門……父上の殯の場でなど」
草壁皇子は昼間、先月崩御した父王の葬儀の場での、異母弟の様子を思い出した。
幼いころから天真爛漫で、時折眩しく思ってしまうほど、感情をよく表に出す男だった。
大の男でありながら、人目も憚らず声を上げて泣いていた。
喪主を務めていた自分には、立場もあって、できもしないことだった。
「大津はただ泣いていただけではないか。何度も何度も鼻をかんで鼻の下を赤くして――」
「皇子さま、それなのです」
物部麻呂は眉間に皺を寄せ、声を落とした。
「あの、鼻をかんでいた紙――あれは、キムワイプだったのです」
「なんだと?」
草壁皇子は驚きで一瞬声を失った。麻呂がうつむく。
「馬鹿な……キムワイプの使用は十二年前から禁じられているはず……」
「大津皇子さまの宮を捜索したところ、キムワイプの箱が大量に押収されたとか……」
「何故……何故なのだ大津……! キムワイプの仕様を禁止し、すべて安価なプロワイプに切り替えることで、国庫支出を大幅に抑える、それこそ神とまで呼ばれた父上が為した最大の偉業……この飛鳥浄御原の都の象徴とも言える事業……それを否定するなど……まことであれば死罪も免れぬ……!」
草壁皇子は友であり最も近しい異母弟に思いを馳せる。
父を同じくし、母同士が姉妹である草壁皇子と大津皇子は、幼い頃はまるで同母の兄弟のように過ごした。だが、大津皇子の母が亡くなったことにより、離れて暮らすこととなる。大津とその姉は当時の近江朝の大君(中大兄皇子)に引き取られたのだ。
その頃、草壁皇子たちの父である大海人皇子と大君は対立状態にあった。大津たちは云わば人質として取られたのであろう。
大津皇子と離れ離れになって以降の草壁皇子の暮らしは暗いものだった。政の中心から日々遠ざけられつつあり立場が危うくなる大海人皇子の宮は常に陰気な空気が漂っていた。高価なキムワイプを使う機会などほとんどなかった。
対して、御門の宮に匿われた大津皇子は、日常的にキムワイプを使っていたのだろう。御門にとって、大津皇子は対立する弟の子であると同時に、かわいい孫でもある。キムワイプは華やかな近江の都の象徴的存在でもあった。
自分の知らぬキムワイプに幼い頃から親しみ、あまつさえ、父の葬儀の場で翻意を示すために使う――
愛しい弟。死には追いやりたくない。だが、草壁皇子の心のうちに、何か、言い知れぬものがかすかに芽生えた。