第38回 てきすとぽい杯
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ダーリンが来た
大沢愛
投稿時刻 : 2017.04.15 23:40 最終更新 : 2017.04.15 23:43
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- 2017/04/15 23:43:51
- 2017/04/15 23:42:33
- 2017/04/15 23:40:48
ダーリンが来た
大沢愛


 木漏れ日が梢をまだらに染めていた。ほんのすこし前までは風が肌寒かたのに、陽射しがほんのり暖かくくるんでくれる。
 ゆうらり、ゆうらり、揺れる。こういうのは嫌いじない。動きはいろんなものを運んできてくれる。静かなだけの世界では生きていられない。いのちはずうと動き続ける。どこかへ去てしまうまで。

 おなかすいた。

 ちうど葉裏の影が視界を覆ていた。なにか食べたい。でも、こればかりはどうしようもない。おなかを満たすものは自分で作ることができない。それができればいいんじないか、て考えたことはある。

 でも、それて無理なんだ。

 おなかを満たすものを生み出すには、ものすごくいろんな機能が必要だ。たぶん、私に備わている能力のほとんどをとぱらて、代わりに据えられるかどうか、ぎりぎりなくらい。そうなると私は、ここにじとしたまま、自分でせせとおなかを満たし続けて、それで終わり。

 それはしあわせなの?

 よくわからない。

 でも、それにはもうひとつ、大事なものが欠けている。

 子どもを、残せるの?

 子どもを残す機能て、これがまたものすごく容量を喰う。ひとりで子どもを作れる生き物はいるけれど、それにスペクの大半を費やして、あとはもう生きるだけ。
 だから、とりあえず男女に分けて、おなかを満たすのも外にある食べ物を摂て、というかたちにならざるを得ないんだ。
 まず、ごはんを食べなき。いぱい食べて元気になて、子どもを作れるようにならなき。なんで子どもを作らなきならないのか。そんなの、知らない。

 でもね、こういうイメージはあるんだ。

 いつかこの身体が動かなくなて、こんな風の中で乾涸びてゆくときに、私の子どもがどこかでちんとごはんを食べて、元気に生きて、だれかと子どもを作ている、と思えたら、なんだかちと身体が軽くなるかな、て。
 気持ちの問題だよ。勝手な思い込み、て言われたらひとたまりもない。

 だけど、それを感じるだけでしあわせになれる。

 たぶん、自分ひとりでおなかを満たす能力を持て生きるよりも、ね。

 私は、しばらく前から目が悪くなてきた。
 ぼんやりとしか見えないの。
 皮膚の感覚や嗅覚、聴覚があるから、なんとかやていけるけれど。離れたところにあるものを、暗がりでも捉えるためには嗅覚や聴覚が大事。視覚て、意外と不便なんだな。物陰にあるものや闇の中にいるものは見えない。ほんとうに危険なものは視覚の隙をついてやてくる。だから、いつでも嗅覚と聴覚を研ぎ澄まして、まさかのときに備えておかないと。
 でも、目で見たいものはある。
 たとえば、とても親しい間柄の、私のパートナーの姿。
 ダーリン、て呼んでるけどね。
 ときどき近くまで来てくれる。私は、もちろん追い払う。だて、そばに来てほしいときとそうじないときてあるでし。それて好き嫌いとはまたべつのこと。
 もうひとり、余裕ありげに私に付きまとうのがいる。
 モブ、て呼んでるけれど。
 モブはダーリンよりもずいぶん年上だ。訳知り顔に私を口説いてくる。たとえば「嫌よ嫌よも好きのうち」とか、だれが言い出したのか分からない戯言を振りかざして、私が突き放してもめげない。
 ありがたいことに、ダーリンはモブよりもはるかに強い。鉢合わせしたときには力ずくで追い払てくれる。これが逆だたらいたたまれなかたと思う。
 それにしても、好きなら相手が来たらいつでも受け入れるべきだとか、なにその身勝手な決めつけ。好きなら、そばに来られたらうれしいだろう、て?

 そういうものじない。
 こちは機械じないんだから。

 モブはいままでの「女性経験」とやらで自信たぷりだ。
 でも、ちと待て。同じ手順を踏めば同じ反応があてしかるべきとか、じあこちはなんだていうの? それてそちがラクなだけじん。ちんと様子を見て行動しないて、こちのことどうでもいいて思てるだけでし

 わがままだて?

 そちが、ね。

 閑話休題。
 モブのことなんてどうでもいい。
 ダーリンが来てくれるんだ。
 だたら、ちんとおなかいぱいにして待てないと。おなかすいた、て思てたら、ぜたいに追い払うもの。ごはんをいぱい食べたら、気持ちが落ち着くの。だて、しあわせな気持ちになるもの。自分の身体中に栄養がめぐて、疲れや痛みが癒されて、元気になたら、あとはダーリンだけに向かえる。そういうタイミングで来てくれるのがいちばん。だから、なるべくそういう、しあわせな私で迎えたいの。たぶん、そういうときて、その、やぱり可愛く見えると思うんだ。可愛くて、会いに来てよかたなて。そばに居られるのが嬉しいなて。そんなふうに感じてくれたら、私だてなんだか恥ずかしくて、いつもよりずとやさしくなれると思う。そんなときのダーリンの顔を見つめるのが好き。
 でも、目が悪くなたんだ。そばに来ても、ダーリンの顔は日陰みたいにはきりとした像を結ばないかもしれない。それでも、がかりした顔なんて見せないよ。とびきりの笑顔で、こうしていられるのが嬉しいて、思て欲しいでし? だから、ぼんやりしたダーリンの顔に私は微笑むの。見えなくても、薄暗くても、そこにダーリンがいるんだから。モブなんかと間違えたりしないよ。モブのふるぼけた身体や黴臭いにおいなんて、目をつぶていても分かる。

 おなかすいた。

 葉擦れの隙間から気配がする。
 聴覚を働かせる。
 ダーリンじない。それはわかる。ダーリンならもとリズミカルで、気持ちが浮きたつようなステプを踏んでくれる。
 大きさは?
 私と同じくらいだ。もしかすると、モブかもしれない。こんなときにやて来るなんて。身構えて、間合いを測る。追い払てしまおう。身体に力を入れようとして、十分に入らないことに気づく。だて、もうふらふらなくらいに腹ぺこなんだ。

 ちと、待て。

 これを食べれば、腹ぺこの身体も潤てくるはず。ダーリンを迎える準備も整う。嗅覚が気配のかたちを捉える。いつもの黴臭いにおいはしない。

 モブなら、大きさは十分だよ。

 よく来てくれた、と思う。わざわざ私のそばまで。いつもはそばに寄られるだけで寒気がするけれど。でも、きうは、なにか運命を感じてしまう。
 なんのためかて? 
 きまてる。私とダーリンのためだ。
 私がおなかいぱいになて、笑顔でダーリンを受け容れるために。
 ダーリンはいつもよりずと可愛い私を思うさま抱き締めるために。
 ちんと、お互い思い合て、こころをほどき合て、隙間なく重なり合うために。
 そのため、と思うと、なんだか優しくなれそうだ。ダーリンに対して思うのとはまたべつの、身体にじんわりと沁み渡てゆく温かい気持ち。

 そのためにはちんと、おいしくいただかなくち

 つまらないミスで台無しにして、むくれた私じダーリンだて可哀そう。いちばんおいしいところを吸い込んで、残りも全部取り込んで、身体の端々まで栄養を行き渡らせなくち
 足取りが近づいてくる。いつものモブの歩き方と比較しても、バランスが良くない。もしや、病気?
 それはいやだ。ダニや菌に取り憑かれたモブを食べて、私にまで伝染したら、ダーリンに嫌われちう。
 そんなこと関係ないよ、てダーリンなら言てくれる。でも、それじ私の気持ちが治まらない。だて、私は健康で、こんなに可愛いんだから。ダーリンがいつどこでも胸を張れる、そんな子なんだから。
 だいたい「そんなこと」て言てる時点で「見てる」わけでし、ダニや菌のついた姿を。それだけでも萎れてしまう気持ちてあるの。だてね、健康な私と病んだ私と比べたら、絶対に健康な方がいいじない? 「愛してる」補正があるから同じて、そういう補正て悲しいよ。「愛してる」は、健康な私のさらに上に積み上げてほしい。だからね、ここでうかりへんな病気をしいこむわけにはいかないの。
 嗅覚を全開にする。膿汁や菌糸の臭いはしない。ということはダニかしら? でも、ダニなら身体に食い込むことで少なからず炎症を起こしたり腐敗したりで、なんともいえない臭いを放つはずだ。ダーリンとのしあわせがかかているから、私だて必死だ。どんなちいさな異変でも嗅ぎ分けるつもりで頑張たけれど、見つからなかた。
 風のにおいが嗅覚を払い、リセトされた。よろけるみたいな足取りはすぐそばまでやて来ていた。あとはそうね、モブがもう年取て歩く体力も失いつつある、てとこかな。ちとがかりだ。年取た生き物は、あんまりおいしくない。生きることで身体を使い果たして、代わりに生きることで生じた澱みたいなものを溜め込んでいて、臭いがきつい。あのモブだもの。さぞかしろくでもないもので膨れ上がているでしうよ。
 できれば若くてみずみずしいおなかに噛み付いて思うさま啜り上げたいよ。そのほうが、もときれいになれるから。ダーリンのために。可愛い私に会いたくて、どきどきしながら来てくれるダーリンのために。

 おなかすいた。

 ダーリン、待ててね。

 いつも、一瞬だけ胸の中を風が通り過ぎる。次の瞬間、私は飛びかかていた。相手の身体を抱き締める。よぼよぼの身体を予想していたのに、若い、そしてとてもいい匂いがした。

 モブじない。

 よかた。

 すかさず喰らいつく。新鮮な体液が飛び出る。暴れる身体を押えつけて体液を啜り込み、内臓を吸い出す。私の身体に火がついた。ひとくちごとに恍惚感がわき起こる。

 こんなにおいしいなんて。

 おいしさが私を包み、駆り立てる。もと、もと。もと味わわせて。こんなにおいしいなんて。とびきりのごはん。ダーリンだて食べたことがないかもしれない。ダーリンも、おいしいものをおなかいぱい食べて来てくれるといいな。だて、こんなにうれしいんだもん。すみずみまで力がみなぎてゆく。この力はぜんぶ、ダーリンのためだからね。いくらでも受け入れるからね。愛してるよ。とろけるくらい愛してる。私のダーリン。
 動かなくなた身体の隅々まで舐めつくして、すこしだけ余裕ができた。抜け殻みたいになた身体を、ぼんやりとした目で見まわす。投げ出された足を見る。折れていた。そうか、だからあんなによろけた歩き方になてたんだ。軽やかなステプを踏んでくれれば、ダーリンだと思て飛びかからずに済ませたのに。
 最後のひと口まで食べつくした。ふだんなら口に合わなかたり、どうしても食べられなくて吐き出す部分がすこしはある。でも、ぜんぶ食べてしまた。
 最後に食べたのは、あの折れた足だた。ゆくりと嚙み締める。よく見えない視界がさらにぼやけてきた。足先には見覚えがあたんだ。私の身体に触れた。いとおしむように撫でてくれた。私が気持ちを荒げて追い払たとき、淋しそうに帰て行た、あの足だた。癇癪を起した私が、アンタも結局モブと同じだ、なんてひどいことを言たときに、目の前でじとしていた、あの足だた。

 なんで来たの。

 約束してたけれど、そんなの反故にしまくたじない、私。きうだて、おなかすかせていたんだから。見ればわかるじない。折れた足じ、ちんと逃げられないじん。どうして。なんでそんなでやて来たの。
 私の中にすぽりと納またあれやこれやが、一気に囁きかけてきて、私は応えるすべもなく翻弄されていた。巣の周りにはもうなにも残ていなかた。そして私の身体は、これまでになく満たされていた。

 おいしいごはんを、おなかいぱい食べた。

 こんなにしあわせなことはないはずだた。

 それなのになんで、こんなに切ないんだろう。

 じとしているうちに、いろんな感情が融けて行た。柔らかいものは素早く、とげとげしいものはゆくりと。
 最後のとげが融け切たところで、ぼんやりとうずくまた私に気づいた。

 きうは、とてもしあわせな日のはずなんだ。

 こんなにおなかいぱいで。

 あとは、そうだ、ダーリンが来るはずなんだ。

 いまならとびきりの笑顔で、最高に可愛い私で迎えてあげられる。
 もし、やて来たのがモブでも、いつもよりはちぴり優しく接してしまうかもしれない。図に乗て、偉そうに振る舞て、私に追い出されるまでは。
 でも、あのモブのことだ。なにかを察して打て変た態度で臨むかもしれない。泣いてしまたら負けだ。そんな気持ちの揺れに付けこむのが巧みな、そればかの男だているのだ。
 そんなの、許さない。
 私の体の中の悲しいしあわせが、絶対に許さないに決まている。

 私は笑顔を作た。たぶん、可愛いに違いない。

 でも、心の中をダーリンという言葉がよぎるたびに、笑顔がほんのわずか、褪せてしまう。

 陽射しが傾き、結露した樹皮に、なけなしの微笑みが灯る。

 視力の衰えた目には、映ることはなかたけれど。

                      (了)
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