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「覆面作家」小説バトルロイヤル!
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Preta
茶屋
 投稿時刻 : 2017.07.06 20:44
 字数 : 4042
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Preta
茶屋


 お題:純愛/不倫 

 私は中世の騎士道物語は憧れる。トリスタンとイゾルデ、ベオウルフ、ニーベルンゲンの歌。主君に忠義を尽くしながら、それ以上の愛情に身を引き裂かれ、献身と自己犠牲に注力する。そういたものに私は憧れるんだ。風車に突撃するドン・キホーテのように。君はさしずめサンチ・パンサと言たところだろうか。その冷徹な目で、私という滑稽さを嘲笑うかもしれない。だが、私は騎士道物語の主人公やドン・キホーテのような狂気は持ち合わせていない。ある程度は自己を間主観的に見る癖はついてしまている。狂気に憧れながらも、狂気に完全に染まてしまうだけの度胸は持ち合わせていない。怖いのだ。現実を失てしまうのが、社会を失てしまうのが。臆病なのだ。私は。

 そんな彼の独白を、とても興味深そうに、聞く。
 肝心なのは軽さだ。
 少しだけオーバーに。
 少しだけわざとらしく。
 キバ嬢までは行きつかないぐらい軽薄さを。
 それが軽さを生み出してくれる。大げさなうなずきや目の動き、いかにも考えなしに適当に合わせているような絶妙なラインの言葉。
 軽薄さ。
 軽さ。
 すぐに、脳のメモリから除去されるようなフストフード性。
 それが彼が私に求めているもの。そして私が彼を繋ぎ留めておくための、いささか心もとない鎖。

 愛情というものが、よくわからない。わかりたいとも思わないのだけれど、社会ではそれが求められるらしい。社会性。それは理解できる。理解は、できる。社会という存在が生き延びるためには生殖が必要だ。生殖は必要なくとも、少なくとも定期的に社会を構成するノードを補充する機構が。ノード、気怠い、愛情、もしくはそれモドキ。
 生殖には必ずしも愛情は必要ないかもしれないが、少なくともそれなりに生殖と社会が共進化する過程で生まれてきた概念あるいは、あるいは、もしかすると、存在するかもしれない感情だ。それが本来生得的に備わているはずのものだとすれば、それを欠失した私は病気だろう。
 私には愛情が欠如している。私には愛情を感じて幸福を覚えるということも欠如している。そして、その他諸々が欠如している。

 妻は不感症なんだ。字義通りの意味でも、比喩的にも。ある種の感情の欠如と言ていいかもしれず、ある種の機能的、精神的な障害を負ているのかもしれない。治療するという選択肢は初めから私たちにはなかたんだ。妻はあれでこそ完璧であり、何かを足したり取り除いてしまえば均衡を欠く。あれでこそ私の妻であり、あれでこそ私の愛するものなのだ。あのホメオスタシスを維持する妻を私は愛しているのだ。
 そう、私は妻を愛しているのだ。
 私がいくら愛情を注ごうとも、私がいくら献身しようとも妻からの能動的な見返りはない。妻は不感症であり、私の愛情に感謝することもなければ、私に愛情を返すこともない。妻は私を憎んでいるわけではない。それは絶対だ。妻は憎しみという感情すら感じていないだろうから。

 私を目の前にしながら彼は奥さんの話ばかりだ。
 きと私なんて見ていない。私を通して奥さんを見ている。奥さんの似姿を私に憑依させているのだ。
 これは彼にとてあくまで代償行為。
 満たされない欲求の、しかも隠されて無意識的ではない、あけすけで了解済みの代償行為。
 すべてがわかりきた、ある種暗黙の了解を含んだ遊戯。
 彼が知らないのは私が本気だということだけ。

 私は幸福ではない。だからと言て不幸ではない。相対的なその尺度で私はどの程度に位置するものなのか、見当もつかない。そこそこの仕事に就き、高収入な夫を得る。将来設計での障害事由はあまりない。おそらく、夫は子供を子供を望むだろうし、私はそれに反発する理由は特にない。子供ができたところで私が幸福になるとは思えない。淡々と、そのタスクをこなすだけだ。子供が成長し、やがて巣立つ。そして自分は老いて死ぬ。それに何の感慨もない。ただ、それだけのことだ。そうすべきことと、納得した行為を遂行する。無思考ではないが、そこに欲求はない。思考の及ぶ範囲での合理性。ライトな合理性選択のなかで、私は生きている。

 勿論、君と会うことに罪悪感や背徳感を感じないわけではない。違法行為ではあるし、そしてそのリスクも知らないわけではない。だが、妻は何とも思わないだろう。彼女は嫉妬心なんて欠片も抱かないだろう。ただ、事実を受け入れるだけだ。それに甘えているといえばそうなるだろうが、それがないからこそこの代償行為に及んでいるのだともいえる。矛盾だよ。矛盾だらけだよ。私は彼女をあらゆる手を尽くして手に入れたにもかかわらず、手に入れられなかた。比喩的だか、触れることすらできなかたんだ。妻を心の底から愛しているからこそ、届かないんだ。決して。決して。アキレスと亀、まるでゼノンのパラドクスなのだ。
 だが、私は修道士でもなければ禅僧でもない。欲望はどこかで吐き出さなければない。矛盾だらけだが愛すべき不感症の妻ともいちついたりデートしたりムードあるセクスをしたいんだ。そんな満たされない欲求を代償的に満たせる手段があるなら飛びついてしまう。私は弱い人間なんだ。だから、君には感謝しているよ。
 
 彼が私を見ることはないと知ている。
 彼にとて奥さん以外の女性は愛の対象としては不可視なのだ。
 ある日、街中で彼とたまたますれ違たとき、彼は私に気付いていなかた。
 たぶん彼は私を認識していなかた。普段、思い出すこともないのだろう。顔写真を数枚並べておいてもその中から私を探し出せるかどうかすら怪しい。
 私は幽霊であり、私の肉体は霊媒だ。
 それはどこか言い得て妙で、私の今の思考は幽体離脱した魂のように客観的で、客観的に見た私の肉体はトランス状態のシマンのようだ。

 愛を欲し続ける人間と愛を理解できない人間、どちらが正常なのだろうか。正常異常の区別は相対的で、現代社会で言えば異常なのは後者のほうかもしれないが将来どうなのかはわからない。生物としては生殖、あるいは増殖が成り立てば十分なので本来愛というものは必要ない。ましてや繁殖期がある動物は子育てで雌雄双方の協力関係が必要な場合を除けばつがいを作る必要などない。だから雌雄の協力関係を維持し続けるような機能は少数派ではないかと思う。だから多分私は動物的には正常ではないだろうか。だからなんだ、という感じではあるが。つまり諸説あるという無難な思考で自分自身をけむにまく。煙に巻かれた私はいつしか煙と同化する。私は煙。誰かを取り巻く、煙。誰かを、惑わす、煙。

 私は彼女に殺されたんだ。修道僧のように彼女という神に身を投げ打ち、かしずく。それが全てだ。だが、それは本当の私ではない。本当の私は大きな仕事を精力的にこなし、金を稼ぎ、豪遊する。自分以外の主を認めない。そういう男のはずだたんだ。そんな男を、妻は殺してしまた。表面上は以前の私とは変わらない。しかし思考の殆どは彼女という存在に侵食されてしまたんだ。止める間もなく。男は、死んだ。目の前の男はそんな男の幽霊だ。まだ未練がましく働き、遊ぶ。蘇ることも、成仏することも出来ない、中途半端な地縛霊。それが私だ。

「私が生き返らせてあげようか」
 冗談めかした言葉にほんの少しだけ本気を入れる。
 けれども彼はきれいな作り笑いを浮かべるだけ。
 愛に理由なんていらないという人がいる。
 それはただの思考停止だと思う。
 そういう人は愛というものを大伽藍に安置された愛の偶像に信仰を表明したいだけなんだ。
 私は純愛なんてものを信じない。
 それは幻覚、錯覚、自己欺瞞。
 いくらでも言い換え可能な不確かな存在。
 けれども、アルコールの生理反応を知ていてもお酒をやめられないように、麻薬のメカニズムを知ていても逃れることが出来ないように、私はその甘美さから逃れることが出来ない。
 そんな皮肉はいくらだていうことはできる。
 けれども彼に惹かれた理由を問われるとなんだか戸惑てしまう。
 愛に理由がないこともあるかもしれない。
 けれど、私は理由がほしい。
 私はこの愛には意味があるのだと、言い張りたい。

 餓え、渇き、不在への欲求。私は時々、欲求を忘れてしまう。のどが渇いているのを忘れて脱水症状になたり、餓えを忘れて栄養失調になたり。でも愛情への餓えを忘れても愛情失調になたりはしない。なくても死なない。子孫繁栄には大きな障害かも知れないが、人間の進化において恋愛感情が必ずしも有利な機能であたとはあまり思えない。快楽だけでも十分なのではないだろうか。酒に対して愛の告白をするものはいない。煙草の対して指輪を送るものはいない。麻薬に対して真実の愛を語るものはいない。愛情はなくても快楽で十分だ。そして、快楽はなくとも習慣で十分だ。だから、別段困てもいない。愛情への欲求は決して満たされることがない。けれども、私は求めていないし。満たすべき容器がどこにあるか知らない。

 渇き、餓え、不在への欲求。底の穴の空いた瓶。私はそれに何かを注ぎ足しているんだ。それが何かは自分でもよくわかていない。愛情? 快楽? 刺激? 疑問? 問い続けることが哲学者たる資格だて、友人が言ていたよ。何かを理解してしまた瞬間、何かを知てしまた瞬間、それは哲学者でなくなてしまうとね。理解してしてしまたら弁論家さ。もはや思考はない。吐き出すしか無い。ある意味では本当の愛も同じではないかね? 求め続ける。決して満たされているとは思てはいけないんだ。求めつづけ、注ぎ続ける。それこそが、愛、では? 勿論、自覚はある。自己正当化だてことは。

 渇き、餓え、不在への欲求。
 それでも私は求め続ける。1%でも、0.1%でも、0.01%でも。ギンブラーなんだ。
 だから、成功者の話はいくらでも知ている。
 だから、私は成功者になるの。
 私は愛を得る。
 私は、幸せになる。
 嘘。
 そうなれないことは知ている。
 私は愛の呪文を、
 御経を唱えるだけの、
 餓鬼。
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