暁文学
 1  9  10 «〔 作品11 〕» 12 
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投稿時刻 : 2018.05.19 12:49
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ポキール尻ピッタン


 かつて妻は私にこう言た。
「先のことばかり考えていて足元を疎かにするタイプだから、あなたは家事に向いてないよ」
 ああしたい、こうしたいと夢を語る自分への嫌味だと当時は聞き流していたが、いま思えば家庭を守ているプライドから出た言葉だたのだろう。仕事に集中していられたのは足元に不安がなかたからだ。当たり前だと思て気が付かなかたけれど、私は君に支えられていた。
 切たトマトの大きさがまちまちのサラダ。サンドイチは歪な長方形。テーブルに並んだ朝食を君が見たら不細工すぎて笑うに違いない。それでも私はしかり足元を見つめようと、一歩ずつ努力して君に近づけるよう頑張ている。
「おはよう」
 一瞥さえもくれずに椅子に腰掛ける岬は中学2年生になた。難しい年頃らしく私の問いかけにも空返事だ。会話らしい会話なんて、ずいぶんと前からしていない。悪いことをして警察や学校から呼び出されるようなことは一度もないが、友だちとはあまり遊びに行かず、部屋に閉じ籠もて好きなアニメを観ているだけなので、少し心配をしている。妻は子どもの目線で話せば仲良くなれるとアドバイスをくれたけれど、それは岬が小学生だたころの話だし、女子の目線に自分がなれるはずもないので、私は為す術がないままお互いが空気のようなこの状況をただ歯痒く感じているだけだた。岬はおそらく私を責めているのだろう。妻の大丈夫という言葉を鵜呑みにして、家庭を顧みることはなかた私に足元を疎かにしてきたツケが回てきた。妻に悪性リンパ腫ができたと知たときには、もう遅かた。放射線治療も虚しく癌は全身に転移していた。
「お前が、殺したんだ」
 行き場のない悲しみが憎しみの渦に巻かれて、私の胸の一点へと届いた。義父も義母も、父も母も、誰も彼もが私を責めた。罪は確定している。しかし妻への償い方を、誰も私に教えてくれなかた。
 眠る前に毎日、私は寝室のテレビをつける。本棚に並んだビデオテープを1本選び、すかり古くなたデキで再生する。旅行先の妻、カラオケで熱唱する妻。大切な記憶を辿り妻へ問いかける。
「私は、どうすればいい?」
 記録された映像を流すことを誰が再生と名付けたのだろう。生きているなら私の問いかけに答えるはずだ。2年近く繰り返しているのに、四角いフレームの中にいる妻は空返事さえしてくれない。

 玄関の鍵を開けると中から戸の閉まる音が聞こえた。なるべく顔を合わせないように、インターホンでオートロクの解錠に気づくと岬は自分の部屋へと戻る。こんな関係ではいけないと思ている自分がいれば、また気まずさから逃げられてホとしている自分もいる。今夜は夏期講習の申込みについて岬の意向を訊くつもりだたのだが、仕事で疲れていることを言い訳に、明日の朝にあらためて話そうと私は先延ばしすることにした。
 部屋着に着替え、昨晩の残り物を肴にリビングで水割りを飲む。アニマルプラネトはミーアキトの子育てを流している。観葉植物は力なく幹を傾け、細かな埃が浮いたフローリングに影を落としている。キビネトの上には伏せられた写真立て。構図を考えるみたいに指でフレームを作り周囲を見渡す。どこを切り取ても、私が望んだ空間はない。人間の目の解像度はおよそ6億弱の画素数らしいから、ひとすると画素と画素のほんの僅かな隙間に私が見たい景色が広がているかもしれない。見えないものを見ようとするのは夢だ。酔ているからこそ分かる。私はなにも変わていない。
 グラスに口をつける度、自己嫌悪が激しくなる。目の前の空間が歪み、あからさまな悪酔いのサインを送る。そろそろ寝室へ行かなければとお酒を切り上げた私は、テーブルに置かれた郵便物を持てふらふらと立ち上がた。
 岬を本気で怒鳴りつけたのは、初めてのことだた。
 いくら引き落とされるのだろうと何の気無く携帯電話料金の請求書を開いた。私と岬の2台を合算して毎月1万円満たないはずなのに、なぜか6万円を超えた数字が印字されていた。なにかの間違いではと明細を広げ、焦点の合わない目を一生懸命に瞬かせながら項目を追た。
「デジタルコンテンツてなんだ?」
 突出した数字はiTunesを経由していた。音楽をたくさんダウンロードしたのだろうか? それとも変なサイトにアクセスして違法な請求をされたのだろうか?
「岬」
 ゆたりとした呼吸で自分を落ち着かせる。ドアを2度ノクしたが中から返事はなかた。あえて息を潜めているような沈黙が漂ている。この事態を岬が覚悟していたように感じた。
「携帯で、なにか買たのか?」
「知らない」
 布団を頭から被ているのか消え入るようなこもた声だた。
「開けるぞ。なにに使たのか話しなさい」
「知らないから」
 開けさせまいと岬が駆け寄りドアに激しくぶつかた。丁番が軋み合板が潰れたような鈍い音が響いた。ドアは壊れなかたけれど、私の中にあるなにかは確実に壊れた。
 恩着せがましく教育費がいくら掛かたとか、そんな風に育てた覚えはないというルールの押し付けとか、親が言てはいけない脅しを私は次々に捲し立てた。岬が涙声になたのも知ている。隠している間、ずと怯えていたことも分かている。それでも、私の怒声は止まらなかた。これは自己嫌悪の延長だた。私が駄目な父親であることを自覚するための八つ当たりだた。啜り泣く岬に何ひとつ慰めの言葉を掛けず、言いたいこと全部吐き出した私はふらふらと寝室へ向かた。自分が情けない。夢であて欲しい。テレビの中の無関係な映像であて欲しい。強く噛んだ唇が少し麻痺して、痛みが遠かた。

 花を散りばめた陶器のフレームの中で妻と私が笑ている。入学式に緊張しているのか岬は強張た表情でスカートの裾を握ている。幼い頃の自分が恥ずかしかたのかもしれないが、岬がこの写真立てを伏せたのは正解だ。現在と連続していない家族のひとコマなど、夢の残滓にすぎない。ビデオの中の妻と同様に、もうこの世にはいないものだ。いつまでも存在しない夢を求めていたら妻に笑われる。望んだ通りの現実にならないから私は取り乱した。フクシンを岬へ押し付けようとしたのが間違いだた。夢から覚めるときが来たのだ。しかりと足元を見つめ、岬と一緒に、もう一度家族を作り直そう。
「昨日はごめん。一方的に酷いことを言たお父さんが悪かた」
 腫らした瞼を隠すように俯いていた岬は、私の謝罪に応えぬまま椅子に座た。膝に手を置いたまま真直ぐ食パンに目を落とし、なにか言いたげに口元を動かしている。
「早く食べな。学校に遅れるよ」
 いちごジムの蓋を開けて岬の手元へ置いた。私たちはこれから四角い食パンのフレーム内に色をつけていかなければならない。当たり前のことを当たり前に始めるのだ。
「お父さん、ごめんなさい」
「うん」
 岬の瞳に焼き付けるよう、ゆくりと頷いた。互いの気持ちを交わした瞬間に刻まれた映像を、これからひとコマずつ積み上げていく。

 ケーブルテレビを契約した際におまけでもらたタブレトPCを、岬はおずおずと差し出した。なくしたものだと思て諦めていた電子機器を岬が持ていたことには驚いたが、そのことを問い正す前に、いたい5万円以上もなにに使たのかを訊かなければならない。
「あのね、スマホのゲームで、どうしても欲しいキラがいたの」
 タブレトの画面にはドレスを着たアニメの女の子が映ていた。どうやらアイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージという、このやたらと長い名前のアプリに岬は課金したようだた。
「キラクターをダウンロードするのに、そんなにお金が掛かるのか」
 昔作たプラモデルは塗料も含めて、1台が2千円くらいで仕上がた。デジタルコンテンツがどのくらいの手間で作られているか知らないけれど、1体が数万円を超えるなんて、にわかには信じがたかた。おそらくゲーム自体の価格も加算されているのだろうが、それでも馬鹿馬鹿しいほどの高額だ。
「もう少しで出ると思たら、ガチを止められなかたの」
「ガチてあれか、テレビで問題になていたやつ」
 学校でも指導されていたのだろう。ニスを観ない岬でもいけないことだとは一応理解しているようだた。事情を訊いた上で注意はするが、もう怒るつもりはないのに、声は震え、私が言葉を発するとぴくりと肩を揺らす。妻だたらもと岬を安心させてあげられるのだろうと、自分がもどかしく感じた。
 ソールゲームのトラブルを特集した番組を観たことがある。当選確率の低いアイテムを有料くじで入手するために、支払能力を超えた課金をしてしまう。特に後払いが可能な携帯電話の一括決済だと、手持ちのお金の心配がいらないぶん歯止めがきかなくなるらしい。まさか自分の家庭がその問題に直面するとは考えもしなかたが。
「事情は分かたよ。でもな、お金が必要なときは、まずお父さんに相談しなさい。なにからなにまで叶えてあげることは出来ないけれども、岬のやりたいことなら、少しは協力してもいい。まあ、こういうことは初めてだし、次から気をつけてくれれば、今回のことはもういいから」
「ごめんなさい」
 甘いかもしれないが、頭ごなしに否定せずに歩み寄る姿勢を見せようと思ていた。このアニメの女の子のように、岬にはフレームの中で笑て欲しかた。同じ歩調で進んでいけば、同じコマにきと私もいられる。
「なあ、このゲーて高いのか? お父さんにも出来るのか?」
 考えすぎて周りが見えなくなることは、ままあることだ。
「曲に合わせてボタンを押すだけだから誰でも出来るよ。それに遊ぶだけなら無料だし、そのタブレト、スマホのサブにしていただけだから、お父さんが使ていいから」
 簡単さを強調する岬は頬を紅潮させていた。許されたと安心したのか、自分の趣味に理解を示されたのが嬉しかたのか、抑えられていた気持ちが堰を切て流れ出たようだた。
 まあ、タブレトPCは最初から私のものなのだけれど。

 岬の好きなキラクターは木村夏樹というボーなロク好きのアイドルだた。最初はただの絵に夢中になる理由がさぱり分からなかたが、声があると不思議なもので人物像が見えてくる。仲間思いで面倒見が良く、諭すような気の利いた台詞回しから、岬は母性と父性をこのキラクターに求めているのだと察した。それは妻の不在といままでの私の至らなさを意味していた。
 ゲームを進めるうちに、キラクターのグレードによて台詞が異なることに気がついた。岬が課金をして手に入れたSSRのグレードはスコアを上げる効果や専用の衣装を持ていたりもするが、なによりも台詞が増えることで人物像を強化できる。知れば知るほど頭の中でその人物が実在しているような錯覚に陥るのだ。存在していないのに存在して欲しいと思う気持ち。それは私がよく知ている感情だた。
 テレビの中の妻がカラオケで歌ているのはWinkの『淋しい熱帯魚』。違うとは分かているのに、ゲームで『Memories』という曲を聴くと妻の姿が頭に浮かんでしまう。曲の雰囲気が似ているだけで、どうしても連想してしまう。フレームの中の夢だと割り切たはずなのに、私は妻の実在を求めてしまう。
 岬がリビングでゲームをプレイしている。寝室までメロデが漏れてくる。ビデオを止めて灯りも消した。それなのに、瞼の裏には四角いフレームが浮かんでいる。確かこの曲は『shabon song』。恋の気持ちに気づく歌だ。存在していないキラクターが自分たちの気持ちを肯定している。変わることを迷いなく肯定している。
 私は夢から覚めたくないのだ。文句を言いながらも私を肯定してくれた、妻とずと一緒にいたいのだ。

 今回のイベントはなんとか5万位以内に入ることが出来た。銅のトロフをもらうのは初めてだ。ありすちんのスターランクもマクスまで上げられたので、とりあえずは満足している。しかしスコアが現状頭打ちなので、プリンセスのスキルを持つ限定キラを入手して底上げをしたいところだ。金とは言わないまでも、銀のトロフはいつかもらてみたい。
 岬はこの間、10連一発で限定の幸子を当てた。非常に羨ましいが私たちは毎月5千円までと課金額を決めているので、こればかりは運に任せるしかない。それにしてもこのゲームは本当に良く出来ている。スコアを意識しなければ無料で遊び続けることが出来るのだ。10連ガシを回すのに必要な石2千5百個も、イベントやログインボーナスで手に入るのですぐ貯まる。しかも同じ金額でドレスを買えば10連チケトがおまけについてくる。ドレスが無料なのか石が無料なのか、またく恐るべきゲームだ。
「大変なの。お父さんが2次元に目覚めちた」
 友だちと電話をしている岬が私の話を持ち出した。あえて誤解を解くつもりはないが、その認識には誤りがある。夢から覚めない結果がこれなのだ。
 私がプロデスを担当しているアイドルは新田美波。タレ目が可愛い頑張り屋さんの大学生だ。
『1e450edcbf』
 ちなみにこれが私のID。フレンド登録にまだ空きがあるから、ぜひ申請してみてくれ。一緒にアイドルのプロデスを楽しもう。挨拶はデレす! それではおやすーん!
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