ここと、pediophobiaに関して
「きみと話すと社会の敵の上位候補者とは思えないな」
中性的な顔立ちの心療内科技師はそんなことを言
った。フィクションの世界では、中性的な顔立ちは容姿が整っていて魅力的であることの言い換えのように使われることが多い。今いるのは現実なので、ザンネンながら中性的な顔立ちは、なんだか怖い。
生身の人間のはずなのに不気味の谷のようなものを感じさせる。
言うまでもなくこの国では、母親のお腹にいるときから遅くとも出生管に移される前にはナノマシンを注入される。ナノマシンは情緒を安定させ、知能を向上させ、セクシュアリズムを固定する。
生まれつきの病気、犯罪者、そして本物の同性愛者はこの国にほとんどいない。
ある種の性的嗜好までもが、病気の一種としてとらえられることに人権団体は反発したが、ユーザーである親たちの希望によってセクシュアリズムの安定化はナノマシンのもっとも早い時期に標準仕様となった。この国では同性愛者、小児性愛者向けの新作ポルノは、俺の知っている限りでは存在しない。市場原理が働いたというわけだ。
何事にも例外はあるように、その少数の例外の一人が俺だ。
胎児からのナノマシンによる『治療』が義務化されても、無知や無関心で生まれる直前まで医療機関で診察を受けない母親がいる。出生後もナノマシンによる『治療』はある程度効果があるが、その確実性は多少下がるのだという。
そういった子供たちのほかに、なぜかナノマシンが宿主の胎内で培養して放出するレトロウィルスによるを免れる人間がいる。原因はよくわからない。
ナノマシンに施された欲張りな不正改造による誤動作とも、別のベンダーによるナノマシンを体内に持つ親同士が結婚し子を為した結果とも言われているが、どちらも都市伝説のようなものだ。
問題は、俺もそんな人間の一人と言うことだ。技師が俺のことを社会の敵候補者と呼ぶのは、俺が殺意を持つことが出来、あるいは殺意もなく人を殺すことができる可能性があるためだ。
俺は嘘つきで、平均身長から明らかに逸脱して背が高く、閉じこもりがちになったり逆に元気になりすぎたりすることがあるらしい。もしかしたら同性愛者なのかもしれない。
そんな俺の治療にあたる心療内科技師が性別年齢不詳の人物というのはもしかしたら相当な深謀遠慮があるのかもしれない。
「きみのナノマシンはセンターへ送信しているデーターを改竄している節がある。きみの健康状態を知るために実際の採血が必要不可欠だ――この話は、何度かしたような気がするけれど」
医者という職業人はほとんどいなくなってしまったが、国民はナノマシンを調整し、ひいては自分たちに幸福な生活を与えてくれるナノマシン調整技師を心から尊敬している。
国から認可を与えられた技師は国民健康保険サーバにアクセスしてデータを読むことができる。ナノマシンのベンダーから、最近の食事、酒はどれくらい飲んだのかまで簡単にわかる。
「まあ、壊れナノマシンなのだろうけどね」
一瞬自分のことをフィクションのスパイのようでかっこいいと思った俺に心療内科技師はなかなかひどいことを言う。
ナノマシンでは思いやりの心は身につかないらしい。
俺は唐突に自分の座っていた椅子を持ち上げると、心療内科技師に向かって思い切り振り下ろした。
技師は頭部から積層湿潤シリコンの人工頭脳をこぼしながら床に倒れ込んだ。
「――」
人工頭脳に織り込まれた神経回路がショートしたのか、技師は地上に打ち上げられた魚のように口をぱくぱくとうごかすばかりだった。
このような器物破損はすでに三百回を超えている。
pediophobia。
それが俺に下された診断名。人形恐怖症と、小児恐怖症の二つの意味を持つ。
俺は少なくとも、人間に似せてつくられたロボットやアンドロイドの存在を我慢できない。少し気を抜くと、理性が止めるまもなく暴力を発動させて破壊してしまう。
いまのところその相手はヒトガタだけだが、いつの日か小児に対しても発揮されるかもしれない。
何せ俺を診断したのはナノマシンなのだ。壊れかけの俺のナノマシンだが、この診断だけは正しいのだろう。
俺は一生――『ここ』からは出られない。