第51回 てきすとぽい杯
 1  6  7 «〔 作品8 〕» 9 
あなたとあなた、どっちが大切なの?
投稿時刻 : 2019.06.15 23:41
字数 : 1610
5
投票しない
あなたとあなた、どっちが大切なの?
ポキール尻ピッタン


 電気シバーの替え刃を探しながらフロアを歩いていると人集りが目に入り、何の気なしに覗いてみると新型ゲーム機のデモプレイをやていた。
 バグを足で挟んだ高校生がVRゴーグルを装着し、両手のコントローラーで忙しなく空を切ている。モニターにはやたらリアルな怪物の姿が映し出され、高校生の腕が振り切られる毎に、体の一部からどす黒い血液を宙に舞わせていた。
 微笑みを浮かべてプレーヤーの様子を眺めている制服の店員と目が合い思わず会釈をすると、ゲームに興味があると早とちりしたのか、その店員は微笑みを崩さぬままこちらへ向かて歩き始めた。
「最近のゲームは凄いですね」
 ゲームに疎い振りをして冷やかしの客だとアピールするが、店員はまたく意に介さず、熱心にゲームの説明を始めた。
「あのVRゴーグルは、あ、あの子が頭に被ているやつです。あれはゲームだけを楽しむものではないんですよ。失礼ですがお客様のお歳だと、以前に撮りためたビデオとか結構お持ちだと思うんです。もし、再生する機材があるのであれば、そのビデオの映像もですね、3Dの、眼の前にあるような臨場感で観ることができるんです。まあ、ここだけの話ですが、エロテクなものもリアルに再生できます」
 別に、エロに惹かれたわけではないが、私はVRゴーグルを購入した。自分のためだけにお金を使う日々が、こんなくだらない物を買うだけの余裕をいつの間にか作り出していた。クレジトカードを差し出したときの、店員の満面の笑顔をいまでもはきり覚えている。私が買うと決めたのはそんなはきりした記憶のためではなく、いまではぼんやりとくすんでしまた大切な記憶のためだ。

 妻と別れて20年近く経た。仕事にかまけて妻を蔑ろにしてしまた私にとて、離婚は当然の罰だた。やり直せることならやり直したいといまでも思ている。私は流れる時間のどこかで、間違てはいけない選択をしてしまたのだ。
 修理から戻てきたVHSデキをテレビに接続し、納戸の奥にしまたダンボールを開きカセトテープの背面の文字を読む。たくさん撮りためた映像のどこかに、間違た場所を示す鍵があるのだ。
「ああ、美沙子」
 家を買て居間に入た日。心の弾みを隠せない妻が軽やかな足取りで調度品に触れている。ドアを開けて顔を出した私がやれやれといた様子で妻を眺めていた。私に気づいた妻が駆け寄り抱きついてくる。首に回された腕がくすぐたかたのか私は軽く頭を振た。
「あいつは誰だ?」
 記憶を懐かしんで幸せな気分に浸るはずだた。目の前で妻と戯れ合う人物が私だと分かているのに、苛立ちと悲しみが不意に湧き上がた。
「美沙子から離れろ!」
 あの高校生のように私は両手を振り回して宙を掻いた。感触のなさが却て不安を増幅させた。私は私に妻を取られたのだ。間違える前のあいつは、間違て妻を失た私を笑ているのだ。
『私たちの記録をこれからもたくさん撮て、いつかあなたがお爺ちんになたときに一緒に笑て見ようよ』
 来なかた未来ではなく、来るであろう未来を妻は選択していた。妻は私ではなくあいつを選択したのだ。私は誰が許せないのだろうか? この苛立ちをぶつけて傷つけるべき相手はいたい誰なのだろうか?
 妻とあいつはノイズの奥へ消え、私の記憶は断絶された。私は拳を握り締め自分の頬へ当てた。思い切りぶん殴てやろうと思う。間違えたあのときに殴れなかた私をぶちのめそうと昂ぶる。肘を引き、もう一度拳に力を込めた。顎を撃ち抜くはずの拳はカチと顎骨を鳴らし止また。錠前が開く音が聞こえた気がした。目を凝らしてノイズの中の妻と私を探すが、光の粒に溶けてしまたようで、なんにもない。ぼんやりと覚えていたはずの記憶もノイズに埋もれてしまた。妻があいつを選択して私がいまの私を選択しただけの話なのだ。どうやら私は、妻と私を失てしまたらしい。
← 前の作品へ
次の作品へ →
5 投票しない