てきすとぽい
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第8回 文藝マガジン文戯杯「旅」
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辰雄のこと
(
MOJO
)
投稿時刻 : 2019.07.08 20:47
字数 : 9272
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辰雄のこと
MOJO
辰雄の話をしようと思う。
辰雄と初めて会
っ
たのは成田空港の到着ロビー
であ
っ
た。
当時の私は、ある旅行代理店に籍を置く新米添乗員で、それでも年間に自宅で寝る日は百日もなか
っ
た。バブル景気の最盛期で、旅行業界も人手が足りず、景気が良いのに売上の芳しくない損保セー
ルスマンだ
っ
た私も、ある中堅どころの旅行代理店の中途採用に引
っ
かかり、運よく俄か添乗員になりすましたのである。
学生のころにアメリカにいたことがある私は、英会話の点で他の俄かたちよりも有利だ
っ
たようで、採用から半年ほどで海外ツアー
をひとりで任されるようになり、日当も一万八千円に上が
っ
た。
あるとき、私はホノルルから成田へ向うノー
スウエスト航空の機内で思案にくれていた。ハイシー
ズンのホノルル発便は、定刻通りに離陸することなど極めて稀で、旅程を組む者は、遅延、を考慮に入れる。だがそのツアー
は違
っ
た。
それはトヨタ自動車のセー
ルスマンの研修旅行だ
っ
た。しかし研修とは名ばかりで、つまりはメー
カー
が販売代理店の成績優秀者を招待した慰安旅行だ
っ
た。前身が売れない損保セー
ルスマンだ
っ
た私は、売れているセー
ルスマンのことを熟知していた。一言でいえば、彼らの愛想がよいのは自分たちの顧客と応対するときのみである。売れなか
っ
た私の僻み、それはもちろんあるだろう。しかし彼らが涼しげな外見とは裏腹に、その心根にアクの強さを持つのは確かなことで、旅行という日常から離れたところで、そのアクが表面化することが多いのである。私は男芸者を決めこみ、愛想をふりまきながらなんとかこの兵たちを復路の機内にまで連れてきた。通常ならこのボー
イング747が成田に着けば、彼らとはよほどのことがない限り再会することはない。それがこの仕事の良いところである。私は一期一会などという言葉にありがたみを感じる類いの人間ではなか
っ
た。どんなに面倒なお客とも、例えば夏季ホー
ムステイの学生の付き添い等の例外を除けば、二、三週間後に飛行機が成田に戻り、そこで別れるのである。そう思えば、男芸者に徹することもそれほど苦にはならなか
っ
た。しかし今回は、彼等のうちの半分を成田から大阪へ飛ぶ最終便に搭乗させるまでが私の仕事であ
っ
た。
時間は微妙だ
っ
た。このまま順調にフライトがつづけば、大阪行きが発つ一時間前には成田に着く。それでもパスポー
ト審査や税関に並ぶ時間を考えると心許なか
っ
た。
日付変更線を超えたあたりで、案の定気流が乱れた。これで成田-大阪間のチケ
ッ
トは紙屑と化した。私は旅程を組んだ無能者を恨んだ。しかし大阪に帰れなくな
っ
た客たちは私を恨んだ。おまえの会社は何故こんな旅程を組んだのか。揺れる機体のなかで客たちから関西弁で詰め寄られた私は、奥の手を使うことにした。上司からは、金はいくら使
っ
てもよいからとにかくまるく収めて帰
っ
て来い、といわれていた。タクシー
があるではないか。大阪に帰るのは七人である。二台のタクシー
で羽田まで行けばよい。羽田から大阪に飛ぶ最終便に彼らを乗せる。チケ
ッ
トも羽田のカウンター
で裏書きすればそのまま使える。夜間だから首都高速湾岸線の渋滞はないだろう。私は時刻表を睨み、羽田-大阪の最終便から逆算して、行ける、と確信し客たちにもそう告げた。
しかし、私はやはり俄か添乗員であ
っ
た。到着ロビー
を出た私は絶句した。タクシー
乗り場には長蛇の列が出来ていた。あの機内の数百人のなかに、私たちの他にも羽田から国内線に乗る人たちがいるであろうこと、同時刻に成田に着陸する飛行機が他にもあることをす
っ
かり忘れていたのである。
「なんや添乗員さん、話がちがうやないか」
長蛇の列に並ぶ気が失せた私は到着ロビー
に戻り、平謝りを繰り返し、なんとか空港付近のホテルに泊ま
っ
てもらうよう客に頼みこんでいた。もちろん宿泊代や翌日の大阪までフライト代も負担させるつもりはない。しぶしぶ了承する客たち。だが何人かは執拗に繰り返す。
「なああんた、トヨタのト
ッ
プセー
ルスを舐めたらあかんよ。明日は大事なお客さんと会う約束があるんや」
途方にくれながらも私は公衆電話からホリデー
インのフロントと交渉し、ツインルー
ムを二部屋予約した。
そんな私に近づいてくる者があ
っ
た。
「添乗員さん、おこまりですね。私、白ナンバー
のタクシー
や
っ
てますけど、使
っ
てもらえませんんか?」
こざ
っ
ぱりした身なりの端正な顔立ちの男だ
っ
た。歳は私よりもいくぶん下だろうか。
「いや、間に合えば頼みたいけど、羽田まで五十分では行けないでし
ょ
う」
「ああ、大阪行きの最終便ですね。大丈夫です。間に合います。もしも間に合わなければお代はいただきません」
「いくらで行
っ
てくれるの?」
「十万です。高速代はこ
っ
ち持ちで」
「すげー
値段だな。でも間に合わなければ払わないよ」
「かまいません」
私はねちねち嫌味を言いつづける三人に訊ねた。
「みなさん、どうします? とりあえず羽田まで向
っ
てみますか?」
クルマは白のクラウンで、V8エンジンを積んだ最高級グレー
ドであ
っ
た。
「ほう、ええクルマやないか。センチ
ュ
リー
はシ
ョ
ー
フ
ァ
ー
ドリブンやから、実質これがトヨタの最高級車やな」
「おたくの店、センチ
ュ
リー
なんて売れますの?」
「売れまへん。年に二、三台やな」
「あんなん、いまどき皇室とかベンツ買えないヤー
さんしか乗らんですわ」
白いクラウンは東関東自動車道を矢のように走
っ
ていた。後席の客たちはくつろいだ様子である。私は助手席に座り、デジタル式のスピー
ドメー
ター
が時速150キロを示すのを見て一安心した。これならなんとか間に合うだろう。問題は葛西ジ
ャ
ンクシ
ョ
ンのあたりである。あそこはたまに夜遅くでも渋滞することがある。
しかしほ
っ
としたのもつかの間だ
っ
た。江戸川を渡
っ
て首都高速に入ると、シフトノブの横に設置された車内電話が鳴り、運転手が受話器を取
っ
た。しばらく話すうちに運転手の語気が荒々しくな
っ
てきた。
「連勝の2-6を外しただと? なぜいう通りに流さなか
っ
たんだ? でかい穴をあけてくれたもんだな!」
運転手は叩きつけるように受話器を戻した。私はギ
ャ
ンブルをしないが、運転手の応対からそれが公営ギ
ャ
ンブルのノミ行為であるらしいことは察しがついた。この端正な顔立ちの男はヤクザ者なのか。後席の客たちも黙りこみ、車内には一気に緊張した空気がながれだした。
葛西ジ
ャ
ンクシ
ョ
ン付近は渋滞していた。ところが運転手は路肩にはみだしてクラウンを飛ばしつづける。前方に左寄りのクルマがあると、ぎりぎりまで近づき、サイドウインドウを下げ「どけどけ!」と怒鳴りちらした。それでもゆずらないクルマには運転席の下から大型犬の散歩に使うような鎖を取りだし、それを輪にして振り回した。右前方のクルマのバンパー
に鎖が打ちすえられる。バコンと音がする。運転手はそうして進路を確保したのである。
とんでもないことにな
っ
た。しかし後席で硬直しているに違いない客たちを思うと、なんだか可笑しか
っ
た。私は平静をよそおい後席に向
っ
て言
っ
た。
「問題ありませんよ。こうな
っ
たらこの運転手さんにまかせまし
ょ
うよ」
「いや、この近くのビジネスホテルにでも…」
消え入るような声である。私も怖か
っ
たが運転手に訊いてみる。
「間に合います?」
「絶対に間に合わせます。この十万は逃すわけにはいきません」
運転手は不敵に笑いながら再びサイドウ
ィ
ンドウを下ろし鎖を振り回す。
白いクラウンは大阪行き最終便の発つ十分まえに羽田空港の出発ロビー
沿いに停車した。運転手は大手タクシー
会社の未記入領収証と名刺をくれた。名刺には江口辰雄という名前と電話番号以外は何も記されていなか
っ
た。
「ありがとう。ち
ょ
っ
と怖か
っ
たけど助か
っ
たよ」
「いえ、また使
っ
てや
っ
てください」
これが辰雄と私との出会いであ
っ
た。以来私は度々辰雄のタクシー
を使
っ
た。私は経験を積むうちに、あのツアー
の旅程を組んだ者が無能ではなか
っ
たことを知
っ
た。当時は膨らみつづける需要に航空会社の供給が追いつかず、無理な旅程は半ば確信的に組まれていたのである。
辰雄は二度目からは五万で引き受けてくれた。その度に違うタクシー
会社の領収証をくれた。
「なあ辰雄ち
ゃ
ん。最初のときのノミ行為の電話。あれはやらせだ
っ
たんだろう?」
「そうですよ。約束通りに払
っ
てくれない人もいますからね。ちなみにナンバー
プレー
トも定期的に替えてます。そういうルー
トがあるんです。おれ高校の演劇部の助
っ
人で文化祭の芝居にでたこともあるんですよ」
「なるほど。あんた男前だもんな。まあ、おれもあれがなけり
ゃ
羽田に着いたら値切
っ
てたと思うよ」
かつては江戸前の漁師町だ
っ
た羽田付近には、いまでも旨い魚を食わせる居酒屋が何件かある。客の搭乗手続きを済ませてから、私と辰雄はそういう店で酒を酌み交わすようにな
っ
ていた。
私はす
っ
かり業界の色に染ま
っ
ていた。それも良くない方の色に。
空前の旅行ブー
ムは衰える兆しが見えなか
っ
た。様々な業種が研修旅行を謳い顧客を海外で遊ばせた。そのころの私は主に建築業界を担当していた。
ある大手建材メー
カー
は、定期的に顧客の代理店を台湾で遊ばせていた。中小の代理店はたいてい施工業を兼ねていて、私が台湾に連れてゆく客は社長であり建築現場の職人の親方でもあることが多か
っ
た。私は彼らが好きだ
っ
た。手配したはずのホテルが、着いてみるとオー
バー
ブ
ッ
キングで、他のホテルと分宿にな
っ
たりすれば怒鳴られるが、いつまでもねちねちと嫌味をいうような者は少なか
っ
た。
中正国際空港の到着ロビー
では、現地ツアー
ガイドが我々を出迎えてくれた。彼等はたいてい老人で、かつてこの地が日本の占領下にあ
っ
た時代に日本語の教育を受けた者たちである。今回我々に付いてくれるのは高さんで、彼は文芸春秋を愛読する元教員である。
「高さん、今回もよろしくたのみます」
私は成田の売店で買
っ
た文芸春秋を手渡してい
っ
た。
「はい、どうもありがとう。このままお店に直行でいいの?」
「それでかまわないです。ゴルフの手配は問題ないよね?」
「大丈夫」
「ホテルは全室ツインでとれてる?」
「それも問題ないです。このまえは分宿にな
っ
ち
ゃ
っ
てすいませんでした」
「いや、高さんのせいじ
ゃ
ないさ。あれはホテルが欲をかいてキ
ャ
ンセルの見込みを甘く見積も
っ
たんだよ」
チ
ャ
ー
ター
バスは空港から台北市街に向けて走
っ
ている。道の両側には畑が広がり、所々に屋根の四隅にRがかか
っ
た中華式の家々が点在している。畑の土の色は日本では見られない赤茶色であ
っ