第8回 文藝マガジン文戯杯「旅」
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妖精
投稿時刻 : 2019.08.18 23:57
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妖精
ひやとい


 西へ向かう電車に乗ると窓側の席を確保し、カバンから外国産のヒヨコイワシ油漬の缶詰を取りだして力任せに開け窓下の置き台に乗せた。胸ポケトに入ていた竹鶴12年入りのビンも一緒に置いた。空が澄み切ていた。景色の眩しさが威圧的だた。目が眩んだ。
 呆け出す前にビンのフタを開け一口二口飲むとヒヨコイワシ油漬を自動的に貪た。乗る前にデスカウントストアで買いつけたものだた。とりあえずそれなりに旨い酒とそこそこ食えるつまみ、そして文庫本が数冊あればよかた。どこに行くかはまだ決めていなかた。つい先日戸田競艇で万券を当てたので、なんとはなしにどこかに行こうと決めただけだた。仕事は数日ほぽり出すことにした。居ても居なくても同じだた。
 列車の中は平日ということもあて空いていた。強めの風が車内を吹き抜けていた。まだ肌寒かたので上着のボタンを閉め直した。車両の連結部分にドアはなかた。酒が回り出せばさほど気にならないはずだた。乗り物に揺られながらどこへ辿り着くかわからないような感覚が気に入ていた。缶詰の中身が半分になてきた頃にブレる感じがやてきた。カバンを閉めて取手に腕をからめると目を閉じた。残像がしばらく残たがそのまま放ておいた。消える頃には意識が遠のいているはずだた。
 気がつくとあたりは暗くなていた。眠りすぎたらしかた。まだ眠気が残ているような気がしたがそのまま起きることにした。夜眠れなくなるのが多少心配になたが、その時は文庫本を眺めていようと思た。変わらぬ風景を見るのに飽きた頃席を空けた。
 ホームに降り立た。古びたコンクリートと過疎地らしい閑散とした風景が似合ていた。海が近いらしく潮くさい風が吹いていた。そのまま改札を出るのがおくうだたのでベンチに座りタバコに火をつけた。誰もいなかた。しばらく吐きだした煙を眺めていた。何も考えていなかた。煙が吐き出されると同時に消えて行くのが不思議に思えてならなかた。半分ほどになた頃もみ消し、立ちあがて改札口に向かた。
 乗り越し料金を払うと狭めのロータリーに出た。見渡すと小さな木造の交番が見えた。歩いて退屈そうに机に座ている年配の警官に声をかけた。
 この辺で泊まれるような施設というのはどの辺りにあるのか教えていただきたいのですが。ああ今はシーズンじないからこの辺りになるだろう。ここ見て。そうだねえあの道を道なりに歩くと30分くらいになるかな。はい。ここに、なんだ、あの名前なんて言たけな。そうだ、さくらていう旅館があるから、そこにいくといいだろう。そうですか。ありがとうございます。いや本官もシーズン中じないものだからすかり名前を思い出せなかたよ。もう年なのかねえ。僕もそういう事はよくありますよ。どうもありがとうございました。予約は取ているのかね。いや取てませんけどシーズンじないなら大丈夫でしう。そうかい、じと付き合わんか。
 警官は驚くほど人なつこく、すかり暇を持て余していたようだた。留められると奥の6畳ほどの部屋に案内された。使い込まれたような座布団が警官の手で敷かれた。座ると前に日本酒らしい一升瓶と二つのコプが置かれ、酒が注がれた。まだ職務中だろうにいいのかと一瞬怯んだ。
 あんたこの時期になんでまた来たのかね。いえ競艇で多少勝たもんで気晴らしにですよ。なんだてまたこんな辺鄙な場所に。今は漁も景気が悪いし、それに寒いだろう。もといいところがありそうなもんなのに。見たところ若いようなのに変わた男だね。ま、ぐと一杯やてくれ。ここは本当に事件もなにも起こらないんもんだからすかり暇でなあ。こうして酒を食らう他に楽しみもないよ。まあ平和でいいことだけどねえ。あんたが来てくれてよかたよ。
 ほのぼのとしていていいのだが、あまり居心地のいいものではなかた。いつ誰かが来てこの警官が通報されるかもしれない。そうなるとこちにも面倒がかかる。そう思うと気が気ではなかた。この年配の警官は言てみれば単なるしがない公務員でしかないだろうにずいぶん肝の座た男だと思えた。確かに人が来そうな気配はないが、暇つぶしに付き合うには少々スリリングすぎるだろう。はてどうやてこの場を乗り切ればいいかと思案しつつも、警官の話はとどまるところをまだ知らないようだた。話の内容はほぼ頭に入てこなかた。
 半刻ほど経ただろうか、警官が話に夢中になているその横に、何やら影らしきものが動くのが見えた。姿がはきりと見え出す頃には、それは警官の耳の穴へ、吸い込まれるようにスポンとでも言う感じで入り込んだ。その効果か、すぐに警官の喋りが止またかと思うと、制服姿はゆくりと後ろ向きに倒れ込み、やがて鼾をかいた。どうしたことかと思たが、やとこの場を離れることが出来る喜びと、得体のしれないそれがこちらにもやてくるかという恐怖が入り混じり、すくと身を立てるやいなや交番から飛び出した。うかり叫びそうになたがこのあたりはしんとしていたので、すんでのところでとどまた。
 とりあえず駅の方に戻てタバコを取り出し一心地つけてから、警官に訊いたさくらという旅館の電話番号を調べようと、黒い携帯を出した。ガラケーだ。するとその携帯の上にちこんと、さきのそれがいた。わわあうわあ。思わず持ていた携帯を手から離し、地面に落としてしまた。
 いやあそんなに驚いた? それは人間の形をしていた。頭には毛がてぺんに一本しかなく、丸い眼鏡をかけ赤い団子鼻にそこそこ分厚い唇の顔をしたステテコ姿の、どこからどう見てもどこぞのおさんにしか見えなかた。的場浩司がどこかで話していたらしい親指大の妖精そのものだた。地面に落ちた衝撃にも関わらず、それが拍子抜けするほどのんびりとした様子で話し出す。さきぼくがきみの耳の穴に入てみたらさあ、なんかきみ困てたみたいだたからさあ、あのおまわりさんの中に入て、ちとお酒が回るようにしといたんだ。助かたでし? あのおまわりさん酒好きでいい人なんだけどちと話が長いからね。そういえばきみこの辺で見かけない顔だけど、どかからやてきたの? そのおさん然とした顔からは想像し難いくらいのあどけない表情から発される柔らかい語り口が、逆に怖さを煽た。な、なんだてんだよう!
 落ちていた携帯をつかみちこんと座ていたそれを振り払うとありたけの力を出して走り出した。もう旅館などと言ている場合じなかた。見覚えのない道を走り、疲れてはまた恐怖を覚え走りを何度か繰り返した。どこまで行ても普通のNHKで映るような村落風景しか見えなかた。どこまで行けばいいのかもわからなかたが、とにかく走た。
 気がつくと朝で、村道らしい道の訳の大きな丸太に寝転がていた。目の前には吐いたらしき吐瀉物があた。酒を飲んだまますぐ走たせいか酔いが回り、走り疲れたのと合わせて倒れてしまたようだた。タバコを出し火を点け、二日酔いのせいらしい頭痛とともにあてなく道を歩くこと数十分、ようやく自販機が見えたのでスポーツドリンクを買て一息に飲んだ。痛み止めは持ち合わせていなかたが、これで少しは頭痛が和らぐだろう。少しだけほとした気持ちになた。
 さらに歩くこと数十分、人が見えた。ここで暮らしている村民らしい作業服姿の男だた。最寄りの駅までの道を尋ね、また歩くことにした。その男によると駅までは二時間ほどかかるらしい。軽はずみな気持ちで旅などしようとガラにもないことを考えたことを公開しながらひたすら歩いた。
 やがて線路らしきものが見え、近づいてみた。まさしく線路だた。男の話によると駅まではまだまだ時間がかかるはずだたが、駅にたどり着けることが確実にわかたせいか安心感が湧き、少し休もうかという心持ちになた。適当に砂利敷きの道床にすわり、タバコに火を点けぼうとしうていると電車の走る音がした。もうすぐ帰れるんだというはずんだ気持ちで音の方向を向き、電車を見た。電車はこちらまで来るとそのまま振動とともに走り去る。遠くなていく電車を見つつ、体を起こし明るい気持ちになたところでまた歩こうとした。ふといま何時だろうと黒い携帯を上着のポケトから取り出した。
 妖精がまたちこんと、携帯の上の方に座ていた。
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