妻と私とマイホームパパ
吹き荒ぶ寒風のなか、僕は足踏みをしながら、警備システムを停止させる。防犯上、致し方のないこととはいえ、毎回、玄関ドアの前でスマー
トフォンの警備アプリから警備を解除するのは、とても面倒なことである。これがトイレを催していようものなら、顔面蒼白になっているところだ。
アプリが解除の通知を送ってくるなり、既に挿したままにしてある鍵を回して、温かいマイホームの空気と妻の柔らかな体臭に包まれて、鼻の穴を広げる。
それから、寝室の布団から顔を出す妻に、過去10年最高の気色の悪い声色で、声をかける。
「ただいまにゃん」
『おかえりにゃん』
妻が握り拳を頭に置いてにゃんにゃんスタイル。率直に言って、それでだけで白米3杯は美味しくいただける。
「遅くなってごめん。すぐ、準備するからね」
と、重い買い物袋をぶら下げて見せる。そう、僕のマイホームパパはここから始まるのだ。奥の部屋に移動して、コートとスーツの上着をハンガーにかけると、颯爽と窓の鍵をふたつ外して、冷気漂う夜の闇に漂う、ふたりぶんの洗濯物を取り入れる。妻の下着は、僕の派手なトランクス二枚に挟まれて、さらにタオルで目隠しした状態で干してあるのだが、常々、盗難に遭っていないかを心配してしまう。が、
「今日もご無事できゃーわわ」
などと口ずさみながら、部屋干し用のハンガーに洗濯物をかけていく。この季節、なかなか乾かない洗濯物。一日ほど、室内で干してから畳むのが恒例になっていた。
洗濯物を干し終えたあとは、トランクス一丁になって、買い物袋を床スレスレに持ちながらリビングのドアを開ける。我が家には数ヶ月前より、猫を飼っており、脱走防止に買い物袋を進行方向に邪魔するのも、もはや日課だ。思った通り、我が家の猫はすでにドアの前に待機しており、しかし自分よりも大きいものに怯えた猫は、パッと部屋の奥に走り去る。
そのあとは、餌をくれとばかりにガタガタと暴れ回るうさぎに餌をやったり、買ってきた品物を冷蔵庫に閉まったりと大忙し。わずかの時間であっという間に、おもちゃの綿やカーペットの繊維などで散らかされた部屋を、コロコロと掃除して、寝室に戻る。布団の上の妻を抱き起こして、車椅子に乗せて、リビングに連れ込めば、ようやく僕の台所仕事が始まるというわけだ。
台所に立つ前に、プレイステーション4の電源をつけて、アマゾンプライムビデオにアクセスすると、妻とうんうん唸りながら、どの映画を流すのかを決めるのも、大切な一日の一コマである。普段はホラー嫌いな妻も、洋画なら大丈夫、ということがわかって、本日のチョイスは、家のパッケージ写真が印象的な映画を流すことにした。
なにやら不穏な音楽が流れ始めたのを横目に、野菜庫から大根を取り出す。大根おろしは脂肪を燃焼させるには、最適な食べ物だと聞いたこともあって、僕は自分のお腹を摘んでため息をつきながら、すり下ろし器で大根を擦る。ごうんごうんとその身が擦り切られていく様は、まるでなにかのスプラッタ映画のようだ。ちょうど、画面の若者たちは、これから訪れる悲劇を知らず、呑気に酒を飲んで、なかなかのナイスバディな女性といちゃついている。いちゃつくカップルは一番最初に殺されることがホラーの定石だ。彼らがこれから非業の死を遂げると思うと、なぜだか小気味がいい。
そんなことを思いながら、ゼリーを作るのに買ってきたお洒落な小皿に大葉を敷いて、下ろした大根を水にさらして水気を切ったものを載せる。冷蔵庫には、いくら、なめたけ、じゃことなかなか、気の利いたものがストックされている。が、
「いくらちゃん♡」
と、大して悩むことなく、宝玉の赤をスプーンですくって、いくらおろしを完成させる。これにネギを乗せれば、もはや神なる宇宙がそこにあった。そこに、第一の犠牲者なる女性の悲鳴が重なり、リア充撲滅完了、と唇を歪めたしまう。よくやった! 殺人鬼!
出来上がったいくらおろしを、猫に盗み食われないよう、蓋付きのケースに閉まって、魚介類の匂いに引き寄せられた猫がケースをガリガリする様に、またしてもほくそ笑みながら、冷蔵庫を開ける。つまみになりそうなものは、タッパーに詰めたチャンジャだろうか。
洗い場のすぐ横に置いたカラーボックスから、最近導入したばかりのツマ製造機の箱を取り出して組み立てる。見た目は、知人が指摘した通り、かき氷製造機に似ている。ここに切り分けてある大根のひとかけらを装着して、ゴリゴリとレバーを回せば、ほら。あっという間に、ツマが完成する。
このツマ製造機の便利さに感動して、はたまた別の知人にお勧めをしたのだが、簡単にかわされてしまい、なんとも遺憾である。この便利さを実感すればきっと。彼女も喜びの声をあげてしまうだろうに。一方、画面には斧で身体をスライスされる若者が映し出されている。殺人鬼のリア充への恨みは凄まじい。
かたや、スライスされた大根は、さらに包丁によって、食べやすい長さに切断されるというのだから、なんというスプラッタであろう。斧でかき回された若者の肉片と、チャンジャのその身のコラボレーションには、我ながら呆れる。決して、流血した肉片を見ながら食べるものとは思えない。
さて、最後の仕上げである。三連皿に漬物の盛り合わせを乗せれば、三つに分かれてしまった若者の胴体の出来上がりである。本日は、映画と手元の輝きが愛おしくも、マッチリング率が高まり、まるで初めて登録してプロフィールの完成していないマッチングアプリに、『いいね!』されるのと同じ気持ちになる。
ようやく完成した、僕らの晩酌おつまみセット。さらに、芸術点を高めるためには、足りないものがある。それは、そう。ビールである。キンキンに冷えた糖質50%オフ。最上級の価値と冠された緑色の輝き。細やかに溢れかえる炭酸の海に、僕らは目を見合わせて、少し微笑む。古ぼけた家屋から逃げ出した若者が森の中に仕掛けられた罠に嵌り、今まさに惨殺されようとするさなか、僕らはカチンとグラスを当てて、互いの喉に77円のバーリアル・イオン・ビールを流し込む。
生きている。
そう。僕らは生きている。
そんな実感を確かに感じながら、僕らは画面のなかで巻き起こる血と粛清の悲鳴には目をくれず、見つめ合うのだった。おぞましい若者たちの死の儀式に、そしてほんの数時間与えられた僕らの時間に、祝杯をあげる。人間の食事にありつけず、いちゃつく夫婦に放置気味の猫の目だけが、彼らのいく末を見つめていたのだった。