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第54回 てきすとぽい杯〈紅白小説合戦・白〉
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少女の日の思い出
 投稿時刻 : 2019.12.14 23:21
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少女の日の思い出
浅黄幻影


 私は少し離れた祖父のところに遊びに来ていた。
 一年くらい経つけれど、祖父は祖母に先立たれてしまて、元気がなかた。私や親戚の人たちがときどき様子を見に行ていた。ボケたり生活が乱れたりはしていなかたけれど、活気はまるでなかた。昔は力自慢の大男だたのに、わずかの間にかなり小さくなてしまていた。
 その日は祖父が前々から所望していた「孫の手料理」というものをご馳走してあげる約束だた。祖父はにんまりして私がエプロンを着けるのを眺めていた。
「何を作てくれるんだい?」
「味噌汁!」
 私は家から持てきた材料を出した。母が用意してくれた煮干しと味噌と豆腐とネギだた。どれも少し高いものだた。祖父はそうかそうか、と言て眺めていた。
 祖父から示された鍋を使い、シンクで具材を刻んだ。こどもながら、もう味噌汁くらいはなれているので、ごく普通に作るだけだた。価値があるとすれば、孫の私が作るという点だけだろう。
 祖父が少しその場を離れたとき、流しの隅こに同じ鍋がもう一つあるのに気付いた。私はなんとなく開けてしまたが、それはかなり後悔することになた。中には底の方にべたり固また汁があた。カビが生えているけれど、私が作たような味噌汁を煮詰めたものだと直感した。
 祖父が戻てきた。
「何これ! 捨てないとだめだよ!」
 祖父は困た顔をして、これはいいんだと言て、どこかに持ていてしまた。私はふたを開けたときに放たれた悪臭でものすごく頭にきていたし、笑顔だた祖父が急によそよそしくなたこともあて、食べるところを見ないで帰てしまた。
 それ以来、祖父には会いたくないと訪問しなかたし、会たときにも目を合わせないでいた。そして私と祖父は、仲直りすることなく永遠に別れた。


 それから何年もして、私は大学に行くために東京に出た。最初は母と一緒に生活して、母がアパートの台所に立てくれたが、帰てしまうとほとんど何も作れなかた。いつも食べていた料理を再現できないで、適当に塩、胡椒、なんとか油、カタカナの香辛料を振り、まとまりのない変なものばかり作ては胃に落とした。
 遠く離れて暮らすと、自分の家の味は自分で作れなくなてしまう。母の味噌汁も野菜炒めもスクランブルエグも、父の青菜漬けも梅干しも、それにその手で畑で作ていたものもない。作ていた人たちが細かいところで何をしていたのかなんて、またくわからない。
 一緒に食べていた人もそうだ。今日起こたことを話す相手もいない。泣いたり笑たりもできない。一人きり。家族は一番、話して聞かせたい相手なのに。
 孤独になることは、当たり前のことが崩れていくことを指している。孤独を愛する人でも「いつも」のものから切り離されてはきと生きていけないはず。愛するものがなくては生きてはいけない。愛する人との関わりがなくては悲しくてつらい。
 おそらくあの鍋の中身は祖母が作た最後の味噌汁だろう。
 そして今ならあのときの祖父の気持ちもわかる。
 私は味噌汁だけは自分のために作ることができるけれど、祖父はその味噌汁を作ることもできなかた。最後まで祖母との関わりを失いたくなかた祖父。親戚の誰が来ても、孫が味噌汁を作ても、心の中では「ばあさんとは違う味だ」と思ていたかもしれない。祖父はどんなに願ても、死ぬまで祖母の料理には再会できず、それは隣人との別れであり、孤独であるのだ……と。
 ――あのとき、鍋なんて触らなきよかたのに。意地になたりして……といい子にしていればよかたのに。
 私は私の母の味である味噌汁を作るとき、そんな風に祖父のことを思い出す。私が作る母の味噌汁は家族の思い出でもあり、祖父の思い出でもある。味わいがあるけれど、ちとしぱい味噌汁だた。
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