第11回 文藝マガジン文戯杯「あの世」
 1 «〔 作品2 〕» 3 
此岸の蜉蝣
投稿時刻 : 2020.05.02 14:00 最終更新 : 2020.05.03 08:07
字数 : 5455
5
投票しない
更新履歴
- 2020/05/03 08:07:23
- 2020/05/02 15:45:18
- 2020/05/02 15:43:44
- 2020/05/02 15:33:16
- 2020/05/02 15:24:02
- 2020/05/02 14:17:43
- 2020/05/02 14:16:55
- 2020/05/02 14:08:08
- 2020/05/02 14:05:26
- 2020/05/02 14:00:08
此岸の蜉蝣
すずはら なずな


──池の向こう側が彼岸
──ヒガン?
──そう、「あの世」

深く暗い森のような庭の隅にその蓮池はあた。蓮の花は咲き終たのか、水面やその上に突き出すのは葉ばかりで、中に蜂の巣状の不気味な形の蓮の実が見える。彼女が指さした「彼岸」側の木々の隙間から見える空は、ほんの僅かの間に夕焼けの色を広げている。茜色に染また世界は引き込まれるように美しかた。

**
「おさだかなこです。よろしくお願いします」
黒板に几帳面そうな小さい字で「長田加奈子」と書くと、季節外れの転校生はそれだけ言てぺこりと頭を下げた。艶のある黒髪、白い肌。美人の転校生が来たと男子生徒が騒ぐのに反比例して女子の視線は厳しかた。サダコ、と女子の中で誰かが呟くと冷たい笑いが波状に広がた。

もともと病弱な彼女は療養のために曾祖母の住むこの町へ一時的に越して来たと聞く。そんな理由も、クラスに馴染もうとか友達を作ろうとか、そういう必要を本人にも感じさせなかたのだろうか。体育を見学し、行事や練習の日に欠席し、どの女子グループにも属さないまま、凛として前を向き静かに日々を過ごしていた。

「サダコ」のあだ名を決定づけたのは 彼女の曾祖母の家が、地域で有名な「お化け屋敷」だたことだ。高い煉瓦塀に囲まれた屋敷の内部は、塀より高く育た大きな樹々から想像するより無かたが、なによりその住人の老女を見た子供はずと居ない。小学生の頃はよく「肝試し」と言て、僕たちはその大きな門のあたりまで行た。ジンケンに負けた者は一人、そこに残て怖々中をのぞき見、わと意味なく叫んでは慌てて引き返したものだ。そんな長田の住む「お化け屋敷」に入ることができたのは、あの日の急な雨のせいだた。


 雨の予報もなかたのに、下校時間に雨が降り出した。幼い時分から子供に傘を持てくるような考えや時間の余裕のある親を持たない僕は、当然のように濡れて帰る。まだ掃除をしている奴らの目を盗んで先に教室を出た。
うど「お化け屋敷」の前まで来た時、雨は更に激しくなた。仕方なく塀沿いに歩き、突き出した大枝の下で雨をしのいでいると、ひらひらした飾りの付いた黒い傘を差した長田が、こちらに向かてくるのが見えた。片手に何か大事そうに持ている。
──ああ、持て帰てきたんだ
それが何なのか 僕にはすぐに解た。

 さきの掃除の時だ。女子が窓ガラスに当たて死んだ小鳥を見つけた。触るのを嫌がて遠巻きに見る奴、ふざけてゴミ扱いする奴、可愛そうだとか言て泣く素振りを見せるくせに何もしない奴らの中で、すと近づいて小鳥の亡骸をハンカチにくるんだのが長田だた。そんな騒ぎを背にしたまま気づかないふりをして先に帰たことを 気にしていなかたわけじない。
「そんなに濡れたままじ、風邪をひく、拭かないと。えと…」
「吉岡」
「吉岡くん」
隣の席のクラスメイトの名前くらい覚えとけよ、僕がそう言うと、長田は「すみません」と、悪びれた様子も無く首をすくめ、ハンカチの中の小鳥を落とさないように気遣いながら重そうな門扉を開け、僕にも入るように促した。

 鬱蒼とした前庭の奥にずしりと重厚感のある洋館が姿を現す。
「ただいま帰りました。ひいばあさま」
返事は聞こえなかたけれど、曾祖母に雨のことなどをあれこれ話しかけながら長田は奥に入り、玄関先で戸惑たままの僕を少し待たせて、大判のバスタオルとタオルを何枚も持て出て来た。濡れた髪を拭き、制服の上着を脱いでバスタオルで身体を包むとほんのり温かい。隣に立つ長田の横顔を見る。教室の席は隣でも、こんなに遠慮なく彼女を見るのは初めてだた。

「お弔いをしないとね。一緒に来てくれる?」
僕の髪があらかた乾くのを待て、やと彼女が口にしたのがその言葉だた。気が付くと雨は上がていた。


 小鳥は花壇の隅、雪柳の花の下に埋め、ふたりで綺麗な石を探して墓標にした。庭は長い間手入れをされていない様子で、大きく枝を広げた樹木はうねり、つる草が絡みついている。足元も丈高く伸びた雑草が地面を覆い、歩くとザクザクと陰気な音を立てた。日当たりの悪い場所は苔むし、柵や庭仕事の道具の金属は錆び、木の箱や枠は朽ち、触れるだけで崩れ、折れた。そんな庭の様子に目を奪われている間に、隣にいたはずの長田が居なくなていた。慌てて辺りを探す。何だか彼女が消えて無くなたというか、最初からそんな子は居なかたんじないか、一瞬そんな風に思えた。

「長田、どこ?」
気づかないまま随分と庭の奥まで来ていたらしく、辺りは更に丈高い草に囲まれている。草を踏み分けて進んで行くと目の前に蓮池が広がた。その向こう岸に長田が驚いたような顔で立ている。池に掛かた小さな橋を渡て彼女のところにたどり着いた。
「蓮池?なんかここだけ和風な感じ」
小さい頃、祖母と一緒にこんな蓮池のある寺に行た覚えがある。西の岸に仏像のあるお堂、東側にはたしか五重の塔があた。夕陽に輝くお堂の方を指して「あちがゴクラクジウド、ほとけさまの国」と、祖母は僕に言て微笑んだ。
「驚いた。そちから人が来るの、初めて見た」
長田はそう言て僕をまじまじと見つめ
「生きてるよね」
と、少し笑た。長田が笑たのを見るのは初めてだた。

「ひいばあさまが言うの。吉岡くんが来た方、この池の向こう側が『彼岸』」
「ひがん?」
「『あの世』。母も、結婚して父と初めてここに来た時にそんな話を聞かされたて。母は気味悪がて、今でも決して近寄らないし、私にも絶対に行かせようとしなかた」
──なるほど、じあ今、僕はあの世から来たわけだ
僕がそう言うと 長田は少しの間黙て、時折揺れる水面を見つめていたが 唐突に僕に聞いた。
「あの世で一緒になりましうなんて約束、叶うて信じられる?」
返事に困り、逆に聞き返す。
「長田はどう思うの」
僕の質問に答える代わりに、長田は予想もしなかた話を始めた。
「親の決めた婚約者がいるのに他の人と恋に落ちて、当然大反対されて引き離されたの。駆け落ちも心中も失敗して」
「何?何の話?それ」
「姿を消した後、その男の人、死んじたんだて。自殺」
昔の小説か何かだろうか、いきなり饒舌になた長田に些か混乱していると
「ひいばあさまはね、『あの世』でその人に逢えるんだて言うの。だから死ぬのは怖くないて」
姿を見せないこの家の女主人にはそんな過去があたのだ、そして自分の死をそんな風に待ているという……想像すると何だか背筋がひんやりした。
「長田は信じてる?」
「私は……
わたしは、と言てから長田はまた長い間黙ていた。長田の続きの言葉を待つ間、僕は池に映た木々の影と隙間から覗く夕焼け色の空を見ていた。夕闇が迫ている。

「おかしいと思わない?だて死んだ人みんな『あの世』とかに居たら」
「大渋滞かもね。けど、ああ……誰にも思い出してもらえなくなた時が『二度目の死』、『あの世』からも消える、なんて話もあたな」
「ひいばあさまの言うみたいに逢いたい人だけに、逢いたい姿で会えるなんて都合が良すぎる」
長田は僕の聞きかじりの話なんて聞いてないみたいに、勢いを増して話しを続けた。
「ひいばあさまはその後、婚約者と結婚したの。子供だて産んで……だから私も居るわけだけど。夫や子供や孫たちに恵まれてそこそこ幸せに暮らした時間もあたはずなのに」
「でも、今はひ孫の長田とふたりきりだし、いずれはお前も帰うんでし?」
「短命な家系でね、みんなひいばあさまを置いて先に逝てしまう。母はこの家が怖いからて近寄りたがらないし」
「そんな怖い家に 娘をやるんだ」
「私が行きたいて言たのよ。今まで何もやりたいことて無かたの。少しの間でも構わない、ここじない別のところに行きたいて、初めて親に言た。ひいばあさまやこの家には興味があたし」
……そうなんだ」
そんな間の抜けた返事しか出てこない。長田の考えていることや感じていることを言葉の中から掬い取ることなんて、中学生の僕には出来なかた。

「死んだら『私』はどこにも居なくなる。何も残らないし何も感じない。死後の世界なんて無い。生きている人が、自分が安心したくて創たもの、私はそう思ているし、それでいい」
と唇を噛んだ後 ますぐ前を向いたまま長田は続けて言う。
「お葬式もお墓もそう。生きてる人の都合で在るの。死んだ本人にはどうだていいことだわ」
祖母の葬儀の時、何か別のイベントの準備みたいに進めていく親や親戚に違和感を感じた。先祖代々の墓について兄弟と面倒ごとのように相談する親の姿も見た。長田の言う意味も解らなくはない。それでも、あんまりはきりと言い切る長田の言葉に なんとなく反発してみたくなる。
「生きている人がそう思てそう信じて、それが安心で幸せならそれでいいじん。あの世で逢いたい人だけに会えてそこで永遠に幸せとかさ、そういうの」
暗い目をしたままくすと長田が笑た。笑われるとムキになた。
「ロマンチク、とかさ、そういう風に思うんじないの 普通の女子てさ」
「普通の」という言葉に引掛かたのか、長田が弾かれたようにこちらを向いた。
「葬式とか墓て話なら……小鳥のことだて、長田が一番ちんとしてやたじん。小鳥にとてだて、良かて僕は思たけど」
「私が嫌だただけ。あんな風にいつまでも教室の床に置かれたままの『命の抜け殻』も、勝手なこと言てるばかりで何もしないあの人たちも」
長田の下された両手の拳が硬く握られる。長田が何て説明しようとあいつらより長田の方が断然優しかた、死んだ小鳥にとてだて絶対に良かたはずだ。僕は素直にそう思ていた。

 風もないのに、草むらの中の一隅だけさわさわとそよぐ。どこかで風鈴が鳴る。池に小さな水紋ができる。そういう一つ一つを挙げて、僕は長田に言た。
「ああいうの全部、あの世の誰かがそばに居て、大事な相手に合図してるんだて、死んだ祖母ちんはよく言た。お盆の頃に舞いこんだ蝶とか羽虫とか。そういうのも」
長田が少し顔を上げる。
「お祖母様?」
「うちは両親が忙しくてさ、僕は 相当な祖母ち子」
「仲良しだたんだ」
「うん、色々よく喋た。だから余計かな。そういうの、案外いいなて思う。風になて空に居るとか、生まれ変わて出会うとか、何かに取りつ憑いてでも相手に会いに来るとかさ、そんなのも」
──何でもあり、てことか。僕は。
そう付け加えて 照れ隠しに僕は笑た。

「吉岡くんのお祖母様になら逢てみたいな」
と長田の表情も和らいだように見えた。一匹の蜉蝣が僕の前をふらふらと飛び、蓮の葉に羽を休める。
「蜉蝣てね、成虫になたらたたの数時間で死んじうんだて」
池の向こう側に飛び去た蜉蝣を目で追て。長田かぽつりと呟いた。


 入院と手術が決またと、学期の終わりを待たず長田は学校を去た。突然のことだた。その前から学校を休みがちになていた長田と何とかしてもう一度喋りたいと、プリントを渡す役を自ら引き受けて、僕は幾度かあの屋敷を訪ねた。長田も僕には気を許してくれたようで、少しずつ自分の話や面白かた映画や最近読んだ本の話などをするようになていた。

 入院や手術の話を意識的に避けていた僕に、その日は長田の方から切り出した。
「気を使わなくてもいいわよ。死んじう時はそれが運命なんだて思うから」
僕の気持ちを盛り上げるように 長田の口調は今までになく軽くて明るかた。
「あの世があるかどうか、私、確かめられるかもしれないね」
長田は手渡したプリントを見もせずに机の上に置くと そんな風に言い
「『あの世』でて吉岡くんのお祖母様に会えたら 私、きと合図するね」
来てくれてありがとうと、玄関先まで僕を見送て長田は大きく手を振た。

翌日、長田は実家に帰り、「ひいおばあさまの家」はまた何事もなかたかのように、誰の気配もしない「お化け屋敷」に戻た。


 僕はそのままこの町で退屈で平凡な日々を過ごし、大学進学を機に地元から離れて就職した。長田は成人式を待たずに亡くなたと聞いた。

 里帰りしたある日、長田の居た家の方に立ち寄てみた。長田の曾祖母もすでに亡くなり、屋敷は更に古び、荒れて廃屋となていた。屋敷の取り壊しも決またらしく塀は一部壊されて工事中の囲いが巡らされていた。隙間から覗くと庭は更に鬱蒼としている。フンスの壊れたところから入て、花壇の跡や雪柳の下を探したが 小鳥の墓標は見当たらなかた。
長田と沢山喋たあの池の渕に立て、夕暮れの空の下、「彼岸」を眺める。
生れてすぐ余命を宣告されたという長田は、「死後の世界」のことをずとずと考えて生きていたのだと思う。生きることも死んだ後のことも、何も期待できない、期待しない方がいい、そんな考えに行きついて、それでも不安で、希望が欲しくて、迷て、悩んで。

──ねえ、長田。
僕は呼びかける。
──どこかに居るのかな。それとももうどこにも居ないのかな。
あの時と同じように 風の気配もないのに向こう岸の草むらの一隅がさわさわと音を立ててそよぐ。僕の肩先にか細い蜉蝣が一瞬止まて飛び去た。見上げると空高く一羽の鳥が円を描いて飛んでいる。
──あの子からの合図だよ。答えてあげな
死んだ祖母ちんの声が聞こえた気がした。
← 前の作品へ
次の作品へ →
5 投票しない