あしながおじいちゃん
豪華絢爛な祭壇の真ん中に僕の父親の顔がある。なんかパー
ティーみたいだな、誰かとちょっかいをかけあってるみたいにほんの少し左を向いて笑う赤ら顔をした若い頃の父親は、自分の葬式にこの顔が使われるなんて思いもしなかっただろう。なんでこの写真が遺影としてこうでかでかと飾られてしまったのかは僕の知るところではないけれど、この写真のたたずまいのお陰か、世界中がウイルスのせいで混乱しているのに加えて親族間の激しい内輪揉めまで巻き起こったにも関わらず、葬儀自体はなんだかちょっとふんわりした、楽しさ、みたいな感じを残して終わった。
県西の田舎町では割と名の知れた大地主みたいなやつであったらしい僕の父親、というか父親の「家」は、その大半を既に都会の不動産管理会社に預けてしまっていたものの、所有権だかなんだかを手放したわけではなかったので、葬式の前日まではその遺産争い、的なもので「本家」の応接間はしっちゃかめっちゃかのどったんばったんのとにかく大変な騒ぎだった。とりあえずといった感じでそのながーい机のお誕生日ポジションに座らされた僕はその応酬をキョロキョロしながら眺めることしかできなかったけれど、僕以外の人はみんな分かっていた、結局その遺産のほとんどは僕が引き受けることになるのだということを。でも、それが心底嫌だったのだろう。
僕がどうしてこんなに、父親のことも、父親の死のことも、そして家だとか遺産だとかいうことにも「他人ごと」、というか、全部薄ぼんやりとしか認識できていないのかというと、僕が父親の「隠し子」だったから、というのがすべての原因なのだった。彼が亡くなる二年ほど前、当時高校に入ったばかりの僕が人のいい「あしながおじさん」だとばかり思っていた初老のおじいちゃんが、満彦、お前に謝らなきゃいけないことがある、と改まって告白してきたのであった。彼は言う。僕はそのあしながおじいちゃん、本牧泰治の実の息子で、血が繋がっていて、彼は竹田優、つまり僕の母親と、長年愛人関係だったのだと。その晩僕は最悪オブ最悪な夢を見る。本牧泰治と竹田優が事を致している夢だ。朝、汗びっしょりの中目覚めてこの現実世界も夢の続きだと悟る。実際、二人が事を致したから僕が生まれたのだ。三十歳くらいは年の差のある二人が愛し合う姿は妙にリアリティを持っていて、僕は今でも時々その現実と地続きであるグロテスクな悪夢を見てしまったりする。そしてその突然の告白から日を置かぬうちに僕と母親は「内縁の家族」として「本家」に迎え入れられ、なんやかんやのめんどくさい手続きを経て正式にあしながおじいちゃんの実の息子となったのだった。
「泰治さんもこんなに素晴らしい後継を育ててらして」
薄いグレーのハンカチをぐしゃぐしゃにしながら目元にあててせっせと涙を拭う伯母は、150センチいくかいかないかくらいの小さな目線から僕を見上げて何度もそうこぼす。この人が一番しつこいにせよ、葬儀にやってきた父親の関係者は全員、僕を見つけては似たようなことを言ってから去っていく。まるでお葬式のルールに載ってるみたいだった。喪服、香典、焼香、お悔やみ、そして僕への挨拶。僕に声をかけると、まるで背負っている責務を果たしたかのようにすっきりした顔で皆帰っていくのだった。でもなぜか伯母だけは僕から離れない。今だって、告別式と精進落としが終わり、母親と一部の関係者を除いて皆帰っていいぞ、となったからさっさと最寄りのバス停まで歩いてきたのに、彼女だけはお葬式のしんみりとした湿った空気を纏ったままぐじぐじと僕に話しかけ続けてくるのだ。
「本家も分家も誰一人として子どもに恵まれなかったでしょう。泰治さんの奥様もとっくに亡くなられて。持ってる土地も山もうちの大切な財産である以上にイエの歴史と共にあった家族みたいなものだからねえ、あんたのおかげで手放すようなことにならなくて本当に良かったと思ってるのよ」
「はあ」
僕は早く帰って友達とゲームがしたい。最近はZOOMでお互いの部屋をつなぎながらスプラトゥーンをするのが流行っている。今日も一時間後くらいから始めようとか言っていたからそれまでに家に着けるか少しハラハラしていた。
「あんたも早く社会人になって本家の人間らしくビシッとしたところを見せてちょうだいね」
伯母は癖なのか、バスを待つ間も小さく足踏みをしている。パンプスとスニーカーの中間みたいな黒い靴をせわしなく上げ下ろしする姿は、まるでジョギング中の信号待ちみたいだった。
「本家の人間らしくって、具体的にどんな感じですか」
僕はバス停の標識を見上げながら尋ねる。社会人になった自分なんて想像できない。そもそも行きたい大学がなくて受験勉強にも身が入らない状態なのに、「ビシッと」することなんてたぶん不可能に近い。すると伯母は足をばたばた動かしたまま、僕の肩をばしっと叩く。
「そんなの、知らないわよ。私は分家の人間だもの」
バス停の音声案内が、間も無く到着します、と言って、そのあと少し間抜けなメロディが鳴った。
この人は僕を妬んでいるのかもしれない、と思った。
バスの後部座席がちょうど空いていたので、二人で並んで座った。僕たちの後ろにも親族らしき人々が結構並んでいたようで、喪服姿の老人がぞろぞろぞろとバスを埋め尽くす。席を譲った方がいいだろうと思って腰を浮かせると、伯母がそれを制してきた。
「あんたが一番偉いんだから」
じゃあ偉い人に「あんた」とか言うなよな、と思いながら僕は憮然とした顔で座り直す。
ほんとめんどくさいこととか嫌なことばっかだ。バスが発車する。流行中のウイルス対策でバスも窓が開いていて、外から気持ちのいい風が入ってくる。車内の喪服じゃない人たちを眺めて、はっと思い出してポケットからマスクを取り出した。父親の葬儀は、このご時世でもまるで普通な感じで平然と執り行われたけれど、ひとつだけ時代の猛威に巻き込まれたせいで変なところがあった。父親の遺体はそこになかった。最後、肺炎にかかって亡くなった父親は、感染症対策としてその遺体をこちらの自由にすることができなかったのだった。本来遺体を安置するらしい場所には、すでに焼かれて灰になった父親の骨壷がぽつんと置かれていて、それははじめて葬儀なるものに参列した僕の目にも奇妙に映った。それが祭壇のほがらかな写真と相まって、僕はなんだかまだ父親の死をしっかりと悲しむことができていない。昨日の夜のほうが悲しかったくらいだ。ベッドに横になって眠りにつく数十分のあいだ、僕は目を閉じて父親、もとい、あしながおじいちゃんのことを思い浮かべる。彼は月に数回やってきては僕と母親をファミレスやちょっといい食事処へ連れて行き、近況や僕の学校生活について話を聞きたがった。一緒に買い物へ出かければおもちゃや服を買ってくれて、それは全部ショッピングモールや百貨店の配達サービスか何かで後日家に運び込まれる。その荷物にうずもれながら、一回の買い物で二度ハッピーにな