第58回 てきすとぽい杯〈夏の特別編・後編〉
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甘い涙 ~ 手の魔法 ~
投稿時刻 : 2020.09.02 02:27 最終更新 : 2020.09.02 02:39
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- 2020/09/02 02:39:14
- 2020/09/02 02:27:10
甘い涙 ~ 手の魔法 ~
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「『くろい』を治す方法を、知らんですか」
 木立の陰や草むらで、そんなことを聞いてまわる鳥がいた。
 現れるのは、決まて夜分や夕暮れ時、雨催いの薄暗い日にだけ。茶色の羽根を斑模様で染めた、それはあのヨダカだた。

「『くろい』を治す方法を、知らんですか」
「知るかよ、よそで聞きな」
 まともに応えてくれるやつなんか、ほとんどいない。
 けれどもヨダカは、来る日も、来る日も、しつこくしつこく、聞いてまわた。獣にも、虫にも、魚にも、聞いてまわた。

「『くろい』を治す方法? そんなもの、あたしにわかるもんか」
 夜歩き中の雌ダヌキに出会たのは、探し始めてから二十日余りも経たころだた。
「けどさ、あんた、イシガメには会たかい? そういう難しいのは、あいつの専門だろ」
 雌ダヌキはちうど退屈していたと見えて、イシガメが昔、人間に飼われていたとか、それは『イシ』という家だたとか、いろんなことを教えてくれた。
 イシというのは、とにかく何でも治す人間だという。
「イシガメに会うなら、朝早くがいいよ。気温が上がると出掛けちまうから」

「『くろい』を治す方法を、知らんですか」
 いよいよ、詳しい、偉いひとが相手となて、ヨダカの声はいくぶん上擦ていた。
 イシガメは静かに、ふん、ふん、とヨダカの話を聞いていたが、やがて、ぱくと口を開いた。
「そう、さ、の」
 たいへんな高齢で、ひどくゆくりした話し方なのだた。「『テアテ』、じな」
 テアテ。ヨダカは復唱した。
「さよう。これを、の」イシガメは、ヨダカに見せるように、前足を揃え、地面をギとする。
「こう、するのじ。その、猫の、体の、悪い所に、の」
 手本とばかりに、ギ、ギ。イシガメが前足を押し付けるたびに、軟らかい沼地の泥が沈み、窪みを作る。
「『テ』とは、人間の、手……、つまり、獣なら、前足、かのう」
「『アテ』は、この動き、じな。これが、『アテ』」
 言いながら、また、ギ
 いつの間にか、泥の窪みがずいぶんと広がて、イシガメの頭はすぽりその中に収まてしまていた。
「よいか、『テ』と、『アテ』じ。忘れるでないぞ」
 窪みから声がした。
 テ、と、アテ。テ、と、アテ。
 耳慣れない言葉を頭の中で唱えながら、ヨダカは丁寧に礼を言て、イシガメの住処を後にした。

 ルリネコは、今夜もヤツの所へ向かう途中だた。
 呼びかけると、暗い暗い、闇そのものみたいな瞳をして、ヨダカを見た。ヨダカのことが分からないようだた。
「ルリネコ、行くな」
 ヨダカは、爪を立てないよう慎重に、ルリネコの背中へ舞い降りた。毛筋の、黒の濃い所を狙て、足先を押し付けてゆく。
 ルリネコが、イヤイヤと身をよじたが、ヨダカはその背にしがみついた。
「ルリネコ、ルリネコ、帰てこい」
 ここか。それとも、こちか。
 足先をいくら動かしても、ルリネコの毛色は変わらない。
 それでも、ヨダカは諦めきれない。もがくルリネコを追て、再びしかりと、足先を押し付ける。
 毛色に変化はない。
 ふと、イシガメの言葉が頭をよぎた。「『テ』とは、人間の手、つまり、獣なら、前足かのう」
 獣で前足ならば、鳥の自分は、もしかして翼なんじないか?
 急いで翼を大きく広げ、ルリネコを包むように抱きついた。その様はまるで、鳥が猫を無理やり抱卵しようとしているみたいだた。
 しばらくは何も起こらなかた。
 ルリネコは、もう暴れなかた。ヨダカは祈るような気持ちで、ルリネコの体を包み続けていた。なあ、ルリネコ。帰てきてくれ。行てしまわないでくれ。せめて、お前だけでも。

――月がてぺんに昇るころ、ようやく、翼の下から声がした。
「ねえ、これ、何してんのよ、ヨダカ」

 ルリネコが、すかり自分を取り戻すまでには、ずとずと時間がかかた。
 そのたびごとに、何度も何度も、ヨダカは『テ』を『アテ』た。
 するとしばらくの間は、元々の、なんでもない頃のルリネコが戻てくる。けれども少し経つと、たちまち人が変わたようになて、ヨダカを強くなじた。聞くに堪えない言葉を並べ、責め立てた。
 かと思えば、急に消沈して、涙を恋しがては鳴くのだた。
「ねえ、涙を、涙をちうだい。アンタのでもいいから」
「だめだ。アレが少しも欲しくなくなるまでは、我慢だ」
 ヨダカが言うので、ルリネコも懸命に堪えていたが、ある夜、とうとう、ねぐらの神社を抜け出して、あの人間が暮らすアパートへと駆けて行てしまた。
 やぱり、だめなのか。オレでは引き止められないのか。
 消えそうになる希望を必死に手繰り寄せ、ヨダカはルリネコの後を追た。

 アパートのすぐ前で、ルリネコはあの男の部屋の窓を見上げ、足を畳んで座ていた。
 ヨダカはルリネコの隣に、そと着地した。
「入らないのか」
「アタシだてね」ルリネコはそぽを向いた。「わかてるのよ。もう少しで、アタシが消えてしまうところだてのは」
 ヨダカはただ黙て聞いていた。
「それでも、逆らえないの。あの涙の味には」
 ルリネコも、そう言て、黙てしまた。泣いているのかもしれない、とヨダカは思た。
 満月になりかかた月が、二匹の足元に小さく影を作ていた。たまに、昼夜を間違た蝉が鳴き出すほかは、静かな夜だた。
「入らないのか」
 ヨダカはもう一度、聞いた。ややあて、ルリネコは立ち上がり、
「だて、こんなちぐはぐな毛色じあ、ね。とても見せらんないわ。あーあ、自慢の瑠璃色の毛が、だいなし」
 ルリネコの毛は、もうほとんど、元の美しいブルーグレーに戻りつつあた。それでもただ一箇所だけ、ヨダカの羽根が覆いきれなかた足首から先だけは、今も黒い毛のままなのだた。
「そんなことはない。今のそれだて、なかなか悪くないぞ、靴下のようで」
 そう言たら、ルリネコは顔をしかめたが、ツンとポーズを取て、仕方ないわね、という風に、神社に向かて歩き出した。もう、いつものルリネコだた。
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