一休禅師「きこりとヘルメス」
あまり馴染みがないかもしれないが、寓話「きこりとヘルメス」はイソ
ップ寓話集に収められているお話で、川に斧を落とした男と、それを哀れに思ったギリシア神話の神ヘルメスが登場するものだ。
もうこの物語の筋については説明する必要はないだろう。ただ、ヘルメスについては別かもしれない。ギリシア神話の神ヘルメスは有名ではあるものの、ゼウスやアポロン、アルテミス、ヘラクレスなどに比すると多少、後れを取るかもしれない。
そこで今回、私は「きこりとヘルメス」を室町時代に変えるだけの変更で物語ってみようと思う。いいだろうか、単に時代を変えただけである。
「Q右衛門、Q右衛門はおるか!」
「へい、将軍さま。お呼びでしょうか」
「昨日もまた一休禅師にしてやられたのう。最近ずっとあやつにトンチでやられていることで、「わしは腹が立っているからなんとかせい!」と言ったら「背中を立たせればいいのでしょうか?」などと、小馬鹿にしおって!」
「一休禅師も一休禅師なら、将軍さまも将軍さまですぜ」
「なんだと?」
「よぉくお考えになってください。ついカッとなって言えば足をすくわれるだけです。前もって作戦はしっかり練っておかないと」
「でもさ、Q右衛門。この前の「屏風の虎」のときは用意してた虎に逃げられて大騒ぎになったし、「涙で描いたネズミを走らせよ」って言ったら「それは一休じゃなくて雪舟」とか言うし、「このはしわたるべからず」って言ったら、「はしは"ゆきお"であり、"わたる"でないから大丈夫」って歌手を渡らせるし、全然なんだもん」
「だもん、じゃないですぜ。今回は大丈夫、あっしに自信の策がありやす。「金の斧、銀の斧」でいってみましょう」
「おお、Q右衛門。頼んだぞ」
さあ、将軍さまはQ右衛門に言われたとおりに金閣寺のお庭で魚釣りのまねごとを始めます。配下の者に捕まえて来させた川魚を放して、それを釣るというものです。
「おお、一休よ。今日はおぬしと釣りをしようと呼び出した。忙しいところ来てもらってうれしいぞ」
「お招きいただき光栄です」
「うむ、今日はたくさん釣った方の勝ちだからな。トンチはなしじゃ」
「そうですか。……ところで、釣り竿はありますが餌はどこに?」
「餌はな。Q右衛門、Q右衛門はおるか!」
「へい、餌はこちらに。ごく普通の餌と、本物の金をふんだんに使ってきらきらした、きっと魚も喜んで食いつく餌、それとこちらも本物の銀を使った、金よりどっしりとした輝きでこの池の主さえ釣れそうな餌を用意しておりやーす」
「さあ、一休よ、どちらにする?」
将軍さまもQ右衛門も、一休禅師が「金の斧、銀の斧」の話を知らないはずはないともちろんわかっています。一休禅師は金の餌も銀の餌も選ばないのです。ですから、一休禅師が選ぶはずの普通の餌には苦みの強い草の汁を混ぜ、絶対に魚がかからないようにしています。もちろん、仮に金や銀の餌を選んだところで、そんなもので魚がかかるわけもありません。
「さあ、どうする一休よ」
「うーん」
一休禅師は少し考えてから、はっと何か思いついた様子で、「では、こちらを頂戴します」と金の餌を手にしました。
これには将軍さまもQ右衛門もにやりとします。
「ほう、それでいいのか」
金の餌で魚が釣れるわけがない、将軍さまはこれは勝ったと思います。将軍さまの頭には「欲に溺れたのう一休よ」と最後に勝ち名乗りを上げる己の姿が思い浮かびます。(このお話は、元のお話が欲に溺れて全部失うところとこの辺りがつながっているのです)
「ふふ、では始めるか。どこでも好きな釣り場を選ぶが良い」
将軍さまはそう言い、さあ立ち上がろうとしたとき、一休禅師は「いいえ」といいました。
「将軍さま、この勝負は私の負けでございます」
「なんと!?」
将軍さまは勝ちを確信していたものの、突然の一休禅師の降参には驚きます。
一休禅師はいいます。
「金の餌で魚が釣れるわけはありません。ですから、私は先ほど"頂戴"したこの金の餌を持って帰ります」
「え、持って帰るんですかい……」
「頂戴しましたから」
「いや、一休よ。きちんと釣りで勝負をつけるのじゃ!」
「ですから、釣りは私の負けです。そして将軍さま、トンチは私の勝ちです」
労することなく金を手に入れた一休禅師、しばらく将軍さまの招きには応じず、酒浸りになったとのことです。
めでたし、めでたし。