此の世をば 我が世とぞ思ふ 望月の
令和6年4月23日の夜のこと。
アルバイト先のコンビニが交代時間の22時を迎えた。でも出入り口の軒下では同じシフトの女子大生の子が夜空を見上げて困
っている。外は雨が降り出していた。どうやら彼女は傘を持ってきていないらしい。
同僚の男が言った。
「よかったら送っていくよ」
大学生の女の子は気恥ずかしそうに、でもコクリと頷き言った。
「どうもありがとう。でも送り狼になんてならないでくださいね」
そのセリフに男はギクリとした。
男には秘密があったのだ。なんと男の正体は狼男だった。もちろん普段はそんな姿は周囲に見せていないのだけれど。
二人は雨の夜の街を一つの傘に入って歩き出した。
たしか女の子は歩いて5分ほどのところにあるワンルームマンションに住んでいた。
今夜は満月だが、この雨ではお目にかかれそうにない。変身前の男はそう安堵していた。
優しい雨がしっとりとアスファルトを濡らし、街の灯りを反射している。
通りがかった公園の桜の花は、とうに散ってもう葉桜となっていた。
男が女子大生を送る途中、道路にきらりとしたものが落ちていた。
「何かしら?」
その言葉に男がその光に反射した物を拾ってみるとそれはただの十円玉だった。
「なんだ十円か」と女の子は肩をすくめる。
それを変身前の男が諌める。
「十円をバカにしちゃいけないよ。うまい棒だってチロルチョコだって買えるんだぜ」
そんな気取った男のセリフに女子大生は笑った。
「昭和ですか?今はうまい棒は12円、チロルチョコは23円に値上がりしているんですよ」
「そ、そうなんだ」と変身前の狼男は狼狽した。狼男だけに。
「あ、そうだ。これ知ってます?」
と女子大生は男の顔を覗き込むように言った。
「十円玉の絵柄の平等院鳳凰堂は実は光源氏の別荘だったんですよ」
その言葉に男はキョトンとする。
「ヒカルゲンジ?」
「えー、大河ドラマとか観てないんですか?」
「うん。俺んちテレビ置いてないんだ。でも、そうか、平等院は壊れそうなものばかり集めてる場所なんだね」
「なんのことですかそれ?」
「光GENJIのガラスの十代だよ。知らない?」
真顔の男に、女子大生は「昭和ですね」と返事してケラケラと笑う。
いつのまにか雨は止んでいた。
雲間から星空も除いている。
男は折りたたみ傘を閉じてショルダーバッグにしまうと、コインを空中にトスしてぱっと掴み両手をグーにして突き出した。
「どっちの手に10円玉が入ってるか当てたらこの10円玉あげるよ。実はこれ、昭和61年の珍しい10円玉なんだよね」
「そうなんですか?じゃあ右で」
「うーん。正解」男は悔しそうに手を開いた。
女の子は飛び上がるように喜んだ。
「やったー、儲けものです!」
またもや男は狼狽した。
「え? もう獣……しまった、狼男だってバレちゃってた?」
女子大生は余裕の笑みを浮かべて言った。
「いいんですよ。うちに寄ってお茶でも飲んでってください」
そして傘をもつ必要のなくなった二人は、仲良く手を繋いで再び道を歩き出した。
二人が向かうそのマンションの名前が『マンション望月』であることを、まだ男は知らない。