ヤマタツとその一味
原点に還り、あいかわらず説教くさいことになるであろう作文を書く。
高校を卒業して、約2年ほど新聞奨学生として東京にいた後帰郷し、実家でぷらぷらしていた時のことだ。
どうして帰
ってきたかは拙作「成人式には、間に合わなく」を気が向いたら参照してもらいたいが、めんどくさい人のためにぶっちゃけて言うとハードな毎日を送っていたせいで、鬱が発症したからだ。
しかし帰ってから1か月もすると、精神病に理解のない父からいいかげん働けと言われ、争いごとを避けたいのもあり、さまざまなバイトをし始めた。教養がないので、自分が典型的な鬱の症状に陥っていることをまったくわかっていなかったのがいけなかったと後で思うのだが、仕方なくやってみるとだいたいはなんとなくやり過ごせた。それなりにひどい目にも遭ったが。
土方を始めたのもその頃からだった。土方は性に合っていたが能力がついていかず、クビになったりならなかったりした。それでも別の現場仕事なら合うのではと思いしつこく何度もいろんなところに行った。東京で土方をやった方が給料が倍違う上に労働環境や民度も違うというのは後に知ることになる。
期間限定でパン工場のバイトにも行った。仕事は主に桜餅の葉をラインに合わせて巻きつけるというものだった。運よく付いていけて、期間いっぱい働くことが出来た。葉は独特の甘ったるく強い匂いがあって、手袋を付けていてもなぜか臭みが取れなかったり、うっかりすると酔いそうになったりしたものだった。土方でないにも関わらず給料はやはり首都圏よりはかなり安かった。バブル期にもかかわらず地方で働くというのは、まあ昔も今も大して変わらないものなのだろう。ちなみにそこでは好みの女子がいたのだが、今と違い度胸がなくて付き合ってくれとかデートに誘うとかいうことは出来なかった。それだけが少し心残りだった。
若さもあったのか今となってはよくわからないが、たまにバイトしたり、しない時はなるべく安静にしていると、時間の経過とともに精神が多少回復し、それにつれて小学中学時代の友達とも再会して、いろいろとつるんでどこかに行ったり、一緒に映画を見たりカラオケをしたりサッカーをしたり、ファミコンが出てから日が経ってない時期でもあったので友達の家に行ってゲームで遊び合ったりした。その友達はスパルタンXが大好きで、ゲームでうまくいかなくなるたびにキエーとか叫んでロムカセットを強引に抜いては床に投げエルボードロップを食らわせていて、そのアホな様子を見ていた東京帰りのアホを含む他の数人はよく笑っていたものだった。ロムカセットはそのせいでいつしかプラスチックが取れて基盤もとい基板だけになってしまったのだが、挿すとなぜかプレイする事が出来ていて、なんだか不思議に思ったものだった。
その中の1人がどうしても彼女が欲しいとの事で、募集の告知を自分の名前でアルバイト雑誌の出会いコーナーみたいなとこに二度ほど載せて何人も会ったりということをしてみたりした。おかげで家族会議で糾弾される羽目になったが、子供の頃から近所でゴザを敷いて右やー左のーだんな様ーとか叫んで乞食の真似をして怒られるほど家族には奇行で知られていたせいか、結局雑誌にはもう載せないという事で問題は収まった。本当は発案者が載せればよかったのだが、ぶっちゃけビビリだったので、拙作「平和文化祭のこと」にもある通りのお人好しは致し方なく引き受けたのだった。その甲斐があってすぐにつきあえる彼女が出来た。少しぽっちゃりだったが、お人好しの5倍はおしゃれでサブカル風味というかバンギャというかそんな格好をしていて、ルックスもそう悪くはなかった。実家には当然親兄弟がいる上に当時専用の部屋が潰されていたので、彼女の家に何度も行きゲームをしたり、いか天を見ていた時期と重なってたので好みの音楽を一緒に聴いたり、彼女は札幌から遠いところの出身なので地元であるのを利用してどっかに食べに行ったりしていた。彼女の部屋はワンルームで、女子らしいかわいらしいベッドが鎮座ましましていた。当然セックスに持ち込めそうな雰囲気になることもあり、というかお人好しは鈍感で盆暗なので、もしかすると彼女から雰囲気を作られてしまっていただけだったのかもしれないが、まあそんな事はともかく、やろうと思えばできる状況が何度もあった。しかし当時はマンガ家になる夢をあきらめてなく、なるまで子供は作らない、子供が出来たら間違いなく生活に引きずられて描けなくなる、と思い込んでいたので、ついにセックスをする事はなかった。コンドームで避妊なんて事は全く信じていなかった。その気になれば女子側の方で簡単に穴を開けることが出来ると思っていたからだ。普通に考えれば向こうから避妊を要求するのが常識的な線だが、万が一という事もあると思っていたのも行動に拍車をかけた。拙作「おれの冒険」で主人公のああいった心理描写をしていたのは、その頃を思い出して極端に描いたものでもある。そんな調子では持続可能性のある交際をするのは難しく、向こうが別の男を連れ込んだ事もあって自然に別れる事になった。他の友達は彼女を作ったり肉体関係を持つ事ができたやつもいたが、発案者の本人は男兄弟しかいなかったのが災いしたのか、女子の前に来ると全く話ができず、ついに彼女が出来る事はなかった。おまえもっとちゃんとアピールしろよと言ったりもしたが、ひやといーおれは女の前に出ると、ううー、ダメなんだよー、とうつむきながら言うので、なすすべはなかった。真面目で優秀なないい男なのだが、そこは残念だった。最初はお人好しが募集の手紙を取り仕切っていたがズルい事をしていい女を独り占めにしているのではないかと疑われたので、来た手紙を全部発案者に渡すことにした。一度だけそんな文句言うならお前が自分ちの住所載せればいいじゃんと言ってケンカになりそうになった事もあった。しかし中学時分からの付き合いという事もあるので、寸前で思いとどまる事が出来た。のちに絵を描くこと自体が好きではないというのにある日気づいてマンガ家になるのはあきらめるわけだが、それを思うと多少ムダな事をしたなと思う時もあったりする。しかし過ぎてしまった事はもうしょうがないので、そんな時は記憶と割り切ったおつきあいをしてなるべく寝て忘れるようにしている。にしても一人っ子だと案外彼女が出来るのに、なぜ男兄弟しかいないと出来ないのかは未だに謎であるが、まあそこは人によるという事になるのだろう。しばらくすると女子からの手紙も途絶え、グループ繁殖活動も自然消滅した。
年月で言うと3年ちょっとの期間であったが、人生についていろいろ整理出来た時期だった。その後、拙作「とある放浪記~バブルより遠く離れて~」の通りの過程を経て上京し、いろいろとひどかったりひどくなかったりする生活を送る事になる。
これから書くのは、札幌時代のある年の2月の話だ。
テーマに沿うために2月の事をいろいろと思い出してみる。確か帰ってきてすぐの頃は誰とも会う気がまったくなく、当時コミケのような集まりを通じて、上京前に知り合い文通していたとある女子にも帰ってきたとだけ電話で伝え、とうぶん会えないと言ったらブチ切れられたのを思い出す。その子には別に彼氏がいて、東京で挫折したお人好しと会わなくても全く困らないはずなのだが、なんだかよくわからなかった。気分がいい日は、昔からOUTやふぁんろ~どとかいうアニメ系雑誌の読者関係の友人たちが集まる場所に行き、いろんな話をしていたが、偶然顔見知りの女子に出会った途端、ひやといさんのバカー