創作板勝負だー祭り2026春
〔 作品1 〕
ヤマタツとその一味
投稿時刻 : 2026.01.08 22:21
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ヤマタツとその一味
ひやとい


 
 原点に還り、あいかわらず説教くさいことになるであろう作文を書く。
 高校を卒業して、約2年ほど新聞奨学生として東京にいた後帰郷し、実家でぷらぷらしていた時のことだ。
 どうして帰てきたかは拙作「成人式には、間に合わなく」を気が向いたら参照してもらいたいが、めんどくさい人のためにぶけて言うとハードな毎日を送ていたせいで、鬱が発症したからだ。
 しかし帰てから1か月もすると、精神病に理解のない父からいいかげん働けと言われ、争いごとを避けたいのもあり、さまざまなバイトをし始めた。教養がないので、自分が典型的な鬱の症状に陥ていることをまたくわかていなかたのがいけなかたと後で思うのだが、仕方なくやてみるとだいたいはなんとなくやり過ごせた。それなりにひどい目にも遭たが。
 土方を始めたのもその頃からだた。土方は性に合ていたが能力がついていかず、クビになたりならなかたりした。それでも別の現場仕事なら合うのではと思いしつこく何度もいろんなところに行た。東京で土方をやた方が給料が倍違う上に労働環境や民度も違うというのは後に知ることになる。
 期間限定でパン工場のバイトにも行た。仕事は主に桜餅の葉をラインに合わせて巻きつけるというものだた。運よく付いていけて、期間いぱい働くことが出来た。葉は独特の甘たるく強い匂いがあて、手袋を付けていてもなぜか臭みが取れなかたり、うかりすると酔いそうになたりしたものだた。土方でないにも関わらず給料はやはり首都圏よりはかなり安かた。バブル期にもかかわらず地方で働くというのは、まあ昔も今も大して変わらないものなのだろう。ちなみにそこでは好みの女子がいたのだが、今と違い度胸がなくて付き合てくれとかデートに誘うとかいうことは出来なかた。それだけが少し心残りだた。
 若さもあたのか今となてはよくわからないが、たまにバイトしたり、しない時はなるべく安静にしていると、時間の経過とともに精神が多少回復し、それにつれて小学中学時代の友達とも再会して、いろいろとつるんでどこかに行たり、一緒に映画を見たりカラオケをしたりサカーをしたり、フミコンが出てから日が経てない時期でもあたので友達の家に行てゲームで遊び合たりした。その友達はスパルタンXが大好きで、ゲームでうまくいかなくなるたびにキエーとか叫んでロムカセトを強引に抜いては床に投げエルボードロプを食らわせていて、そのアホな様子を見ていた東京帰りのアホを含む他の数人はよく笑ていたものだた。ロムカセトはそのせいでいつしかプラスチクが取れて基盤もとい基板だけになてしまたのだが、挿すとなぜかプレイする事が出来ていて、なんだか不思議に思たものだた。
 その中の1人がどうしても彼女が欲しいとの事で、募集の告知を自分の名前でアルバイト雑誌の出会いコーナーみたいなとこに二度ほど載せて何人も会たりということをしてみたりした。おかげで家族会議で糾弾される羽目になたが、子供の頃から近所でゴザを敷いて右やー左のーだんな様ーとか叫んで乞食の真似をして怒られるほど家族には奇行で知られていたせいか、結局雑誌にはもう載せないという事で問題は収また。本当は発案者が載せればよかたのだが、ぶけビビリだたので、拙作「平和文化祭のこと」にもある通りのお人好しは致し方なく引き受けたのだた。その甲斐があてすぐにつきあえる彼女が出来た。少しぽりだたが、お人好しの5倍はおしれでサブカル風味というかバンギというかそんな格好をしていて、ルクスもそう悪くはなかた。実家には当然親兄弟がいる上に当時専用の部屋が潰されていたので、彼女の家に何度も行きゲームをしたり、いか天を見ていた時期と重なてたので好みの音楽を一緒に聴いたり、彼女は札幌から遠いところの出身なので地元であるのを利用してどかに食べに行たりしていた。彼女の部屋はワンルームで、女子らしいかわいらしいベドが鎮座ましましていた。当然セクスに持ち込めそうな雰囲気になることもあり、というかお人好しは鈍感で盆暗なので、もしかすると彼女から雰囲気を作られてしまていただけだたのかもしれないが、まあそんな事はともかく、やろうと思えばできる状況が何度もあた。しかし当時はマンガ家になる夢をあきらめてなく、なるまで子供は作らない、子供が出来たら間違いなく生活に引きずられて描けなくなる、と思い込んでいたので、ついにセクスをする事はなかた。コンドームで避妊なんて事は全く信じていなかた。その気になれば女子側の方で簡単に穴を開けることが出来ると思ていたからだ。普通に考えれば向こうから避妊を要求するのが常識的な線だが、万が一という事もあると思ていたのも行動に拍車をかけた。拙作「おれの冒険」で主人公のああいた心理描写をしていたのは、その頃を思い出して極端に描いたものでもある。そんな調子では持続可能性のある交際をするのは難しく、向こうが別の男を連れ込んだ事もあて自然に別れる事になた。他の友達は彼女を作たり肉体関係を持つ事ができたやつもいたが、発案者の本人は男兄弟しかいなかたのが災いしたのか、女子の前に来ると全く話ができず、ついに彼女が出来る事はなかた。おまえもとちんとアピールしろよと言たりもしたが、ひやといーおれは女の前に出ると、ううー、ダメなんだよー、とうつむきながら言うので、なすすべはなかた。真面目で優秀なないい男なのだが、そこは残念だた。最初はお人好しが募集の手紙を取り仕切ていたがズルい事をしていい女を独り占めにしているのではないかと疑われたので、来た手紙を全部発案者に渡すことにした。一度だけそんな文句言うならお前が自分ちの住所載せればいいじんと言てケンカになりそうになた事もあた。しかし中学時分からの付き合いという事もあるので、寸前で思いとどまる事が出来た。のちに絵を描くこと自体が好きではないというのにある日気づいてマンガ家になるのはあきらめるわけだが、それを思うと多少ムダな事をしたなと思う時もあたりする。しかし過ぎてしまた事はもうしうがないので、そんな時は記憶と割り切たおつきあいをしてなるべく寝て忘れるようにしている。にしても一人子だと案外彼女が出来るのに、なぜ男兄弟しかいないと出来ないのかは未だに謎であるが、まあそこは人によるという事になるのだろう。しばらくすると女子からの手紙も途絶え、グループ繁殖活動も自然消滅した。
 年月で言うと3年ちとの期間であたが、人生についていろいろ整理出来た時期だた。その後、拙作「とある放浪記バブルより遠く離れて」の通りの過程を経て上京し、いろいろとひどかたりひどくなかたりする生活を送る事になる。
 これから書くのは、札幌時代のある年の2月の話だ。

 テーマに沿うために2月の事をいろいろと思い出してみる。確か帰てきてすぐの頃は誰とも会う気がまたくなく、当時コミケのような集まりを通じて、上京前に知り合い文通していたとある女子にも帰てきたとだけ電話で伝え、とうぶん会えないと言たらブチ切れられたのを思い出す。その子には別に彼氏がいて、東京で挫折したお人好しと会わなくても全く困らないはずなのだが、なんだかよくわからなかた。気分がいい日は、昔からOUTやふんろどとかいうアニメ系雑誌の読者関係の友人たちが集まる場所に行き、いろんな話をしていたが、偶然顔見知りの女子に出会た途端、ひやといさんのバカーと叫ばれるやいなや詰め寄られビンタを食らた事もあた。その子にはどうせ会うことになるだろうからと思い、サプライズがてら事前に連絡をしていなかたからだ。ちなみにその女子は髪の長い美人だたのだが、あまり言う気がしない上に本当かどうかもわからないような事情で19歳だたにも関わらずまだ高校生だた。マンガ描きつながりだた事もあり、絵がうまい女子だた。上記のようなつながりがあると、いろんな女子と文通しやすかた時代だた。今もSNSなんかでそうしたつながりをやてたりしているのだろうと思うが、とにかくまあ当時はマンガを描いて同人誌を出し、地方のコミケのようなところによく行てさえいれば、小説を書くよりはぜんぜんモテやすくなるのは事実だた。そうした女子の中には、なぜか裸の女子の大股開きを陰部まで詳細に描いて、おずおずと差し出して見せてくる人もいた。一瞬この人はお人好しとセクスでもしたいのかなあとも思たが、そんな訳はないだろうと思い、うんなかなかいいんじないですかねと安全に論評する程度にとどめておいた。おおかたレモンピープルとかなんかのエロ漫画の影響でも受けただけなのだろうし。
 とここでふと思たが、そういう妄想で女子と絡むエロ小説を書いてもいいんじないかという気がしてきたので、ここまで根気よく読んだ人が、もしそんなものを書いてみたいなと思たら、ぜひ書いてもらいたいと思う。お人好しはいつでも面白い小説を求めているので。ちなみに出来ればもりやまつる作「街のワケアリBROTHERS」に出てくるようなヲタカプル的な感じがあたらとてもいいなあと思う。
 とにかく捲土重来を期して再び上京してマンガ家になる事しか考えていなかたから、正直言うとモテとか持ち上げとかはどうでもよかた。そのうち、アニメ関係自体に興味がなくなたのもあり、次第にそこに集まるのも居場所がない感じになてきたのでたまにしか行かなくなり、やがて小中学時代の友達と集まて遊ぶようになた。後は前述のとおりだ。札幌にいて投稿し続ける手もあたが、自分が生まれ育た地域に大したいい思い出もなくおまけに寒いと来てるので、総じてあまり好きではなかた上に、そもそも16ページを完成させるのが大変で、たまに描き上げるのに成功した時でさえ、大して面白くはなかた。だから一刻も早く再上京して、もう一度勝負を賭けたかたのだた。描けて賭けて勝てればよかたが、動機がなくなり駄作小説ばかり書ける方になてしまたというのが現在に至る道なのは周知のとおりだ。
 そもそも帰郷してから3月も経ていないのでマンガを描くどころの騒ぎでもなかた。よく覚えてないが、帰郷してからの最初の2月はたぶん拙作「成人式には、間に合わなく」の通り、成人式に行けないというのがわかてガカリしてたのをひきずていたはずで、だからまだ気分的には落ち込んでいたはずだた。思い出そうとしても忘れられなかたらいいのになと思うのだが、拙作「ホステスの母」にあるとおり、例えば忘れん坊クラス1になるくらいに、あらゆるモノや事柄を忘れてしまう子供だたので、何をしてたのかあまり思い出せないのだ。もう成人になたにもかかわらず、頭の中身は大して変わていないのだろう。成長という言葉からよほど縁遠いに違いない。
 とここで終わらせてもいいのだが、枚数にするとまだ12枚程度なので、もう少し頑張てみたいと思う。例えばカラオケで何を歌えばいいのか思いつかない事がたびたびあるのだが、そういう場合、バブルの時代はカラオケ屋であれば必ず置いてあた、くそ重くて分厚い本をおもむろに開き、どこの誰のどの曲かを見ればだいたい解決した。しかし時代は2026年。まさかこんなに長生きするとは思てなかたのでデンモクだかキクナビとか言うタブレト型のリモートコントローラーに置き換わてしまうとか全く思ていなくて、なかなか難渋してしまている。そんな時役に立つのがキクナビでいうところのあの頃という項目である。そこを押してなんでんかんでんもとい何年かとかいう項目を押すと当時のヒト曲のリストが表示され、あーこういうのあたなあと思い出したりしてようやく歌い出す事が出来るわけだ。便利なのか不便なのかよくわからない事になてしまたが、何が言いたいかというと要するにその頃を思い出すにはその時何があたかを見れば思い出しやすいだろうという当たり前の事なのだた。とここまで書いたところでリネもといライン着信があたので見てみると、ボランテアで行ている現場の従業員の人だたので、ここでは書けない事を軽くいくつか話して終わらせた。
 というわけで年表を見てみた。書かれている事にまたく記憶がなかた。困た。
 ではその一年後はどうかを見た。同じだた。
 さらにその一年後はどうかを見た。やはり同じだた。
 困た困た。
 こまどり姉妹。

 前述の通りそろそろどかで働けと父に言われていたので働いてはいたはずだ。うーん最初のバイトてなんだただろうなあ、と思てたら、なんと冒頭の次に桜餅の葉を巻くバイトやていたと書いていたのだた。なにせ忘れん坊クラス1になるくらいに、あらゆるモノや事柄を忘れてしまう子供だたので、何をしてたのかあまり思い出せないのだ。でも今にして考えてみれば付き合てと言わなくてよかたのかもしれない。振られたら3日ほど寝込んで立ち直ればいい話だが、振られなかたら元嫁や今嫁のように早死をさせてしまている可能性を否定できないからだ。
 ちなみに今嫁が亡くなた時はとある友人に死神というあだ名を頂戴したが、案外気に入ている。

 
付記
どうもすいません。
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