グループアイドルの控室 ~この大銀河にファブリーズを~
(4)銀河鉄道の夜/
宮沢賢治
「ではみなさんは、そういうふうに川だといわれたり、乳の流れたあとだといわれたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか」
ジャージャン♪
そんなクイズ番組風の効果音を口ずさみながら、ユイがフリップボードをこちらに向けて勢いよく突き出した。
瞳をキラキラと輝かせ、眉を八の字に下げたパグ犬のような愛嬌たっぷりの笑顔で、私にフリップを揺らしてくる。
「ほらほら松多梨衣名ちゃん。あなたの回答は、なーんですかー?」
その顔は物欲しげで、構ってほしいオーラ全開だ。
私は大鏡の前で、さっき教わったばかりのダンスステップを繰り返していた。ドームツアーの開幕ライブまで、あと5日しかない。鏡の向こうの自分が、黒髪にしっとりと小汗をかき、眉間に深いシワを刻んで自分を睨みつけている。
「えーと……たしか、銀河でしょ」
私は鏡の中のユイには目を合わせず、ステップを踏みながらぶっきらぼうに答える。
「ブッブー! ちょっと梨衣名、何言うてんねん。まさに『待ったりーな、マツダアリーナ』やわー。これ大喜利やねんでー。まともに答えたらあかんのやでー。面白く返すのを競うゲームやんか? ここで爪痕残さんと、この芸能界生き残っていかれへんよ」
ユイは鼻にシワを寄せ、クシャッと顔を崩してケラケラと笑った。
彼女は神楽塚47グループ内でも指折りのダンスの振り入れが数回で完璧に覚えられる天才肌だった。だからこそパイプ椅子にゆったり背をもたれ、余った時間で私をイジってくる。
「大喜利、ねえ……」
私は動きを止めず、息を切らしながら呟いた。唇を軽く噛み、鏡の中でユイと目が合うのを意図的に避ける。
「そうよ。今どきのアイドルはお笑いスキルも必須なんよ。外番組で地蔵扱いされたらグループ全体のイメージ下げちゃうし。ここはひとつ、私に弟子入りしちゃいなYO!」
弟子入りは別にして、たしかに正論ではある。でも今の私には、彼女の余裕が少し鼻についた。私はわざとらしく首を振って見せる。
「別に、あんたに弟子入りなんて希望してないけど……それならユイ。あんたはコレにどう答えるの?」
試すようにそう言い返すと、ユイは一瞬だけ瞳を見開き、口を半開きにして固まった。
「えーと、えーと……」
わざとらしく人差し指でこめかみをクルクル回しながら、大げさに悩む仕草をする。
「うーん、ぼんやりと白い跡、ねぇ……」
しばらく考えてから、唐突にパーの手の平にグーを叩きつけるポーズを取った。
「そういえば中学生の頃、お兄ちゃんの部屋の真っ青な毛布に、洗っても落ちへんカピカピの白いシミがいくつか出来てたわ。あれ、なんやったんやろね?」
それを聞いた瞬間、私のステップが完全無欠に停止した。
「……おいおい。それテレビで絶対言っちゃダメなやつじゃん!」
「なんで? なんでなんで?」
きょとんとした上目遣いで鏡越しに擦り寄る風の仕草なユイに、私は呆れ顔を隠さない。
「あとで事務所の大人に聞きなさい。それと、お兄ちゃんにそっと謝っておきな」
「了解や。ごめんなさーい」
ユイはわざとらしく両手を合わせて天井を仰ぎ、すぐにちょこんと舌を出して切り替える。
「で、梨衣名は? このぼんやりと白いものが何か、ご承知か?」
私は汗を拭い、水を飲んだ。なんだか肩の力が抜けていく。
……この馬鹿馬鹿しい感じ、ちょっと楽しいかも。
いたずらっ子のような笑みが口角に自然と浮かんだ。
「じゃあ私はこう答えるわ。『こないだ同期のキラちゃんと遊びに行ったあんたの部屋の暗がりに、ずっと静かに座ってあんたを見つめてた老婆』ってね」
「は? 意味わからん」
「ぼんやりと白いもの、ってことよ」
「え、ヤバ! ホンマに? てか、おるん? 私の部屋に! やだ怖っ、ウソやろ? ウソやってゆうてー」
ユイの顔から余裕が一瞬で消え、大きな目が限界まで見開かれる。顔色がさっと青ざめた。
私は白目をむいた変顔でクールに答えた。
「ウ・ソ でーす」
「……なんで白目全開で言うてんねん! どっちなん? ホンマ正直に言って。やっぱり……部屋に憑いてるの?」
息を弾ませて答えをせがむ彼女に、私は棒読み口調で追い打ちをかける。
「ダイジョブ ダイジョブー。ファブリーズ振りかけたら居なくなるらしいよ」
「それホンマなん? あー、良かった。そうだ、ついでにお兄ちゃんのシミにもかけてあげよ」
恐怖から一転、ユイは別の好奇心に目を輝かせた。その切り替えの早さに、私は思わず噴き出す。
「あははは、そうだね。匂いは消えるかもね」
「ヤバっ、匂いだけなん? じゃあ霊は残るやん、シミの上に」
再び大げさにパニクってパイプ椅子の上で両手両足をバタつかせるユイに、私は同情しながら尋ねる。
「何の霊よそれ?」
「そんなん決まってるわ。ゴールにたどり着けへんかった憐れなオス共の群れが、心残りの未練を具現化したエノキタケ姿の怨霊やん」
その馬鹿馬鹿し過ぎる断言に、胸の内の頑なだった塊が弾け飛んだ。
私とユイは同時に大笑いした。控室にカラカラと心地よい笑い声が響く。
張り詰めていた神経が溶け、鏡越しにこっちを見守ってくれていたやさしい眼差しと今日やっと目が合った。
「もう最悪……キノコ生えてきてんじゃん。そんなん燃えるゴミに出しちゃいな」
「いやいや、待ったりーなや松多梨衣名。あれは『萌えないゴミ』の分類やで」
パグ犬のように明るく弾ける心底ほっとしたユイの笑顔。
こんなとりとめもない、くだらない会話が、私たちの過酷な日常を支えるメンテナンスタイムなのかもしれない。
窓のブラインドの隙間から、傾いた夕暮れの陽射しがオレンジ色に注いでいた。
凝り固まっていた胸の奥が、じんわりと温かく鼓動する。今、青春の1ページ。