赤い魚
昼寝をしていた娘が急に泣きだした。
なだめて再び寝かしつけようとするが、怯えた様子で「赤いお魚がいる」と繰り返すのである。
怖い夢でも見たのだろうと「金魚さんかな?」と問いかけても、首を横に振るばかりで一向に要領を得ない。
金魚でなければ、鯛だろうか。それとも赤い笠子とか。
どれを想像してみても、牧歌的で、あまり悪夢という感じではない。
鮫や鯨のような大きな魚ならば怖いという印象もあるだろうが、思い浮かぶ赤い魚はどれも大きくないものばかりだ。
ともかく、娘はまた寝てくれそうもない。一人で遊んでいてくれるならばそれでも良いのだが、私が娘のそばを離れるのを許してくれない。仕方なく玩具で遊ぶように促してやるのだが、それでも娘は心ここにあらずとい
った様子で時折する物音に怯えている。
「大丈夫。もうどこかに行っちゃたよ」
そう安心させようとしても娘が安心した様子はない。よっぽど怖い夢を見たのだろう。
私も子供の頃は魚が苦手だったような気がする。魚と言っても鮮魚店で並べている死んだ魚である。
死んだ魚の、目が怖かった。その目は何も捉えていないはずなのに、ずっとみられているような感覚。深い闇の中に取り込まれるような感覚。
暗い台所。
母の背中。
トン。
魚の首を落とす包丁の音。
ギチ。
うまく切れず、力を入れて無理やり切り落とそうとするときの音。
死んだ魚の目。
死んだ目の母。
ふと我に返ると日は傾きかけてきた。
娘もやっと赤い魚のことから頭が離れた様子で人形に何やら話しかけている。
ほっとして立ち上がろうとしたが、どうも娘の様子に違和感を感じた。
「あかいあかいあかいあかいあかいあかいあかい」
娘は人形の顔を赤いクレヨンで塗りたくっていた。
「何やってるんだ」
思わず娘の肩をつかむ。
娘が振り返った。
娘の目は死んだ魚の目をしていた。
「あかい おさかな」
娘が私の背後をゆっくりと指さした。
赤い魚がいた。
でも、魚じゃない。
頭だ。
真っ赤な血に染まり、ところどころ乱暴に食いちぎられたかのように肉がはみ出して見える。
顔全体が真っ赤に染まる中、目だけがその色を残している。
首から垂れ下がった脊椎を尾びれのように動かし、じっとこちらを見ている。
死んだ魚の目で。
「ボオァァァァ」
その声は赤い首が発したのか、それとも私の絶叫だったのだろうか。
気がついてみれば、私は畳の上で寝ていた。
夢だったのかもしれない。
だが、今でも時折、視界に赤い魚がよぎることがある。