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第10回 てきすとぽい杯〈平日開催〉
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神の水
 投稿時刻 : 2013.10.19 01:37
 字数 : 3892
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神の水
永坂暖日


 男手でなければ動かせないような大きく厚く、重い扉を開けたのは、一人の男だた。
 今宵は晴れているのだろう。扉が開いたことで、松明の炎しかなかた洞の中に、柔らかな白い明かり差し込む。しかしそのせいで、ラキが振り返ても、逆光となて男の顔は見えなかた。
「お前が、《神水の巫女》か」
 張りのある声で、男が若いと知れた。とはいえ、今年で十七になたラキよりも歳は上だろう。この国では、十六で成人したとみなされる。しかし、ラキが籠もるこの洞穴は、十六の男が――大人の仲間入りを果たしたばかりの若者が簡単に近付けるような場所ではない。
 ラキの一族が住まう村からここまでは、歩いて一日以上。しかも、道らしい道はなく、案内がなければ簡単に迷てしまい、やがては森に住む動物たちの餌となる。なんとか洞穴までたどり着いても、入り口を守る見張りが――もちろん武装している――が二人、いる。彼らの許可がなければ、この扉は開かない。
 男が、見張りの許可を得て扉を開けたとはとうてい思えなかた。手には、何かが滴る剣を携えていて、そしてその足元には、倒れている人らしき影が見えるのだから。
 もとより、こんな時間に扉が開くはずがない。ラキが扉の外の景色を見られるのは、食事を差し入れられるときと、材料を運び込むとき、そして、できたものを運び出すときくらいのもので、そのいずれも、こんなに月が煌々と輝く夜にやることはない。
「あなたは?」
 男が外部の者であるのは明らかだ。ラキは男の問いに答えなかたが、見張りを殺してまで扉を開けた以上、ここで何を作ているのか、ラキが何者なのか、分かているはず。
「訊かずとも、分かているだろう」
 男が鼻で笑う。その通りだ。ラキもまた、男が何者なのか、見当はついていた。
「《巫女狩り》のフルムーダ」
 逆光で、男の顔は未だ見えない。だが、男の雰囲気から、口元に笑みを浮かべたような気がした。
「ならば、俺の用件も分かるだろう――出せ」
 血の滴る切先が、ラキに向けられる。男が数歩踏み込まなければ、ラキには届かない。しかし、ラキが逃げるよりも、男が踏み込んで切先が彼女の体を貫く方が先だろう。ラキは、蒸留器を前に座り込んでいて、それがあるために、ここより奥には逃げ込めない。もとも、逃げ込んだところでたいして奥深い洞穴ではないから、逃げられる距離はたかが知れている。
「あなたには渡せない――そう言たら、どうするのですか」
「斬る。斬て奪う。それだけだ」
 訊かずとも、男がどうするつもりかは分かていた。なにせ目の前にいるのは《巫女狩り》の異名を持つ男なのだ。
 ラキは、神水を作る巫女だ。森の奥深く、限られた条件下でだけで育つ穀物を発酵させ、そこに清らかな水を加える。それを蒸留して得られるのが、神水と呼ばれる、特別な酒だ。詳しい製法を知ているのは《神水の巫女》と呼ばれる女たちだけ。ラキもその一人で、先代の巫女から、じくりと時間をかけて製法を教えられた。
 神水を口に出来るのは、この国の王だけだ。それ以外の誰も、飲むのは許されていない。神水には、不老長寿の効果があるとされているのだ。現に、歴代の王は、暗殺された場合を除き、いずれも長寿である。
 神水の原料である穀物は、本当にごくわずかしか採れない。そのため、栽培条件が適している場所に、それを守り育てるための一族と、神水を作るための巫女がそれぞれいる。
 そして、その巫女を殺して回ているのがラキの目の前にいる男、《巫女狩り》のフルムーダである。彼の目的は明らかでないが、神水の製法を知る巫女を殺しているのだから、神水をなきものとし、王の長寿を阻むのが狙いなのだろう。
 《巫女狩り》と呼ばれるからには、ラキ以外の巫女たちは、フルムーダに神水を渡すの拒んだのだ。
 神水は神聖なるもの。賢明な王を長らえさせ、国と民を守るためのもの。
 先代からそう教えられ、それを守てきた。代々の巫女の教えを守り通そうとして、会たことのないラキの仲間は、この男に屠られたのだ。
 ラキのそばには、蒸留前の神水が入ている陶器の壺があた。蒸留前なので、厳密に言えば、この洞穴に神水はない。しかし、それをフルムーダに教える義理もない。
 ラキは壺を引き寄せた。男の視線が、そこに向くのを感じる。
「それか」
――神水を奪て、それであなたはどうするつもりなのです」
「長寿の王など不要だ。王を長寿にする、その術も」
 切先が、幾分ラキに近付いた。
 神水を渡したところで、どうやら助かるものではないらしい。《巫女狩り》と呼ばれるだけはある。
「今まで奪た神水は、では、あなたが飲んだのですか」
「誰が飲むものか。人を不老長寿にするなどと言う、怪しげなものを」
――これに、それほどの力はないのですよ」
 ラキは壺の縁を指でなぞた。フルムーダが目を瞠たのが雰囲気で分かる。
 微笑を浮かべ、ラキは殺気を放つ男を見上げた。
「材料はごく限られた条件でしか育たぬ穀物ですが、できあがるものは、ちまたで売られている麦酒と大差ないものなのです」
 酒は百薬の長などというが、飲み過ぎれば体を害する。神水にしても、それは同じだ。その点では、そこらにある酒と変わらない。原料と製法が特別なだけなのだ。
「飲んで、みますか?」
 ちうど近くに、ラキが水を飲むのに使ている杯があた。それを引き寄せる。
 フルムーダの剣先が、かすかに揺れる。
「そう言て、毒を飲ませるつもりか」
「まさか。これは正真正銘、王に捧げる神水です」
 ただし、蒸留前の。胸の中で呟き、壺の中身を杯に注いだ。
「これまで、神水をあなたに勧めた巫女はいないでしう」
 杯を、フルムーダに差し出す。男が一歩踏み込み、剣先が、杯を弾き飛ばした。
「ああ、いない。何故、お前は勧める」
「効果を、あなたに知てほしいのです。神水の効果も知らない、あまつさえ怪しげと言う者に殺されるのは、巫女たちが哀れと思いませんか」
 飛ばされた杯を拾い、埃を払い落として、壺の中身を新たに注ぐ。
「毒と疑うのなら、わたしが先に飲んでみせましう」
 ラキは言て、杯の中身を一息にあおた。空になた杯を、静かに地面に置く。
「これで、疑いは晴れましたね?」
 フルムーダの返事はない。しかし構わず、ラキは壺の中身を注いだ。そして、それをフルムーダに差し出す。
 男の、剣を持ていない方の手が、ゆくりと杯に伸びる。
 顔に近付け、まずはにおいを嗅いでいた。
 蒸留前の神水は、穀物を発酵させてできた酒精の、纏わり付くような甘いにおいがかすかにする。酒をたしなむ者ならば、それが毒のにおいでないと分かるはずだ。
 フルムーダはおもむろに、杯に口を付けて傾けた。すべては飲まなかたらしく、中身の残る杯を投げ捨てる。
「確かに、毒ではないようだな」
 それから、壺に目を向けた。
「ここにある神水は、それがすべてか」
「はい」
「よこせ」
 言われるがまま、ラキは一抱えあるツボを、フルムーダの方に押し出す。八分目ほど入ている。フルムーダはその壺を蹴倒した。中身が零れ、男の足元に染みが広まり、洞穴の中に酒精のにおいが充満する。酒に弱い者ならば、このにおいだけで酔うかもしれない。
「あとは、神水の製法を知る者だけだ」
 フルムーダが低い声で言う。ラキは己に向けられた剣先を見、それから、男を見上げた。
「たとえ神水がなくなろうとも、王は存在し続けます。なのに何故、王ではなく、神水をなくそうとするのですか」
 切先がゆくりとラキに近付いてくる。しかし、ラキは男から目を離さなかた。
「いずれ、王もなくす。神水をすべてなくしてから」
 冷たく鋭いものが、ラキの喉元に触れた。ちくりとしたあとに温かいものが肌を伝う感触で、わずかに斬られたのだと分かた。
「それは、きと無理でしう」
「なに……?」
 男の体が大きく傾いで、倒れる。遮るものがなくなり、洞穴の中は月明かりでいそう明るくなた。
「あなたの《巫女狩り》も、ここでおしまいです」
 ラキはすと立ち上がり、男の顔のそばに膝をついた。
 フルムーダは飛び出しそうなほど目を見開き、ぜえぜえと荒い息を吐いて、口の端から泡を吹いている。
「どく……ではない、と」
「壺の中身は、正確に言えば神水になる前のものです。あれを蒸留せねば、神水にはならないのです。蒸留前の神水には、毒となる成分が入ているので」
「なぜ、おまえは」
 ぎろりと見開かれた目がラキを睨む。目は血走り、息遣いは不規則で、荒い。杯の中身をすべて干さなかたとはいえ、長くは保たないだろう。
「《神水の巫女》にとては、蒸留前の毒が含まれている状態であても、毒にはらなないのです。神水の出来具合を確かめるため、幼いうちから、少しずつ口にしているので」
 ラキが、先代の巫女に跡継ぎと指名されたのは七つのとき。その時から少しずつ、蒸留前とその後の神水を口にしてきた。神水の出来具合を左右するため、蒸留前の方をより多く口にしていて、歳を重ねるごとに、その量は増えていた。今ではすかり慣れて、常人であれば一口二口でフルムーダのような状態になるが、ラキは杯になみなみ注がれたものを飲んでも、なんともない。
「わたしの作た神水、お味はいかがでしたか、《巫女狩り》のフルムーダどの。味が良いと、王に誉めて頂いたことがあるのですよ。今回のは、今まででいちばんの自信作でした」
 しかし、フルムーダの返事はなかた。息はまだかろうじてしているようだたが、口からは血の混じる泡を大量に吹き、目の焦点はどこにも合ていなかた。
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