第11回 てきすとぽい杯〈お題合案〉
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実に、ささやかな
志菜
投稿時刻 : 2013.11.16 23:43 最終更新 : 2013.11.16 23:53
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- 2013/11/16 23:53:54
- 2013/11/16 23:43:48
実に、ささやかな
志菜


「今宵は満月。霜月も、もう半ばか」
「あという間に師走ぞ。今年も掛取りから逃げ回らねえと」
 居酒屋の片隅で、胸当てを付けた職人風の男が二人、空樽に腰を下ろして銚子を傾けていた。夜も更けて、客はこの二人の男だけである。
 若い方の男が、煮豆を箸でつつきながら苦笑いを浮かべた。
「去年は店賃を溜めたあげく、大家に居座られて逃げ出すこともできず、ひどい目にあた」
「お前なんかはまだ独り身だからいいよ。女房子供に泣かれてみろ、それをうて逃げる辛さといたらよ」
「結局逃げるのかよ」
 肩を揺すて、低い笑いをもらす。
「しかし世知辛い世の中になたよな。真面目に働いていても雨が三日も続けば干上がちまうなんてよ」
「でもまだ俺達はましだぜ。お武家様なんてよ、家禄を削られ、それでも格式は守らねえとならねえ。数年先の俸禄まで押さえられて首が回らねえなんて話は吐いて捨てるほどあるらしい」
「どこも同じか。蔵ん中に金が唸てるのは一部の商家だけか」
 暗い面持ちで杯を空けた若い男は、ふと、動きを止めた。何かに気づいたように、店の中を見渡す。煮炊きの煙でくすんだ狭い店の中に、清涼な香りを感じたのだ。
「何か匂いがしねえか? こ、甘いような、清々しいような」
 もう一人の男は鼻が詰まているのか、怪訝そうに四方を見渡して首を傾げる。
「いや? 俺は分からねえ」
「もしかして、これじありませんか?」
 板場にいた店の親父が、小さな行李を持ち上げてみせた。傾けると中には、一寸ばかりの赤い実がいくつか入ている。
「なんだそり、金柑……ねえな。李か?」
 中腰になて覗き込む若い男の手に、店の親父はその実を載せた。
「林檎……ていう実らしいです。味は酸ぱくて食べれたもんじないらしいですけど、色と匂いがいいでし
「へ、初めて見たぜ。林檎か
 もう一人の男も、覗き込む。若い男は赤い実を指先で摘んで、それから鼻を近づけ大きく匂いを吸い込んだ。
「ちと、いいもんだな」
「そちらのお客さんもお一つどうぞ。子供さんの玩具にでもしてやてください」
 親爺はもう一人の男にも手渡す。
 二人の職人の男は互いに顔を見合わせて、忍び笑た。
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