みんなで、ほっこり ハッピー・クリスマス掌編賞
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はつゆき
投稿時刻 : 2013.11.27 01:01 最終更新 : 2013.11.27 21:05
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- 2013/11/27 21:05:56
- 2013/11/27 01:19:04
- 2013/11/27 01:08:48
- 2013/11/27 01:01:37
はつゆき
伝説の企画屋しゃん


 さて、どうしたものか。 
 散歩をしながら、おれは考えていた。
 悩んでいるというほどのレベルではないけれど、課題があることは明らかだ。
 まさか、こんな事態に直面するとは思てもみなかた。
 またくマチコさんのお人よしにも困たものだ。
 よりにもよて、おれ以外の犬を飼うことにしてしまうとは。
「ねえ、おじちん。あちへ行こう、あち」
 広々とした公園の芝生に興奮しながら、チビが話しかけてくる。きうはいつもより寒いというのに、やたらと元気がいい。おれは聞こえないフリをしながら、マチコさんの左側をゆくりと歩く。チビのリードもにぎているせいで、満足に杖をあつかえていないのが気がかりだ。
 目の見えないマチコさんが安全に外を歩いたり、家の中で簡単にリモコンを探せるように、おれがいるのに。やんちな坊主と一緒に散歩では、どうしたらいいのかわからない。
 でも、マチコさんは、なんだかとても楽しげだ。ぐいぐいと先に進もうとするチビにリードを引張られているのに、おだやかに笑ている。実際、マチコさんはとてもやさしい人なのだ。おれはこの人のパートナーになれて、心の底からよかたと思ている。
「あれ? あら? あらら? マチコさん。どうしたの、その子」
 ベンチが並ぶ歩道に差し掛かると、ふとそんな声がかけられた。
「あ、その声は川田さんね。びくりした? この子、チビていうの。小さくてぷくらとして、小熊みたいでしう」
 買い物袋をさげた川田さんは、文字通り目を丸くしていた。チビ はしきりに尻尾をふて、川田さんの顔を見上げている。言われてみれば、ほんとうに小熊みたいだ。実際に小熊を見たことはないけれど、きとチビみたいにころころしているにちがいない。
「おじちん、この人だあれ。少しだけ、おじちんのにおいがしているね」
 こちを見たり、川田さんに愛嬌をふりまいたり、チビはなかなか忙しい。少し落ち着かせるべきだろうか。おれはチビに向かて、こちへおいでと話しかけた。
「この人は川田さん。マチコさんの友だちだよ。うちにもよく遊びに来るから、おまえもちくちく会うことになるだろう」
「へえ。でも、この人さきから、こちをじと見ているよ。ぼくの顔に何かついているのかな」
  チビは川田さんの足もとに鼻先をくつけ、くんくんとにおいをかいだ。散歩中もしずかにしているおれとは大違いで、えんりがない。やれやれ、チビを交互に見る川田さんの視線も、びみうに心配そうだ。それも当然かもしれない。なにしろ、誰がどう考えても、チビは盲導犬の訓練なんて受けていない んだから。
「チビちて。マチコさん、その名前、まんまじないの。それにしても、人なつこそうで可愛い子ね。ただ、一緒に散歩してあぶなくないの? この子、ふつうの犬みたいけど」
 あははと笑たあとで、川田さんは素にもどた。こんなとき、人間もあちこちに気を配て大変そうだな、とおれは思う。
「あら、そんな心配しなくても大丈夫よ。わたしには、 ユーリーがいるんだし。それにチビは、面白い子なの。わたしが『ペトルーカ』を弾くと、気持ちよさそうに吠えるのよ」
  マチコさんの仕事はピアニストだ。チビはピアノの音色が好きなようで、マチコさんが練習をしているときは、そばにぴたりと貼りついている。とくに『ペトルー カ』の目まぐるしく変わるリズムがお気に入りらしい。その曲がはじまると、チビはゴムまりを追いかけるようにしてピアノのまわりをぐるぐると走るのだ。
 マチコさんはチビが好きなんだな、と思う。音楽仲間の家へ遊びに行たとき、甘えた鳴き声を耳にして、めろめろになてしまたのだ。気持ちはわからなくもないけれど、マチコさんはいい大人なのに、そんな風に突拍子もない行動をとることがたまにある。
 さて、どうしたものか。
 おれはこそりと、もう一度つぶやいた。
 冬がどんどん深まている。さきも、おれは川田さんの足音に気づけなかた。
 これは、まいたな。
 盲導犬として、おれは少し歳をとりすぎたのだろう。下手をすると、今年の冬が最後かもしれない。注意力がおとろえた盲導犬は、いつか飼い主に迷惑をかけることになる。
 柄にもないことは、つくづく考えるものじない。
 おれの鼻からもれた音は、枯れ葉がまう北風のようにさびしげだ。 

       U・x・U            U・x・U   

 川田さんとの世間話をすませて家に帰ると、マチコさんは部屋のヒーターをつけた。
 もうじきクリスマスね、とこちらに話しかけながら、コーヒーをいれる。
 キチンにいるときも、おれはマチコさんと一緒だ。コーヒーのいい香りがする。おれはマチコさんが物を落としたりしないか、つねに手の動きを見張ている。
「ねえ、おじさん。なんだか、おかしいんだ」
 チビがとなりのリビングで呼んでいた。あまり話しかけないようにとクギをさしているのに、チビはおれとの立場の違いを理解していない。おれはペトではないし、仕事がある。ただ、チビはまだ子供だ。そんな難しい話は、わからなくてもしかたがない。
「おかしいて、何が?」
「えと、窓の外。今までに聞いたことがない音がしているよ」
 ためしに耳をすませてみる。でも、おかしな音なんて聞こえない。夕方をむかえて、窓にはカーテンがかかていた。おれたちがケンカしていると勘違いしたのか、カプにコーヒーを注ぐマチコさんが、どうかしたのと心配そうな声で聞いてきた。
「今までに聞いたことがない? たとえば、それてどんな感じだ?」
「え? おじさんには聞こえないの? 小さな音がたくさんするんだ。でも、こわい音じないから、安心して。やさしくて、ふわとしているんだよ」
「ふわと? おまえ、そんなのが聞こえているのか?」
「綿が落ちてくるみたいな音なんだ。どうして、おじさんには聞こえないのかな?」
「なるほどな。その音が何なのか、だいたいわかたよ。そう言えば、きうに寒くなてきたものな」
 コーヒープを手にしたマチコさんが、リビングのテーブルに腰かけた。じと耳をすませたあとで、あら雪かしら、とつぶやいた。ずと遠くで走ている車の音も、シリシリシリといている。今なら、おれにもわかる。外では、この冬はじめての雪がふりはじめたのだ。
「ほら、おじさん。聞こえない? ふわとしているよ。なんだか、楽しそうだね。ぼく、もう一度散歩に行きたいな」
「ああ、あれは雪がふているんだ。そして、おまえは空から冷たい雪のふる音を感じ取れた。なあ、チビ、おまえに頼みがあるんだけど、聞いてくれるかな?」
 一呼吸おいてから、おれは切 り出した。耳が遠くなた盲導犬は、飼い主を完全に守ることができるのだろうか。マチコさんも耳はいい方だけれど、外を歩けば思わぬ危険と出くわすことだてあるはずだ。
「頼み? めずらしいね、おじさんがそんなことを言うなんて」
「たいしたことじない。けれど、大事なことなんだ。もし外を歩いているときに、おかしな音を聞いたら、すぐに知らせてくれないか。自転車の急ブレーキの音、誰かがこちへ走てくる音、ビルから何かが落ちてくる音。なんでもいい。そんなものが聞こえたら教えてほしい。そうじないと、マチコさんがケガをする かもしれないんだ」
 へえ、と小さく声をもらすと、チビは真剣な表情でおれの言葉を繰り返した。
「あぶなそうな音がしたら、すぐにおじさ んに知らせるんだね。そうしないと、おばちんがケガをしちうから」
「そのとおり。マチコさんがあぶない目にあたら、餌をもらえなくなるかもしれない。そうしたら、おまえだて困るだろう?」
 うん、と明るくうなずくチビの顔をおれはぺろりとなめた。
 考えたら、ほかの犬の顔をなめるなんて久しぶりのことだた。どうしてそんなことをしたのだろう。じぶんでもわからないけれど、勝手にからだが動いてしまたのだ。
 マチコさんはふいに立ちあがり、ピアノの前に座た。『サンタクロースがやてくる』のにぎやかなリズムが、部屋の中ではねている。
 さて、どうしたものか。
 ふだんはしない無駄吠えをすると、マチコさんが驚いたようにこちらを振り向いた。
「あら、ユーリー、どうしたの? あなたが、そんなにうれしそうに鳴くなんて。ケンカをしていたんじなかたのね」
 おれは床に伏せると、ピアノの調べを聴きつづけた。チビは、まだ頼りない。でも、むかしはおれもそうだた。
「チビ、テーブルの上にのているあの細長いのはリモコンだ。マチコさんが探しているようだたら、わたしてあげるんだ。ごほうびに、ビスケトがもらえるかもしれないぞ」
 盲導犬は人間から訓練を受けるけれど、それだけがすべてじない。これからは、おれたちはコンビだ。もう一度、おれはチビの顔をぺろりとなめた。
 初雪が何かを祝福するように、しずかに音をたててふている。鍵盤の上では、マチコさんの指が小鳥みたいに軽やかにおどている。
 メリー・クリスマス。
 少しはやいけれど、おれは心の中でそとつぶやいた。
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