ジュブナイル
もう半世紀近くも前のことになる。同級生たちから遅れること二年、ようやく小遣いをもらえるようにな
った頃、ぼくは模型飛行機に夢中になっていた。
周囲の男の子たちの関心はもっぱらプラモデルに集まっていた。学校の裏手を流れる川を渡ったところにある「大橋玩具店」に学校帰りに立ち寄り、一回十円のくじ引きで当てた駄菓子をほおばりながらプラモデルが積まれた棚をあれこれ眺め、箱の横に小さく描かれた絵を見比べた末に気に入った箱を抜き出す。箱の上面いっぱいにこれでもかというくらい魅力的な写実画が印刷されていて、それの良し悪しが決定打となって店のおばあちゃんのところへ箱を持っていくことになる。おばあちゃんは緑と桃色の二種類の包装紙を客が男の子か女の子かによって使い分けていた。緑の包装紙を手際よく箱に巻きつけ、たいていは大きさが足らずに箱の裏が覗いてしまうが、そのまま金色の平紐でななめにくくり、手に提げられるように端を小さく輪っかにしたところではじめてお金を受け取り、おつりと一緒に渡してくれる。包装紙の印刷の匂いは当時のぼくたちをうっとりとさせた。「大橋玩具店」にはともだち同士で行くことが多かったが、買い物をするときに仲間の中のボス的な者が混ざっていると必ずしも幸福は長続きしなかった。ボスは仲間が何か買うと、必ずその家までついていくかあるいは自分の家まで連れていって、目の前で包みを開くことを強要した。箱の絵に比べて実際の中身は大きく見劣りすることがほとんどだった。
「なんだこりゃ。つまんねーの。」
と言いながら自分の好きなように組み立ててその場で遊び、場合によっては
「こんなもん、いらねーよな?」
と迫ったあげく自分のものにしてしまう。小遣いをはたいてやっと買ったものが有無を言わさずボスに取り上げられてしまうのを、ぼくたちはじっと眺めているしかなかった。
晴れて小遣いがもらえるようになって、それまではボスの搾取の対象から外れていたぼくは対策を迫られた。ようやく与えられた小遣いは同級生たちの相場の半分程度だった。これまで通り「親に叱られる」という理由で買い食いには加わらないにしても、誰にも知られず買い物をすることは不可能だった。「大橋玩具店」にはいつも誰かしら子どもがいたし、店のおばあちゃんは店内にいる子どもをつかまえては「○年生の○○くんが昨日、これを買ったよ。」と教えてくれるのを常としていた。憧れのプラモデルのほとんどは当時のぼくの小遣い数か月分に相当していた。我慢を重ねた末にようやく手に入れたものをボスにあっさりと横取りされてはたまらない。そんなとき、ぼくの目を引いたのが、プラモデルの棚の横に吊るされた袋入りの模型飛行機だった。千歳飴そっくりの縦長の袋には第二次世界大戦中の戦闘機の絵が印刷されていた。プラモデルの絵に比べて明らかに粗悪だったが、何しろ値段が安かった。百円出せばおつりがくる。そして決定的だったのは袋を手に取ったぼくに向かってボスが言ったひと言だった。
「しょーもな。つまんねーぞそれ。」
これならボスに目をつけられる心配はない。ぼくはわざとつまらなさそうな顔で、その袋を店のおばあちゃんのところへ持っていった。
ボスにつきまとわれることもなく無事、家に帰り、ひとしきり包装紙の匂いを嗅いだあと、袋を開けた。中に入っていたのは長い割りばしのような棒材と、袋入りの竹ひご、銀色の細い管、束ねたゴムひも、それにプロペラを含むプラスチックや針金、そして何か印刷された半紙に似た紙だけだった。同封された図面を見ると、製作手順と実物大の翼の図、それに完成した形が載っていた。それは袋に印刷されていた絵とは似ても似つかない、貧弱な枠組みに紙を貼りゴム動力でプロペラを回して飛ばすだけの代物だった。ボスの言葉は正しい。ぼくは言葉を失ったまま、ほぼひと月ぶんの小遣いを費やしてまで手に入れたそれを眺めていた。粉々になった高揚感を手探りで組み合わせているうちに、ふと、こいつは本当に飛ぶんだ、という言葉が浮かんだ。プラモデルの飛行機は確かにカッコいいけれど、飛ばすことはできない。誰かのゼロ戦のプラモデルを「飛ばしてみようや。」とボスが言い、部屋の中で何度か失敗したあげく、二階のベランダから投げてバラバラにしてしまったことからもそれは明らかだった。高価なラジコン飛行機の存在は知っていたが、裕福な家の子どもでさえ持っていなかった。かすかに現実的だったのは「Uコン」と呼ばれる飛行機で、これは確かにエンジン音とともに飛んだが、ピアノ線につながれて円周を周回するだけだった。もちろんこれもかなり高価なもので、手にすることができた年上の子どもたちは誇らしげに操縦してみせるのだが、ぼくたちは中途半端な失望感とともに見上げていた。「これならプラモデルにひもをつけて振り回すのと変わらない」という言葉を胸に秘めたままで。
それに比べると、こいつは自分で、しかも周回するだけではなく飛んでいく。細い材木をつぎはぎした貧相な姿は戦闘機の精悍な姿とはまったく別物だったが、本当に飛ぶというかすかな期待感がぼくを図面に向かわせることになった。
製作手順は、まずは部品を作り、次にそれを組み合わせ、接着して完成させるという、ある意味、プラモデルと大差のない流れだった。ただし、部品のうち主翼、尾翼、垂直尾翼の枠となる竹ひごは真っ直ぐなままで封入されていて、これを図面通りに曲げることが求められていた。家の仏壇から拝借した蠟燭に火をつけ、灯心の上にかざして力を加え、ゆっくりと曲げていく。小遣いをもらえなかった時代に近くの竹林から切ってきた竹で細工をして遊んでいたおかげで要領は分かっていたが、細く乾燥した竹ひごは油断しているとすぐに焦げ、場合によっては火がつくこともある。そうなると急に弾力を失い、くしゃっと折れてしまう。ある程度の曲げができたら、あとは組み立て段階で補正すればいい。尾翼、垂直尾翼は長い割りばしのような棒材に差し込んで接着するが、そのための穴は自分であけなければならない。図面を見る限り、垂直な穴と、斜めの穴とが必要だった。納屋の工具箱からこっそり持ち出した錐で穴をあけ、図面に沿って曲げた竹ひごの先にセメダインをつけて差し込む。主翼に関しては左右それぞれにバルサ材のリブがついていて、先端部の曲げがある程度できていればリブに沿わせることでおおむね恰好がついた。竹ひご同士を銀色のニューム管でつなぎ主翼台に通して固定すると翼の形になる。骨組みだけとはいえ、そこには飛行機があった。真っ直ぐな竹ひごや棒材だったものを立体化させてかたちを作ることには何とも言えない喜びがあった。半紙のような紙は翼に張るためのものだった。一応、薄い赤で翼の形に点線が印刷され、翼の先端部分は赤く染められていた。はさみで切り取り、フエキ糊を塗りつけた翼の骨組みにのせ、皺にならないようにぴんと張り、竹ひごを覆うように紙の端を巻きつける。より美しい仕上がりを求めて霧吹きを使うようになるのはまだ後の話だ。
プロペラ中心部にプラメタルからプロペラシャフトとビーズ玉を通し、先端を曲げて固定する。V字型の脚の先に車輪を取りつけ、プラメタルに差し込んで機首ができあがる。棒材後部にゴムフックをねじ込み、ゴムひもを通し、プロペラシャフトの端っこの輪っかにつなぐ。
できあがった飛行機は、糊のにおいを漂わせながら縁側の板の上で午後の陽射しを受けていた。全長四〇センチ余りの機体は、華奢なつくりにもかかわらず不思議な存在感を放っていた。このままどこかに飾っておきたかったが、全長と同じくらいの主翼長が災いして、どの棚にも乗せられない。机の上になら置けるが、そうなると机は使用不可能になり親に大目玉をくらうだろう。天井から吊るせば、掃除に来た母親に文句を言われた挙句に捨てられるのは確実だ。袋から出して作り上げた瞬間から、この模型飛行機の居場所は空しかなくなったのかもしれない。
なるべく人のいない、飛行機を飛ばせるだけの広さのある場所といえば、小学校の校庭しかなかった。もちろん河川敷や山、田んぼもあるが、いずれも木の枝に引っ掛かったり川や用水路に飛び込んでしまう恐れがあった。チームスポーツの流行前で、三々五々集まった子どもたちは日が傾くといつの間にか姿を消していた。ときどき自転車に乗った中学生が現れることもあったが、彼らはたいてい遊具のあたりにたむろしていたから、体育館を挟んで反対側のエリアにやって来ることはなかった。
風を受けて壊れることのないように体でかばいながら、体育館裏まで飛行機を運んだ。プロペラを回してゴムをしっかりとねじり、風向きを確認すると、斜め上に向けて機体を投げ出した。風切音とともにプロペラは回転し、飛び立った飛行機は空中でくるりと一回転し、そのまま地面に突っ込んだ。プロペラは暴れ続け、翼は地面でのたうち回った。あわてて駆けつけて持ち上げ、プロペラを回し終えて改めて機体を眺める。主翼のふちは地面に叩きつけられて破れかけ、プロペラシャフトも微妙に変形していた。シャフトのゆがみを修正し、思いついて主翼の角度を変えてみる。ニューム管の接合部分は柔らかく、丁寧に力を加えると曲げることができた。ゴムを巻き、今度は水平方向に向けて機体を放す。機体は真っ直ぐに、地面に平行に飛んでいく。しだいに右方向にずれ始め、校舎の角を曲がって見えなくなった。息を切らせて追いかけ、校舎の向こうで見たものは、手洗い場の溜まり水に突っ込んだ飛行機がプロペラで水をかきまわしている姿だった。救い上げると、ゴムに残った最後の動力がプロペラを勢いよく回して水を撥ね散らし、水を吸った翼の紙がべろりと剝がれて垂れ下がった。ぼくの模型飛行機第一号は、完成後二時間も経たない間に全損状態になった。
模型飛行機にとって大敵なのは水と木の枝だった。水に飛び込んだ第一号機は翼に習字の半紙を張り直して改めて飛ばしてみたものの、急旋回や急降下を繰り返し、最後には柵に食い込んで竹ひごがぐしゃぐしゃに折れてしまった。水を吸った木材が乾くにつれて変形し、意図しない空気抵抗を生じたらしい。木の枝の場合は翼の紙が破れるのはもとより、プロペラの動力によ