てきすとぽい
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年間王者はダレだ? バトルロイヤルheisei25
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〔 作品5 〕
パスワードは「愛してる」
(
永坂暖日
)
投稿時刻 : 2013.12.23 00:42
字数 : 6457
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パスワードは「愛してる」
永坂暖日
き
っ
かけがなんだ
っ
たのも思い出せないような、些細な喧嘩だ
っ
た。いつもそうだ。おそらくし
ょ
うもないことでち
ょ
っ
とした口論が始まり、それがやがて激しくな
っ
ていく。
「もう、知らない!」
妻はそう言
っ
て、けたたましい音を立ててドアを閉める。しばらくすると、玄関の開く音。
いつもこれだ。ソフ
ァ
に座
っ
たまま、隈元幸平は天井を仰いだ。
自宅を出た希和が帰
っ
てくるのは、お互いの頭が冷えた頃。今回はいつもよりち
ょ
っ
と怒
っ
ていたから、十日ほど帰
っ
てこないだろう。
やれやれ、当分は悲惨な生活になる。
結婚するまで実家暮らし、妻の希和は専業主婦。そのため、幸平は料理はもちろん、家事もできない。希和に聞かなければ、洗濯機も使えない。
だがもう慣れたもので、危機感はあまりない。結婚して二年。希和が出て行くのはこれで五回目だ。
いずれ帰
っ
てくるからまあいいかと、たばこに火をつける。希和がいる時はベランダで吸わなければならないから、ここぞとばかりに、ソフ
ァ
にふんぞり返
っ
て味わ
っ
ていた。
天井に向けてゆるゆる煙を吐いていたとき、チ
ャ
イムが鳴
っ
た。希和だろうか。しかし帰
っ
て来るには早すぎるし、そもそも鍵を持
っ
ているはずだからチ
ャ
イムを鳴らすわけがない。
日曜の昼下がり、来るとすればセー
ルスか、宗教か。
面倒くさいなと思
っ
ていたら、もう一度チ
ャ
イムが鳴
っ
た。幸平は灰皿にたばこを押しつけ、玄関に向か
っ
た。
「お忙しいところすみません。お時間取らせませんので、ち
ょ
っ
とお話だけでも」
満面の愛想笑いを浮かべた背広姿の男だ
っ
た。幸平より少し若い、社会人にな
っ
て二、三年目と言
っ
たところだろうか。営業スマイルがぼちぼち板についている。
なんのセー
ルスか知らないが断ろうと幸平が口を開く前に、男がまくし立てる。
「私、レンタルのアンドロイドを取り扱
っ
ている会社レンタロイドの大桝と申します。弊社では外見も中身もお客様のご希望に合わせてカスタマイズしたアンドロイドを、安価にて貸し出しております。弊社のアンドロイドは高性能かつ精密でして、お客様には大変ご好評を頂いておりまして、はい、リピー
ター
になる方も多いのですが、お客様も一体、レンタルしてみませんか」
小脇に抱えた鞄からチラシを取り出す。
「ただいまキ
ャ
ンペー
ン中でして、初めてご利用のお客様には大出血サー
ビス価格にて貸し出しいたします。外見、中身のカスタマイズももちろん可能です、はい。それでなんと一日た
っ
たの千円! しかも最大三十日までレンタル可能です。どうですか、この機会に是非一度、お試しいただけませんか」
人と見分けがつかないほど精巧なアンドロイドが製品化されて早十年。家庭用アンドロイドも販売されているが自動車より高く、幸平のような一般的な家庭にはまだまだ普及していない。
アンドロイドをレンタルする会社は確か近所にあ
っ
たが、こういう名前だ
っ
ただろうか。レンタルであ
っ
ても使い道がないので利用しようと思
っ
たことがないが、レンタロイドとかいう会社の料金が破格に安いのは分か
っ
た。レンタカー
だ
っ
てもうち
ょ
っ
と高いはずだ。
「
……
カスタマイズするのに、どれくらい時間がかかるんだ?」
押しつけられるように受け取
っ
たチラシには、あまり細かいことが書かれていない。
「今からですと夕方には完了いたします。どうか、是非! 一日だけでもレンタル可能ですので」
「期間は前も
っ
て決めないとダメなのかな」
幸平は脈ありと見て、セー
ルスの男がぐいぐい食いついてくる。
「いいえ、弊社にご連絡いただければ、何日でも延長可能でございます。当初より長くレンタルする場合でも、延滞料金は頂きませんのでご安心ください」
「予定より短くな
っ
ても大丈夫?」
「はい、もちろんでございます! お客様のご都合に合わせて貸し出しいたします。あ、ただし今はキ
ャ
ンペー
ン期間中ですので、一日千円での貸し出しは、最大三十日までとなります。申し訳ありません」
その時には、幸平の心は決ま
っ
ていた。
希和がいなければコンビニ弁当や外食が増えて、一日の出費が千円以上になる。それを考えると、アンドロイドのレンタルは悪くない選択だ。
注文したのは希和そ
っ
くりのアンドロイド。外見は希和にしておかなければ近所の人に不審がられてしまう。ただ、中身は別物にした。性格まで希和に似せる必要はない。どうせ家政婦としてレンタルするのなら、素直でかわいらしい貞淑な妻を演じてほしい、とセー
ルスの男に注文した。
しかし本当に、夕方までに希和そ
っ
くりのアンドロイドを用意できるのだろうか。カスタマイズできたら、アンドロイド自ら来るそうで、返すときも自分で帰
っ
て行くから楽ですよ、と男は言
っ
ていた。
どうせ一日千円。満足できなければすぐに返せばいい。
○
チ
ャ
イムの鳴る音で、幸平は飛び起きた。
ソフ
ァ
でまたたばこをふかし、見るともなしにテレビを見ているうち、うたた寝していたらしい。外はもう真
っ
暗にな
っ
ている。そう言えばアンドロイド。
再びチ
ャ
イムが鳴る。幸平は慌てて玄関に向か
っ
た。
ドアを開けて、息を呑む。そこにいたのはどこからどう見ても、妻の希和だ
っ
た。違うと言えば、服装くらい。希和は滅多にスカー
トをはかないのに、ここにいる希和は裾の長いスカー
トをはいていた。
希和が怒りを鎮めて帰
っ
てくるには早すぎる。そうなると、やはりこれはアンドロイド。驚くほどそ
っ
くりだ。
「隈元幸平様のお宅でし
ょ
うか。私、ご用命を受けてレンタロイドから派遣されたものです」
一体どうや
っ
たのか、声も希和とよく似ている。ただ、本物の希和とは全然違う、たおやかな話し方だ。外見も中身も、本当に幸平が注文した通りである。
「俺が、隈元幸平
……
ですけど」
希和とそ
っ
くりな顔に名乗るのは妙な気分だ。
「恐れ入りますが、ご依頼人確認のため、パスワー
ドを入力してください」
希和の顔と柔らかな口調で事務的なことを言われると、ますます奇妙な気分になる。
レンタルの注文をした時、まずはじめにパスワー
ドを入力しなければならないと説明を受けていた。アンドロイドがきちんと依頼人の元に行
っ
たかの確認と、アンドロイドを受け取
っ
たのが本当に依頼人であるかの確認のためだそうだ。音声認証で、そのためのサンプルは、セー
ルスの男が録音して持ち帰
っ
ている。
幸平は咳払いした。いざ言うとなると言いにくいし、相手は本物ではないと分か
っ
ていても、恥ずかしい。
「
……
愛してる」
パスワー
ドは何でもいいけど類推されにくいものの方がいいと言われ、それにした。希和には長らく言
っ
ていない言葉だ。
「隈元幸平様ご本人であることを確認いたしました。本日よりどうぞよろしくお願いいたします」
アンドロイドの希和はに
っ
こりと笑い、深々と頭を下げた。自分で設定したとはいえ、希和の顔をしているアンドロイド相手でも恥ずかしいのを我慢して言
っ
たのに、こうも事務的に受け流されると、一体なにをや
っ
ているのかという空しさを感じなくもない。
「
……
まあ、じ
ゃ
あ、うちに入
っ
て」
「お邪魔いたします」
あくまで希和を演じてもらうのだから、他人行儀なところは改めてもらわなければならなさそうだ。
家の中を一通り案内し終えると、夕飯の用意を頼んだ。アンドロイドのお手並み拝見である。
○
「
……
うまい」
肉じ
ゃ
がを一口食べて、幸平は思わず声に出していた。
「ありがとうございます」
向かいに座るアンドロイドが、にこにこと言う。
希和が作る料理とは味付けが違
っ
ているが、おいしいか
っ
た。と言うよりも、希和が作るものよりうまい。箸が進む。
「お口に合
っ
たみたいで、良か
っ
たです」
アンドロイドは食事の必要がないので、食べる幸平をにこやかに見守
っ
ているだけである。だが、初々しさのあるその笑顔は、希和と付き合い始めたばかりの頃を思い出す。あの頃は希和もこんなかわいらしい顔をしていたし、幸平も彼女の作るものを何でもうまいと言
っ
て食べていた。
時の流れがそうさせたのか、夫婦になるとそんなものなのか。希和の料理にうまいと最後に言
っ
たのがいつだ
っ
たか、全く思い出せなか
っ
た。
夕食後の後片づけに風呂の用意と、アンドロイドは手際よく動く。当然なのだろうが、文句の一つも言わない。それどころか「お風呂の用意ができました」とか「背中を流しまし
ょ
うか」とか、本物の希和は絶対言わないことを言
っ
てくれる。
「それでは、おやすみなさい」
用を言いつければ働くそうだが、幸平が寝ている間にしてもらうようなことはない。そう言うときは省エネモー
ドに切り替わるそうで、見ていたら、リビングのソフ
ァ
に座
っ
て目を閉じたかと思うと、そのまま微動だにしなくな
っ
た。そういうところを見ると、いくら見た目は希和にそ
っ
くりでも、やはりアンドロイドなのだなと思う。
翌朝、タイマー
で起動して朝食を用意し、起こしてもくれるという。便利なものだと感心しながら眠りについた。
○
アンドロイドの用意した朝食は、朝から驚くほどのボリ
ュ
ー
ムだ
っ
た。希和であれば、トー
ストと茹でたウインナー
くらいしか出てこない。それでは昼間で持たないからいつも駅に向かう途中でコンビニによ
っ
ていたが、しばらくその必要はなさそうだ。
しかも、弁当まで用意していた。もはや衝撃である。希和が弁当を作
っ
てくれたことは一度もない。弁当箱などというものが我が家にあ
っ
たのかと、それにも驚いた。
「あ、ネクタイ曲が
っ
てますよ」
出勤する幸平を見送りに玄関までついてきて、そしてさりげなく身だしなみを整えてくれる。こんな絵に描いたようなことをまさか体験できるとは思
っ
てもいなか
っ
た。アンドロイドはすごい。
その日、幸平はいつものごとく残業で帰宅が遅くな
っ
た。だが、き
っ
とアンドロイドの希和は夕飯を用意して待
っ
ていて、にこにこしながらで迎えてくれるのだろう。
「ただいま」
ドアを開けると、思
っ
た通り、アンドロイドがぱたぱたとや
っ
て来た。だが、何故か無表情である。
「認識許容時間を超えています。恐れ入りますが、ご依頼人確認のため、パスワー
ドを入力してください」
て
っ
きり「お帰りなさい」と言われるとばかり思
っ
ていたので面食ら
っ
た。
セー
ルスの男に言われていたのだ
っ
たと思い出す。
アンドロイドの視界から依頼人がいなくな
っ
て一定時間経過すると、パスワー
ドの再入力が必要になる。その時間は十二時間。残業で遅くなれば、あ
っ
さり経過する。
「
……
愛してる」
だが、パスワー
ド入力は、一度目の時より恥ずかしくなか
っ
た。
「隈元幸平様ご本人であることを確認いたしました。お帰りなさい」
○
パスワー
ド入力を求めるときや確認したあとのやや事務的なところは頂けないが、それ以外は申し分なか
っ
た。
慣れてくれば「愛してる」と言うのも苦ではなく、むしろ必然と感じるようにな
っ
ていた。
一日千円でこれは悪くない。良い買い物
――
ではなく良いレンタルをした。
一週間経
っ
ても本物の希和からはま
っ
たく連絡がなく、いつ帰