更新履歴
- 2013/01/20 16:39:26
- 2013/01/19 23:43:24
- 2013/01/19 23:42:52
- 2013/01/19 23:29:30

「お客さん、ポップコーンってありますよね。あれを最後に口にしたのっていつですか？」

タクシーの後部座席にいて、いまや臍の緒のように形骸化してしまった備え付けの灰皿を恨めしそうに見つめていた僕は、運転手の唐突な質問に「失礼？」と聞き返した。

「だからポップコーンですよ。誰も聞いちゃいない車内ですがね、何度も口にしたいような言葉じゃないんですから。よろしくお願いしますよ」

僕はますます混乱する頭で、それでもなんとか記憶のインデックスを探り、高校生のときに映画館で、と答えた。

「ふぇ〜！ そりゃ大したもんですよ。お客さん、だいぶ若く見えるけどいくつですか。え？ 32？ まさか。そりゃどこの映画館ですか」

どこの映画館にだってポップコーンくらい置いてますよと答えたついでに、僕はディズニーランドを歩き回る子どもがポップコーンをぎっしり詰め込んだ透明なバケツのようなものを首からさげて歩いている滑稽さを笑った。なぜ滑稽かといって、あれは一日ずっと外を歩き回る子どもにとっての追加の胃袋だから。なんという機能的なシステムだ。

「馬鹿な！ ディズニーランドなんてとんとご無沙汰ですがね、ポップコーンをかじりなから遊んでるだなんて聞いたことがない」

いや普通ですよというと、運転手は卒倒しそうな声を出して、その後、小さな声でぽそっと言った。我々が若い頃はね、こっそりとやったもんですよ、と。

「私はね、いまでも夢に見るんですよ。夜勤明けの1月2日に見たものだからあれを初夢と呼んでいいものかわからないけど、ポップコーンをじゃんじゃんやってね、男も女も、ネクラもブサイクもメンヘラも、そのときばかりはみんな恍惚と幸せそうな顔してね」

僕はふたたび「失礼？」と聞き返さなければならなかった。それはもしかして……

「でもね、私はもういいんです。お客さんみたいな人が映画館でやってたって、若い子どもが白昼堂々とテーマパークでなにしてたって。うらやましくなんかないですよ。むしろね、憐れんでるんですよ。あなた、タクシーの運転手に憐れまれるなんて想像したこともなかったでしょ」

僕は訳がわからなくなって、鎌をかけて出まかせを言うことにした。運転手さん、実はいま持ってきてるんですよ。ポッ……

「言わないで！ あなたは本当に不道徳な人だ。淫らですよ」

失礼な言葉にいらだった僕は、だいたいにしてあなたがこの話を振ったんですからねわかってますか？ と噛みついた。ポップコーンだなんていやらしい言葉、よく初対面の人に口にできましたね。その神経が信じられない。恥を知りなさい。ポップコーン！ ポップコーン！！ ポップコーン！！！

「わー！ やめなさい。やめなさいったら」

僕と運転手はその後しばらく、無言で過ごした。
僕は正直、訳のわからない話から解放されてほっとしていた。

でも、ここはどこだ？
でこぼこと振動する山道。僕が伝えた行き先は、郊外のなんの変哲もない団地だったはずだ。

タクシーが、山肌に沿った細いカーブに差し掛かったとき、運転手が僕に聞いた。

「さっきは取り乱したりして失礼しました。ところで、いまお持ちだというポッ……ちょっとわけていただけませんか？」

わはは。なんだかんだで未練たらたらじゃないですか。そういって笑った僕は、ポップコーンをもってるだなんて嘘ですよと白状した。いやー、ごめんごめん。

——数瞬の沈黙のあと、運転手がハンドルを切った。崖のほうに。

おい馬鹿たれクソッたれ！
ポップコーンってなんなんだよ。
それだけ教えてから死ね！
いや死ぬな。っていうか死んじゃうよこれ。

ポーン！

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