第15回 てきすとぽい杯
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桜色の未来
志菜
投稿時刻 : 2014.03.08 23:42
字数 : 1454
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桜色の未来
志菜


「見積もり期限には今週中ということだが、今回は複数社での相見積りと聞いている。返答が早いに越したことはない。なるはやで頼む」
 上司、三上の言葉に、後輩の田中は声を潜めて隣の席の私に尋ねた。
「なるはやて、なんすか?」
「なるべく早くてことや」
 質問が聞こえていたのか、向かいの吉田が同様に、声を潜めて答えた。
 大阪営業所出身の彼は、こちに移て数年経つが、まだ大阪弁が抜けないらしい。いや、あえて大阪弁を直そうとしないのか。以前に『大阪弁で話してると、女の子たちが面白がてくれるんや。お笑いブームのお陰で、大阪弁に慣れてきたうのもあるんかも知れんな。得意先でも覚えてもらえやすて、特することも多いんや』と得意そうに言ているのを聞いたことがある。大阪弁はともかく、彼の押しの強さ、平気で会話に割り込んでくる厚かましさにはいつまでたても慣れることはできないのであるが。
 そんな私の内心など気付かぬ風に、田中は薄笑いを浮かべながら吉田に頷いた。
「あー、なるべく、はやく、で、なるはや、か
「なんしか、急いでやれうことやな」
「なんしかて、なんすか?」
「もちろん」
 三上は、こちらを見ながらいそう声を張り上げた。十人にも満たない部署の中での内輪話に気付かないはずはない。吉田と田中を見つめながら、重々しい口調で言た。
「もちろん、最優先されるべきは値段だ。ここで取ておかないと次に繋げることはできん。赤を出す覚悟でやてくれ」
 それだけを言うと、ささと部屋の中央にある自分の席へと戻た。
 私は小さくため息をつき、わずかに逡巡した後、資料と背広を手にしながら立ち上がた。
「吉田さん、設計の手配は頼みます。田中、本多工業へ行くぞ」
「え、わざわざ行くんすか?」
「こういう無理を頼む時は、メールやフクスより出向いたほうがいいんだよ」
「そんだけ本気やちうプレを相手に与えることができるからな」
 訳知り顔で言う吉田を無視して、私は部屋を出た。
 値段を下げるということは、こちらの努力以上に、下請けに無理を負わせることが大事だ。より、値段を負けさせるか。次に繋げるという言葉を餌に、ギリギリのところまで値段を下げさせる。
 滅多にないことなら、今回だけ泣いてくれとも言えるが、このところずと無理を言い続けている。無条件で10%の協力値引きをさせているにも関わらずに、だ。
 本多工業の社長の泣き顔に似た愛想笑いを思い出しながら、私はもう一度ため息をついた。
 しかし、本多の社長も我が社以上にその下請けに無理を言ているに違いない。ピラミドの底辺に行けば行くほど利鞘が低くなていることは当然の理なのだ。
 親会社、子会社、孫会社、その下請け、その下請け、その下請け……取り分が少なくなるさまはまるで、マトリカのようだとも思う。
「大丈夫すか? 顔色悪いすよ」
 車に乗り込んだ私に、運転席の田中が怪訝そうな口調で言た。私は鞄を胸に抱えたまま、小さく頷いた。
 本多工業に向かう途中に、パチンコ屋がある。春風に翻るのぼりに「薔薇色の未来が待ている!!!」という陳腐な言葉が書かれている。
 信号で停また田中は、小さく
「薔薇色ていうのは気恥ずかしいから、俺は桜色の未来くらいでいいですね」
と笑た。
「お前は気楽でいいな」
 呆れながらもそんな田中が羨ましくて、私は小さく笑た。
 嫌だと思ていても仕方ない。互いの最善を探るとしよう。それが俺の仕事だ。
「ところで、なんしか、て何すか?」
……てから、吉田に聞け」
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