第16回 てきすとぽい杯
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お迎え
投稿時刻 : 2014.04.05 23:18 最終更新 : 2014.04.05 23:18
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- 2014/04/05 23:18:59
- 2014/04/05 23:18:12
お迎え
◆BNSK.80yf2


 一人、また一人と降りていく。
 ボタンも押していないのに、だ。
 自分がバスに乗ている、ということは分かる。
 でも、どこへ行こうとしているのかが分からない。
 そもそも、アナウンスが流れないから、一体どこの停留所なのかも分からないのだ。
 景色は都会を離れ、小川のせせらぎが耳をくすぐる田舎道へと差し掛かていた。
 懐かしい場所だ、と根拠もなく思う。
 先程まで、隣には妹が座ていた。私の手をきと握て微笑むと、振り向かずに降りて行たのを覚えている。
 年老いた後姿ははきりと目に焼き付いている。
 けれど、どうしたことだ? 私にはもう彼女の顔が思い出せなかた。
 今降りて行た子供、あれは私の孫だ。最後に会たのはいつだたろう?
 確か、私が病院のベドで寝ている時だたはずだ。
 いや、バスの中で一緒だたのだから、ついさきか。
 分からない。夢の中のように意識がはきりとしない。
 二つ前の席に、仲良さそうに寄り添て座ているのは、息子夫婦だ。
 私の視線に気付くと、笑顔で手を振た後、やはり降りて行た。
 何時の間にやら、バスの中は私一人になている。
 窓の外にも靄がかかて、いよいよどこを走ているのか分からなくなりつつある。
 私は怖い。
 手すりにつかまて席を立つと、転ばないようによたよたと歩を進める。
 運転席までのほんの数メートルが、やけに遠く感じる。
 その時だた。
 甲高いブザーと共に、再びバスが止まる。
 私が降りる番が来たのだろうか? と不安になる。
 しかし、開いたのは後ろの降車扉ではなく、前の乗車扉だた。
 見覚えのある顔が運転席に向かて一度頭を下げると、私の元へ静かに歩いてくる。
 妻だ。
 もう、何年になるだろう? 君と離ればなれになてから。
 私は少し涙ぐみながら、妻の手をとた。妻は少しはにかんだあとで、僕を最後尾の座席へと誘う。
 私達が席に着くのを待て、再びバスは走り出す。
「元気だたかい?」
 私の問いかけに、妻はそとで頷いた。
「そうか、それは良かた。君がいなくなてから、寂しくてね」
 昔なら言えなかた言葉も、今なら素直に言える。そう感じた。
 私は妻に、息子が結婚したこと、孫が生まれたこと、息子夫婦と一緒に幸せな時間を過ごしたことを語た。
 妻は時々相槌を打ちながら、私の話を聞いていた。
 一しきり私が話し終えると、妻は私の手を取り席を立つ。
 バスは止まり、初めてのアナウンスが流れた。
『お客さん、終点ですよ』
 私は妻と頷き合い、降車扉へと向かう。
『足元にお気を付けて。またお会いしましう』
 私たちは運転席に向かて深く頭を下げ、バスを降りて行た。
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