ワンマン電車、居眠り経由初恋行き
春!
春である。
このところ、学校の授業時間が増えたり、バドミントン部でレギ
ュラーになったりで疲労が溜まっているのに加えて、この陽気な心地のせいで、高校二年生の山本優子は、学校帰りの電車の中で居眠りをしてしまうことが多い。隣に友達がいれば、お喋りをしている間は覚醒していられるが、彼女は終点の駅で降りなければならないので、最後はいつも一人になってしまうのだった。
今週はここ最近の中でも特に辛い週だった。月曜日から電車に揺られるうちに眠りこけてしまい、「お客さん、終点ですよ」と肩を揺さぶられてしまった。気の弱そうな中年の運転士さんだった。悪気はないのだろうが見知らぬ人に体を触られるのが好きではないので正直なところ若干不愉快な気持ちになって電車を降りた。金曜日の今日はもう疲労がMAXである。学校前の駅を出発して、4駅ほど過ぎると、同じ駅から乗った同級生らは殆ど降りてしまい、一車両のワンマン電車は閑散とする。車両前方の方の席が空いて、思わず座りそうになったが、そこで一度立ち止まった。座ったらまた寝てしまいそうだ。でもこれからあと6駅も立ち続けるのは辛い。体が悲鳴をあげている。
そのとき、山本優子はちらりと運転席の方のミラーに目がいった。運転士さんが客席の様子を見るためのものなのだろうが、こちらからも運転士さんの顔が見える。
――ワーオ、若くてイケメン!
この際彼になら肩を揺さぶられてしまってもいい。あわよくばそこから恋に発展したい。仲良しの部活仲間の田中景子は、自分と違い4月になっても補欠のままだったが、変わりに隣の高校のイケメン彼氏をゲットして、毎日のろけているのを思い出した。疲れた女子高生と通学に使う運転士の恋とかロマンチックじゃね?
優子はなんとなくニヤニヤしながら前方のシートに腰掛けた。電車は規則正しくガッタンゴットン揺れている。すぐに睡魔はやってきた。
「……くさん、お客さん、起きて」
優子は朦朧とした意識の中で、聞き覚えのあるような気がする声に呼ばれていた。
「う~ん……」
そんなに寝ていないはずなのに、頭が痛い。中途半端に外で仮眠をすると疲労感が増すことがある気がする。
そんなことを思いながら目を開けると、目の前に長身の男が立っていた。
いや、よく見たら男じゃなかった。
「やだ~、お客さん、もう終点~! どんだけぇ~!!!!」
「い、いっこーさん!!」
優子は思わず叫んだ。テレビで見ない日はないほどの人気タレントが目の前にいた。電車の運転士のコスプレをしているが、動きはくねくねだ。
「そして、肌荒れ~、おごと~!」
「う、うるさい、疲れてるのよっ!」
思わず叫んでから、自分の声の大きさにびっくりしてビクンッと体が震えた。目をこすると目の前には誰もいなかった。夢か。あたりを見回すと、座ったばかりのときはシートの三分の一は埋まっていた気がしたのに、もう両手で数えられるぐらいしか人がいない。電車の中で寝言を叫んだ優子に皆無関心な様子でスマホをいじったりしている。気恥ずかしい気持ちで鞄を抱きかかえ、優子は体を縮こまらせた。だがすぐに第二の睡魔の波が襲ってきた。この際熟睡してしまおう、次の駅まで4駅だからすぐにつくだろう……
「お客さん、お客さん……こんにちは! 今日もいい天気ですね!」
今度は確実に男性の声だ。少し歳を食った声にも聞こえるが、これがあのイケメン運転士さんの声なのだろうか。
そう思って目を開けると、目の前にいたのは、小柄で、サングラスをかけスーツを着た壮齢の男性だった。
「それではまた明日も乗ってくれるかな?」
「い、いいともっ?!」
再び目が覚めると、乗客はさらに減って、片手で数えられるぐらいになっていた。後方の座席に座っている、同じ学校の制服の少女と目が会った。後輩だろうか。ニヤニヤ笑っている顔がそこ意地悪そうだ。不愉快になりながらも、次の睡魔が襲ってきた。だめだ、もう寝ない方がいい、頑張れ自分、あと二駅……
「お客さん、終点ですよ」
優しげな、渋い感じの、大人の男の声が聞こえてきた。朦朧とした意識で、優子は、誰の声だったっけと思いをめぐらせる。聞き覚えがある、確かに、でもこの前起こしてくれた運転士さんのとは明らかに違う――
「ほら、起きて」
促されて、優子は目をこすりながら開けた。
「か、蟹江敬三!」
「早く起きないと連れていっちゃうよ」
「じぇじぇじぇ!」
驚きで意識が一気にクリアになると同時、社内アナウンスが聞こえてきた。
『次は花沢温泉駅、花沢温泉駅、終点でございます、お忘れ物のないよう――』
気付けば乗客は自分ひとりしかいなかった。電車の外はすっかり暗くなっていて、見慣れた山間の風景だがどこかうら寂しく不気味だ。そういえば昔世にも奇妙な物語で、いつもの電車に乗ってるはずが冥府行きだったみたいな話があったなあ。蟹江敬三はもはやどこにもいなかった。
「終点でーす」
運転士の若干チャラボイスぽい地声が社内に響くと同時、プシューという音がして前方の扉が開いた。鞄から定期券を取り出し優子は立ち上がる。帰ったら風呂に入ってすぐ寝よう。