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【BNSK】月末品評会 in てきすとぽい season 3
 1  8  9 «〔 作品10 〕» 11 
アイドル「兄は私のマネージャー」◆1ImvWBFMVg
さと吉
 投稿時刻 : 2014.06.01 08:42
 字数 : 45597
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アイドル「兄は私のマネージャー」◆1ImvWBFMVg
さと吉


巨大な一面のガラスの前、少女が一人立ている。
少女の視線は先ほどからガラスの向こうに注がれ、一ミリも動かない。もうかれこれ
一時間はこうして過ごしている。
「また見てる」
    少女の横、少し離れた暗がりの場所から少年の声が起きた。どこか不機嫌そうな響
きが耳に付いた。
  でも少女は振り返らない。ガラスの向こうにある巨大な人間の頭部と対面し、その形
をした天辺を見据えたままでいる。巨大な頭部は、ちうど少女の身長くらいはある
だろうか。
「もう寝てるよ。そんなの強制自動シトダウンすればいいのに」
   巨大な人型が呼吸し、その息づかいで頭部が上下していた。どうやら少年が言うと
おり寝てしまているようだ。
少女の目からも、巨大な頭の下に敷かれたその腕が見えている。胴体から先は見えな
い。巨大なそれは突伏す形で寝ていた。
恐らくだいぶ疲れていたのだろう、着の身着のまま眠りに着いた様子が見えた。だら
しなく開いた口元からは涎が垂れ流しになている。
……もう、汚いな
   その様子を眺めながら少年は嫌そうに顔を歪めて吐き捨てた。少女は黙ていた。
「ねえ。ニ。ニてば!」
   少年は何度も少女の名を呼んだ。少女の意識をガラスの向こう側の人間から引き離
したがていた。
「ニ!行こうよ!」
   しかし少年の試みは通じないようだた。少女は一切反応を示さなかた。少年は
拗ねたように唸り声を上げた。
「分かたよ。勝手にすればいい。そろそろ朝だからね。また忙しくなるんだから
ね」
    少年がその場を去ていく。だが暗がりの向こうに行てしまても、少女はガラ
スの前を動こうとはしなかた。
やがて暫くした後、ガラスの向こう側の巨大な頭がゆくり動いた。
「ニ……大丈夫……と上手く……だよ。心配ない……。う……ん…スー
    巨大な頭は、くぐもた不明瞭な声でブツブツ呟くと、また寝息を立て眠り始め
た。呟いた寝言は、今一要領を得ない一方的な内容でおおよそ理解不能だた。
   だがその時、少女は始めて表情らしい表情を浮かべていた。それはほんの微かでは
たが、ひどく暖かく人を安心させる様な、柔らかい微笑みだた。
    少女はそのまま動かなかた。やがて時間が過ぎ、時計の針が正午を越えても、少
女たちが居る場所には何の変化も見られなかた。
   その場所は、まるで日の光が刺しこまない所にあた。その為、時間の経過は容易
に分かる環境になかた。部屋の角にある、大きなデジタル時計だけがせせと働い
ていた。
    少女が身を固めて動かないその場所は、ひどく奇妙な空間だた。そこは一見、彼
女が住んでいる部屋の様にも見えなくも無かた。だが部屋と言うには一切の生活感
が無く、愛着などといたおよそ自然に染み付く物が感じられそうになかた。
    何しろ人が暮らして行くための必要な要素が見当たらなかた。食べ物や飲み物は
おろか水道さえない。
   そしてその上、部屋の続きや出入口といた当たり前の要素がスポリと欠けてい
た。あるのは部屋自体と、その片側を占める巨大ガラスの枠だけだ。あとは枠の外の
巨大な人間の姿。
むしろ巨大なガラスの枠の世界だけが、その強い存在感を主張していた 
   まるで一つの目的の為だけに造られた、仮設の実験施設の様だた。その他の部分
は、舞台のセトと同じくあくまでも張りぼてでしかない。
事実ガラスの枠の範囲内から外れてしまえば、あるのはどこまでも永遠と続く、無地
の剥きだしの廊下だけだた。
    そんな奇妙な場所で、少女とその巨大な頭は、いつまでも固まり続けていた。時間
は永遠に流れ続ける様に思えた。だがいつしか変化は訪れた。
……ううん」
    ガラスの向こう側、巨大な頭がゆくりとその動きを見せた。ひどく重そうな首を
持ち上げ、正面に向け顔を起こしたのだ。
    数秒後、巨大な人間の大きな上体が、ガラス一杯に姿を覗かせていた。まぶたが開
かず、ひどく眠そうな表情だた。
……もう昼か」
   若い男だた。もちろん頭だけではなく身体もあた。見た目は、成年は過ぎてい
そうなどこか風采の上がらない青年だ。張りのない顔付きをした巨大なだけの男だ
た。
男は欠伸混じりに身体を伸ばし、気怠そうにまぶたを擦ている。頭の横には、強い
寝癖が着いている。
男はやがて、まぶたを擦ていた手を下げ、下の場所にある機械にその手を添えた。
すると『カチという小気味よい音が響いた。 
「お兄ちん、遅いよもう!」
    突然のことだた。今まで固まていた少女の身体が、途端に動きだし、生き生き
と活動を開始しはじめたのだ。
まるで男が出した小さな機械の音に、生命の息吹を吹き込まれたかの様だた。
「言い訳ばかして、お兄ちんてばもう!」
    しかも喋るばかりでなく、活発なさまで手足を使い、精一杯に感情を表現して見せ
ている。少女は不機嫌な様子でさえ何処か可愛らしかた。
    一方の巨大な男は、ガラスで区切られた向こう側に構えている。かしましいとい
た感じの少女の様子を鋭い眼差しで逐一追い掛けていた。
何やら機械を叩いて操作していく男。巨大な黒いマウスパドが握られている。
   その操作がもたらす物なのか、ガラスの下の方にカーソルが表示され、先程から文
字が浮かんでは消える様子が流れていた。
『いつもはそちが起こしてもらてるんだから。今日ぐらいはいいだろ』
その文に素早く反応するように、少女が返答を重ねた。
「知らないんだからね!せかく久しぶりに取れたオフなのに……ほら、仕事の時
みたいにテキパキ準備してよ
    また下のガラスに文章。『せかくの休みなんだからさ、ゆくりしよう』という
内容。きびきびと手を動かし、慣れた手付きでカーソルを動かしクリクした。
    すると少女は怒てしまた。先ほどより一層不機嫌になり、眉間にシワを寄せて
いる。もはやガラスを睨みつけてしまている。
……お兄ちん?本当に分かてる?……今日は出掛ける……あれだけし
り約束してたでしう?」
    慌てて男がマウスを操作する。準備するという項目を選んで急いでクリクした。
「もう、早くしてよね!」
   するとそこでまた、その閉鎖的な場所に劇的な変化が訪れようとしていた。
なんと今まで居た筈の部屋が一瞬にして消え失せ、少女の後ろに、突如として街の広
大な風景が現れていたのだ。
まるでなにかの巨大な大掛かりなマジクでも目にしているかの様だた。
    だが変化してしまう前の部屋と同じく、そこは実に奇妙な街並みだた。実際に人
が暮らしているとは思えないほど、整然とした建物と区画整理。どこかモデルルー
の展示会場を思わせた。
    少女の洋服が、先ほどの部屋着からいつのまにかよそ行きの綺麗な装いに変わ
いた。
    髪型もしかりスタイリングされている。とても分厚いサングラスの下はしかり
メイクもされているようだ。
「今日一日ぐらい、普通の女の子として楽しみたいな……かりスケジル管理
してね、お兄ちん」
    少女の言葉に応えるかの様に、巨大な男が下に出た単語を選らび、『公園』をクリ
クをする。
「え?公園?」
    少女は怒るというよりむしろ驚いていた。そしてまた周りの空間が瞬時にして切り
替わる。
今度は街並みやビル群が消え、その代わりに木や植木、それにベンチや噴水が現れて
いた。それはいかにも公園らしき、憩いの空間をふんだんに配した風景だた。
ただしガラスの枠の中以外は、完全に“無”の空間だ。
「もう……!    なんで選りに選て公園なのよ……別に何時でも行ける場所じ
い。ほんとお兄ちて気が利かないよね。せめてクレープぐらいは奢てよね」
    選択された公園に不満を持ているのか、少女は散々な言いようだた。だが、男
は慌てる素振りも見せなかた。
手元のマウスを上下に大きく動かし移動させて、手早くアイテムを作動させている。
クレープの映像が光ている。
「は?」
   だがそこで少女の手に出現した物はクレープなどと言う洒落た代物ではなかた。
なんと手の中に握られていたのは、安価そうな『缶詰め』一つ。ただそれ一つだけだ
た。
「え、何これ?『缶詰め』?……これでも食えて事?」
    少女の顔はもはや期待外れこの上ないと言た表情だた。そのまま呆れ顔でカン
ヅメをかざしている。
……お兄ち……!いい加減にしてよ!……そろそろ本気で怒るからね……!」
  だが少女が癇癪を起こし掛けたその瞬間、ガラスの向こうで男が操作を打ち込んだ。
今度は文章が浮かび上がる。
『いいから開けて。ほら』
    少女がカンヅメを開ける。すると大量の猫が出現した。少女の周りに沢山の猫が現
れて群がたのだ。
「わ……!近所のノラ猫かな?可愛い……
    様々な柄の猫に取り囲まれる少女。猫がエサの缶詰めへと我先に群がていく。
「あらら。キミ達ちと待て。もう今分けて上げるから」
    少女はとても楽しそうに笑た。
    それから数秒後、また空間が自動的に入れ替わていた。少女の周囲に大量の本棚
と貸出カウンターが現れ、見覚えのある施設が出現した。
「ここ図書館?……お兄ちん、私本とか読まないんだけど?それ分かてバカにし
てるの?」
   少女が怒り出す前に、またマウスを操作して男は場所を移動する。奥にある絵本が
並ぶ一画に変わた。
「児童コーナー?これは『これなら分かるだろ』て言いたいのかな?ほんと……
い加減にしないと怒るからね……!」
    だが怒り始めたその時、少女はなにかを見つけて手を伸ばしていた。それは一冊の
絵本だた。
「え?この本……子供の頃お母さんに読んでもらたやつ……
    少女は懐かしそうに絵本を開き、その場で読み始めていた。少しの間本の世界に浸
て読み耽ている。とても穏やかな顔をしてページをめくる少女。
やがて満足そうに本を閉じると、その余韻を何時迄も楽しんでいるようだた。
「大好きだたな、この本。いつもお母さんに読んでもらけ。あれ……お兄
んにも読んでもらけ?」
    少女がガラスに向けて微笑む。それは先ほどまであんなに不機嫌だた少女とはと
ても思えない、ごく自然な微笑みだた。
『はは。図書館も悪くない。そうだろ?』
……うー。今日もしかして結構楽しいかも……でも、でも!これだけじまだ納得
してないんだからね!次はどこに連れててくれるの?」
    そう言うと少女は期待の眼差しで尋ねてきた。だが男が選んだ場所は、またしても
少女の意図にそぐわない選択、『立ち食いソバ』だた。
「立ち食いソバ?もう!なんでそんなのばかり……あ!」
    不意にそこで、少女が週刊誌コーナーを前にして、杭を打ち込まれた様に立ち止ま
てしまた。その手に芸能スクープをのせた雑誌が現れてくる。
『若手新人アイドル!謎の降板!裏にはヤバめのスキンダルが!?』
   そんな見出しを付けた記事が表紙を飾り、扇情的な文句が所狭しと踊ている。そ
れを見るなり少女は眉を顰めてしまた。
「あーあ、せかくの気分が。台無し」
  そう言うと少女は、今まで見せたことのない暗い表情を浮かべ図書館を去てい
た。
    暗転。そこでまた、空間に木々や植木のある夕焼けに包まれた公園風景が現れた。
だが実際には時間はまだ一時を回た所だた。その空間では空の色はすかり茜色
に変わていた。
    少女がベンチに座ている。少女は何も話さず、その代わりに状況を説明する文章
が、ガラスに文字として浮かび上がている。
   【"妹が急に今まで引き受けていた仕事を休みたいと言い出した。その理由を、この
兄でありマネーである僕でさえ聞いていない。そんな状況が続いていた。もち
ろん聞いてみた。だが何度聞いても頑なに話そうとしなかた。ただ妹は何かを隠し
ている様だた”】
   目線に合わせて、空間全体の位置が少し低い。少女は憂いを帯びた表情で肩を落と
し、押し黙ている。悩み事を抱えて辛そうにしている顔はとても美しかた。
   【“一体なんの悩みだろう。妹は新人アイドルとしては珍しいくらいにトントン拍子
でステプアプを重ねていたのだ。今年の春にはテレビドラマの重要な役も来てい
た。自分抜きで事務所に呼び出された日から、妹は突然休みたいと言い出した。事務
所で何か無理な仕事を要求されたのだろうか。何度聞いても教えてくれなかた”】
    文章が浮かんでは消えた。その間も少女は相変わらず俯いている。ガラスの向こう
側の男がマウスを素早く動かした。
『な。なんでなんだ。兄貴にくらい教えてくれよ』
    その問いに、少女は困た様に口をすぼめて俯いてしまた。
「やりたかた事がよくわかんなくなたの。もちろんアイドルは楽しいよ。
楽しいけど。……でも違うの。違くて嫌なの」
『だから何が嫌なんだよ?』
   問い詰めるが少女は質問には答えず、逆に質問で返していた。
「お兄ちんはさ……マネーをしていて楽しい?」
『ん?芸能の世界がやりたかた仕事だからな。もちろん楽しいよ』
「違う、そうじなくて。私のマネーをしていて楽しい?て聞いてるの。妹
のマネーとかて実際どうなのかな?て」
『どう思うか。うーん。始めに、お前がアイドルやりたいて言い出した時、うちの
事務所に入てきた時は大丈夫かな?て思てたよ。ミーハーな気分でやるんじ
ないかてね。でもお前は真剣にやり甲斐ある仕事としてアイドルに向き合てくれ
た。そんな子と仕事が出来るのは、誇らしいと思てたよ』
「そか誇らしいだなんて思てたんだ。でも本当?いつも心配ばかしてるのに」
『当たり前だろ。僕は立場上の肩書きより、まずお前の兄貴なんだ』
……コつけ」
『そうだな、あまり直接言うのは照れ臭いけど本気で誇らしい気分だよ。お前がアイ
ドルとして成功してくれたら最高だ。もちろんマネーとしてじなく兄として
もさ』
「そ……え?マネーなくても?」
    その当たり前の言葉の一体どこに引かかたのか、少女がわざわざ聞き直す。そ
んな様子にまるで気付かないまま答えが返てくる。
『ああ。だてそうだろ。妹がスーパーアイドルなんて、本当にね。それにだな、売
子スターなんて今の俺の手には余るよ!なんてな、あはは』
    そこで今まで噛みしめる様に聞いていた少女の顔が、急に一変して苦しげな表情に
てしまた。
……もういい。じあ一旦アイドル辞めるから」
『いや、……待て待て!お前何言てるんだ、、。今日休んだら次から頑張るて。
昨日だてあれだけ言てただろ』
「だて頑張れないよ。お兄ちんが頑張てないのに……頑張れだなんて私に言わ
ないで」
そう言うと少女はベンチを立ちその場を離れようとする。
『おい待てて。……お前やぱり何かあたんじないのか?』
「え?……何が?」
『あの日事務所でなに言われたんだよ?』
「何でもない!お兄ちんとは関係ないの!もうほといて!」
    そう言うと少女は椅子から離れて行てしまた。ガラスから見切れるところまで
来て見切れていた。
【“行てしまた。しかし俺とは関係ないて。一応マネーだろうが。やはり
兄貴である俺と一緒に仕事するのが嫌になてしまたのだろうか?”】
    何故そう採れるのか首を傾げたくなるほど、好き合てる会話が展開されていたは
ずだた。
だいたい反抗期近い女の子が、嫌いな人間と一緒に休日を過ごしたりするだろうか。
むしろ少女の言動はもと一緒に居たがている様に見えた。恐らく男が間違たこ
とを言た所為で、少女の逆鱗に触れたのだ。
【“あいつのマネーを外れる事になるのだろうか。確かに最近仕事の規模が大き
くなり過ぎて、新人である自分では場違いな場面になていたが。でもあいつが望む
なら仕方がない”】
   どう考えても理由はその仕事の規模の事だろう。恐らく兄が担当を外され掛か
いて少女がボイコトしているのだ。何とも歯痒い会話が繰り広げられていた。行き
違いする二人。ずいぶん回りくどいやり方だた。
「ミ……大したツンデレぶりだ……
    ガラスの向こう側の男か何かを楽しそうに呟いている。カチカチ叩くスピードが増
している様だた。
   その時だた。今まで滞りなく機能していたガラスの透明性が突如消え去り、二人
を隔てていたガラス面が一瞬にしてブラクアウトした。
   それは本当に突然の事だた。もちろんガラスの向こう側である男の様子は一切見
えなくなてしまた。
「は?フザケんな!また不具合かよ!クソ!」
  男の立てる物音で、その苛立ちがガラスの向こうからも伝わてきた。ずいぶん慌て
ているようだた。やがてガラス一面に事務的な処理画面が浮かび上がた。
【現在サーバーに原因不明のシステムエラーが生じています。復旧に当たておりま
すので、今しばらくお待ちください】
「なにやてんだクソ運営が!あ、ミ……!やめろやめろやめろやめ
ろ!」
    カチカチとキーボードやマウスを操作する音が、辺りに虚しく響いている。
一方の少女はガラスが見切れる横の通路、舞台で言う袖の奥で、ひそり立て男の
声を黙て聞いている。
「ダメだ。いやダメだて。あが居なくなる。あんなにイジましいミ
……大丈夫俺が何とかする」
   少女は慌てふためく男の様子に耳を傾け、飽きもせず熱心に聴いている。そんな少
女の顔つきは、始めに巨大な男の寝顔を見ていた時と同じような、食い入る様な顔つ
きと重なた。
    その時ふいに突然、少女の後ろで騒がしい嬌声とは別の、突き放す様な声がした。
「なんだいあのギ言う喚き声は。うるさくて堪らない」
  少女が声のする方を振り向く。すると、朝方に会いにきていた少年が彼女の後ろに立
ていた。
「情けない声だしてま。ほんと死ねばいいのに」
「ルクル。そんな風に言わないで」
    そこで少女が初めて少年に返事らしい返事を返した。少年は少女の厳しい口調に、
煩わしそうに肩をすぼめる。
「はいはい。ミはまたいい子ぶて。本当は自分だて気持ち悪いくせに」
「思てない。ね、ルクル。お願いだから、そんな風に悪く言わないで。悲しい気
持ちになるから」
  少女はそう言うと、また通路からガラスの方へ向き直た。それを見て少年は面白く
なさそうに頭を掻いている。
「うわうわ。ミてあいつが好きなんだ。あんな頭悪そうで小汚い奴。不潔だ
よ。気持ち悪い」
「ルクルの方が変に悪く取り過ぎなんだよ。いい人だから」
「あれがかい?目がどうかしちてんじないの?」
  少年がガラスの方を指差す。その姿こそ見えないが、カチカチと出すキーボー
の操作音で男の慌てぶりが聞こえてくる。
ガラスはいつの間にか白く染めた処理画面が別の映像に切り替わていた。そこに開
かれていたのは、クレームを受付ける為のメールフムだた。
よくあるタイプの、定型文を弾き返すだけの事務的なメールシステム。男はすぐに望
めそうにない効力に見限ていた。
その次は返信つきのメール。こちらは、男が送たメールに対する、丁寧な返事の文
章が書かれていた。
【メールありがとうございます。不具合の為、キラクターのデータだけはせめて復
旧したいと言た内容で宜しかたでしうか。この度は、ご指導ありがとうござい
ます。スタフ一同最善を尽くしております。
ですが損失してしまた細かいデータは復元することが非常に困難な作業でありま
す。ご期待に添えない場合も出てくるかもしれません。誠に申し訳ございません。
尽きましてはお詫びに一万ゲームポイントや、貴重な特別アイテムを贈らせて頂きま
す】
「アイテムなんかいらないよマジいらない。データがいいんだてばもう何も分か
てないなこいつら」
    男はなんども恨み言と懇願を連なり重ねたメールを返信フムに打ち込んだ。だ
が一向に埒が明かなかた。
どうにもならないと悟た男は正攻法であるメールを諦め、データの盗用やらなにや
らの、怪しい情報をネトで検索し始めた。
だが素人目にはどう見ても無理そうなやり方だた。
「なんだいあり。自分で何をしてんのかちんと分かてんのかね。いくら何でも
錯乱し過ぎだろハハ」
    少年はすかり冷めた目線でそんな男の慌てふためく行動を揶揄して鼻で笑た。
だが少女の方はそうは思ていなかた。
「ほら。やぱりいい人だよ。こんなに必死になてくれている。優しくなければ出
こないよ」
「この頑迷さが?これが優しさから来てると思てるの?頼むからこれが愛だなんて
言わないでくれよ。もと下劣な感情さ」
「またそんな言い方して」
    少女が責めるような目付きで少年を見つめる。少年は少し困た様に顔を背けた。
「いや本当さ。ミが見えてないだけなんだよ」
「そうじない!だてさ!ルクルだて自分のプレイヤーのことは悪く思てない
はずじない。そうでしう?」
「はいはい。あいつらを悪く思てないか?そんなの悪くも糞もないよ。あいつらは
あいつらだし、あくまでも《向こう側》さ」
   少年は肩をすぼめて手を広げている。そのお手上げといた感じのポーズは少年が
よくやる仕草の一つであり、少女はそれがあまり好きではなかた。
「それにプレイヤーが見てるのは設定の中で振る舞う僕だ。イケメンでクラスの人気
者で影があるキラ。そんなのは僕じない」
「ルクルて捻くれてる。なんか理屈ぽい言い方ばか」
「それはどうも。と言うかミが単純過ぎるんだよ。というか単細胞というか1bit脳
というか。そこら辺、向こうのデカブツと似てるんじない?」
    少年が親指を立てガラスを指差した。そこには最後の手段とばかりに、眉唾物の都
市伝説じみた、おまじないや魔法陣と言た怪しげなサイトが検索ツールで引き出さ
れ、片端から開かれていた。
「ダメだこり。魔法使いになり始めちたよ。あはは面白え」
   すると突然そこで、ミたちガラスの内側の世界に異変が巻き起こた。
後ろの背景が矢継ぎ早に、公園から少女の部屋、また分からない場所や、スタジオセ
トになた。
まるでカラクリ屋敷のようにくるくると背景が変わた。
「んん?……おいおい。なんだ。単なるメンテナンスにしては大掛かり過ぎやしない
か?何かあたのかな?な……おいミ?ミ!?」
   少年が話し掛けた時には、もう少女は床にうずくまり体を小刻みに震わせていた。
「ミ!大丈夫か!?」
  少女は今まで背景が瞬時にどれだけ変化しても、慌てた事は無かた。それがこの世
界の理だたからだ。
   だが、今起きてる異変はどうやら外ではなく彼女の身体自身に起きている異変の様
た。
「熱い……!」
    少女は自分の身体が信じられないほど熱かた。熱を持た熱い空気が身体の中に
入り込み、抑えが効かないほど膨張していく様だた。
   彼女には何が起きているのかさぱり分からなかた。何しろ少女自身の存在はこ
の世界で唯一絶対不変の物だたはずなのに。
「ミ、ミ……!?お前か、身体が……!?」
「身体?……なに身体て?」
    少年が声を震わせる。この熱以外にも何か異変が起きていると言うのだろうか。少
女はますます募る不安と恐怖に苛まれていた。
「は?そんな馬鹿な」
  いつも冷静沈着な少年が珍しくパニク寸前になている。声が遠くに聞こえる。
「な……に?私の……身体……どうなてるの……?あ!!熱い…….
「大きくなてる……
    先ほどから少女の身体がどんどん膨張していた。今はもう少年の倍近くはあた。
「熱い……!ルクル助けて……!」
「どうしよう!どうすれば?ミ!しかりして!」
    やがて大きさは天井を越え、空間一杯に膝を抱えた大きな少女が今にも溢れそうに
ていた。
「ダメだミ!このまま大きくなて行たんじ部屋に圧迫されて……!止めな
いと!止めるんだ!」
「だ……そんなの自分じ……熱い……!」
「ダメだて!どうすれば!」
    いよいよ少女の身体が広がり切り、空間の壁に圧迫され始めた。
苦しそうに顔を歪める少女。
「痛……ルクル……ごめんね。今まで心配ばかり掛けて……
    限界が来ていた。少女の身体が圧に耐えられなくなり破裂しそうになた。そこで
空間の壁がみしみしと音を立てた。
「バカ!諦めんな!絶対に助けるから!聞こえるかミ!?」
  身体より先にミを覆ていた壁が崩れていた。大きな音を立てて世界が壊れてい
く。
少女は強いシクにいつしか気を失ていた。


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    少女が意識を取り戻す。すると、いつの間にか彼女は椅子に腰掛けて座ていた。
だがその椅子は酷く固い座り心地で、特に背もたれの部分は冷たいガラスで出来てい
た。その上、足を置く場所は変に柔らかく生暖かいという、ひどく変わた素材だ
た。
一体何処にいるのだろうと少女が辺りを見回したその時、彼女は自分が俄かには信じ
られない光景を目の当りにしている事に気が付いた。
「あ……!」
「ん?何だ?……画面が見えない……。というか身体が重たいな……ん?」
    少女の目の前にあの男がいた。ガラスを挟まない直接的な近距離、少女の目と鼻の
先にあの男が座ていたのだ。男はパソコンデスクと自分の身体の間に少女を挟み、
対面する形で回転椅子の上に収まていた。
少女はひどく驚いていたがそれ以上に、湧き上がる喜びの方がより打ち勝ていた。
「あの……こんにちわ!」
   男がびくりと体を震わせた。もちろんよく聞かなくても、少女の声は男が慣れ親し
んだ声のはずだた。だがパソコンのスピーカーから出る音と実際の肉声はまるで印
象そのもの自体が違ていた。
誰かが部屋にいる。男はゆくりとした動作で椅子を引き擦り後ずさると、声の正体
を己の視界に収めようと努めた。身構えつつおもむろにその全体像を見上げる。する
と見知らぬ少女が机の上に座り、満面の笑みで男の方を伺ていた。
「え……大丈夫ですか?」
   男はしばらくの間固まていた。反応する事すら出来ないのか、ただ少女を夢見心
地でぼんやりと眺めていた。それからまた男は、我に帰た様にびくりと体を震わせ
た。
「は!?え!?だ、誰!?」
   なんと答えるべきなのか、机の上では上手くまとまらない思考を整理しながら少女
は男を見ていた。男の身長はもはやかつての様な巨大な姿ではなく、ほぼ少女と同じ
身の丈になていた。それが彼女には新鮮な驚きとより深い親近感を与えていた。
「あ……あの。だからえと、私です」
「いやだから!誰!?」
「あ。あのミ。ミて呼ばれていたヒロインキラです」
   少女がそう言うと男は何度も首を振り捻て、少女の言葉を飲み込もうと確認して
いる。
「ミ?」
「はい。私です」
「いや、馬鹿な。ミて言て。だ……ああ!?今パソコンから?
まさか……嘘だろ!?」
    男の慌てぶりを見るのは初めてではなかた。いつも見上げていた巨大な相手なの
だ。やと会えた、少女はそう思た。
「えと、こちら側では初めまして。ミです」
   少女は勢いよく頭を下げ、深くお辞儀をした。長い髪がまとまり無く下に落ちてひ
ろがた。
「うわわ!」
   その瞬間、男はまるで脱兎の如く飛び跳ねるように椅子を引き、少女から素早い動
作で離れた。それからただおずおずと見ているだけの少女を必死で制止した。
「いや待た!まずは落ち着いて話を整理しよう!」
「あ、はい」
「じあまず……えー……貴方はひとまずそこから降りてくれませんか?」
「え?……なんで?ここ意外と座り心地いいですよ?」
    少女は机の上で不思議そうに首を傾げている。だが男は慌てて訂正する。
「いや!いやいや!あのですね……こう、机の上に座られてるとこちが落ち着かな
いので。いま場所作るのでこちに座てもらえますか?」
    男の方がより驚いてるようだた。なにせガラスの向こう側を現実として認識して
いた少女と違い、男はゲームのキラが突然現実にやて来ていたのだ。
「なるほど。それもそうですね」
   少女は机を降りると、男が用意した部屋の真ん中にあるテーブルまで移動する。
    そこで少女は部屋をぐるりと見回してみた。実際目にする男の部屋は、彼女の部屋
とだいぶ造りが違ていた。
置いてある品物もそうだが、なによりもその現実感がまるで違ていた。
「わ……本物の窓だ」
    男の部屋には片側に窓があた。もちろん正真正銘の窓だ。少女の部屋にも窓があ
るにはあたが、それはあくまでも模様と同じ役割りのただの飾りでしか無かた。
だが現実世界の窓は、あまりに違ていた。窓の外には別の、ちうどガラスの向こ
う側と同じ様な、完全に外の世界が存在していたのだ。
    そして、窓の外には空が広がていた。どこまでも続く青い空が、少女の目の前に
広がていたのだ。
初めて見た空の高さは果てが無く、それを見ただけで少女の胸の高鳴りはもはや押さ
えることが出来なくなる程強くなてしまていた。
「あの……てもらていいですか?」
「あ、ごめんなさい。実際の空を見るのが初めてで」
    男がまじまじと一挙手一投足を見守る中、少女はソフ代わりの抱き枕にぺたんと
た。男も座る。二人は改めて対面した。
「どうも初めまして。ミです」
「あ、はい。初めましてツグムです」
「知てます。ツグムさん、ですよね。いつもお母さんにその名前で呼ばれているの
を、ガラスの向こうからずと見ていました」
    今さらながらにして、ようやく少女にも『自分がこの現実の世界にやてきた』と
いう実感が湧いてきた。そうだ、ここがそうなのだ。もちろん話には聞いていた。ガ
ラスの向こう側に外の世界があるという事は実しやかな夢物語として伝えられていた。
だが実際に来てみた現実の世界は、彼女の予想以上に驚きの溢れた場所だた。目に
付く全ての物に、確かな手触りと重みがあた。不確かな物は何も無かた。あやふ
やなデテルは一つもない。少女はもはやすかり現実の世界に魅せられていた。
    何よりも、少女は現実の世界で男とこうして会て話してみたいと常々思てい
たのだ。少女が現実の存在として会いに行けば、男はどんなにか喜ぶかしれない。
少女の心は今や高揚する気持ちではち切れそうになていた。
「いやー、しかし。ゲームの中からね。参たな本当に」
   だが肝心の男はそうでもない様子だた。もちろん男だてゲームの中から女の
子が出てくるだなどという話はまさに夢のような状況だた。
だが想像していた夢物語と現実は違ていた。実際にいま男の目の前にいたのは、
ゲームの中の物言わぬ絵だけの存在などではなく、男が最も苦手とするタイプの『普
通の女の子』なのである。
自分と同い年くらいの女子であり、しかも若さと自信に満ち溢れ、クラスのマドンナ
と言た雰囲気を持つ美少女である。男の脳裏の中には今にも数々のトラウマが蘇
てくるようだた。
「はい。アニマネの世界でお世話になりました……と言てもツグムさんにとては
寝耳に水のお話ですかね?」
   ただ気安く手軽に現実逃避の出来る、美少女ゲームのアニマネ。その続きがしたい
というささやかな男の願望。それだけの願いだたのに。どうしてこんな状況にな
たのだろう、男は困り果てているようだた。
……なんで出てきたの?」
    男がぼそりと呟いた。その予想外の男の残念そうな口調に、少女は一気に不安で一
杯になてしまていた。
「え?……私こちらの世界に来てはいけませんでしたか?……すいません」
    少女が泣きそうな顔で俯いた。男は慌てて口にした言葉を引込めると、笑顔で体
良く取り繕ていた。
「あ、いやそうじ無くて。どういう経緯でこちの現実世界にやて来たのかな
て」
「あ、……良かた。てきり会いたくなかたのかと思てしまて。そうですね
経緯は、どういう風にかというと、あの、それはえと。あれ?」
    少女はなんとか自分の言葉なりに説明しようと試みたが、よくよく考えてみると、
自分でもどういう現状の立場に置かれているのか、さぱり分かていなかた。
「分かりません」
「え?」
   そこで張り詰めていた気持ちが弛み、少女は気が抜けてしまた。ふいに少女の腹
の虫がぐうと大きく鳴ていた。それは驚くほど大きな音だた。だが少女は照れも
せずお腹を抱えて眉を顰めている。
「あの、ツグムさん。なんか私お腹が変です。スースーとお腹の奥が嫌な感じがしていて」
「へ?」
「だからお腹が。とても辛いんです。これなんでしう?まさかあのよく言う病気と
かいう物ですか?」
    鳴り続ける腹を不思議そうに抱え、しきりに首を捻る少女。 男は最初少女がふざけ
ているのかと思た。
「いや。いやいや今グーて鳴てるじん。単にお腹すいただけでし?」
   砕けた調子でそう言てみた。でも言ては見た物の少女の表情の上には何処にだ
てふざけているような調子等は一ミリも感じられなかた。
「あ、なるほど。これがお腹が空くて感覚なんですね。実際スゴく辛いんだ……。な
んか感動しました」
   少女が腑に落ちたように笑顔で頷いた。どうやら少女には空腹と言う概念自体が掛
けていたようだた。
「なんて事だ……。まさかそんな馬鹿な」
    男は愕然としていた。ようやく深刻な状況が鈍い男の頭にも浸透し始めていた。今
日この日のこの瞬間、ミというゲームの中にいた少女が、現実の生身の身体を持
て、一人の人間としてこの世界に産まれ落ちたのだ。
「ちと待てて。今食べ物用意するから」
    数分後、男が台所にある冷蔵庫から持てきた適当な食料を、少女は少しずつ口に
運んでいた。
それは少女にとて驚きの体験だた。食べ物を噛み砕き、味わい、飲み込む。すべ
てが心地よかた。
     そしてそれによて舌に伝わる絵も言われぬ感覚。もちろん言葉や表現を越えてい
た。これが『美味い』という感覚なのだ。
    幸せだた。ただただ満たされていた。世の中にはこんなに純粋な幸せなだけを傍
受出来る体験があるのだ。少女はその時初めて知た。
「旨そうに食べてるところを申し訳ない。ちと聞いてもいいかなミさん」
    男が頬杖を突いて、少女を見ている。
「結局『気づいたらこちの世界に来ていた』と。それでいいかな」
「げもごも」
「あー、物を口にしながら喋るのは行儀がだな……いいか。ふむ、正直何にも分
からない。参たな」
「むぐ……あの。多分ですけど、ツグムさんが開いたサイトに。多少は関係があるん
ないかと思うんですけど」
「サイト?俺が?え、そんなのいつ開いたけ」
    男は先ほどの慌てぶりなどすかり忘れている様だた。
「色んな形の魔法陣や怪しい呪文の載たホームページです。ほら、私のデータを復
旧しようとして」
「あ!あれか!」
    男が思い出したようにパソコンに向かう。急いでページバクさせていくと幾つか
の魔法陣が出てきた。
「なんだこれ……
    男が放心している。ホームページ上の魔法陣から浮かび上がるように光がでてい
た。モニターに映た魔法陣は、そこだけまるで生き物のように、液晶を越えて光り
を放ていた。
「おいおいおい……嘘だろ」
    流石に気味が悪くなたのか、男が必死で画面上のバクボタンをクリクしてい
る。だが何故かそのホームページのウンドウを閉じる事が出来なくなていた。
「これ……か?これの力の……所為なのか?」
「わたしにはち……。でもそんなに珍しいんですか?ゲームの世界では割とよ
く見かける光景ですが」
    少女は首を傾げている。その口からはぼろぼろと食べカスが落ちていた。まるで食
べ方を知らない赤子の様だた。
「いやいや……現実ではよく起こらないんだよ……
「じあ、今は大変な状況なのでしうか」
「まそうだね……。そして偶然になにかとなにかを繋ぐ扉が開いた。それで、きみ
がこちの世界に来てしまた。つまりそういう事かもしれない」
「それは大変ですね」
    少女は相変わらずその口に少しずつ食べ物を運んでいる。少女はすかり食べる事
に嵌てしまた様だた。
男も一旦は頷いて腕を組んだ。そうして一人感慨に耽る。本当に大変だ。つくづくと
んでもない事が自分の身に起きた物だ。そんな風に考えていた。
そこでしばらく部屋に沈黙が流れた。優に五分は経たろうか。
「え?それで?」
「はい?それでとは?まだなにか問題が?」
「いや問題も何もさ。だから状況はそれでいいとして。今からはさ。これから一体ど
うするの?」
「あ。はい。……どうするんでしう。わたしはまるで知りませんし」
「いやいやいや……と待て!帰れるんだよね!ゲームの世界!」
「あー……やはりわたし帰た方がいいでしうか?」
    少女がひどく寂しそうに聞く。綺麗な女の子にそんな風に聞かれて平然として居ら
れるほど、男は神経が図太く出来ていなかた。
「いやだから違くてさ。緊急事態が起きた時にね。今すぐ帰れとかの話じなくても
ね」
「緊急時?」
「だから緊急時だよ。そういう時に自由に行き来出来るんだよね?て聞いてるの」
「そんな簡単に通れる物なんですか?ツムグさんの言葉じないですけど、ゲームじ
ないんですから。それに緊急時というのは?」
「だからさ!例えば誰かが君の姿をさ」
   その時だた。階下の玄関の方からガサゴソという物音が聞こえてきた。鍵を開け
ドアを開く音が続いた。見る見るうちに男の顔が真青に青ざめていた。
「まずい。母親だ。最悪だ。母親が帰てきた」
    少女は特に慌てていなかたが、男の狼狽ぶりは見て居られないほど酷い物だ
た。部屋をばたばたと駆け回り、隠す場所を探している。だが部屋には少女一人を収
納出来るスペースなど何処にも無かた。
男が焦ていると階段を駆け上がる音がした。
「ツグムー。あんた起きてるのー。何バタバタやてんのよもう。また変なゲームで
も振り回してんじないの」
    そこで母親は部屋の扉を開けた。ちうど男が少女の肩を掴み、掴んだ物のどうし
ようもなく立ちすくんでいる、そんな場面だた。
「母さん!驚いた?いや、ホント今すぐ説明するよ!」
   滅多に使われない男の頭が、この瞬間だけはフルスピードで回ていた。
なにしろ男は引きこもりだた。もちろん友達など一人もいない。ましてや女の子な
ど以ての外の存在だ。
この子はネトで知り合た子である。それぐらいしか説明が思いつかなかた。だ
が肝心なその後の事はどうすればいいのか。少女を泊まらせると言うのか。この部屋
に。母親が何と言うだろう。そんなことがぐるぐる男の頭に思い浮かんだ。
    だがその時だた。なんと男の母親は特に驚いた様子もなく、見ただけですべてを
納得したように軽く頷いてこう答えてきた。
「ああ、はいはい。彼女がミんね。ホントに可愛いわね。アイドルみたいじ
ない。よろしくねー!」
    男はもはや絶句するしか術がなかた。なぜ母親がこの今日出てきたばかりの少女
の存在を知ているのか。
「こんにちわー。ミです。会いたかたです、お母さん」
    普通に挨拶を返す少女。それは絶対にありえようのない光景だた。
「私もよー。ホント会いたかたわ」
   まさか男がやていたゲームのキラを覚えていたのだろうか。だが答えは全く違
ていた。
「しかし勝手よねー、お父さんも。いくら親友の娘さんとは言え、見知らぬ国の若い
娘さんをさ。いきなり養子縁組を組むだなんて。しかも私になんの相談もなしよ。ほ
んと信じられない」
「養子……縁組?」
「あら、アンタまだミん本人から聞いてないの?今日から彼女この家に住む
のよ」
「は?」
   話がまるで見えてこなかた。もちろん男の方はそんな話を少しだて聞いていな
い。いや、そもそもゲームから出てきたのではなかたのか。
「別にいいでし。アンタどうせ引きこもりなんだし。ウチにはでかいお荷物が一
人居るんだから。これ以上増えた所で生活なんか変わんないわよ」
    もはや全ての話は男の預かり知らない所で既に決定済みの事項として処理されてる
様だた。あまりに事務的で飛躍的な展開に男は空恐ろしくなていた。
「あの。私ご迷惑掛けるような事は……。ホントに」
「聞いた!今の台詞!なんて遠慮深い!いじましい子じないの!いいわよミ
ん!いくらでも居てちうだい!」
    あまりに状況をすんなり受け入れる母親。男の母親の性格が普通より壊れていたの
でなければ、半分はまたそれさえも魔法陣の力による物かもしれなかた。
「よーし。部屋を用意しなきね!使てない部屋があたわね、お父さんの部屋!
全部押入れにぶ込んでくるわね」
    男は母親に全てを説明しようかと思た。だが母親はその前に忙しそうに階下へ降
りて行てしまた。
「素敵なお母さんですね、ツムグさん」
「母親の話はもういいんだよ。それよりも、な。養子縁組てのは……
「はい……
「一体どういう事なんだよ。そんなバカな話が……てたまるもんか」
……ごめんなさい。ツグムさんの世界ごと、私の世界に巻き込んでしまたという
事かもしれません」
    少女は深く詫びている様だた。そして男の方もまた今まで以上に、ひどく神妙な
表情を見せていた。その顔色は極端に悪く、まるで今にも倒れてしまいそうな程生気
が無かた。
「なんだよこの一連の流れは。親の親友の娘に、養子縁組。挙句は同居だと?」
    男は泣き出しそうな声で自分の気持ちを吐き出していた。声を出さないと気持ちが
押し潰されてしまいそうだた。
「これじあ『あにマネ』のシナリオそのまんまじないか……!一体なにが起きて
るんだよ……?」
    男がやていたゲームの設定が確かにそれその物だた。マネーとして働い
ているプレイヤーの実家に、親を無くしたハーフの女の子が養子縁組でやて来るの
だ。
現実感が希薄そうな少女ですら、さすがにこの状況に返す言葉を失ていた。
「待た。これ以上は何だ。ちと外に出よう」
    男はそう言うと部屋を飛び出し、階段を降りて出て行てしまた。少女も大人し
く付いて行く事にした。階段を降り、玄関へ向かうと、男が少女の突かけを用意し
て待てくれていた。
「早く」
    男は有無を言わさない様に、玄関を手で示した。 少女は家の玄関を恐る恐る開ける
と、ようやく外へ一歩足を踏み出した。
「うわ……空が……!本当に広くて……これ何処まで続いてるんですか?」
    玄関前の道端で、少女が空を仰いで驚きの声を上げている。だが男は少女の質問に
答えず、よたよたと下半身を動かし、まだ玄関先の戸枠をまたいでいる所だた。
……。意外と平気なもんだな。まこんなもんか
「何してるんですか?ケンケンパとか?足場悪そうですよ」
「いや、そうじなくてだな」
    すると男の母親が、台所の方から出てきた。二人の姿を見るなり、彼女は手に持
た生ごみの袋を落としてしまた。
「ツムグ!?あんた、ええ!?何!?え?どうしたの?」
    目を離せないと言た表情で男を見つめている。男は気まずそうに手を上げ、視線
を背けている。
「いや、このミて子がさ。住んでる街を見て回りたいて言うからさ。だから
、ちと散歩」
「まさか……外へ出掛けるつもりなの!?大丈夫?」
「大丈夫、すぐ帰てくるし」
   男が平然とした態度で言うと、母親は気が抜けたように生返事をした。
「あ。え。そう、じあ、お願いね。なるべく早く帰てくるのよ」
     二人が玄関を出て道を歩き出そうとした時、母親が靴も履かずに玄関先へ出て来て
こう叫んだ。
……あの!ミん!ツムグの事よろしくね!」
    そう言うと彼女は少女の方へ頭を下げた。普通逆ではないのだろうか、少女は不思
議そうに首を傾げていた。一方の男は少しばつが悪そうに、後ろを振り向かずにてく
てくと歩いて遠くへ行てしまた。
    しばらくして家から少し離れた時。早歩きを緩めながら、男がようやく喋り出した。
「もういいかな。さ一体どう言う状況になているのか説明してくれ」
    少女は、急に男が外へ行こうと言い出した理由がようやく分かた。
「なるほど、お母さんのこと気にされていたんですか」
「ま……。やぱ深刻な事態についてはあまり知られたくないからさ。あんなで
も余計な心配は掛けたくないし」
   少女は目に飛び込んでくる、見たことのない街の風景や様々な建物や人々に心を奪
われながら、男の質問に頭を悩ませていた。するとそこで電話のベルが鳴た。
 「ん?ちと待た。珍しいな携帯が……母さんからかな」
    男がズボンから古い型の携帯を取り出す。だが掛かて来た相手は母親などではな
た。
「え?……はい、もしもし。どうもお久しぶりです叔父さん。いやまだ仕事は。は
い、探し中です」
   男の親戚の叔父が男の現状を心配して掛けて来てくれたようだた。
「はい。はいはい。はい?は!?知り合いの芸能事務所?いやなんで叔父さんが事
務所なんか……いや、なんとか外には出られるんですけど……試しにですか。え
…と。ちと一旦考えさせて貰ていいですか?失礼します」
    男は電話越しに頭を下げながら、やりにくそうに話を切り上げ電話を切ていた。
「おいおい……今度はマネーの仕事かよ」
「マネー?一体なんのお電話だたんですか?」
    少女は電話での会話の端々を聞いて、すでに不安を覚え始めてはいたが聞いて見
た。もちろん嫌な予感は的中していた。
「親戚の叔父さんだよ。久しぶりに連絡が来ただなんて思てたら、いきなり仕事を
紹介してやるだてさ」
「アイドルのマネー……
「ああ、その通り。なんでも『知人が新しく立ち上げた芸能事務所でマネー
探している。アイドルとか好きなんだろ?』だて」
   まるでゲームのシナリオが現実を追いかけて来ているかの様だた。
「何がどうなてるんだ……。俺だて普段だたら何も思わないけどさ……。でも
こんなに都合よく、矢継ぎ早に来られたら……
    状況が整い過ぎている。いやむしろこの世界がなんらかの大きな作用でゲームの状
況に組換えられていているかの様だた。
「な、俺がしたかたのは自分がやていたゲームの続きだけなんだよ。それなの
に画面から君が出て来て。ゲームの世界みたいに養子縁組されるて言うし……これ
がゲームの続きだて言うのか?」
    少女には答える事が出来なかた。
「現実世界でゲームの続きをしろて事なのか?この街で?……ダメだ、気分が悪く
てきた」
    男はそう言うと、身体を少しふらつかせていた。少女も手を貸すが、男の身体を支
えながら歩ける程には、少女の身体は鍛え抜かれてはいなかた。
「大丈夫ですか?あ、あそこの広い場所によさそうな椅子がありますよ」
    二人が寄り添いながら公園までやて来た。その公園は噴水こそはないが、立派な
木立や遊具の揃た、整理された場所だた。
「まさか。ここ公園ですか?」
    男が力無く頷く。そこで少女は何度目かの感嘆の声を上げていた。
「これが。公園か。へ。やぱ広いですね。住宅地と違て視界を遮るものがな
いもん」
    男は公園に驚いている少女を横目に、ベンチに腰かけ息をついた。どうやら心労の
他に、長い引きこもり生活で体力も無くなていた様だた。少女が続いてその隣に
こんと座る。
「なるほど、ここは落ち着きますね。ゲームの中で公園の場面が描かれる理由がよく
分かります」
    男は隣でぐたりしている。まだ回復出来ない様だた。少女は周りをしきりに見
渡しながら、上着のポケトに手を入れた。するとポケトの中で手に当たる固い感
触があた。掴んで取り出してみる。
缶詰めだた。可愛い猫のパケージが印刷されている。ゲームの中で持ていたア
イテムが具現化された物だろうか。
「ツグムさん!缶詰めがありました!やた!開けてみよう」
    少女はうきうきした様子で缶詰めのプルタブを開け、地面に置いて次の展開を待
ていた。だが、少女がいくら待ても現実の公園では何も起こらなかた。
「あれ?猫ちん達来ませんね。私、やり方間違えました?」
    男は複雑な表情でそれを眺めていた。
「いや、間違てはいないよ。でもこの世界はね、ゲームとは原理が違うからさ。缶
詰めを開けた次の瞬間に、猫が飛び出して来たりはしないんだよ」
「え?……そうなんですか」
    少女は寂しそうな顔でうつむいている。そこで男はようやく整た息を吐き、缶詰
めを持ち上げた。
「待た。だから違うんだよ。だからて来ない訳じないんだ。自動的に起こらな
いだけで、例えばこういう茂みの向こうとかに……、ほらいた」
    男が茂みの奥に入ていくと、そこにいかにもノラぽい、警戒心をむき出しにし
た猫が身構えてこちらを見ていた。
「わ!おいでおいで!缶詰めあげるよ!」
「ストプストプ!それじ逃げちうんだ。そうと置かないと」
    そう言うと、男はその猫となるべく距離を取りつつ、ゆくり近づき、缶詰めを男
達と猫の中間地点にそと置いた。
「これでいい。後は絶対動かないこと。いいね?」
……わかりました」
    二人が静かに見守ていると、最初は警戒し遠巻きに見ていたノラ猫が、じりじり
と缶詰めに近づき、しばらくすると口を着けて食べ始めた。
「可愛い……
    ノラ猫はだいたい食べ終わると、素早く身を後ろへ引き、茂みの向こう側へ姿を消
してしまた。
  男はベンチに戻り、少女にこう言た。
「これが現実なんだ。さきの缶詰めだて本当は買わなきいけない。いきなりポ
トから出て来たりはしないんだよ」
    少女がなるほどと頷いていると、そこへ急に突然、通りすがただけの紳士が彼女
の顔を見るなり途端に奇声を上げて近づいて来た。
「う、美しい!」
……どちら様ですか?」
    男は怪訝そうな顔で紳士を眺め回した。そこで紳士も冷静になたのか、姿勢を正
して表情を戻していた。
「あ。いやたいへん申し訳ない。取り乱してしまた。実はわたくしこう言う者であ
りまして」
    名刺を取り出して、少女と男に一枚ずつ渡す。そこには会社の名前が印刷されてい
た。
「モニープロダクシン?あの最大手のアイドルプロダクシン?」
「ええ。そちらの少女をぜひウチのアイドルとして預からせて頂けないかと。いやも
うお話だけでもいいのでご連絡ください。失礼します」
    そう言うと紳士はさそうと町中に消えていた。男はもう驚かなかた。
「ほら。これがゲームだよ。現実はこんな風に上手くはいかないんだ」
……つまり逆を言えば、この人に連絡すれば、アイドルに成れるて事ですね?」
「え?いや……そうだろうけどさ……え?じあ」
   少女はすかり覚悟が決また様に目を見据えて名刺をかざしている。
「はい、私アイドルやてみます。『ゲームの続きをやる』と言うのが魔法陣に掛け
られた契約事項なら、クリアすればあとはきと自由になれますよね?」
    少女は既にこの現実世界がすかり気に入てしまていた。様々な期待で今はも
う胸が膨らみ溢れる程に一杯になていた。
「うん……。でもちと待て。あのさ俺さ……現実でマネーとかは……
    一方の男は、何処まで経ても後ろ向きのままだた。ゲームで見せた優しさは何
処にも見えなかた。少女はその時どんな顔をすればいいか分からなかた。ただひ
どく悲しかた。
だが少女に落ち込んでいる暇はなかた。男が付き合えないと言うなら仕方がなか
た。彼女はなるべく男を頼らず、彼の世界を侵さない事に決めていた。そうして迷惑
を掛けない選択を選んだ。
「なるほど。ツムグさんは、働くのが嫌な人なんですね。……わかりました。条件は
私一人でクリアしてみせます」
    だが勇ましくそう宣言する少女の声は、少し震えていた。顔を伏せる男にはそれに
気づけなかた。


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    朝。少女の朝は携帯電話の目覚ましから始まる。少女はこの眠りを必要とする身体
になてから二月、眠りから覚めるという独特な感覚に今だに慣れていなかた。
「おはよう……
    棚の上にある、以前男に買てもらた観葉植物のサボテンに声を掛ける。彼女は
秘かにこのサボテンに《ツグム二号》という意味ありげなアダ名を付けていた。
「ん……今日は、何だけ」
   昨日も忙しかた。今日のスケジルを調べるために少女はベトから抜け出
し、洋服を着替えた。
   少女はすでにアイドルとして芸能活動を始めていた。その世界はとても煌びやかな
場所であり、誰もがその中で忙しく動き周り、一秒たりとも無駄にする事を惜しみ、
今その瞬間を生き急いでいた。現実世界でも特別かもしれない。
    少女は着替えを済まし寝癖を軽く直すと、廊下の二つ先にあるドアへ向かい、音を
立てない様にそと男の部屋へ入た。
「おはよう……
   くりドアを閉めると、少女は嬉しそうに男に挨拶した。まだ男は机に突伏し
たまま寝ている所だた。何時ものようにパソコンの電源が着き放しであた。
    サボテンのアダ名に特別な意味はなかた。男にプレゼントして貰い、単純に嬉し
たからそう名付けたに過ぎない。
だがよくよく考えてみると、部屋でゲームだけして生活している男と、砂漠で僅かな
水だけで生活するサボテンとの二つの生活スタイルの間には、どことなく類似点がな
くもなかた。その非活動的な生き様というか、消極的な所が同種だた。
『もと楽しまなければいけない』そんな強力なスローガンが、目に見えない所に掲
げられて常に煽られているかの様な、芸能界の活発さとは真逆の物だた。
だがそんな男の様子を見て、少女は今日も嬉しそうに笑顔を浮かべた。そのまま顔の
見える近い場所に座り、男の寝顔を眺めて過ごす。
これが少女の毎日の日課だた。男はたいてい朝方に眠る。ベトで寝る時もあれ
ば、こうして突伏して寝る事もあた。違いはあたが、たいてい寝出す時間は同
じだた。
「ん…………やめろ……サラダなんか食いたくないよ……んん」
   男が寝言を言た。恐らく少女が二三日前に、部屋へ無理矢理押しかけて食べさせ
た時のことを夢に見ているのだろう。
「食べなきダメだよ……病気になうんだから……
    そうだ。そこで少女は今日のスケジルを思い出した。今日は休日だたのだ。
少女は喜びが胸の内に湧き上がてくるのを感じていた。本当にひさびさの休日だ
た。
    あまりに忙しい日は、男の寝顔を見ている時間も取れなくなる時があた。仕事を
辛いと思た事は一度もなかたが、少女にとては、この時間が取れなくなる事が
何よりの痛手だた。
今日が終わたらまた二週間先まで休みは無い。少女はまるで慈しむように男の寝
顔を見ていた。そんな時、少女にはその砂漠に生えたサボテンの様な男が、堪らなく
愛しい物に思えるのだた。
「おやすみ……
   少女はそのまま男が起きるまでずと見つめ続けた。ガラスの向こう側にいたあの
頃と同じ様に。とても緩やかで親密な空気に満ちた時間が、部屋の中をゆくりと過
ぎ去ていた。少女が入て来てからは、優に五時間は経とうとしていた。
時計が一時を回た頃、ようやく男がびくと頭を震わせ、目を開けた。
「う……。ミ……。おはよう」
   すると少女が急に腰に手を当て、元気良くポーズを取り初めた。
「お兄ちん、遅いよもう!」
「え……?なにそのキ……萌えキラ?」
「もう知らないんだからね。せかく久しぶりに取れたオフなのに」
   少女は声を作てオクターブ高い声を出した。そこで男はようやく思い出した。
「あ。『あにマネ』のあの時の……懐かしいな」
   男は目を遠くへ向け、腕を上に伸ばし大きく伸びをした。
「ツグムさん。今日わたし休みですよ。行きましうね、街」
   少女は休みの日は必ず、男を連れて街へ出掛ける事にしていた。何処にでも行
みたかた。
「もちろんゲームのイベントも無しです。いいですね?」
「分かてる。マネーの仕事を逃げ回てるんだからな。休日を付き合う約束
ぐらいは守るよ」
   そこで男は箪笥を開け、行き支度を開始した。眠そうに上着に袖を通しながら、ぼ
そりと漏らす様に呟いた。
「でもさ、無理に俺なんか連れ出さなくても……
……無理に?」
「だてさ、芸能人の友達とかいるんだろ?……それとも母さんか?母さんが連れ出
してくれて頼んでたりするのか?」
   男は自虐的な表情をうかべて半笑いしている。こんな顔をさせるのは好きじなか
た。少女はそこでシツのボタンを掛けてる男の手を取り、強く握りしめた。
「ツグムさん。私は休日に、わざわざ無理して誰かに付き合う様な、そんな無意味な
真似は絶対しません」
「う……
「ツグムさん。私はツグムさんと一緒にいるのが一番なんですよ」
    街へ着くと、少女はまず洋服店を見て回た。まだ給料が出たばかりなので、あま
り高価な物には手が出ない。
街の中心に並ぶ洋服店にはさまざまな服があた。女の子らしいひらひらとした素材
のドレスぽい服から、動きやすそうなカジアルな服が並んでいる。
    見ているとすべてを試着してみたくなる。堪らなくなて少女は男に頼んでみた。
「ツグムさん。試着してみてもいいですか?」
    だが男はすぐ近くにあた下着コーナーで、下着を前に口を開けたまま釘付けにな
ていた。まるで紐の様な造りの下着だた。
「ツグムさん、そういうのが好きなんですか?」
「いやいやいや……え?で何だけ?」
    男を試着コーナーの前で待たせて、少女は着替えを繰り返した。着替えが完了する
度に男に仕上がりを見せた。
「どうですか?似合いますか?」
   可愛い服を着るのはもちろん楽しかた。でもそれを男に見せる事はそれよりも
と楽しかた。
「似合う。ばちり似合てるよ」
   何度も聞いた言葉だが、やはり聞くとどうにも嬉しかた。
「というかミは可愛いしスタイルだていいから。何でも似合うよ」
    男の褒め言葉は心地よかた。でもすぐに足りなくなた。もと欲しかた。
「どんな風に似合ていますか?さきの服よりこれの方がいいですか?」
「いやどうなんだろう……。俺は服のことなんかよく分かんないし、細かい所までは
……
    まるで水を欲しがる生き物みたいだた。少女は癒えない渇きを満たそうとする、
飢えた生き物だた。
「だいたいでいいんです。どう似合いますか?」
   少女はそれからも男にしつこく言葉をせがんだ。何度も何度も根を上げるまで繰り
返した。結局一時間ほど経ち、試着に費やしながらも、少女は洋服を一着も買わな
た。それも何時もの事だた。
「また買わないのかい?流石に店員さんも呆れていたみたいだけど」
「だて気に入た服が見つからなかたんです。仕方ありません」
買う事自体にたいした意義はない。そうして何時ものように、男の服を買いにメンズ
服が売ている洋服店に入ていた。
「さツグムさん。試着タイムですよ。張り切て行きましう」
   少女が目を付けたシツを手渡し、上着を脱がせる。なすが侭にされる男は文句を
言いつつ諦めている様だた。
「だからさ……。俺の服は別にイイ……。前から何度も言てるだろ……
「いいから黙て着てください。一日付き合うて約束忘れたんですか?」
「だてさ。こんな高そうな服、着ていく場所ないよ」
   上着の下の、何時も着てるよれよれのトレーナーと比べると、新しいシツは段違
いに見栄えが良かた。
「今日みたいな、出掛ける時に着てくればいいんですよ。……ふむ、なかなか似合い
ますね」
    着替え終わた男は、小綺麗なオシレ好きの青年に見えなくもなかた。
「いい感じのシツです。値段も手頃だし。店員さん、これください」
    男は納得いかないと言う表情でシツをつまんでいる。少女が財布から万札を出す
と、ため息を吐いている様だた。
    水を与え過ぎるのは危険な行為だ。砂漠の植物であるサボテンはすぐに根腐れして
しまう。少女にだてそれはもちろん分かていた。
「行きましうツグムさん。お腹が空きました。あ、手を繋いでもいいですか?」
   でも我慢出来なかた。男を構う事それ自体が、少女に取ての一つの癒しだ
た。言葉を欲するのと同じ、生理的な欲求だた。
「え、ち……あの」
   男がサボテンなら、少女は砂漠に生まれ落ちた新しい“ナニカ”だた。
その“ナニカ”はかつて砂漠の一部だた物だ。砂漠の一部である砂を一握りほど集め、
そこに無理やり命の息吹が吹き込まれた、偶然の産物のような新種の生き物だ。
「フストフード店にしましう。もちろん席はく付けるし、ストローも2本差
しです」
    生き物だから水を欲するが、砂の集まりである“ナニカ”は、どれだけ水を巻かれて
もすぐに枯れさせてしまうのだ。
「勘弁してくれ……
    洋服店を出ると、隣が不動産サービスだた。住宅情報が書かれた張り紙が壁一面
に張り出されている。少女は立ち止まて文字を追た。
その内一人暮らしを始めなければならなくなるはずだた。もしゲーム通りに事が進
むのなら、彼女はそこそこ人気のあるアイドルになる。
    男の家からは通いづらくなるかもしれない。もちろん男から離れるのは少女に取
てなによりの苦痛だた。
たら男を自分で借りたアパートの部屋に引きこもらせればいいのではないか。少
女はそんな風な事を考えていた。
「ミ。なに?」
    そして“ナニカ”はサボテンを大切に愛でる。サボテンは砂漠を糧に生きている植物
だ。依存し合う関係。
    ストフード店にやて来ると、少女は本当に椅子をく付けて、飲み物のグ
ラスにストローを二本差して笑顔を見せた。
「これでバチリです。さ
「さて言われても」
    少女は無理やり男の口にストローを持ていくと、自分でやておきながら急に赤
面し出した。それにつられて男も赤くなる。互いに咳払いでわざとらしく誤魔化して
いたその時だた。
間に柱があて視覚的に見えない席にいた高校生らしき男子グループの大きな喋り声
が、二人の席まで聞こえてきた。
「え、てかこの今週のカバーガールの子て誰?」
「ん?……これ名前ミで良いのか?またハーフタレントかよ。もうそろそろいい
よなハーフ」
「あー。なんか最近たまに見るよなこの子。までも可愛いんでねえの?」
   少女が近くにいる事にまたく気がつかないまま、彼女の噂話を始めたのである。
少女は自分の噂をじかに聴くのは初めての経験だた。それはなんともこそばゆい感
覚だた。
男はまるで自分の事の様に、いつになく周りをキロキロと見回し、挙動不審で怪
しい人物になていた。
「あ、この子か。俺ちと知てる。なんか変な噂があるらしいぞ」
   耳をそばだてて聞いていたミたち二人は、そこで凍りついた。会話の中心は、
一人の少年が言た言葉に持て行かれてしまた。
「は?おい噂てなんだよ?整形?接待セクス?」
「いやそう言うんじないんだけどな。……なんて言うかちと都市伝説ぽいと
言うか」
「なんだよもたいぶんなよ。あれか宇宙人か」
「分かた、未来人だ」
「いやちと待てて。ところでお前らソシて知てる?」
「知らん。ソシゲ?」
「ソシて、あれはネトゲの一種だけ?」
「あー、まそんな感じ。で、そのソシゲのゲームに『あにマネ』てゲームがあ
るんだけどさ。そんなに知られてないゲームなんだけど」
   その名前が出てきた時、少女の手には汗がじわりと滲んできた。男はずとミ
の顔を見て、どうすればいいか分からないと言た情けない表情を浮かべていた。
「へ。知らね。それで?」
「いや、これに出てくるヒロインがさ。ミて言うんだよ。それでな、このハー
フの子にそくりなんだ」
    訳知り顔で高校生がそう言うと、他の皆は鼻で笑うように馬鹿にした。
「は?なんだそり。偶々似てたてだけか?しうもな!」
    だが高校生は引かなかた。それにまだ話には続きがあた。
「いや違うんだ。ゲームはアニメぽい絵で、この子は人間だけど、どう見ても同じ
なんだ。しかもなこの二人、プロフルや住んでる環境や、更にはやて来た仕事
まで全部が全部ゲームと同じなんだ。ここまで来るとさすがに変だろ?」
「え?そういう売り出し方なんじないの?ネトゲ発信アイドルとか」
「いや違う。それならそこを売り文句にしてメデア展開するはずだ。でもプロフ
ルにはソシゲについて一切触れられていないんだ」
「本人がフンだたとかのオチは?」
「受注してきた仕事もか?またく同じなんだぞ。しかもな、そのソシゲ、今謎の
不具合で復旧が出来なくて、トプページの枠から外されてるらしいんだ」
   他の皆は食い入るように高校生の話を聴いている。少女は気分が悪くなてきてい
た。
「いいかお前らよく聞けよ。しかも不具合の発生した日、それがこのハーフの子が活
動を始めた時期がちうど重なるらしいんだ。だから二ちんのネトゲ板スレではあ
り得ない噂話で盛り上がているんだ」
   男が我慢できずに席を立た。少女の手を取り、店を出ようとする。
「『ゲームのヒロインキラが現実世界に出てきた』てな。どうだ、実に都市伝説
ぽいだろ?」
……くだらねー!んなわけねん!」
   二人はなるべく柱を背にしながら、フストフード店を逃げる様に後にした。
    街を歩きながら、二人はもうそれほど楽しい気分に浸ている訳にはいかなくな
ていた。
「ミ、大丈夫か?」
    少女は頷いたが、とても平気そうな顔には見えなかた。二人とも常に誰かに見ら
れている様な気分が続いていた。
……これは……と考えてなかたです。私の事を、まさかあのゲームと関連
付ける誰かが出てくるとは……
    少女の浮かない沈み込むような表情に、男はなんとか少しでも不安を消し去る様な
明るい話題を探してみた。
「大丈夫だよミ。きと大丈夫」
「本当に?」
「あ。噂が立た所でこちにはあの魔法陣の強制力がある。恐らくゲームが終わ
るまでは、例の効果で少女に不利な噂は押さえてくれるはず。だろ?」
   少女は心が落ち着くのを感じていた。だがそれもすぐに渇いて不安に成り変てし
た。
「なるほど……そうかもしれません。他にはありませんか?」
「え?ほ、他!?いや、他てなに?」
「もと私を安心させてください。無いんですかツグムさん?じあ泣きますよ」
   だがその噂はやがてどんどんと大きく広がていた。一月もすると、いよいよ
少女の芸能活動を圧迫し始めた。
    そこで予定を繰り上げ、早くクリアして一流アイドルになればいいと考えた少女
は、今まで以上に沢山のスケジルを入れる事になた。



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    朝。最近の少女の朝。前と比べるとかなり早い時間に起きている。まだ日が登る
前、何もない部屋で少女は目を覚ます。けたたましい鳥の鳴き声にも似た、とても大
きな目覚ましの音が耳を劈いている。
「おはよう……
    つい癖で少女は枕元に声を掛ける。だが肝心のサボテンの姿は何処にも見当たらな
た。ここは少女の部屋ではなかた。
「ふー……
   この部屋は事務所のビルの上にあるマンシンの一部屋だた。少女は押し寄せて
くる仕事の忙しさから、男の家に帰る暇さえ無くしていた。
    起きねばならなかた。少女は大きく息を吐くと、無理やり何度も鞭打つ様に身体
を叩く。まるでそれで活力を呼び覚まそうとしているかの様だた。でもいくら待
ても力は湧いて来てくれなかた。
    その時、まるで待ち構えていた様に、枕元にある電話の子機が鳴た。気怠そうな
動きで子機を取る少女。
『ミさん。おはようございます。三十分で出掛ける用意だけ済ましてください。
化粧時間、食事は向こうに着いてから取れます』
    受話器の向こうで、ひどく機械的なしべり口調の男が要件だけを告げて、少女の
返事を待ている。
まるでよく訓練された猟犬みたいだ、少女はそんな事を思た。
「わかりましたマネーさん。準備が出来たら電話を入れます」
    身体ごと引きずる様にしてベドを出た少女は、着ていた寝間着を普段着に着替
え、ブラシングと歯磨きだけを済まして、電話を掛けた。
    約束通りきちり三十分後、飾り気のないしかりしたスーツを着込んだ、あまり
風采は上がらないが真面目そうな男が現れ、玄関前で少女を出迎えた。
「おはようございます、ミさん。それでは今日も一日よろしくお願いします」
「はい。おはようございますマネーさん」
    少女がマネーの顔をじと見た。真面目そうな顔付きと姿勢だたが、やは
りそれ以外は兄である少女のサボテン男とひどく似ていた。
「いい天気ですね」
「今日の天気は晴れです。気温は最高で18度。夜は少し肌寒くなります」
「さすがマネーさん。抜かりがないですね」
「予定が詰まています。早速仕事に向かいましう」
   だが二人はまるで性格が似ていなかた。むしろ真逆と言ても良かた。
    エレベーターを降りると、敏腕マネーは事務所専用の駐車場からワンボ
スを発進させた。もちろん少女も後部座席に乗り込んでいる。
    駐車場から出ると車はすぐにビル群のある街の中心に躍り出た。道行く人々は皆、
忙しそうに各々の通勤場所を目指して歩いている。
「今日の予定です。正午ちうどに行われる新発売の清涼飲料水の発表記者会に、公
式キンペーンガールとして参加して頂きます。その為準備も含め九時には会場入り
して頂きます」
    敏腕マネーが、運転に意識を集中しながら、事も無さ気に今日のスケジ
ルを伝達する。
「昨日言てた新規の仕事ですか。新しいジスの、記者団に向けてのコメントは
どうしますかマネー?」
「一応一通りの予想と対策はそちらの資料に取りまとめてはあります。ただ会場の
空気までは掴めませんので参考程度に目を通しておいてください」
   少女の手元に資料が回される。元々事務所の社長の付き人だた経歴の持ち主で、
車の運転ほか全ての仕事が恐ろしく有能かつ的確だた。
「それでは会場に着くまで一時間と少しあります。もしお疲れの様なら車の中で寝て
しまても構いません。ミさんは最近無理をし過ぎています。事務所としては仕
事を大量にこなしてくれるタレントは大変有難い存在ですが、無茶は禁物です」
    別に寝たくはなかた。疲れてもいなかた。ただ干からびていた。少女はどうし
ようもない実感としてそう感じていた。生物としての原型を保てない程に渇いてい
た。
男に会いたかた。もちろんどうしても側にいて欲しいと言えば、恐らくイヤイヤと
は言え少女の頼みを聞いてくれるはずだた。
「大丈夫です。頑張ります」
    少女は自分が男に好かれている自信があた。
ゲームと自分だたら、なんとか勝てるのではないか。ゲームでは得られない喜び
を、少女は男に与えてきたはずだた。
「ミさん、少しスケジルを詰め過ぎていませんか?」
    質問された事より、今は考えに集中したかた。でも男に無理に一緒にいて欲しく
はなかた。少女は秘かに思ていたある事があた。
「平気です。むしろ足りません」
    男の全ての願いを、理想を、自分の力で叶えてしまいたい、そう思ていた。
「何か急ぐ理由でもあるのでしうか。もし例の噂話の件と何か関係があるのなら、
貴方には報告する義務があります。今すぐ報告してください」
   予定よりは早くこなしている工程だたけれどまだクリア条件には程遠かた。早
くイベントをクリアしないと、どうなるか分からない。
「関係ありません。何度も言うようですが私には寝耳に水の話でした」
   噂話については完全にスルーする事に決めていた。
「隠し事はないですね?誓て嘘はありませんね?」
「ありません」
    だからこそ、男の負担になる様な要素は極力避けて来ていた。もちろん生理的な欲
求はせめて男の寝顔だけでも見たいと、突き上げてきた。
「それならばよろしい。もちろん我々も最善を尽くしてあなたの活動環境を守てい
く所存ではあります。だけれど、芸能活動と言うのは人気商売であります。故に一度
ケチが着くと連鎖的に崩壊してしまいます」
    会場に着くと、朝からごみごみとした人集りがすでに屋内に出来始めていた。
カメラを抱えた記者らしき一群と、記念に呼ばれたスーツ姿の飲料品会社の関係者ら
しきビジネスマンたち。
    それはとても賑やかな光景だた。ただ少女にとてこれらの狂騒はどこか蜃気楼
の様な物だた。実態がなく触れられないアラビアの宮殿だ。確かな手触りはなく何
も掴めない感覚だけ。少女は自分がいまだに砂漠の只中にいる事を強く感じていた。
「これはどうも、おはようございます。本日はこの様な素晴らしい晴れの舞台に私ど
もの様な門外漢をお招き頂き、誠に……
   敏腕マネーが根回し活動を余念なく行う中、少女は先に控え室に回り、撮影
用のメイクを施されていた。メイクを担当するテレビ局専属のメイクアプアー
ストの女性が、少女に入念な工程を重ねて化粧の磨きを掛けている。
メイクの女性とは顔見知りの親しい関係の間柄だた。
「ミん大丈夫?」
「え?なにが?私そんなに疲れてる様に見えますか?」
    少女は自分ではあまり疲れを感じていなかた。ただ以前程は走り出したくなる様
な、元気の源みたいな物が身体から感じられなくなていた。
「うんとね……肌がとても疲れてるんだよね。ミんもともとビクリする
くらい綺麗な肌だたからさ。昨日産まれた赤ちんみたいな肌」
「あ……。ちと睡眠不足かも……
    なるほど、少女は合点した。女性の言う産まれたばかりと言う形容詞はあながち間
ていない。少女の身体は実際産まれたばかりだたのだ。
「ダメだよ無理しち。睡眠不足は肌の大敵なんだから。しかもミんあんま
り肌ケアとかしてないでしう。若いからて油断してると……
    少女はぼんやり女性の話を聞くともなく聞いていた。今まで疲れを感じなかたの
は、出来たての身体だたからなのだろうか。それならこれからの仕事はどうするべ
きだろうか。
あまり呆然と物思いに耽ていたため、少女はメイクが終た事に気づかなかた。
……ん?終たよ?」
「あ。お疲れ様です」
   慌てて女性に礼を言い、頭を下げる。少女は気を保つ様に頭を振た。
「ね、本当に大丈夫?……あのさミ……もしかして悩みて例の噂話
のこと?」
「え!?」
   少女は肝を潰した。もう例の話題はこんな所にまで話が広がて浸透している様だ
た。さすがの少女も上手く返事が出来なかた。
「大丈夫、安心して。私は絶対ミんの味方だから。本当バカみたいな噂だ
よ。小学生じないんだからさ」
「いや私は別に……気にしてないので」
「そう。それで正解。二ちんのオタク共の言うことなんかに絶対負けちダメだ
よ」
    女性は少女の肩を掴み、必死で励ましてくれていた。その気持ちは嬉しかたが、
嘘をついている分少女の心は痛んだ。
「大丈夫です……本当に……
「ホント気持ち悪い。あいつら引きこもりで暇なクズ人間なんだから。萌えゲーがど
うこうて。一日中パソコンの前で過ごしてさ。うるさいてのよ本当に」
    女性の剥き出しの嫌悪感に、少女の心は段々と萎れていく様だた。
「あの……お願いです。そんな風に……言わないで」
「あ……て本当に優しい子なのね。だから好きよ。何でも相談して
ね」
    そこで控え室にマネーが時間通り少女を呼びに来た。
「失礼します。ミさん、そろそろ時間です。準備は万全ですか?」
     立ち上がる少女。後ろからメイクの女性が檄を飛ばす。
「しかりね!ミん!」

    会釈すると、少女とマネーは廊下を歩き、会場の袖に通されて待機をした。
やがてざわつく場内にマイクで拡声された開始宣言が流れた。
『それでは只今より、新発売のスポーツ飲料、レイミの発表記者会を開始します』
    次々と関係者の名前が読み上げられ、最後に公式キンペーンガールである少女の
名前も呼ばれていた。
少女は沢山の大人たちと一緒に壇上に上がた。一斉にストロボが焚かれ、シ
音が雪崩のように巻き起こた。
「ミさん、笑顔でお願いします」
    少女は真面目なだけの発表に花を寄せる、客寄せとしてだけの存在だた。
だが、記者たちの質問は少女に集中した。
真ん中の広報担当の責任者が発売に向けての戦略を語り終えると、話題はあと言う
間に少女に移り変わたのだ。
「ミさんに質問です。このスポーツ飲料、ミさんならいつどんな場面で飲み
ますか?」
「そうですね……非常に飲みやすいので、どんな場面でも美味しく飲めると思いま
す」
   するとまるで狙ていたかの様に、別の記者が少女に質問を投げつけてきた。
「それはソールネトワークゲームをやている場面でも当てはまりますか?」
……そうですね。私はやた事がないので分かりませんが、水分補給に最適なドリ
ンクです」
   早速来た。少女は無視を決め込み、冷静に、でも無愛想にはならない様に対応を心
掛けた。でも記者たちは別のネタを隠していた。
「ミさん。お兄さんはスポーツ飲料お好きですか?」
「え?何でですか?」
「ご家族には薦めないのですか?」
「あ。とても美味しいので、直ぐにでも兄に薦めたいと思います」
「ではお休みの日はお兄さんと二人で熱々デートで火照りながら、このドリンクで喉
の渇きを癒されるのですね?」
「いや……あの。質問が別の方向に行ていませんか?」
「あれ?話を逸らされましたね。何か触れられて欲しくない話題でもありました
か?」
   こういう場面での記者たちの揺さぶりはよく見かける物だ。だがさすがにやり過ぎ
だと見たのか、司会者が釘を刺した。
「記者の皆様、ミさんは公式キンペーンガールですので、あまり関係のない質
問はどうかご遠慮ください」
「ええ?休日に飲むかどうかを聞いただけですがね。いやたいへん申し訳ない」
「じあミさん、例えば血の繋がていないご兄弟とこのドリンク、どちらの方
がより手許に置いておきたいですか?」
    ひどい質問だた。大切にしていた少女だけの秘密。砂漠のサボテンが荒されよう
としていた。少女は胸の内に黒々とした感情が広がていくのを感じていた。
「兄は私にとて掛け替えのない存在です。侮辱する様なことは言わないでくださ
い」
「記者の皆様。あまり過ぎるようですと、質問を終了させて頂く事になります」
「どう掛け替えが無いんでしうか?例えば砂漠で喉が渇いても、スポーツ飲料より
愛しいツムグさんを取るんでしうか?」
「それまでです。質問を終了させて頂きます。ミさん、ありがとうございました」
「おい、血の繋がてない兄貴といつも何してるんだ!同じ屋根の下らしいぞ!」
   会場中から口汚い罵声が飛び交う。そこで係にエスコートされた少女は、急に自分
の身体から、根こそぎ力が抜けて行くのを感じた。少女はふらふらとよろめき足をフ
ラつかせ、身体ごと係員の腕に倒れ込む。そうして少女は失神してしまた。
場内は騒然とした空気で満たされ、ストロボとシター音が先ほどの倍近く巻き起
ていた。
    その騒動から一時間後、少女は事務所上のマンシンで意識を取り戻していた。
彼女が目を開ける。するとソフの近くでは少女がよく診てもらう医者とマネー
が顔を見合わせて頷いていた。
「もうこれで大丈夫でしう。身体にこれと言た異常は見られません。あとはお願
いします」
    会釈して帰る医者を見送りもせず、マネーはその場に立ち尽くしている。
「非常に困たことになりました。彼らはこういう下世話なハプニングが大好きなん
です。少しなら話題作りになりますが、何度も繰り返している様に人気商売ですから
ね」
    本当に何時になく厳しい顔つきをしている。まずは謝るべきだとそう少女は思
た。姿勢を正し、頭を下げる。
「すいません。私ついカとなてしまて」
   だが敏腕マネーは怒るというよりは悲しそうな顔をしていた。少女の喉が焼
きつく様な渇きを覚えていた。
「ミさん。後で社長からも聞くと思いますが、貴方には少しの間仕事を謹慎し、
世間の目から隔離した生活をして頂きます」
「え?予定が入ていた仕事は?」
「今は仕事をしてもマイナスになるだけです。ほとぼりが冷めるのを待つのが最良の
選択なのです。その他にある選択は……引退ぐらいでしうね」
「いやでも、私大丈夫です。いくらでも働けます」
「いいですか?体調管理も出来ない人間に、責任ある仕事が出来ると思えません……
さん、それが何だかわかりますか?」
   マネーは事務的に少女の下半身を手で示した。少女が顔を下げる。すると、
少女が履いていた真白なホトパンツに血が滲んでいた。
「え?何ですか?私ケガ、え?」
「何て生理に決まているでしう。全くもう、しかりした少女だと思ていた
のに。それもこれも事前に報告があれば対応出来た事なのですよ」
    生理。今まで少女は生理が来たことがなかた。身体が気怠く痛み、重かた。
「今日は寝てください。引退する気がないのなら、明日からは待機しながら別の仕事
をこなしてもらいます」
    マネーはそこで部屋を出て行た。部屋には少女が一人残された。
    終わりだ。少女はそんな予感を心の裡にひしひしと感じていた。こうして砂漠で砂
にも帰れず立ち往生して終わるのだ。男に会いたかた。せめて側にいたかた。


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    昼。男の一日は昼から始まる。大抵はこうして机の上で起きる。疲れ果てて寝てし
まう迄、男は只ひたすらゲームやネトをやり続けてしまうそんな毎日だた。
……んん。もう昼か……
    男は夢の中で、男は少女に見守られながら、眠りについていた気がしていた。
だから目が覚めても少女が何時もの様に側にいる気分になていた。だが部屋にはも
ちろん少女の姿はなかた。
……大丈夫かな……
   男は普段なるべく少女の話題で盛り上がるワイドシを避けて見ない様にしてい
た。だがしばらくの間テレビは、まるでそれしか取り上げる話題がないかの如く、こ
て少女がフラつく映像を流し、何度も繰り返し執拗に再生し続けた。
    少女の名はむしろ事件の前より有名になていた。そしてすべての仕事を休み、謹
慎の身に入ていた。別になにも悪いことをしていないのに、謹慎なんておかしい話
だと男は思た。だが、ほとぼりが冷めるまでは大人しくしているのが良いのだと事
務所の人達が母親に説明したらしい。
   当然の処置かもしれない。だが少女が目指しているゲームのクリアを思うと、どう
やら彼女が窮地に陥ている事だけは間違い様がなかた。
……大丈夫なわけ……ないか……
    男はパソコンを操作し、メール欄を覗いた。少女からのメールが来ていないかと毎
日チクしていた。しかし送たメールでさえ返事が来ない。事務所が外との連絡
を絶ているのではないかと男は勘繰た。
   もちろん男にだて少女を救いたい気持ちはあた。だがこの現状で彼女を救うに
は、何をどうすればいいのかが、男にはさぱり分からなかた。
   少女の部屋に行てみる。騒動があた日から何度か訪れてみたが、何の変化も見
られない。枕元のサボテンもどうやら元気らしい。無駄にトゲを立てて、瑞々しく植
木鉢に生えている。
「よう、サボテン。元気か」
    男はサボテンを眺めながら漠然と考えた。自分もコイツと同じだ。少女に今現在大
変な事が巻き起こていると言うのに、何の変化も見られずこうしてのうのうと生き
ている。
    あれだけ少女に甲斐甲斐しく構われて面倒をみてもらたと言うのにである。これ
では義理も情けもあた物ではない。感じられないではないか。
「でもな……
    男に出来ることと言えば、サボテン片手にすごすごと部屋に戻るくらいの事しかな
た。ふとその時だた。男は自分の上着に、少女の部屋の残り香を感じていた。
    堪らなくなた。男は声を上げて叫びそうになた。街に出掛けた時の少女の楽し
げな笑顔が、男の脳裏に鮮やかに蘇て淡く消えていた。
    無理だた。我慢出来ずに声を上げて泣き出しそうになた。その時突然奇妙な事が
起きた。メール画面の下、閉じる事の出来なくなていた魔法陣と『あにマネ』のウ
ンドが音を立てて自然に開いた。
    続いてポンという気の抜けた操作音と共に、いつの間にか別のソールゲー
のウンドが隣りに開き、キラクターと吹き出しが浮かび上がてきた。
……?な、なんだこれ」
   男はウルスを心配したが、シトダウンはしなかた。事態の成り行きを見守
ていると、吹き出しに次々と文字が打ち込まれていた。
『おい。お前。お前だよ。この引きこもり野郎。見えていたら返事しろ、このデブ』
    画面ではイケメンアニメキラがこちらを睨みつけている。まるでこのキラがこ
ちらに向けて喋ているようだた。
するとそこに、文末に点滅するカーソルが現れた。シミレーンゲームでよく見
る待機状態だ。そこで男は反射的にマウスをクリクしていた。
「おい。お前。お前だよ。この引きこもり野郎。見えていたらささと返事しろ、こ
のデブ」
   声優が吹き込んだらしき音声が再生された。悪ふざけが過ぎる、男はそう思た。
   男はこのキラに見覚えがあた確か女の子向けのハーレムソールゲームだ
たはずだ。
「えー。名前はなんだ……ルなんとか」
「ルクル。ルクルだよ、引きこもり野郎。人の名前ぐらいちんと覚えろよ」
    まるで男の言葉に答える様にして、ゲームキラの音声が再生された。流石の男も
違和感を感じてきた。
「んん?誰かがソールゲーム内のチトリンクでも送てきたのか?」
   男はそう思た。だが違ていた。
「リンクなんかじないよ。試しに回線ケーブル外してみろよこのバカが」
   悪質だ、そう思た男はパソコンに繋いである回線ケーブルを外した。
「おお、ほんとに外しやがた。確かネトゲやてる最中じなかたか?ま別に
どうでもいいか」
    相変わらず少年は、まるでこちらの行動を逐一観察し把握してるかの様に、すぐさ
ま返答をしてきた。
「は!?何なんだよお前!?」
「だからルクルだて言てるだろ、痴呆かてめえは。だからミの時と同じだ
よ。俺はガラスの向こう側にいるんだブタ野郎」
    男が不思議そうにガラスを触る。すると嫌そうな顔で少年がすばやく指を避けた。
「ああ、そうだ。今もこうしてガラスの向こうのゲームの世界から直接見てるんだ。
お前らは知らないかもしれないが、こちからだてその醜い姿が丸見えなんだよ」
「何だこれ……一体何が目的なんだよ……
「目的か。目的はもちろんミだ。お前だて今一番の目的はミだ。そうだ
ろ?情けなくて泣き出しそうになたくらいだしな、ビてよ」
   少年は先ほどの男の泣き真似をした。男はようやく理解してきた。
「お前……いつから見てたんだ!」
「うるせえな。だからずとだて言てんだろ馬鹿野郎が」
   パソコンの画面に被せる布を探していると、少年が話し掛けてきた。
「いいから黙て話を聞け。お前の働き如何んによては、彼女を助ける事だて出
来るかもしれないんだよこのカス」
「え?……な!ほ、本当か!」
「嘘なんかついてどうする。もちろんお前みたいな役立たずのクズ野郎は、騙されて
グチグチの肉ミンチにされればいい。でもそれじあミが助からなくなるだ
ろうがボケ」
    男は少年がムダに絡んでき過ぎてる気がした。つまりこれは少女を連れ出した男に
怒りを向けている証拠ではないかと男は直感していた。
「分かた!つまり……君が怒ているのはミの親友だからなんだな!そか…
…もしかして助かるかもしれないんだ……
    と啖呵を切て、少年は嫌そうに男の次の言葉を待ていた。
「それで俺はどうしたらいいの?」
「おう。お前は今すぐゲームの世界に来るんだ。【あにマネ】の中にな。そこでキ
ラとしてゲームをクリアしてもらう」
「ゲームの世界で……クリアを……。なるほどそれなら助けられるかも」


"""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""


    巨大な一面のガラスの前、少年が一人立ている。
少年の視線は、先ほどから彼の側で四つん這いになて動かない男の上に注がれてい
る。もう十分はこうして過ごしていた。
「まだかデブ。早くしろ」
    男は汗まみれだ。息も絶え絶えに疲れ果てて倒れている。少年の横、少し離れた場
所に立つ一枚の看板から、何故か少女の声がした。
『お兄ちん!ちんと持てきた!?私が大切にしてた髪留め!』
    少女の声はどこか不機嫌そうな響きだ。でも少年も男も振り返らない。少年は男の
身体を見据えたままである。まるで軍隊の教官と新兵いた様相を呈していた。
「待……、ふ……。い、息が……
    うど少女の身長くらいはある看板に、微笑みを浮かべて立ている少女の姿が
印刷されていた。
『ほら!走て取てきてよねー!急いで!収録始まう!』
   それはまるで販促用の等身大パネルといた風情がある看板だた。下の方にブツ
ブツと穴の空いたスピーカーがあり、其処から少女の声が出ていた。
「だとよ。姫が言てるぞ。ほら走れブタ」
   しかしそうは言われても、男はもう一歩も動けなかた。汗で濡れた頭が吐息で激
しく上下している。どうやら回復まではもう少し時間が掛かりそうだた。
だらしなく開いた男の口元からは涎が垂れ流しになていた。
いいざまだ、少年はそう思ていた。せめてミの何分の一がでもその苦しみを味 
わうがいいと、男の苦しむ姿を睨みつけていた。
「あ、あれ?……だ、ダメだ……ごめんルクル……と目まいが……ん」
    そう言うと男は支えを無くした操り人形のように、突伏して地面に倒れ込んだ。
男はそのまま意識を失た。どうやら疲れ果てて寝てしまているようだた。少年
はまたケと啖呵を切た。
 ……今日はこのぐらいにしといてやるよ」
    その場を立ち去ろうとした少年が、ふいに下を向いた。すると男の腕が遠くに伸び
ていた。しかもその手が少女の看板に向けて手を伸ばしてるようだた。反射的に少
年は男の手を蹴り飛ばしていた。
    だが男は一向に意識を取り戻す気配がなかた。恐らくだいぶ疲れていたのだろ
う、深い眠りに着いている様だた。
「クソが……。逃げてばかりの腑抜けの癖に、ふざけやがて」
    まるで捨て台詞を吐くように独り言を呟いて、少年が何処かへ離れて行てしま
た。部屋には男と看板だけが取り残されている。
    少年が暗がりの向こうに行てしまてから暫く後、男の腕がもう一度ゆくりと
動いていた。どうやら無意識に声のする少女の看板の方に向けて伸ばしている様だ
た。
「ミ……てて……今持……。大丈夫……絶対…スー
   くぐもた不明瞭な声でブツブツ呟くと、また寝息を立てて寝始めた。そこで看板
から音割れした少女の声が再生された。
『もう……お兄ちんのバカ』
    男がいる場所は、もちろんかつて少女がいた光の差し込まない場所だた。相変わ
らず時間軸が分かり辛い。
男が一体何をしているのかと言うと、ゲームの進行だた。但しコントローラやマウ
スではなく、ゲームのキラ側での、身振り手振りを使た特殊なコマンド入力方法
た。
『俺たちと同じ事をすればいいんだよ』
    最初少年はひどく簡単そうに男に言た。まるで赤子の手を捻るように語た。だ
がもちろん捻られたのは男の甘い考えだた。
    最初は一つの動作でさえ満足に入力出来なかた。
『それがお辞儀かよ?』
    なにしろ現実の世界でマネーとして働く場合の、実際の身体の動きでは駄目
なのだ。キラクターの動きとしては、まるで足りなかたのだ。むしろ現実の動き
の十数倍のエネルギーが必要だた。
『ふざけんなよ?アイドルの不始末を詫びる大切なお辞儀だぞ?そんな動きで画面の
向こう側のプレイヤーに、細かいニアンスが伝わると思てんのかテメエ』
    それは一見俳優が、舞台で演劇の稽古を受けている姿にも見えなくなかた。だが
そこには一切の余興性といた物が感じられなかた。
『ほら、その後は急いでダで次の現場に直行だ。走れブタ』
    男が端に向けて必死で走る。だがどれだけ走ても、立ち位置は変わらない。特に
展開の飛躍や省略が大変だた。コマンド入力では実際に行う動きを省略出来なか
たのだ。一つだておろそかに出来ない。
    こんな事ならば、現実世界で少女の側でマネーとしてクリアを速めた方がい
いのではないか、男はそう文句を吐いたこともあた。
『馬鹿が。なぜこんな事になたのか知らないのか。アレは魔法陣の力が弱またせ
いじない。本来契約は有効で、現実世界でさえクリアするまで続くはずだたんだ
よ』
    それならば何故ミはクリア出来ずにいるのか。男が不思議そうな顔をしている
と、少年がしびれを切らしたように説明し出した。
『もういい。つまりな、ミの存在があまりに人間に近づき過ぎてしまたからだ
よ。お前だて、ゲームの頃とは何か違うと感じていただろ?その為にバグとして機
能しまい、結果としてゲームの強制力に歪みが出てきてしまたんだ』
    少年は煩わしそうにため息を付く。
『しかしま……本当に何も分かてないなこの野郎。だいたいミが人間に近づ
いて行ている一番の理由が何だか分からないのか?』
    どれだけ考えても男には正解が分からなかた。
『お前の存在だよ』
    少年はそれからも説明した。他人を思うこと。それで心にありとあらゆる感情が生
まれること。少女が男を大切に思う事で、少女に感情が産まれたと言うこと。
それはもちろんそれは道筋の決まているゲームに必要のない概念であり、男が四六
時中近くにいたら、ますます少女が人間に近づいて、歪んだ強制力がそのまま崩壊を
招くに決まていると言うこと。
   全てを聞いた男は、しばらくの間神妙な顔をしていたが、やがて少年に頭を下げ懇
願する様に全面に指示を仰いでいた。
「ミ……もうすぐだから……てて……今クリアはする……。大丈夫……
対…スー
    いま少女と男に時間がどれだけ残されているのかは分からなかた。だが、初めて
男が少女の為に動いたのは間違いなかた。
 


"""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""
 

    男が必死でゲームの世界で必死で攻略作業と格闘しているその頃、一方の少女はマ
ンシンの一室で大量の文章と格闘していた。
……あー、もう。これ以上どう直せばいいて言うんだろう……
   それは世間では始末書、若しくは反省文と呼ばれている代物だた。パソコンで何
ページにも渡て書き込んである。今回の騒動について、自分の何が悪かたのか、
またどうすれば良かたのかを、自分なりに振り返り反省する文章である。
   ただしマネーからは中々OKのサインが出なかた。どれだけの分量を書いて
も、彼からの評価は結局『まだ報告が足りません』の一点張りだた。彼は勘も鋭か
た。恐らく噂話を真実が含まれていると疑ているのかもしれない、少女はそう思
た。
「わ……
   だがもちろん真実を書いてしまうわけにはいかなかた。一度書いてしまえば全て
を一から白状しなければならないし、またそれを信じて貰えるとは思えなかた。
    終わりが見えなかた。何もない砂漠にずと砂を落とし続けている感覚。自分を
形どていた枠が曖昧になり、砂として落ちていく。
「駄目。諦めたら駄目。そこで終わる。絶対駄目」
   だが恐らくこのまま芸能界を引退させられるのだろう。そうなれば自分はどうなる
のか。ゲームの設定すら破綻する。
    分岐の一つとして処理されるのだろうか。バドエンド。見るのも嫌な文字だ。か
つての少女にとては何でもない単なる一場面だたが今になると、とてつもない恐
怖を伴う結果として認識に染み込んできた。不安になた少女は堪らず男のパソコン
にメールを送てみた。だがもちろん少女の部屋の回線は繋がて居なかた。
   その時、ポンという軽い機器の捜査音と共に、画面上にいつの間にかソールゲ
ムのウンドが開いていた。
「え、回線も繋いでないのに」
    ラクターと吹き出しが浮かび上がてきた。さらに驚くべき事に、そこには懐
かしすぎる顔があた。
『や、久しぶりだね』
「ルクル!ルクルだ!……え、まさか本当にあなたなの?」
   少女は感激のあまり、声を出して画面に話しかけた。でも本当に少年が訪れるとは
夢にも思ていなかた。
『また泣いてないかと思てね。さゲームを始めよう』
    なるほど。少女は上手いと感心していた。こうやて宣伝して広めているのだと改
めて知た。
だがゲームはなかなか始まらなかた。少女が困惑していると、急にゲームキラは
姿勢を崩して砕けた口調で話し始めた。
「え、泣いてないの?相変わらず気丈だなミは。少し泣くぐらいじないと女の
子は可愛くないんだがな」
    懐かしい声が再生された。だがそれより何より、少女はその懐かしい憎まれ口に思
わず声を上げてしまた。
「あ……ルクル……!」
「久しぶり。元気そうで何より」
「本当に来てくれたんだ……!」
    少女はもはや涙を堪え切れなくなていた。そこで少年は煩わしそうに二三度手を
て、苦笑いをした。
「あーはいはい。感動の再会は終わてからにしよう。くさいのは苦手だしな」
   間違いない。本物の少年だた。でも少女にはまだ事態がよく分からなかた。
「え?終わる?……まさかゲームの世界に帰ろうて事?」
「あー、まそれも考えなかた訳じないけどね。でも魔法陣に掛けられた契約の
内容からすとさ、多分無理なんじない?」
    少年はなるべく曖昧な表現を使い、言いにくそうに言葉をぼやかしていた。だが少
女には何の事かさぱり分からなかた。
「内容?なんでダメなの?」
「おいおい……。今のお前があるのは自分の願い事だろ。忘れたのか?あの時
は恐らく『現実世界に行きたい』て心の中で強く願たはずなんだ」
「あ……
    確かにその通りだた。少女は男が少女を復元しようとしてる姿を見て、強く現実
世界に惹かれたのだ。
男に現実の世界で生身の人間として会てみたかた。そう、それは間違いなく、男
ではなく少女の願い事だたのだ。
「だからさ。ミの方はもう叶てるだろ。後はこちの方に『ゲームの続きをし
たいだけだ』てバカ野郎を呼んで、ゲームの世界でクリアさせれば魔法陣の契約は
終了てことさ」
    そこで少年は嬉しそうに小気味よく指を鳴らし、契約が煙と共に消える手振りを真
似て見せた。ただ少女はその時まるで別の事に気を取られていた。
「バカ野郎……え?もしかして……ツグムさんの事?」
    少女は自分の言葉に、今にもモニターに張り付かんばかりにその身を乗り出した。
「ねえ!まさかツグムさんがそちの世界にいるの?ねえルクル!」
「あーはいはい。居ますよ。楽しくゲームやております。ま心配しないで二三日
ててよ。あのおデブちんでも流石にクリアするだろうからさ」
  そう言うと少年は会話を切り上げて、足早にウンドウを閉めて帰ろうとした。そこ
で少女が叱責するように少年の名を呼んだ。
「ルクル!」
「あー……。見たい?はいはい。ま見たいだろな。しかし何やてんだろね俺も。
どうぞごゆくり」
    少年が別のウンドウを開くと、そこには少女が出てきたゲームの世界で懸命に動
く、男の姿があた。
「あ……!ああ……!」
    汗まみれで必死にクリアを目指し、東奔西走している男の姿が見えた。それは、普
段の男の姿からは考えられない物だた。男はまるで掛け声か声援の如く、ずと少
女の名前を必死に呼び続けている。
『ミ!待てろ!』『ミ!ミ!今行くから』
    少女はモニターに手を伸ばして男の映像にすがる様に触れた。
……ツグムさん……!」
    ゲームの中の世界で、男がふと不思議そうな顔をしていた。看板以外の場所から声
が聞こえた気がしたのだ。しかもお兄ちんとではなく名前で呼ばれていた。
そこで男は一面のガラスを見た。するとそこにはとても大きな少女が、泣きながらこ
ちらに手を伸ばしていたのだ。
「ミ……もしかして現実のミなのか?」
    少女はガラスの向こう側でしきりに頷いている。間違いなく彼女だた。男はガラ
スに駆け寄り、手を立て掛けて必死にガラス越しに少女を呼んだ。
「ミ!大丈夫か?具合は?倒れたて?ミ!待てろよ!すぐクリアするか
ら!」
   少女は額をガラスに付けて男の名前を呼んでいる。男はガラス越しに抱きしめる様
に身体を広げた。
二人は泣き止むまでいつまでもそうして互いの名を呼び合ていた。



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    昼。男の昼は、日曜も寂しく一人で机の上で寝ている場面から始また。
部屋の中はまるで植物園の如く、サボテンがそこかしこに所狭しと並んでいる。パソ
コンのモニターには地味な画面が写ていて、ゲーム画面には見えなかた。
そんな昼過ぎ、ようやく男は深い眠りから覚め顔を上げる。
「ふ……んー
    男は欠伸をしながら、寝ぼけ眼のまま、なんとか身体の強張りを取ろうと必死に伸
びを繰り返した。しばらくは回転イスの軋む音だけが部屋に響いていた。窓からは太
陽の光が斜めに差し込んでいる。
「ミ……なんかいま変な夢を見たんだよ。疲れてるのかな?」
    男はかつて少女がいつも座り込んでいた、窓際の一画に声を掛けていた。だがなか
なか少女の返事は返て来なかた。まだ意地悪く笑いながら見つめてでもいるのだ
ろう。男には見なくても分かていた。
のんびり少女の返事を待た。何時まで返事は返て来なかた。
「ん……?なんだよ、日曜日だから出掛けたいのか?……すぐに用意するよ」
   だがもちろん、そこに少女の姿はなかた。
……あれ?」
    男はしばらく無言で床を眺めていた。男には少女の笑顔が見える様な気がした。幸
せな夢から覚め、一人である現実が身に沁みてくると、男は椅子に深く沈み込んだ。
一人では何にも出来ない。男はそう思た。ひどく少女に会いたかた。
「ミ……
   その時、パソコンの画面が一人でに起動した。だが男は特に驚いた様子もなく、切
り替わていくモニター画面を呆然と眺めていた。
「なんだ、もと驚けよこのブタ野郎。せかくこうしてルクル様が出てきてや
と言うのに」
  ソールゲームの画面が開き、美少年が憎たらしい顔付きで登場していた。
「や!会いたかたよルクル……。元気だたかい……?」
   男のモニター画面をジクした少年は口をへの字に曲げて不機嫌そうに立てい
る。だが男はひどく懐かしそうに少年の声を聞いていた。
「ケ……。お前の顔さえ見ないで済むなら、もと元気で過ごせるはずなんだが
な」
  少年はあくまでも舌を馬鹿にしたように突き出して、口汚く男のことを罵ている。
それでも男は懐かしそうに少年に話し掛ける事を辞めない。どうやら男は少年に頭が
上がらない様だた。
「バカ野郎が……本当アレだなお前は。昼間から部屋で一人辛気臭い顔なんかしやが
て」
   少年の少し苛立た表情に、男は申し訳なさそうに笑ている。
「窓際見つめて『ミ……!ウエーン』てか?しかりしやがれこの
豚!もう一辺こちでシゴいた方がいいんじねえか?」
「そ……。いやでも本当にそうだな……
    どうやら少年はガラスの向こう側から監視し、ずと男の近況を追ていた様だ。
ほぼストーカーに近いが、少年に言たら最後、どんなことを言われるか分かた物
ではなかた。
「で?用事は?わざわざ人のゲームに土足で上がりこんで、ギ騒いでただ
ろが」
「なんだよルクル……、あれやぱり気づいていたのか……
「アホか。回線繋がてる所で勝手に話し出したら、バグ扱いされて処理されるだろ
が。もと気を使えドアホ」
「なるほど。よく考えなかた。ごめん……
「しかしミもお前も、どうしてこう後先考えずに動けるのかね……。無謀な行動
かでさ……。もうアレだよな、天性の英雄か単なるバカのどちかだよな」
「はは……。ひどい言い方だな」
    でも実際に少年の言うとおりだた。男はもちろんだが、少女にはどこか特に無鉄
砲すぎるような帰来が度々見受けられた。
「本当に……。またく、考えなしに突走りやが……。あのバカ野郎は」
    少年はどこか半分諦めてるかの様に少女のことを口にした。だがその時、男が急に
沈黙したまま暗い表情でしだいに翳りを見せる様になた。顔を俯けたままいる。
「おいおいなんだよ……。いや待てコラ。は?あのさ、なんでお前がそんな顔してる
んだよ」
「だてさルクル……本当にこれで良かたのかな……つい考えちうんだよ」
    うつむいたままの男。後ろ向きな考え方をする癖がどこかにまだ抜け切れていない
様子だた。
「こんな俺の為に、あの素晴らしいミが犠牲になるなんてさ……なんか間違
ないかな?……
   その時少年が、恐ろしい形相で男を睨みつけてきた。
「あ?犠牲だ?まさかテメエ。ミが後悔してるなんてことを考えてんじないだ
ろうな?だとしたらテメエはそれこそ真性のクズ野郎だからな」
「ルクル……
「ミが一番大切なのはな、自分じないんだよ。それぐらい分かるだろうが。お
前がそんな風に考えることがな、あいつにとては一番の侮辱になるんだよ」
    少年は怒りを声で押さえつける様に、低くゆくりした声で話した。
「お前はお前で、自分に出来ることを必死で考えろ。いいかこのブタ野郎」
   男は少年になんと言て感謝すべきなのかそれさえ分からなかた。自分の気持ち
をありのまま話すことにした。
「ありがとうルクル。本当に、本当にありがとう。君がいなかたら俺は」
「は……。なんでお前に感謝されなきいけないんだよ。お前なんかな……
いいや。もう戻らないとまずい」
「うん。分かた。会えて嬉しかたよルクル。な、また会えるだろ?もと頻繁
に訪ねてきて欲しいんだ。ゆくり話もしたいしさ」
    男がそう言うと、少年は中指を突き立て、憎まれ口を叩いていた。
「お前がこちの世界に来い、このブタ野郎。泣き言なんか言わない様に徹底的にシ
ゴいてやる」
「分かたよ。楽しみに待てる」
「ケ。ところでお前はどうするんだ?また部屋でビービー泣くのか?」
「あ……うど天気もいいしね……と顔見せにでも行てくるよ」
    男は空を仰いで、遠くに流れる雲を見つめていた。高い空には良さそうな兆しは浮
かんでいなかた。それでもこうして毎日やて来ていた。
「そうだな……あいつ寂しがり屋だたからな」
    少年がモニターから外れて行きながら、自分が一番寂しそうに少女の事を語てい
る事には気づいて無いようだた。
    少年と別れを告げると、男はバスに乗た。一時間をかけ街が一望出来る、見晴ら
しのいい丘のある高台の所まで向かう。
バス亭に辿り着いた男は、バスを降りて一人で歩き始めた。男の手には花束が抱えら
れていた。
閑散とした建物のない野原に敷かれた道路には、僅かな人影さえあまり見えなか
た。車の通りも少なく、バスが行てしまうともはや何の音もしなくなてしま
た。
    心地よい風が、閑散とした場所で手にメモを持た男の、すぐ側を通り抜ける。
「静かだな……
   なぜこういう場所は、ひどく静かな所に造られているのだろうか。男は少女が静か
な場所と同じくらいに、また賑やかで活発な場所と言う物も好んでいる性格である事
を熟知していた。
    少女が気に入てくれているかどうかが心配だた。男には少女がこの丘の事をど
う思うか、しつこく男に聞いてくる様がすぐに思い浮かんだ。
    自分は好きだたが、少女にとては物足りないかもしれない。すると少女はまた
どんな風に物足りないと思うか聞いてくるはずだ。それは少し難しい。少女は変わ
ているからだ。
少女はいつか自分が砂漠に生きる突然変異の動物みたいだと話していたことがあ
た。その時は意味が分からなかたが、常に変化を求めて動き回る活発的で衝動的な
生命体と言うのは案外少女にはぴたりなのかもしれなかた。
    そして恐らく、彼女にとて自分はサボテンなのだろう。その考えに思い当た
時、そこで割りとすんなり受け入れられていたのがサボテンの例え方だた。
男は歩きながらも、クレイアニメの歩くサボテンが、同じ様に道を歩いていく場面を
思い浮かべる。ぴたりかもしれない。
あまり格好付かない部分は誤魔化そうとするサボテン。いつも頼りない失敗だらけの
サボテン。しかしそれでも多分優しい突然変異は快く許してくれるだろう。
なぜだろう。なんで自分はもと強くなれないんだろう。男は悲しいほど強くそう思
ていた。どうしてこうも弱く、最後の棘さえ脆弱のまま、頼りない存在で生きてい
るんだろう。男はつくづく自分の無力さに苛まれていた。
    その棘は大事な何かを守る為にあたはずなのに。生きる事を怠ていた所為
で、いつしか棘さえ弱らせてしまていた。
    気づくと街並みが見える箇所まできていた。そうこうしている間に着いてしま
いたようだた。
    男は遠くに見える街並みを覗く、見晴らしのいい中庭を通り抜けていた。すると
そこで墓地が見えた。男は慣れた足並みで先を急ぐ。
入口から広くない墓地の通路に、赤ん坊を抱えた新婦の姿が見えた。赤ん坊と一緒に
散歩中のようだた。
その生まれたばかりのまだ目も上手く開いてない赤ん坊を、愛おしそうに胸に抱く新
婦の姿は、まるで幸福の象徴そのものの様に男の目に飛び込んで来た。
「なんて可愛いんだろう。そして、なんて幸せそうなんだろう」
   男はついその場で自分の思いを口に出してしまていた。そこで新婦たちが男に気
づく。それから新婦は不思議そうに男に対してこう返事をした。
「あなたは幸せじないの?」
   赤ん坊をあやしながら、そう笑顔で聞いてくる。その表情は幸福と自信に満ち溢れ
て輝いていた。
「俺は……強くなりたい。強くなりたいんだ」
    男は、自分でもそれが答えになていない事を重々承知しながら、それでもじりじ
りと膨らんでいく己の不安と恐れに向き合い、必死で歯を食いしばていた。
新婦はそんな男の様子に、ひどくおかしそうに笑ている。そして空いてる片手でポ
ズを作ると、可愛いらしい声で男を叱責した。
「もう!じあ早く強くなてよね!このバカ兄貴!」
    男はもはやそれになんて答えればいいか分からなくなていた。赤ん坊の姿は何も
かもが愛おし過ぎて、抱き抱えたらそのまま押し潰してしまいそうで怖かた。もち
ろん少女に馬鹿にされそうで言えなかた。
「幸せだ……!怖いくらい幸せなんだ……!でも君はどう?俺だけなのかな」
「じあ私も幸せ。貴方が不幸なら私も不幸。それで分かた?」
「いやでも」
「キスでもされたいの?じあしてあげるからコチ来なさい」
    少女は片手を男の体に回し、赤ん坊を挟む様にして抱きかかえる。流石の男も逃げ
はしなかた。
「キスはダメだ。もし君が病気にでもなたら。そうだ病院は?駄目だよ!はやく安
静にしてないと。あ、サボテンの花を持てきたよ。あとさ、ルクルに会たんだ!
元気そうで……元気といえば、赤ん坊が泣いてなくない!?泣かない子は体力がつか
ないて」
    急に喋り出した男の様子に、少女の顔に困た様な笑顔の花が咲いた。男は彼女と
生きていける事の喜びを噛み締め、墓場に入るまで支え続ける事を密かに誓てい
た。

《了》
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