今と君
少女には未来が見えた。いや、少女には未来しか見えなか
った。
山奥にひっそりと佇む小さな村。世界から隠れるように存在するその村で少女は育った。聴覚、嗅覚、味覚、触覚。それらは他の子供と何一つ変わらなかった。しかし、視覚だけは違った。当初周りの大人達は、焦点の定まらない瞳から彼女は目が見えないのだと判断した。しかし物を話すようになってからそうではないことに気付く。木や鳥の姿を明確に把握していた。そして以前に少女が話した内容が現実に起こることが幾度もあった。それらの出来事を経て、大人達は驚きつつも認めた。少女の視界には常に未来が映っているのだ。
少女の目に映る未来は様々であった。三日後を映す時もあれば、百年後を映すこともある。それらが前触れもなく移り変わって行くらしい。そしてそれが何時のことなのか少女には把握出来ない。その為、俗に言う未来予知として活用することは困難であった。村人達は少女が見た景色を常に記録し、それが自然災害などの場合には前もって対策を取っておくようになった。忘れた頃に自然災害が発生するが、前もっての対策のお陰で大きな被害は出ない。彼女はその神秘性も手伝い村人達に崇められ、村の目として生きることになった。
少女の目には常に未来が映っている為、日常生活を送ることは困難であった。現在を視覚以外の感覚で補う必要があるからだ。村人達は世話役を用意した。それは少女の幼馴染の少年であった。未来視認という特殊能力を持つ彼女を村全体は有難がったが、村人個人は恐れた。どこを見ているか分からないような表情で、全てを見透かされているようであるからだ。しかし幼馴染の彼は、少女が未来を見ることが出来ると知られる以前から仲良くしていた。彼は少女を恐れていなかった。幼い頃から親しんでいた彼は、少女の色々なことを知っていた。心優しいこと、大声が嫌いなこと、いつもありがとうと言うところ。彼にとって少女とはそういう女の子で、未来が見えるなどというのはつい最近追加された彼女の特技に過ぎなかった。彼は少女のことが好きだった。そして少女も、彼のことが好きだった。
「私ね、一つだけ願いがあるんだ」
「ん? 願いって何だよ?」
「一度で良いから、君の顔を見てみたい」
「あぁ、そうか。見られないと決まったわけじゃないんだな」
「うん。でも、もし見られても君と気付かないかもしれないね」
「……そうだな」
先を知ることが出来るようになった村は平和に年月を重ね、十年後。山賊が襲った。
村人達が泣き叫ぶ声が聞こえる。何かが焼ける臭いが鼻腔を突く。肌はじっとりと汗ばむ。山賊が村に火を放ったのだろう。しかし視界だけは何時の日か分からない長閑な山を映している。
少女は困惑していた。視界に、山賊が村を襲う未来が映ったことはなかったのだ。偶然今まで映ったことがなかったのだろう。しかし少女の未来視認に頼り切りだった村は山賊対策を何一つ施しておらず、結果として易々と侵入を許してしまったのだ。少女は困惑し、そして自分を責めた。私がこの未来を見なかったばかりに、と。
戸が蹴破られる音がする。少女が居る部屋にも山賊がやって来たのだろう。聞いたことない下品な男の声がする。何だお前? 可愛いなぁ? ん? 何だお前目が見えないのか。良いもん着てるな。お? 金目のもんが転がってるじゃねぇか。
視界には相変わらず長閑な山が映っている。山賊の言うことは半分当たっている。少女には現在が見えない。武器を携えた屈強な男から逃れる術など、あるはずがなかった。山賊は今この部屋を物色しているのだろう。自分が盲目である為、命を奪うのを後回しにしているのだろう。汚してしまっては価値が落ちるから。少女は自分の未来を確信する。今日限りだと。
その瞬間、視界に映っていた長閑な山の景色が消える。そして次に映った未来には、一人の少年が居た。切羽詰まった顔でこちらを見て、何かを叫んでいる。誰? 少女がそう思う間もなく。
な、てめぇ誰だ! うぐぉ。先程の山賊が驚いた声を上げる。倒れる音。そして。大丈夫だったか!? 急いで逃げるぞ! 幼馴染の声だ。そして少女の視界の未来に映る少年も、同じように唇が動いている。少女は察した。これが彼だと。今映っている映像は、ほんの数秒先の未来なのだと。それはほとんど現在であった。少女の願いが叶った瞬間であった。一度で良いから、君の顔を見てみたい。
現在が、そして幼馴染の顔が見られた少女。山賊に襲われた村がこれからどうなるのか。その未来は見なかった。