【BNSK】品評会 in てきすとぽい season 8
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子供時代
投稿時刻 : 2014.11.24 20:07
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子供時代
ほげおちゃん


 直子お姉さんが僕の前に現れたのは、小学四年生のときだた。お姉さんは僕のお母さんのお姉さんにあたる伯母さんの子供で、親元を離れて僕らと一緒に住むことになたのだ。何故そうなたのか、詳しい理由は教えてもらえなかた。一緒に住むことになたから、というお母さんの一言の説明だけで。直子お姉さんと僕は、七つ歳が離れていた。
 お姉さんの第一印象は、おかしなくらいしかりした人だた。
 伯母さんが黒光りする自動車を僕らの家の前に停めて、「じあよろしく頼むわね」と一言声を発し、お姉さんとそれに付随する荷物をぽいと捨てるように道端に置き去りにした。そんなことがあた直後なのにお姉さんは凛として、「これから少しの間お世話になります」と淀みなく僕らに挨拶したのだ。そのとき、まるで先生が家庭訪問に来たような居心地の悪さがしたのを僕は覚えている。
 お姉さんには、家の空きとなていた一室が割り当てられた。元々、将来生まれてくるはずだた僕の妹が使う予定の部屋だた。
 僕は最初しばらく、お姉さんとはあまり口を利かなかた。僕は昔からよく人見知りをするタイプだたし、お姉さんをこの家に対する侵略者みたいに思ていたから。またお姉さんもあまり話をしようとしてこなかた。僕とだけじなく、お父さんやお母さんに対しても。群れを外れてなお孤高でいようとする一匹狼みたいだた。
 お姉さんに対する印象が変わる切掛けになたのは、習い事の剣道での帰り道のことだ。
 僕は毎週水曜日と木曜日に、自宅から少し離れた警察署の剣道教室に通ていた。学校が終わてから支度して、だいたい午後6時くらいに帰路に就く。僕は寄り道するほうじなかたので、コースは決まていた。路地をとことこ歩き、鳩の糞の跡が酷い電車の高架下を通り、ドーム状の滑り台が真ん中にぽつんとあるだけの殺風景な公園の前を通り、家に着く。まだ夏の暑い時期を少し過ぎた頃で、千切れた雲と、本当に焼けたような色が空に広がていた。
 僕はその公園で、初めて家の外で活動するお姉さんを見た。セーラー服を着ていた。それは朝でも目にする姿でとくに珍しくもなかたけれど、その姿で球蹴りをしていたのだ。サカーどころかフトサルだとしても人数が足りていないし、何よりゴールがあるのかすら分からない。ただ、僕と同じかそれより少し小さな少年達と、必死になて球蹴りをしていた。セーラー服が汚れることも、スカートが振り乱れるのも構わないぐらい真剣だた。そして僕が観察している限り、お姉さんがボールを操ている間は、一度もそれを奪われることはなかた。
 僕は立ち止まり、お姉さんと少年達を見入られたようにじと見つめていた。お姉さんが顔を上げ、僕と目が合う。
 お姉さんは「しまた」という顔をこちらに向けた。お姉さんが狼狽する顔を見たのは、後にも先にもその一度きりだ。少年達が間もなくお姉さんの様子に気づき、その原因と思わしき僕のことを一斉に見た。僕は非難されているような気がして、その場を一歩も動けなかた。
 不意にお姉さんの顔に、ぱと笑顔が咲く。
「勇樹くん! 一緒にサカーしようよ!」
 僕はかと頬が赤くなていくことが分かた。名前で呼ばれたのはそのときが初めてだたのだ。むず痒くなた僕は、一目散に逃げ出した。お姉さんの「あ」という声が聞こえたけど、聞こえなかた振りをして。
 その日を境に、お姉さんの態度は変わていた。僕だけじなく、お父さんやお母さんに対してもだ。だけど一番大きく態度を変えられたのは、やはり僕だた。
 お姉さんは必死になて僕の気を引こうとした。僕の服についた糸くずを取ろうとしたり、ピンと跳ねた僕の癖毛を直そうとしたり。数少ないお小遣いで買てきたお菓子を僕に渡そうとしたり、一緒にゲームをしようといてきたり。僕と仲良くしようと言うよりは、僕を仲間に引き入れようと、必死になていろいろ画策しているような……
 そのくせゲームでは、一度も手を抜いてくることがなかた。
 お姉さんは対戦ゲームが好きだたのだけど、毎回ぐうの音も出ないほどコテンパンにやられた。しかもそれはただ純粋に力を競うのではなく、あの手この手を使てこちらを蹴落とそうとしてくるからタチが悪かた。
「もう嫌だ!」
 レースゲームにてお姉さんがわざと順位を下げて僕にお邪魔アイテムをぶつけてきたとき、僕はついに怒てコントローラーを放り出してしまた。
「ご、ごめん、勇樹くん……
 お姉さんは僕を怒らせると、いつもバツの悪そうな顔をした。本当に申し訳なさそうにするのだけど、それでいて毎回忘れたように意地の悪いことをしてくるのだ。しかも仲直りの方法として毎回何か食べ物を買てくるというのだけど、必ずそのどれもが僕にとて大変魅力のあるものだた。小学生の時分は、何でも大抵のものは欲しいと思うのだろうけど……
 しかし僕は昔から自分でも認める強情で、たとえ相手が魅力的な提案をしてきたとしても、素直にそれを受け入れられないのだた。
 お姉さんはいつも俯くと、毎回決また文句を口にした。
「勇樹ていう名前、私好きだな。ふつうユウキのキて、気力とか気合いの気で書くじない? だけど樹木の樹て、なんていうかさあ……勇ましく立ている一本の木。そうイメージしちうんだよね。ただ一つそこに、自分を持てじと立ているの」
 いつかお姉さんは僕に笑顔を向けて、「君にぴたりの名前だ」と言葉を付け足した。お姉さんはどうやら、人の名前を褒めることが人を褒める最大限の言葉だと思ているらしかた。そしてそれは、少なくとも僕に対して効果はあた。僕はそのように自分を褒められると、お姉さんのことを嫌てはいけない、何だか天を味方につけられたような、どうしようもない気分にさせられるのだた。
 僕らはそうして幾度かの衝突と仲直りを繰り返し、共に過ごす時間は少しずつ長くなていた。
 僕がお姉さんについて分かたのは、普通の人と変わているということだた。他人と違うものを好むというよりも、他人が既に卒業しているものを好んでいる。単純に一言で言えば「子供ぽい」で済むのだけど、そこには子供心に僕らとは違う、何かの哀愁が漂ているように僕には感じられた。ふたりで子供向けアニメ映画を見に行て、ある女の子が別世界に行き色々な人と関わて、最後は戻てくるという物語だたのだけど、エンデングのシーンでお姉さんはぼろぼろと涙を流し泣いていた。このまま全身の水分が出きてしまうんじないかと思うぐらい、凄まじい泣き様だた。同じ会場でもう一人、孫を連れてきたと思われるお婆さんも泣いていた。子供向け映画がたまに大人の心を打つことがあるけれど、お姉さんにもどこかそのような、老幼交わた歪な感受性を秘めているように思われたのだ。
 僕にとて小学四年生、お姉さんにとて高校二年生の日々はそうして過ぎていたのだけど、学年が上がるとその様相は少しずつ変化していた。お姉さんが受験勉強するようになり、僕と過ごす時間が減ていたのだ。もちろん一日中顔を合わせないわけじなく、食事中のときとかはまるで本当の家族みたいに一家で談笑したりした。だけどお姉さんは確実に自分の時間を作て部屋に籠るようになてしまい、それを邪魔することはとても憚られることのように思えた。それに相変わらず僕も強情だたので、お姉さんが僕に構てこない限りは僕も構たりしない、そういう不文律を課していたのだ。
「高校を卒業してもずとここにいてもいいのに」とお母さんが言たけれど、お姉さんの答えは「社会に出る前に、一度ひとりの力で生活してみたいんです」というものだた。お姉さんは奨学金を得て、自分ひとりの力で大学に通うつもりだたのだ。当時は一体何をやているんだろうと思たけれど、今となれば少しお姉さんの気持ちが分かる気がする。人の心は天変地異みたいに、どのような思いが去来するか……そしてやてきたものを受け入れるにしろ受け入れないにしろ、その影響を受けないわけにはいかないのである。
 僕は前よりもずと剣道に打ち込むようになた。お姉さんと出会う前はそれ以外のこともしていたはずなのに、それ以外のことが何だたのかもはや忘れてしまた。僕は僕自身でもびくりするほど、半年や一年そこらで大きく変わたのだ。それほど子供時代の時間は劇的で、お姉さんと一緒にたまに球蹴りをしていた少年達とも、僕は遊ばなくなてしまた。剣道の腕は伸びた。小学四年生の頃は他の子達とどんぐりの背比べだたのに、五年生の夏頃には上級生達とも対等に渡り合えるようになり、自分自身もと強くなれる気がした。そして僕は地区大会の代表を決める道場内試合で上級生に打ち勝ち、代表に選ばれたのだ。
 地区大会には、勉強の合間を縫てお姉さんも来ていた。両親の代わりに見に来たのだ。会場に来ていたのは各道場関係者か選手達の両親、もしくは小さな子がほとんどだたから、お姉さんの姿は周りから少し目立た。お姉さんはその頃には吹切れて僕に大声で声援を送るようになていて、ともに代表に選ばれた子から「あの人誰?」と声をかけられたとき、どう答えていいのか分からないのと、とても気恥ずかしい気分になたことを覚えている。それでも当日の僕は、すごく気合いが入た。誰かに見られているということがどれほどの力になるか、僕は初めて思い知たのである。
 団体戦は早くに負けてしまたけれど、個人戦で僕は周りの予想を覆し、次々と強敵を降し勝ち上がた。僕の通ていた道場は弱くはないけれどそれほど強いほうでもなく、それまで地区大会を制したことはなかたのだ。それが決勝戦まで進んだのだから凄い騒ぎになた。僕よりも僕の周りが地に足ついていなくて、まるで夢でも見ているような瞳で僕を見つめた。お姉さんも驚いていた。僕は自分の力を他人にひけらかすことが嫌いで、お姉さんには剣道のことをあまり話したことがなかたのだ。お姉さんは初めてきらきら輝くような瞳で僕を見て、誤摩化す余地なく僕は燃えた。絶対にここで勝て県大会、全国大会に行くのだ、と皆に豪語した。
 しかし現実は甘くなかた。僕が決勝戦まで勝ち上がれたのは、もちろん僕が強くなたからでもあるのだろうけど、それ以上に組み合わせに恵まれていたことが大きかたのだ。相手は前年の優勝者で、全国出場経験もある選手だた。僕はその選手に対し、何もできることなくやられた。スピードも技術も、何もかもレベルが違ていたのだ。負けが決またとき、僕は泣いた。人目のあるところであんなにも泣いたのは、生まれて初めてだた。お姉さんがすぐに慰めに来てくれたけど、僕は泣き止むことができなかた。大泣きはやがて止またけれど溢れ出る悔しさが、その日一日中僕に顔を上げることを許してくれなかた。
「そう嘆くな、勇樹くん」
 帰り道、僕の手を引いてお姉さんが言た。
「君にはまだ未来があるじないか、輝かしい未来が。道はこのずと向こうのほうまで続いているんだよ」
 お姉さんが指差す先に、黄金色の空があた。踏切があり、敷かれたレールの上を電車が走ている。反射する光が眩しくて、僕は再び涙腺を刺激されていた。
「勇樹くん、君はまだまだ強くなれるよ。いつか日本一の剣士になてね」
 お姉さんの微笑む顔は見えなかた。けれど僕はこのとき、日本一の剣士になるという夢をたしかに胸に刻んだのだ。
 そして僕らはまた少し疎遠になた。だけどそれは、もしかしたら僕だけの変化かもしれないけれど、ともにそれぞれの夢に向かていくんだという前向きな気持ちで物事に取り組んでいるような気がした。結局僕は、お姉さんに陥落してしまたということなのだろう。そのときになてくると、僕はお姉さんが離れていくことを残念がていると自覚せずにはいられなかた。僕の強情は変わらず、表面上は以前と変わらないように接していたけれど。
 お姉さんは宙を駆ける一本の矢のように、自分の行く道を迷うことなく進んでいた。僕らは束の間にクリスマスを楽しんだり、お正月を自堕落に過ごしたり、もしくはたまの息抜きにゲームをしたりもしたけれど、ついに3月、成績優秀者奨学金の受給資格を得られるほどの成績で、お姉さんは大学入試に合格したのだた。
 お姉さんが大学のある遠くの県に行く前に、一度自分の家に帰ることになた。一人暮らしをするとなれば、それはそれで準備することがあるのだろう。
 以前と同じように伯母さんが黒塗りの自動車でやてきて、お父さんとお母さんにいまいち感謝しているかどうか分からない礼を述べた。お姉さんは最初に会たときより柔らかかたけれど、自分の母の前だからなのか少し固い顔をしていた。
 お姉さんはお父さんとお母さんにきちんとした挨拶をして、「勇樹くん、頑張てね」と僕に言た。僕は不貞腐れ気味に頷いて、お姉さんは自動車に乗りあという間に道の彼方に消えてしまた。本当に、あという間だた。
 あとから気がついたのだけど、僕はお姉さんに恋をしていた。紛れもなく僕の初恋だた。だけど当時の僕はその思いが恋なのかどうか知るまでもなく、物事にひとつの区切りがついたことを心のどこかで感じていた。
 お姉さんに会うことは、もう無いのだ。
 たとえ何時かどこかで出会う日が来たとしても、この日、このときと同じ気持ちでお姉さんに会うことは多分もう無いのだろうと子供心に悟ていた。それどころか、僕と別れる直前のときでさえ、お姉さんは既にもう変わてしまていたかもしれない。僕らは常に変わていて、それはお姉さんも例外ではないのだということが、そのとき僕は直感的に思えたのだ。
「いつか日本一の剣士になてね」というお姉さんの言葉を、僕は思い出していた。あのときのお姉さんがもういないなら、僕に約束した人はいない。だけどその言葉は、胸に深く刻み込まれていた。焼き付くように、焦げ付くように。
 そして僕はこう思う。人は思いに生きるのだ。進む先に望むものがなかたとしても。僕らはそこに、大切なものがあたのだという思いだけで生きている。(終わり)
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