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【BNSK】品評会 in てきすとぽい season 8
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エレファント
 投稿時刻 : 2014.11.29 13:11 最終更新 : 2014.11.29 13:38
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エレファント
木下季花


 子供の時は何故あんなにも世界は大きく見えたのだろう、と大人になてから思うことはままあるのだが、私の息子にもやはり世界という圧倒的な存在が大きく見えているのか、初めて公園に連れて来られた息子はその威圧的な桜の樹や、高くそびえる遊具、象をかたどた滑り台、まるですべてを飲み込んでしまいそうにも思える広大な砂場を見、何も言葉を発することなく公園の入り口に立ち尽くしていた。そのような息子を見て、母親はまだここに来るべきではなかたかもしれないことを思た。まだヨチヨチ歩きから卒業したばかりの、何とも頼りなげな歩みを見せる子供であたが、しかし彼の聡明さは、あるいは感受性や未知への理解力は、他の子供とは違ていることを母親はまだ知らなかた。彼は観察力や、己の中で理論を玩ぶことにかけては他の子供たちよりも優れていた。不可解な事象や状況を目の前にした時、ひとまず考え、理解しようと努めることは、彼の幼いころからの美点でもあた。初めてその公園に訪れた当時、彼にはその公園こそが、自らを試す場所、あるいは自らを鍛える場所だと言うことが、一目でわかた。そこには自分と同じくらいの年齢の子供たちが何人かいた。子供はそこで自らの存在が初めて、いや、初めてではないにしてもそこではきりと、家族以外の異物、他人という存在と触れ合う事を求められているのだと、しかと理解した。いや、もちろん彼がその当時、はきりとそれを言語化しながら考えていたわけではないし、三歳ほどの子供にそこまでの自我、あるいは自意識が備わていたわけでもないのだが、彼はいわば本能のような、言語化されない感覚によて、己に与えられた、自らに強いられているその状況を理解していた。そうだ、まさにここは僕がこれから大人になるまで、さまざまに必要とされるであろう能力を鍛えるための、大きな社会という枠組みに飛び込むための第一歩なのだ! 僕に初めて与えられる試練なのだ! 母親は息子がそんなことを感じていることをつゆ知らず、ただ圧倒的な世界を前に呆けている彼を不安に思い、この子はやはり人前に出ることが苦手なのではないか、同じ年代の、もと言えば家族以外の者たちと遊ぶことを受け入れることが出来ない子供なのではないか、思えばこの子は少し人見知りのきらいがある、そしてあまり笑うことの出来ない、感情表現が少ない子供でもある、そんな子がこの公園という場所で、今までいた場所から大きく広がた世界で果たしてやていけるのだろうか、他人と交わることで得る様々な楽しみと理不尽を、彼は己の中でしかりと受け入れながら成長することが出来るのだろうか、いやそれよりも彼は積極的に他人と接することが出来るのだろうか、三つ子の魂百までと言うが、ここで積極的に自分から話しかけられない子供は、あるいは遊びを行わない子供は、やはり大人になてもコミニケーン能力の欠けた、遊びを積極的に行わずに自分の中でストレスをため込む大人になてしまうのではないか、母親はそんな心配を強めていた。そして彼女は唐突に、自分が導かなければいけない、とまるで神からの啓示を受け取たように、勢い込んで子供の前に立ち、柔らかで滑らかな子供の手を引いた。まるでどうするべきかも分かていない彼を確信に満ちた歩みで、砂場まで連れて行くのだ。そして彼女は厳かに「山を作るのよ、あなたはここで山を作らなければいけないの」と息子に教える。しかし彼としては、なぜ自分がこの場所で山を作らなければならないのか、そもそも山を作るとはどういう事か、それを疑問に思い、母親の顔をまじまじと見つめた。その子供の不安と疑念を感じ取た母親は手本を見せるために砂場で山を作り始める、しかし自分が砂場で山を作たことなど果たして過去にあただろうか、そもそも私の住む地域に砂場のある公園などあただろうか、彼女はまたしても唐突に、自らの疑問に囚われた。
 彼女は回想する。子供の頃、私は三陸の田舎町にある市営住宅に住んでいたはずだ。今から三十年ほど前だろう。父親は旅館の調理師として働き、母親は初めて生まれた我が子である私をどう育てていいものかと悩みながら、まだネトもない時代になんとか隣家に住む年老いた女性から知恵を授かり私を育てようとしていた。私の住む市営住宅は山奥の集落のような場所にあり、まるでバラク小屋のように頼りなげな、木で組み立てられた家に住んでいたのだた。市営住宅と言ても現代の様にマンシンタイプの集合住宅ではなく、一家族ごとに土地を区切られ、一家族に一戸、雑な家屋が与えられていた地域だた。私の家の周りには鬱蒼と樹が生い茂り、その樹のすぐ向こう側には川が流れていたような記憶がある。その木の傍には毎年、どの季節だたか忘れたが茗荷が生えてきて、調理師だた父は喜んでそれを天ぷらにしていた。幼い私にとてその茗荷の天ぷらと言う食べ物は、ただ単に不味いものでしかなかた。しかし父と母は隙間風に吹かれながら美味そうにそれを食べていたのを思いだす……そうだ、家自体はやはりとんでもなくボロかたのだ、隙間風が入り込むのは当たり前で、窓がうまく閉まらない事さえあた。だから夏場なんかはもちろん一日中窓を閉める事がなく、秋になても寝る前までは窓を開け放していた。窓と言えば一つ思い出すことがある。ある日、家族三人で山を下て食糧を買いに出かけ、夕方ごろに家に帰てみると、そこには餌を探しに近くの森から出てきた猿が茶の間の真ん中に居たのだた、恐らく開け放した窓から入り込んだのだろう、茶の間に当たり前のような顔をして坐り、私のおやつであたポテトチプスをどうやて袋を開けたのか器用に食べ、まるで待たされすぎた客人であるかのように私たちを待ち受けていた。その想像を超える光景を見て一瞬呆けた私たち家族だたが、しかし咄嗟に父が「おら!」と言いながら猿の方へ向かて強く床を踏みしだいた、私はその瞬間に猿がこちらに向かて飛び跳ねてくるのではないかとひどく恐れたのだが、猿は恐れすぎた私をあざ笑うかのように後ろへ飛び跳ね、そのまま開け放たれた戸を通じて外へと逃げ出してしまた。私はその出来事のあまりのインパクトに驚き、そもそも自宅に猿が入てくるのは普通なのだろうか、なぜ猿が平然と我が家に侵入しているのだろうかと、不思議に思たものだ。後になてわかた事だが、私の住む地域では猿が出没することなど日常茶飯事だた。登校中に現れ、学校の授業中にグラウンドに現れ、駄菓子屋でアイスクリームを買う私たちの前にも表れた。私たちと猿はお互いを無意識のうちに受け入れ合て共存している不思議な関係にあた。そしてそれが成り立つほどに私の住む場所は田舎だたと言うことだ。しかし、その猿侵入事件を思い返してみるとあの当時から私は平静を装う事に長けていた、目の前で異常事態が起きても動じない子供だた、菓子を取られても猿が家に居ても私は騒がなかたし泣かなかた。そう思て見れば今、目の前で両手に砂を握り、私の作た山にその砂を振りかけている我が息子も、私の性質を受け継いだ子供であることが確かに感じられる、と母親は思た。
 彼は生まれた直後から今に至るまでに、母親になたばかりの私が想像したほどに騒がなかたし泣かなかた。私の落ち着いた性格を受け継いでいるのかもしれない。いずれこの子は、私の様に積極的に他人と喋ることはなくてもクラスの中で幾人か通じ合える友人を見つけ、その子、あるいはその子たちとの仲を深めていき、周りが薄ぺらで浅い交友関係を広げていくのとは対照的に、お互い自らの悩みや苦痛を真剣に語り合えるその友人たちとの交友を絶やさずに、本当の意味での友情を獲得していくのかもしれない。だが、まて。現代はそんなにも優しい世界だろうか。子供たちにとて簡単な世界だろうか。私たちの時代にももちろん苛めなどはあた。女子の間でも、見かけが不細工な子、あるいはうまく感情を伝えることが出来ない子供は、仲間外れにされた。しかし現代において、昔ほどに人間関係という物はさぱりしていない。昔はいかに辛くとも、授業が終わればさよならが出来た。しかし現代にはSNSが付きまとい、例え家に帰たとしても学校での交友関係を夜眠るまで続けなければいけない。くだらない褒め合いや貶し合い、そのような話を夜眠るまで延々と続けなければいけない。その地獄に我が息子は耐えられるのだろうか。自らの世界に入り込みやすい息子は耐えられるのだろうか。
 しかし息子は母親のその想像を覆すかのように、社交的な人間に育ていた。彼はもちろん、砂場で遊んでいる当時は内気な傾向がある子供だたが、彼に交友関係での自信を与えたのは、その綺麗で整た顔立ちだた。もちろん顔立ちが美しいからと言て人生の様々な局面を簡単に乗り切れるわけでもないだろうが、彼は己の美しい顔を理解し、それが武器になる事を早々の内に気が付いたのだた。彼は誰とも分け隔てなく接し、頭も良く、他人を傷つけないように喋ることに長けていた。彼はクラスの中でも権威を得、人気者となた。しかしその事こそが、彼を歪ませてしまたのかもしれない。彼は己が何でもできると思い込んでしまた。そして彼を自己愛に満ちた青年へと育ててしまた。彼は中学生になり、己の中で押さえがたい性欲を感じるようになると、その美しい顔立ちをこれ見よがしに近づけて、クラスメイトや年上の女性に、性行為を求めるようになた。そしてそれは大概の場合、上手くいてしまた。その年代の女子というのは、やはり顔が良ければ大抵のことが許せてしまうのだ。もちろんそうでない女子だて大勢いる。しかし彼は己の顔に忠誠を誓う女子とそうでない女子を簡単に見極めることが出来た。だから彼は高校を卒業するころには様々な女性との性行為を体験していた。もちろん、そのことを彼の母親は知ていたのだが、しかし彼女は息子を嗜めたり強く叱る事が出来なかた。怖かたのだ。公園でおとなしく砂遊びをしていたあの可愛らしい我が子が、家の中で平然と女の子と会話し、キスをせがんでいる。それを叱ることで彼があさり自分を見捨て、縁を切てしまうのではないかと怖れていたのだ。母親である私と縁を切て、知らぬ女の元に泊まり込み、私から離れて行てしまうのではないかと、彼女は恐れていた。だから彼を注意し叱り飛ばすことなど決してできなかた。
 彼は大学に入り一人暮らしをする中で、性への魅力に取りつかれながらも、普通の性行為をすることに飽き始めていた。彼は興奮を求めていた。簡単にできる性行為などは、もはや彼を満足させるに至らなかた。だから彼は己の中に渦巻き続ける苛立ちを抑えるために、それを上回る興奮を得ようとした。彼は駅で好みの女を捜し、そしてその女の後を尾けることに熱中した。自分が声を掛ければ、この女はきと媚びるように俺に懐いてくるだろうと思われたが、しかしそんなことで性行為にたどり着いたとしても彼は興奮を得られるわけではなかた。駅から彼女の家まで後を尾ける。彼女はマンシンに入ていく。マンシンの部屋までこそりと尾いていき、彼女がどの部屋に住んでいるか確かめる。そして彼は後日、彼女が出かけた後のその部屋に忍び入り、彼女の私物に尿や精液をかけるという行為をするのだた。それこそが彼の歪んだ性的欲求を満たす行為だた。しかしその行為を幾人かの女性に続けているうちに、彼は逮捕されることになる。そうして彼は懲役一年を牢で過ごした後(実際には少し早く出られたのだが)二十三歳で、実家に戻り、職を探すことになた。
 彼は親の稼いだ金を使い、堕落した生活を送りながら、職を探し続けた。自分でもなれる職業は何だろう。自分がなりたい職業は何だろう。心から求める職業は何だろう。彼はずと上手くいていた人生が、逮捕されることによて急激に変わり、今まで周りにいた女や男が自分から遠ざかり、母親からも蔑んだ視線を送られ、親戚などからも避けられ、そのような自尊心を踏みにじられる感覚、自分はただの変態的な人間だという事を自覚してから、これからはただまともに生きようという覚悟を決めていた。そのような覚悟を母親と父親に伝えることもなくハローワークで求人広告を見ていると、実家から三駅ほど離れた町にある動物園の飼育係の求人がある事に彼は気が付いた。そこで彼は、はたと思い出す。そうだ、俺はかつてあの公園の象の滑り台に忠誠を誓たのではなかた。彼が思い出す象の滑り台とは、かつて母親に連れて行てもらた公園にある、象をかたどた滑り台のことだた。彼はその滑り台が、公園にある遊具の中で一番好きだた。象はところどころ塗装が剥げ、白目の部分は誰かの悪戯によて真黒に塗りつぶされ、周辺には必ずレジの袋や空き缶などが落ちていた、あの象こそが俺の最初の主だたのではないか、親以外に忠誠を誓た初めての存在なのではないか、大きくなたかつての息子はそう回想する。あの時の彼はまだ、確かに内気な少年に過ぎなかた。自分の顔が異性を誘惑することなども知らずに、世界は決して彼の意思などでは揺るがぬ大きな壁として目の前に存在していた。穢れから守り、そして試練を与え続ける圧倒的な存在として彼の前に立ちはだかていた。そして目の前に広がる世界がただ巨大で楽しさを与えてくれるという喜びを彼は毎日感じ続けていた。しかし何故あんなにも、俺は象の滑り台に惹かれていたのだろうかと彼は思う。ブランコ、シーソー、吊り橋、ターザン、材木でつくられた迷路、それらには一切見向きもせずに、ただ象の滑り台に俺は向かていた……そうだ、今更ながらに思い出したが俺は確かにあの頃、動物が好きで好きで仕方がなかた、動物を愛してやまない純粋な子供だた、動物こそが俺の世界を占める要素だた、母と一緒に街へ買い物に出かければ、必ずレンタルビデオ店に立ち寄り、毎回同じビデオを借りた。動物を紹介する、ナレーンも何もない、ただ動物が生活する様子だけを映したドキメンタリー、幼い子供だた俺に言葉などいらなかた、ただ動物が目の前で生活さえしていれば満足だた、俺はそのビデオの中でも、象に一番心を惹かれていたのだ、象が鼻を器用に使いリンゴをかじる姿、川で水浴びをしている姿、僅かな段差をすら登れない我が子の姿を見て、象とは思えぬほどの速さで我が子の元に駆け寄り、そと段差のない方へ導く優しさに溢れた姿、予期せぬクロコダイルの襲撃に不運に命を落としてしまう象の姿、そこには子供心に感じられるリアリテ、生命とは何かに対する答えが提示されているような気がしたのだ、いや、そんなことは考えずにただ単に巨大なものが好きだたのかもしれない、その穏やかさに心を惹かれたのかもしれない、公園に行て象の滑り台があたからと言う理由で、身近に存在するものこそが実感を呼び起こすと言う理由で、象を好きになたのかもしれない、俺は公園で初めて象の滑り台を見た時に、なぜ彼はここに居るのだろうと思た、それを本物の象だと勘違いしたのだ、しかしそれがすぐに生きている象ではないと気が付く、そして俺は何故か、この象の滑り台は、何かの魔法にかけられたことで一生を公園の遊具として過ごすことを強制された象なのではないか、と子供らしいと言えば子供らしい妄想に犯されていた、この象は今は動けないけれどもかつて生きていた本物の象なのだ、この地に魂を縛り付けられている象なのだ、だからこそ自分はかつての象のように優しくしなければいけない、この像の世話をしなければいけないのだ! そんな使命感に駆られ、俺は象の傍を離れなかたのではないか、あの公園で動かなくなた象に、林檎を与え、他の子供たちが落書きをしないように見張り、撫でながらも懸命に言葉をかけ続け、あなたを一生守り続けると忠誠を誓た相手ではなかたか、今思い返してみるとやけに馬鹿馬鹿しい勘違いではあるのだが、その気持ちは確かに本物だた、誰にも馬鹿にされたくないほど純粋で一途な気持ちなのではなかたか。かつての息子はそう思い、何故だか堪えようと思ても次々に涙があふれ、かつての自分に同情しそうになた、何故俺はこんなにも下らない大人になてしまたのか、象の気持ちを裏切り、母の期待や優しさを裏切り、どうして気持ち悪い大人になてしまたのだろうか、母はどんな時でも俺に優しさを与えてくれていたじないか! どんな時でも俺を信用し、叱ることなく俺を導いてくれていたじないか! しかし、そんな母の優しさを台無しにする行為を俺は犯してしまた、母の期待を裏切り続ける人生を送てしまた! なんて事だろう! 俺はもう一生を使て償い続けなければならない!
 彼はそのような後悔によて動物園にアルバイトとして入り、五年ほど勤務を続けた後に正社員となり、それからの三十年を象の飼育員として過ごすことになる。彼は定年退職をするまで、象に忠誠を誓い続けた。結婚をすることもなく、恋愛をすることもなく、犯罪行為をすることもなく、ただ彼のその後の人生は象のためにあた。そして母への償いのためにあた。息子のその姿を見た母親は、最初はもう息子のことなど信用できない、いつかまた私を裏切るのだろうという不安に苛まれながら息子を見張り続けていたのだが、彼が象に向けて真摯に世話をし続ける様を見て、この子はやはり私が期待した通りの子供になた、心を通い合わせる友を見つけ、決して口数が多いわけではないけれど、何事にも動じず、ただ目の前にある事に真剣に取り組み続ける子供になたのだ……
 ちうど息子が定年退職を迎えようかという時期、息子が六十歳になたばかりの頃に母親は亡くなた。九十二歳だた。息子が飼育員になてから以後、彼女は夫と息子と共に穏やかに暮らし続けた。正しい方向に自分は向かているという確信を持て、家を守り続けた。自分の人生は息子を守り、見張り続けるためにあたのだと、彼女は死の間際に振り返た。それこそが母親の務めであり、人生の意義であるのだ。ある意味では息子に忠誠を誓い、家来の様に彼を世話して彼の幼いままに胸にくすぶり続けた希望を守り続ける事こそが私の人生であたと、母親としての責務であたと言えるのかもしれないと彼女は思う。母親は肺がんに侵され、病室のベドの中で過去の自分を思い始める。茗荷が生え、猿が当然のように客として入てくるあの家から、私の人生はスタートした。中学時代には苛めにあい、高校生活では彼氏が出来るも「あなたの考えていることは分からない」と言われ一月付き合ただけでフラれ、大学に入るも意義を見つけ出せずすぐに中退し、親の勧めで入た会社で事務仕事をする中、今の夫と出会い、結婚してから二年後に息子を生んで私たちの生活はスタートした。それから私たちは言葉で語る事の出来ない家族という奇妙で狂おしい時間を過ごしてきたのだ、思えば今やもう私が生まれた田舎町のあの場所は既に開発が進み、観光地へと変貌を遂げ、旅館が建ている。私の思い出も猿の住処も、全てがブルドーザーで壊され金が行き交う場所となた。全ての出来事が過去の自分から見送られていく、柔らかに手を振られて汽車で旅立つように私は過去の自分から見送られ続けている、私はもう既にこの人生から退場する時が来ているのだ、息子も象を見張る人生をしかりと生き続けてきた。私に思い残すことはもう何もないのだ、母親はそのような言葉を誰にも伝えることなく、己の心にとどめながら死んでいた。息子は母親の死をベドの傍らで見つめていた。偶然にも死に目に会う事が出来た。母の手を握た時の、枯れ果てた感触、かつて幼い彼を公園へと導き、象の滑り台にめぐり合わせたあの柔らかで温かい手は、こんなにも艶を失て冷たくなてしまている! 彼は自分の人生で、かつて一度は裏切てしまた人生で、母親を再び幸福にすることが出来たのだろうか、息子としての役割をしかりと果たすことは出来たのだろうか、その問いに答えられる者はもう現れなかた、息子は人目をはばかることなく涙を流した。
 母親が亡くなてから数か月経ち、いよいよ彼が動物園を去る日が訪れた。彼は動物園のスタフ、常連客、それからもちろん象からも祝福され、別れの言葉をかけられた。もともと象の世話は彼の償いのためにあり、その償いと言うのも世間に対する償いなどではなく、過去の純粋だた自分に対する償い、そして裏切てしまた母のために行われ続けてきた行為だたのだが、それを知らない周りの者は彼を純粋に褒め称えた。彼のひたむきな仕事ぶりを評価し、人間性を愛し、彼がまとうな人間であると誰もが太鼓判を押した。もはや彼は償いなどではなく、ただ象を愛するために生きる人間とみられていた。彼は思い出す。象の飼育員を始めてから七年ほどが経た頃だろうか、檻で餌を与えている時、外から様子を眺めている一人の少年がいた。誰もが己の内にある言葉を喋りたがる世の中にあて寡黙に生きることを誓ていた彼は少年に話しかけることをしなかたのだが、意外にもこの少年の方から語りかけてきたのだた。「おじさんは象使いですか?」その不思議な問いかけに苦笑しながら、彼は首を振る、「残念ながらおじさんは象使いじないよ」、しかし少年は彼の言葉を無視するように問い掛ける「どうしたらおじさんのような素敵な象使いになれますか」。彼はその時初めて、何かが許されたように感じた、無垢な少年に賞賛され、象の飼育員としてこの場に居ることを許されていると感じたのだた。彼は少しだけ考えてから少年に告げる「決して自分の人生を裏切てはならない、象使いになりたいと言う自分の心を決して裏切てはならない、自分を裏切て安易に悪意に向かてしまう奴は、過去の自分から蔑まれ、未来の自分から呪われる奴だ、君はそうならないようにしなさい」その言葉がまだ幼い少年に伝わたわけでもないだろうが、少年は満面の笑みで、その言葉を受け止め、そして二十年後に彼のいる動物園にやて来るのだた。象使いとして、彼の責務と償いを受け継ぐ者として。
 花束を抱えながら動物園のゲートを出る時に、思えば象といる時間だけが、私に与えられた祝福の時間だたのかもしれないと彼は思う。象が私にだけ見せる、大きな声で鳴きながら鼻を振る仕草、私だけに触らせる巨大な脚、「ほら、遊ぼうぜ」と言わんばかりに元気よく駆け出していく姿、私は確かに幸福の中に居たのだ。象を世話することによて、私は確かに象とかつて少年だた自分から祝福されていた。あの幸福な時間がもうやてこないことを思うと、彼は例によて涙を流しそうになたが、しかし自分はこれからも象に忠誠を誓い続ける人生を送るだろうとの妙な確信もあた。その証拠に彼は退職してからもほとんど毎日動物園にやて来て、象の檻の前で多くの時間を過ごした。象の世話をしているのは、かつて彼を称賛したあの時の少年だた。かつての少年は彼と同じくらい象を愛し、忠誠を誓い、彼は安心して彼に象使いの座を継がせたのだた。それからの十七年間、彼は檻の外から象に語りかけ、見守り続ける生活を送た。彼の語りかけを象は決して無視することがなかた。いつだて彼の言葉に大きな耳を傾け、思案するように鼻をゆくりと動かした後で、老いた声で寂しそうに鳴くのだた。
 例年よりも強い寒波がやてきたある日、いつも通りに象の檻の前に立ていた彼は、急に訪れた心臓の痛みに胸を抑え込み、そのまま帰らぬ人となた。死因は心筋梗塞だた。彼はずるずると檻に体重を預けるようにして倒れ込み、まるで象の前で膝を折りながら傅く、従順な家来の様にようにしてあの世へと旅立た。誰も口にすることはなかたがその姿は、まるで象に忠誠を誓い続けた彼にふさわしい、象の前で祈りをささげるような、あるいは妻の前で謝り続ける夫のような、そんな姿だたと言う。そしてその三日後に象が死んだのも、まるで彼の後を追たかのようだたと噂された。彼の忠誠心はまるで誰にも理解されることなく、誰にも語られることはなかたが、それは償いのためではなく、彼自身の愛のためではないかと、彼を真に知る人ならば答えただろうと思う。
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