エレファント
子供の時は何故あんなにも世界は大きく見えたのだろう、と大人にな
ってから思うことはままあるのだが、私の息子にもやはり世界という圧倒的な存在が大きく見えているのか、初めて公園に連れて来られた息子はその威圧的な桜の樹や、高くそびえる遊具、象をかたどった滑り台、まるですべてを飲み込んでしまいそうにも思える広大な砂場を見、何も言葉を発することなく公園の入り口に立ち尽くしていた。そのような息子を見て、母親はまだここに来るべきではなかったかもしれないことを思った。まだヨチヨチ歩きから卒業したばかりの、何とも頼りなげな歩みを見せる子供であったが、しかし彼の聡明さは、あるいは感受性や未知への理解力は、他の子供とは違っていることを母親はまだ知らなかった。彼は観察力や、己の中で理論を玩ぶことにかけては他の子供たちよりも優れていた。不可解な事象や状況を目の前にした時、ひとまず考え、理解しようと努めることは、彼の幼いころからの美点でもあった。初めてその公園に訪れた当時、彼にはその公園こそが、自らを試す場所、あるいは自らを鍛える場所だと言うことが、一目でわかった。そこには自分と同じくらいの年齢の子供たちが何人かいた。子供はそこで自らの存在が初めて、いや、初めてではないにしてもそこではっきりと、家族以外の異物、他人という存在と触れ合う事を求められているのだと、しかと理解した。いや、もちろん彼がその当時、はっきりとそれを言語化しながら考えていたわけではないし、三歳ほどの子供にそこまでの自我、あるいは自意識が備わっていたわけでもないのだが、彼はいわば本能のような、言語化されない感覚によって、己に与えられた、自らに強いられているその状況を理解していた。そうだ、まさにここは僕がこれから大人になるまで、さまざまに必要とされるであろう能力を鍛えるための、大きな社会という枠組みに飛び込むための第一歩なのだ! 僕に初めて与えられる試練なのだ! 母親は息子がそんなことを感じていることをつゆ知らず、ただ圧倒的な世界を前に呆けている彼を不安に思い、この子はやはり人前に出ることが苦手なのではないか、同じ年代の、もっと言えば家族以外の者たちと遊ぶことを受け入れることが出来ない子供なのではないか、思えばこの子は少し人見知りのきらいがある、そしてあまり笑うことの出来ない、感情表現が少ない子供でもある、そんな子がこの公園という場所で、今までいた場所から大きく広がった世界で果たしてやっていけるのだろうか、他人と交わることで得る様々な楽しみと理不尽を、彼は己の中でしっかりと受け入れながら成長することが出来るのだろうか、いやそれよりも彼は積極的に他人と接することが出来るのだろうか、三つ子の魂百までと言うが、ここで積極的に自分から話しかけられない子供は、あるいは遊びを行わない子供は、やはり大人になってもコミュニケーション能力の欠けた、遊びを積極的に行わずに自分の中でストレスをため込む大人になってしまうのではないか、母親はそんな心配を強めていた。そして彼女は唐突に、自分が導かなければいけない、とまるで神からの啓示を受け取ったように、勢い込んで子供の前に立ち、柔らかで滑らかな子供の手を引いた。まるでどうするべきかも分かっていない彼を確信に満ちた歩みで、砂場まで連れて行くのだ。そして彼女は厳かに「山を作るのよ、あなたはここで山を作らなければいけないの」と息子に教える。しかし彼としては、なぜ自分がこの場所で山を作らなければならないのか、そもそも山を作るとはどういう事か、それを疑問に思い、母親の顔をまじまじと見つめた。その子供の不安と疑念を感じ取った母親は手本を見せるために砂場で山を作り始める、しかし自分が砂場で山を作ったことなど果たして過去にあっただろうか、そもそも私の住む地域に砂場のある公園などあっただろうか、彼女はまたしても唐突に、自らの疑問に囚われた。
子供の頃、私は三陸の田舎町にある市営住宅に住んでいたはずだ。今から三十年ほど前だろう。父親は旅館の調理師として働き、母親は初めて生まれた我が子である私をどう育てていいものかと悩みながら、まだネットもない時代になんとか隣家に住む年老いた女性から知恵を授かり私を育てようとしていた。私の住む市営住宅は山奥の集落のような場所にあり、まるでバラック小屋のように頼りなげな、木で組み立てられた家に住んでいたのだった。市営住宅と言っても現代の様にマンションタイプの集合住宅ではなく、一家族ごとに土地を区切られ、一家族に一戸、雑な家屋が与えられていた地域だった。私の家の周りには鬱蒼と樹が生い茂り、その樹のすぐ向こう側には川が流れていたような記憶がある。その木の傍には毎年、どの季節だったか忘れたが茗荷が生えてきて、調理師だった父は喜んでそれを天ぷらにしていた。幼い私にとってその茗荷の天ぷらと言う食べ物は、ただ単に不味いものでしかなかった。しかし父と母は隙間風に吹かれながら美味そうにそれを食べていたのを思いだす……そうだ、家自体はやはりとんでもなくボロかったのだ、隙間風が入り込むのは当たり前で、窓がうまく閉まらない事さえあった。だから夏場なんかはもちろん一日中窓を閉める事がなく、秋になっても寝る前までは窓を開け放していた。窓と言えば一つ思い出すことがある。ある日、山を下って食糧を買いに出かけ、夕方ごろに家に帰ってみると、そこには餌を探しに近くの森から出てきた猿が茶の間の真ん中に居たのだった、恐らく開け放した窓から入り込んだのだろう、茶の間に当たり前のような顔をして坐り、私のおやつであったポテトチップスをどうやって袋を開けたのか器用に食べ、まるで待たされすぎた客人であるかのように私たちを待ち受けていた。その想像を超える光景を見て一瞬呆けた私たち家族だったが、しかし咄嗟に父が「おらっ!」と言いながら猿の方へ向かって強く床を踏みしだいた、私はその瞬間に猿がこちらに向かって飛び跳ねてくるのではないかとひどく恐れたのだが、猿は恐れすぎた私をあざ笑うかのように後ろへ飛び跳ね、そのまま開け放たれた戸を通じて外へと逃げ出してしまった。私はその出来事のあまりのインパクトに驚き、そもそも自宅に猿が入ってくるのは普通なのだろうか、なぜ猿が平然と我が家に侵入しているのだろうかと、不思議に思ったものだ。後になってわかった事だが、私の住む地域では猿が出没することなど日常茶飯事だった。登校中に現れ、学校の授業中にグラウンドに現れ、駄菓子屋でアイスクリームを買う私たちの前にも表れた。私たちと猿はお互いを無意識のうちに受け入れ合って共存している不思議な関係にあった。そしてそれが成り立つほどに私の住む場所は田舎だったと言うことだ。しかし、その猿侵入事件を思い返してみるとあの当時から私は平静を装う事に長けていた、目の前で異常事態が起きても動じない子供だった、菓子を取られても猿が家に居ても私は騒がなかったし泣かなかった。そう思って見れば今、目の前で両手に砂を握り、私の作った山にその砂を振りかけている我が息子も、私の性質を受け継いだ子供であることが確かに感じられる、と母親は思った。
彼は生まれた直後から今に至るまでに、母親になったばかりの私が想像したほどに騒がなかったし泣かなかった。私の落ち着いた性格を受け継いでいるのかもしれない。いずれこの子は、私の様に積極的に他人と喋ることはなくてもクラスの中で幾人か通じ合える友人を見つけ、その子、あるいはその子たちとの仲を深めていき、周りが薄っぺらで浅い交友関係を広げていくのとは対照的に、お互い自らの悩みや苦痛を真剣に語り合えるその友人たちとの交友を絶やさずに、本当の意味での友情を獲得していくのかもしれない。だが、まて。現代はそんなにも優しい世界だろうか。子供たちにとって簡単な世界だろうか。私たちの時代にももちろん苛めなどはあった。女子の間でも、見かけが不細工な子、あるいはうまく感情を伝えることが出来ない子供は、仲間外れにされた。しかし現代において、昔ほどに人間関係という物はさっぱりしていない。昔はいかに辛くとも、授業が終わればさよならが出来た、しかし現代にはSNSが付きまとい、例え家に帰ったとしても学校での交友関係を夜眠るまで続けなければいけない、くだらない褒め合いや貶し合い、そのような話を夜眠るまで延々と続けなければいけない、その地獄に我が息子は耐えられるのだろうか、自らの世界に入り込みやすい息子は耐えられるのだろうか。しかし息子は母親のその想像を覆すかのように、社交的な人間に育っていった。彼はもちろん、砂場で遊んでいる当時は内気な傾向がある子供だったが、彼に交友関係での自信を与えたのは、その綺麗で整った顔立ちだった。もちろん顔立ちが美しいからと言って人生の様々な局面を簡単に乗り切れるわけでもないだろうが、彼は己の美しい顔を理解し、それが武器になる事を早々の内に気が付いたのだった。彼は誰とも分け隔てなく接し、頭も良く、他人を傷つけないように喋ることに長けていた。彼はクラスの中でも権威を得、人気者となった。しかしその事こそが、彼を歪ませてしまったのかもしれない。彼は己が何でもできると思い込んでしまった。そして彼を自己愛に満ちた青年へと育ててしまった。彼は中学生になり、己の中で押さえがたい性欲を感じるようになると、その美しい顔立ちをこれ見よがしに近づけて、クラスメイトや年上の女性に、性行為を求めるようになった。そしてそれは大概の場合、上手くいってしまった。その年代の女子というのは、やはり顔が良ければ大抵のことが許せてしまうのだ。もちろんそうでない女子だって大勢いる。しかし彼は己の顔に忠誠を誓う女子とそうでない女子を簡単に見極めることが出来た。だから彼は高校を卒業するころには様々な女性との性行為を体験していた。もちろん、そのことを彼の母親は知っていたのだが、しかし彼女は息子を嗜めたり強く叱る事が出来なかった。怖かったのだ。公園でおとなしく砂遊びをしていたあの可愛らしい我が子が、家の中で平然と女の子と会話し、キスをせがんでいる。それを叱ることで彼があっさり自分を見捨て、縁を切ってしまうのではないかと怖れていたのだ。母親である私と縁を切って、知らぬ女の元に泊まり込み、私から離れて行ってしまうのではないかと、彼女は恐れていた。だから彼を注意し叱り飛ばすことなど決してできなかった。
彼は大学に入り一人暮らしをする中で、性への魅力に取りつかれながらも、普通の性行為をすることに飽き始めていた。彼は興奮を求めていた。簡単にできる性行為などは、もはや彼を満足させるに至らなかった。だから彼は己の中に渦巻き続ける苛立ちを抑えるために、それを上回る興奮を得ようとした。彼は駅で好みの女を捜し、そしてその女の後を尾けることに熱中した。自分が声を掛ければ、この女はきっと媚びるように俺に懐いてくるだろうと思われたが、しかしそんなことで性行為にたどり着いたとしても彼は興奮を得られるわけではなかった。駅から彼女の家まで後を尾ける。彼女はマンションに入っていく。マンションの部屋までこっそりと尾いていき、彼女がどの部屋に住んでいるか確かめる。そして彼は後日、彼女が出かけた後のその部屋に忍び入り、彼女の私物に尿や精液をかけるという行為をするのだった。それこそが彼の歪んだ性的欲求を満たす行為だった。しかしその行為を幾人かの女性に続けているうちに、彼は逮捕されることになる。そうして彼は懲役一年を牢で過ごした後(実際には少し早く出られたのだが)二十三歳で、実家に帰り、職を探すことになった。彼は親の稼いだ金を使い、堕落した生活を送りながら、職を探し続けた。自分でもなれる職業は何だろう。自分がなりたい職業は何だろう。心から求める職業は何だろう。彼はずっと上手くいっていた人生が、逮捕されることによって急激に変わり、今まで周りにいた女や男が自分から遠ざかり、母親からも蔑んだ目線を送られ、親戚などからも避けられ、そのような自尊心を踏みにじられる感覚、自分はただの変態的な人間だという事を自覚してから、これからはただまともに生きようという覚悟を決めていた。そのような覚悟を母親と父親に伝えることもなくハローワークで求人広告を見ていると、実家から三駅ほど離れた町にある動物園の飼育係の求人がある事に彼は気が付いた。そこで彼は、はたと思い出す。そうだ、俺はかつてあの公園の象の滑り台に忠誠を誓ったのではなかった。彼が思い出す象の滑り台とは、かつて母親に連れて行ってもらった公園にある、象をかたどった滑り台のことだった。彼はその滑り台が、公園にある遊具の中で一番好きだった。象はところどころ塗装が剥げ、白目の部分は誰かの悪戯によって真っ黒に塗りつぶされ、周辺には必ずレジの袋や空き缶などが落ちていた、あの象こそが俺の最初の主だったのではないか、親以外に忠誠を誓った初めての存在なのではないか、大きくなったかつての息子はそう回想する。あの時の彼はまだ、確かに内気な少年に過ぎなかった。自分の顔が異性を誘惑することなども知らずに、世界は決して彼の意思などでは揺るがぬ大きな壁として目の前に存在していた。穢れから守り、そして試練を与え続ける圧倒的な存在として彼の前に立ちはだかっていた。そして目の前に広がる世界がただ巨大で楽しさを与えてくれるという喜びを彼は毎日感じ続けていた。しかし何故あんなにも、俺は象の滑り台に惹かれていたのだろうかと彼は思う。ブランコ、シーソー、吊り橋、ター