並行世界の片隅で
〔 作品1 〕» 2  8 
輪廻蝉
茶屋
投稿時刻 : 2015.02.01 21:37
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輪廻蝉
茶屋


 常永二十一年 八月

 蝉が鳴いている。
 羽根をを震わす摩擦音が腹の中で共振し空気を鳴らす。
 うだるように熱いが、村の子供等は熱さも気にせずに遊び、喚く。
 そんな様子を眩しげに眺める目がある。城生五郎貞光(じうごろうさだみつ)、城生家当主重光の嫡男だ。
「いかが致しました?」
 馬上の貞光に、同じく馬上の従者が語りかける。従者の名は丸子祐定(まるこすけさだ)、貞光の乳兄弟で股肱の家臣だ。
「いや、こんな暑い日でも童らは遊ぶものだな」
「左様でございましう。我らもあれほどの齢の折は暑さなど気にせずはしぎまわていたものです」
 貞光は何か思案げに首を傾げる。
「そうであたかな」
「そうでございましう。覚えておられないので?」
「覚えてはいる。だが、どこか虚ろでな。まるであの頃は常に夢を見ていたような気さえする」
「夢で御座いますか」
 そう言て天を見上げた祐定の青い瞳にはさらに青い空が映る。
 鳶が一羽、円を描いて飛んでいた。
「ああ、あの頃の思い出が、夢か現か、偶にわからんようになる」
 確かに貞光は幼少の頃、この村の子等のように遊んでいたのだ。思い出される。
 一本杉の木陰。田畑に挟まれた小川。地蔵原の野原。
 走り回て、転んで、笑て、泣いた。
「しかしながら」
 祐定は貞光の目を見据えた。
「貞光様の夢はまだ半ば」
「確かに、まだ夢の半ばかもしれんな」
―だがそれは父上の夢を見せられているだけかもしれん。
 貞光はそれを口にはしなかた。口にはしなかたが祐定には察せられているかも知れなかた。
 あの青い目は何でも見通す目だ。
 あの目が、祐定をそうさせた。そうすねば、生きていけぬようにさせた。
 貞光は祐定を見返すと、馬首を返した。
「お帰りで?」
「いつまでもこうしてはおれまい。支度をせねばな」
「支度で御座いますか?」
 祐定はとぼけた様子だたが、祐定が見抜いていることは貞光とて承知している。
「父上はけりをつけるつもりだ」
……
「戦だ。手木州を攻める」
 ふと、貞光は右手の古傷が疼くのを感じた。
 そうして思い出されるのは、かつて幼少の頃に共に遊んだ者の顔だ。
 逢いたい。
 そんな気持ちを振り払うかのように貞光は馬を走らせた。

 常永七年 八月
 
 蝉が鳴いている。
 子は泣くまいと、歯を食いしばている。
 右手からは赤い鮮血が滴り落ちている。
「泣くか! 泣けばよい! 弱い奴は泣け!」
 そんなふうに少女は、泣きそうな少年を罵倒する。
「泣くものか!」
 少年は言い返すもののその声は震えている。
「弱いからそうなるのだ! 弱いものから死ぬのがこの世のならいと、父上がおていた」
「わしは……わしは、弱くない!」
 そう言て少年は刀代わりの棒切れで少女を殴りにかかる。
 だが少女は事も無げにそれを避けると、少年の背中を打た。少年は呻きをあげて、膝をつく。
「ほら、弱い」
「弱くない」
「もう、そのへんにしてくだされ千代姫様」
 もう一人の少年が見かねて止めに入た。青い瞳をしている。名は西坊丸。後の丸子祐定である。
 一方必死に涙をこらえている少年は、最松丸。後の城生貞光だ。
 そして男勝りの腕節で勝ち誇ている少女は千代と言た。直弓家当主・直弓兼盛(なおみかねもり)の娘だ。
 城生家の領地と直弓家の領地は接しており、一族間での交流もあた。
「最松丸様、手当を」
 手ぬぐいで傷の手当をしようとする西坊丸であたが、最松丸はその手を振り払う。
 鮮血が舞う。
 傷は深く、血は流れ続ける。
「まだじ! おなごになぞ負けてなるものか!」
「なりませぬ!」
 必死に止めようとする西坊丸であたが、最松丸の気迫に思わずたじろいでしまう。
「ふん。面白い」
 その気迫に答えるように千代は棒切れを構えた。

 常永二十一年 八月

 蝉が鳴いている。
 直弓兼盛は屋敷の廊下を気忙しげに歩き回ていた。家臣たちに指示を飛ばすと、何か考えこむように庭を眺めたりしている。
「父上、いかがなされました?」
「ん? 千代か」
 娘の姿を認めた兼盛は眉間に寄せていた皺を緩める。
「何ということはない。心配するな」
 そんな父の言葉を信用するような千代ではない。
「嘘をおらないで下さい。顔を見ればわかります」
「ふむ……隠しきれんか」
「いかがなされたのです」
「城生の動きが怪しい。重光めがなにか企んでおる」
 城生重光、貞光の父で直弓家とともに仕えていた手木州家に謀反を起こし、隣国の戸保井家と同盟を結んだ男だ。
 領地を接している直弓家とは幾度も小競り合いがあた。
「戦でございますか」
 千代は鋭い目で父を見た。
「で、あろうな」
 娘の視線を避けるように兼盛は目を庭に向ける。
「大きな戦に御座いますか」
「今度ばかりは彼奴も賭けに出るであろうな」
 千代は貞光や祐定の顔を思い浮かべる。
 久しく見ていない。
 だが、そんな考えを掻き消すかのように、兼盛がひどく咳き込み始める。
「父上!」
 慌てて背中を擦るがなかなか兼盛の咳は収まらなかた。
 口を抑えた掌には赤いものが見える。
「父上……
「皆には黙ておれ」
「しかし……
「戦が起きるのじ
 千代は兼盛の一人娘だ。養子の男子もまだ迎えていない。
「わしがおなごに生まれて来たばかりに……
―おなごでなければ父の代わりに戦えたというのに。
「そう言うな。わしはお前のような娘を持てて幸せなのじ
 兼盛は苦痛を隠すように笑いながら千代の頭を撫でてやた。
「お前には、本当に迷惑ばかりかける」
「父上……
 兼盛は娘に背を向けると、再び眉間にしわを寄せ思い詰めた表情に戻た。
―我が体よ。あと少しだけもてくれ……

 常永十四年 八月

 蝉が鳴いている。
 貞光は廊下を早足で突き進み、障子を勢い良く開け放つ。
「父上!」
 貞光の目の前には口をぽかんと開けて間抜けな面をした父・重光の姿があた。
「どうした貞光。驚いたぞ」
「いたいどういうことですか!?」
 重光は腕を組み、首を傾げる。
「はて、何のことか」
「千代のことです!」
 貞光は肩を怒らせながら重光に詰め寄る。
「ああ、そのことか。直弓兼盛殿の娘、千代姫殿がお前の許嫁になた。将来、我家と直弓家は縁を結ぶ。それだけだ」
 重光は大したことではないとでも言うようにあけらかんと言い放つ。
「手前に相談もなしに勝手に!」
「いいか五郎、お前もこの家の嫡男だ。ならば覚えておけ。決まることは勝手に決まる。そういうものだ」
「わかりませぬ」
「だが決まてしまたものはしようがない」
 その後、何度も問いただそうとするも貞光は重光に簡単にはぐらかされてしまた。
「ならば、直接直弓にいくしかあるまい」
 思いつめた貞光は祐定の前でそう宣言した。
「何故で御座いますか」
 祐定は苦笑しながら、乳兄弟の憤懣とした顔を見る。
「納得いかん。嫁を勝手に決められたのだぞ!」
「千代姫様のことがお嫌いなのですか」
 一瞬の間があた。貞光は言葉に詰また様子だた。
「嫌いだ」
 慌ててそう言たものの、その顔には複雑な色が浮かぶ。
 わかりやすい、と祐定は思た。
「確かに腕節が強いのは玉に瑕ではありますが、優しいお方です」
「ならばお前がもらえ」
「ご冗談を。拙者では釣合いませぬ」
「わしならば釣り合うか。それは馬鹿にしておるのか?」
 祐定は何も言わずただニヤニヤとしているだけだ。
「もういい! わしは直接千代に聞いてくる」
 そう言て厩へ駆け出す貞光のあとを慌てて追いかける祐定であた。
 馬に乗た直弓千代と行き当たたのは丁度子供の頃に遊んでいた野原だた。
「貞光!」
「千代!」
 まるで一騎打ちの名乗り合いでもせんばかりの勢いで相手の名を呼び合う。
 お互い険し表情だ。
 そんな様子を少し離れた場所で、祐定は眺めていた。一体どんな顛末になるやらと傍観を決め込んでいる。
「聞いたか?」
 二人は同時に同じ言葉を発し、二人ともすでに婚約のことを知ていることを改めて知る。
「お前と結婚するなどもてのほかだ」
「それはこちらの台詞」
「馬鹿げている」
「ああ、とんでもなく最悪だ」
 その後も二人の口からは罵詈雑言が飛び交う。祐定は笑いを堪えるのが難しかた。
「何が可笑しい!」
 これまた二人同時に祐定を睨みつけ、声を荒げる。
「申し訳ございません」
 そう言て頭を下げる祐定だが、その顔は笑ている。
 二人とも馬から飛び降りると詰め寄ていた。
 風がふき、千代姫の長い髪が棚引く。
 子供の頃は邪魔だと言て自分で髪を切ていたようだが、さすがにそんなこともできなくなていた様子ですかり美しい黒髪が長く伸びている。
「だが」
「親の決めたこと」
「わしらにはどうすることもできん」
 いつしか、二人も笑い合ていた。
「もう稽古をつけてやる事もできんな」
「稽古だと? わしの剣術の腕を舐めているのか」
「剣術? ただ振り回しているだけだろう」
「言たな」
「ならば」
「勝負」
 二人は近くに転がていた棒切れを拾い上げると、刀のように構えた。
 また風が吹く。

 常永二十一年 八月

 蝉が鳴いている。
 遠に日は暮れているというのに未だにうるさい。
 灯火の元、千代は目の前の書物に集中しようとするが、蝉の声に邪魔されて、ついつい別のことを考えてしまう。
 戦のこと。父のこと。貞光のこと。
 そんな想念が目まぐるしく巡ていく中でついついうつらうつらとしていると、壁に何かがこつりと当たる音が幾度か聞こえてきた。
 なんだろうと思い、外へ出てみる。
 庭は闇である。
 だが闇に紛れた人影を認めた。
―曲者?
 人を呼ぼうとした時、そのものが前に出てきた。見知た顔である。
 丸子祐定。
 かつての友。そして、今は敵。
 祐定は静かに膝をつき、頭を下げる。
「城生家の者が何をしに参た」
「お迎えに上がりました」
 祐定は静かに、だがはきりと言た。
「迎え? 妾は城生の者ではない。この家の娘だ。迎えなど来る道理はない」
「しかし貞光様と千代姫様は許嫁」
「それは遠の昔に流れた話」
「ですが、貞光様は未だ千代姫様を想ておられます」
「そう言たのか」
「言葉は聞かずとも、わかります」
「言葉も聞かずに、わかると申すか」
「わかります。そして、あなた様も」
 祐定は青い目をした鬼子として捨てられ、重光に拾われて貞光の乳兄弟として育た。
 その恩義を、祐定は忘れない。だから城生には絶対の忠誠を誓ている。
 しかし家中でも青い目は不気味がられた。
 そのたびに重光や貞光が庇てくれたが、それでも偏見や好奇に満ちた目は無くならなかた。
 だから人の心を読むことを覚えた。
 人の目を見据え、相手の心を悟ることを学んだ。
 だが、貞光と千代のことに関しては心を読むまではなかた。
「貞光も幸せだな。そなたのような家臣、いや友を持て」
「某は今でも千代姫様の友でおるつもりです」
「そうだな。そう……例えどんな境遇であろうとも、我らは友でありたいものだ」
 千代は寂しげな目で祐定の青い瞳を見つめた。
「友同士でも、殺しあわなければならないのか」
「時勢故に」
「妾は父を捨てることはできん。この家も」
……
「分かていてきたのであろう」
 そう祐定には分かていた。分かていたが、来れずにはおれなかた。貞光のため。己が主君となる人のため。
 そして、別れの挨拶のために。
 これが最期になるであろうと、そう思われてならなかた。
「ではまた。我ら城生の勝利の暁には、お迎えに上がります。貞光様とともに」
「ふん。負けんよ。我が父は。我らが直弓が支える手木州家は」
 祐定は音もなく消えていた。
 祐定が消えてもしばらく、千代は祐定のいた場所を見つめていた。

 蝉が鳴いている。
 戸保井家の援軍と合流した城生の軍勢は破竹の勢いで手木州領内を進軍する。それもそのはずで手木州軍は守りの難しい枝城を捨て、兵力の集中を図ていたのである。城生軍は軍勢を二手に分け進軍した。一方は当主重光が戸保井の援軍と合わせた主力を指揮し、一方は貞光を大将として進軍していた。
 大きな戦闘も起こらず手木州領内の深くまで入たが、手木州軍にとては地の利もある。慎重に進むように重光は全軍に通達する。
 貞光の軍勢が初めて大きな軍勢と衝突した。
 不動原で待ち伏せをしていた直弓の軍勢とぶつかたのだ。
 はじめのうちは貞光の軍勢が力押しをしているように見えた。
 矢が飛んでくるのを太刀で切り弾きながら貞光は軍勢に下知を下す。
「押し潰せ! 敵は小勢ぞ!」
 勢いを増す城生軍に次第に敵は退き始めていた。
 直弓の旗が揺らめいている。
 ふと、千代の顔が頭をよぎる。
「貞光様!」
 祐定の声にはとすると足軽の鑓が突き出されてきていた。
 どうにか避けたところに祐定が駆けつけ馬上より太刀で足軽の首を飛ばす。返り血がかかた。
「考え事は後になされませ! ここは戦場ですぞ!」
「すまぬ。お主の言うとおりだ」
 なおも敵を押していくが、どうにも妙だた。だが、妙な感覚を覚えた時にはすでに遅かた。
 伏勢が現れたのだ。
「罠だ!伏勢だ」
 矢が次々と飛び、茂みの中から敵がわらわらと湧き出してくる。
「撤退だ!」
 だが、撤退しようにもそこらじう敵だらけだ。
「貞光様! 某が殿をつとめます」
「だが!」
「お早く!」
「貞光様を早く連れて行け!」
 祐定は郎党にそう下知すると、自らは敵の中へと突込んでいく。
「祐定!!」
 貞光は引きずられるようにしながら後ろを振り返る。
「輪廻の先にてお待ち申し上げます」
 笑ていた。
 祐定は笑ていた。だが、それもすぐに見えなくなた。
 殿を務めた祐定と手勢は敵の中に呑み込まれた。

「使えんな」
 伝令の報告を聞きながら、重光はそう漏らした。
 その言葉に戸保井家の援軍を指揮するため派遣された和名尾重遠は薄ら寒いものを感じた。
 この男は己の息子すら駒としか考えておらぬのか。
「まあ、死なずに残た兵をまとめただけましではあるが……さて和名尾殿、愚息は負けて兵を失たがこちらは順調だ」
「左様ですな。問題は手木州が籠城するか否かですが」
「手木州の杉観音城は守るには難しい城」
「ふむ。なれば篭てもらたほうが容易く勝てると」
「臆病者の手木州はともかく、宿老の直弓ならば打て出ることを進言するでしうな」
「ならば軍勢をもう少し進めて川を渡り、この丘の上に陣を引くことといたしましう」
「無難ですな。まあ、無難に勝ちましう」

 丘の上から敵の軍勢が見える。
 丘の上に陣取た城生軍は地理的に有利さがあるし、軍勢の数も手木州軍のそれを上回ている。
「押し潰せ」
 城生重光が言た下知はそれだけだた。
 大軍が押し囲むように手木州軍を攻めていく。
 伏勢を隠すような場所もない。
 あとは用兵がものを言う。次第に情勢は明らかになていく。
 城生の軍が手木州の軍を圧倒している。
 だが、そんなさなか、城生を押し返すような勢いを持つ一軍があた。
 本陣を目指し突き進んできている。
 それを指揮する将は真赤な甲冑を身にまとている。
「直弓か。ちと不味いかもしれんな」
 床几に腰を掛けていた重光が思わず立ち上がる。
「父上、私が参ります」
 本陣に留め置かれていた貞光が言い放つ。
「ならん。お主は我が世継ぎぞ」
「進徳丸がおります。祐定は直弓の伏勢に殺された。祐定の仇を討たねばならぬのです」
「ならんと言ている」
「聞こえませぬな」
 そう言うと、貞光は本陣を去ていた。
「よろしいのですかな」
 和名尾がそう尋ねると、重光はゆくりと頷いた。
「ここで死ぬようならば、それはその程度だたというだけかもしれん。貞光の言う通り、ここで死ぬようならば進徳丸がおりますゆえ」
 
 赤い甲冑。
 面頬で顔を覆た赤き武者。
 直弓左門上尉兼盛。
 本陣めがけて突進してくるその軍勢を、貞光はしかりと見据えていた。
 それめがけて、貞光も軍勢を駆り、突進する。
 突進対突進。
 軍勢はすぐに衝突した。
 乱戦の中、貞光は赤のみを目掛けて突き進む。
 千代の父を殺す。
 千代にはもう合わせる顔がない。
 だがもはやそれも運命。
 仇を討つことが、それのみが望み。
 祐定、仇はとるぞ。
 軍馬の速度が上がる中、太刀を突き出す。
 激しい金属音。
 腕に強い衝撃を覚える。
 弾かれた。
 すぐに馬首を返すと、再び太刀を振る。幾度も太刀と太刀がぶつかり合う。
 激しいぶつかり合いの中で太刀が折れ曲がると、今度は腰に差した刀を抜き、再び向かていく。
 刀を突き出した時、相手の肩口に突き刺さた。
 だが、相手もその刀を掴んだため、もつれ合て二人とも落馬した。
 再び起き上がり、刃を交える。
 すでに息は上がている。
 満身創痍の中で、何か懐かしいものを覚えていた。
 それが何故だかはわからなかた。
 ただ、相手を殺すことだけに必死だた。
 刺突が相手の首筋を切り裂く。
 組合になり、相手を引き倒す。
 あとは首を落とすだけだ。
 だが、何故か。奇妙な感覚を覚えていた。
 あの懐かしい感覚。
 それを確かめるため、直弓の面頬を引き剥がす。
 そこには紛れもない、千代の顔があた。

 蝉が鳴いている。
 千代の目の前にはもはや息のない父の体が横たわていた。
 千代は涙も見せず、気丈に家臣たちに言い放つ。
「このことは伏せておくのです」
 家臣たちの間に動揺が走るがそれでも千代は落ち着いていた。
「戦には私が出ます。私がこれより直弓の大将です」
 そして千代は父の甲冑に身を包んだ。

 蝉が鳴いている。

「初めて、負けたな」
 千代は貞光に向かて言た。
「何故だ。何故お前がここに」
「父が死んだ。父に変わて戦場に出たまでのこと」
「だが……なんということだ」
「貞光……とどめを」
 千代の息は荒い。首筋からは血が流れ続けている。
「できない。わしにはお主を殺すことなど」
「貞光、ここはどこだ」
……ここは」
「人を殺すが戦場のならい。はやく、殺せ」
「駄目だ。お主は」
「どうせ助からんのだ」
「だが」
「願わくば、来世で祐定とも貞光とも、もう一度会いたい」
 貞光は刀を持ち、それを千代の首筋に当てた。
「さらばだ、貞光。来世で会おう」 

 蝉が鳴いている。
 それを掻き消すような声で、貞光は泣いた。

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