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【BNSK】品評会 in てきすとぽい season 10
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桜のおさとう
大沢愛
 投稿時刻 : 2015.02.28 22:32
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桜のおさとう
大沢愛


              〇
 あれは幼稚園の年長組のときだた。私の家の近くに新しい家が建た。農家の平屋が多い一帯に三階建ての洋風建築は異彩を放ていた。「間部」という大理石風の表札が門柱に嵌め込まれ、銀色のレクサスに乗た一家が引越してきた。休日でもネクタイを締めたパパに背中まで届くウビーヘアのママ。そして、さらさらの髪で屈託なく笑う男の子。引越しの挨拶回りで私の家を訪れたとき、「じあ桜ちん、うちの悠斗と同い年なんだ」と言われてなんだか申し訳ない気がした。
 私の母親は彼我の格差をものともせずに「間部さん」との間柄を深めていた。幼稚園から帰てくると、母親に連れられて間部さんのお家によくお邪魔した。一階はフローリングの吹き抜けになていて、螺旋階段が二階へと上ていた。ダイニングでお茶になる。ママ同士がお話している間、私と悠斗はテーブルに向かい合ておやつを食べる。私にはいつも紅茶を出してくれた。向かいの悠斗を見るとマグカプを飲みにくそうに傾けている。中身はホトミルクだた。食べ終わると、ふたりで螺旋階段を上て二階の悠斗の部屋へ行く。ベドのある子ども部屋には背の高さの倍ほどの本棚と、おもちの入たカラークスがあた。ベドに座ると、悠斗はミルクくさい溜め息をついた。
「いいなあ桜ちん、紅茶飲ませて貰て」
 椅子に座た私は天井の高さが落ち着かなかた。
「悠斗くんも欲しいて言えばいいのに」
 言たことあるよ、と頰杖をついて目を伏せる。長い睫毛が反り返ている。
「体に悪いからだめだて」
 ・・・何か言い返すべきだけれど、そのときの私はなるほど、とうなずいただけだた。
「いいにおいだよね、紅茶。飲んでみたいな
 悠斗はいつもいい香りがした。他の男の子たちは泥や埃、涎の臭いをさせていたのに。やてはいけないのは分かていたけれど、ぎと抱きしめてにおいを嗅いでいたい気がした。
「お店で売てるよ。パクとかペトボトルとかで」
「そういうのて体によくない、それに香りもよくないてママが言てた」
 幼稚園に通ていなかた悠斗は、私と一緒に地元の小学校に入学した。サカーが得意だたおかげで男の子たちの間ですぐに人気者になた。放課後、サカーをやたあと男の子の友だちと別れて家に帰る途中でよく一緒になた。幼稚園のころとは違て汗のにおいをさせていたけれど、不思議と嫌ではなかた。
「なんか、疲れるなー。いいやつらばかだけど」
 ランドセルを背負た悠斗は額に貼りついた髪をつまんで言う。膝小僧には血が滲んでいた。
「今日、うち来る?」
「うん」
 鞄をうちに置いて、顔を洗て歯磨きして着替える。髪を整えてから悠斗の家に行た。
「お邪魔します」
 悠斗のママは、いらい、と言て迎えてくれる。幼稚園のころとは違て、お盆に乗せたおやつを子供部屋まで持て来てくれるようになていた。部屋の中にはテニスラケトとボール、それにロジ・フデラーのポスターが貼られていた。部屋の真ん中に小さなテーブルが置かれ、向かい合て座る。悠斗は帰宅してすぐシワーを浴びる。濡れた髪のまま、ホトミルクを飲む。週に三日、夕方からテニススクールに通ている。パパが学生時代、テニスをやていたそうで、勧められて始めたそうだ。
「ぼく、やぱサカーとか好きじない。友だちとやるのは嫌じないけど、テニスコートに入るとほとする」
 クキーを齧りながら、だよね、とうなずく。
「悠斗、あんまりサカー向いてない気がするよ」
 グラウンドで男の子同士ぶつかたり押し倒されたりしているのを見ると落ち着かなくなた。怪我が心配、というのもあるけれど、いまにして思えば羨ましかたのだ。
 ときどき悠斗を誘て上鳥山のてぺんにある公園まで行た。悠斗の練習用ラケトと、母親にせがんで地元の文房具店でやと買てもらたラケトで擦り切れた硬式球を打ち合た。バウンドの大きな硬式球はすぐに頭上を越えて、フンスの向こうへと飛んでいく。最初は訳が分からずに何度もホームランしてしまい、悠斗と一緒に崖を滑り降りてボール探しをした。悠斗が小枝や蜘蛛の巣まみれになるのを見て、私は本気になた。家でも素振りを繰り返して、何度もマメをつぶしてはテーピングを巻いた。トプスピンで悠斗の足元を狙えるようになたのは一週間後だた。右腕にも太腿にも脹脛にも張りや筋肉痛が来ていたけれど、悠斗が本気になて球に食らい付いてくれるのを見ていると胸が熱くなた。一時間ほど打ち合たあと、東屋で休憩した。ポトのお茶を飲みながら、これでいつでも練習できるね、と言うと、悠斗は答えなかた。しばらくして、桜ちんとはもう打たない、と呟く。
「本気の球だと、きちんとしたコートでないと練習にならない。変なくせがつきそうだし」
思わず悠斗を見る。悠斗の本当に悲しそうな顔を見ると、胸のあたりで弾けそうだた怒りが瞬時に萎えた。
「そうか、じあ仕方ないね」
 汗でグリプテープが剝がれかかた私のラケトを見る。一週間前は新品だたのに、何べんも地面をぶ叩いたおかげでフレームは傷だらけで、ガトは泥で黒ずんでいた。
 それからも悠斗の部屋に通た。昔のテニスプレーヤーの話を調べて話すと、悠斗は身を乗り出して聞いてくれた。ケン・ローズウルのウンブルドンでの最初と最後の試合について話したときには涙ぐんでくれた。
 悠斗のママがあるとき、私に言た。
「悠斗、ほかにお友達はいないのかしら?」
 たくさんいますよ、と言たけれど、ママは納得しない風だた。
「四月からはもう五年生だから、男の子のお友達も連れてくればいいのにね

 二月も残り一週間、という日曜日に、上鳥山公園で悠斗と待ち合わせをした。東屋のテーブルにトートバグを置いて、スカートの座り皺を確かめる。やて来た悠斗はダウンジトを着てマスクをしていた。バグから包みを取り出して、テーブルに置く。
「誕生日、おめでとう」
 悠斗はマスクを外す。紅潮した顔で、ありがとう、と言う。包みの中身は手作りのサンドイチだた。ポトからカプに紅茶を注いで、並べて置く。
「どうぞ」
 悠斗は相変わらずママの手作りのものしか食べさせてもらていない。タマゴサンドも、卵やマヨネーズが心配だから、と禁止されていた。だから思い切り食べて欲しいと思て用意した。もちろん紅茶も。大丈夫、私が飲み続けても生命に別条はなかたし。
 タマゴサンドをおそるおそる口にして、悠斗は目を剝いた。
「こんなにおいしかたんだ」
 目を細めて口に入れる。紅茶の香りを嗅いで、外国のお屋敷みたいだ、と呟く。ひと口飲んで、顔を顰める。
「苦い」
 慌ててステクシガーを出す。袋が破れると嫌なので、プラスチクケースごと持てきた。一本取り上げた悠斗が、桜だ、と言う。よく見ると、ハニースイートの表面に白い花びらが散ている。切れ込みのかたちからして間違いなく桜の花びらだた。
「じあ、桜のおさとう、いただきます」
 そう言て悠斗はステクシガーをカプに注いで行た。一本、二本、三本。入れ過ぎじないの、と言うと、悠斗は微笑んだ。
「だてさ、桜のおさとうだから」
 結局、五本の桜のおさとうを入れた紅茶を、悠斗はおいしそうに飲み干した。タマゴサンドも完食してくれて、最後にプレゼントのリストバンドを渡した。
「試合のとき、これをつけるよ」
「写メ送てね」
 夕暮れの石段を並んで降りた。街並みがハニースイートだたことを憶えている。

 その夜、悠斗のママが家に来た。玄関先から上がろうとせずに大声で話して帰て行た。
 母親の話によると、こういうことだた。あのあと帰宅した悠斗は、激しく嘔吐して意識不明になた。もともと風邪気味のところに、吹き曝しの公園で何時間も過ごして体調を悪くしたらしい。しかも吐瀉物の中に家では食べさせたことのない卵黄が混じていて、問い詰めたところ桜さんと会ていたことが判明した。食べ物には細心の注意を払ていたのに。しかも五年生になるというのに毎日のように部屋にやてくる。夕方からテニスがあるので、帰宅後は貴重な勉強時間なのだ。今回のことで、と言うわけではないけれど、以後は桜さんとのお付き合いはお断りしたい。
 すぐに悠斗の家に行た。玄関のチイムを押しても、ドアスコープが瞬いただけで反応はなかた。
 週明けの小学校には悠斗の姿はなかた。二月、三月と欠席が続いた。
 何度も家に行てみた。
「悠斗くんは大丈夫ですか? 悪くなたんですか?」
 インターン越しに何度も叫ぶと、低い声で、大丈夫です、と声がした。それ以上は何も答えてくれない。玄関を離れて建物を見上げる。二階の窓は雨戸が閉められていた。この時間なら窓を開ければ、机の前面に夕陽が当たるはずなのに。
 四月になた。五年生のどのクラスにも悠斗の姿はなかた。先生に訊いてみると、転校した、という。嘘だ、と思た。悠斗は引越してはいない。中学生になれば悠斗と一緒になれる。それだけを思いながら私の五年・六年は過ぎて行た。

 中学に入て、1組から7組までの名簿を五回通り見直したけれど、悠斗の名前はなかた。倒れそうな気持ちのところに、教室で奇声を発して騒ぐ連中がいたのだ。
「やかましい」
 思わず怒鳴てしまた。いくつもの顔が睨みつけてくる。その中でいちばん肝が据わていそうな一人に「ちとアンタ、こち来て」と声をかけて廊下に出た。ざわつく教室の戸を閉めて、窓側の洗い場の前で向かい合た。
「なんか文句あるのか」
 どすの利いた声が頭上から降てくる。いきなり手を出してくるような馬鹿でなくて内心、ほとした。
「アンタら、気が付かなかたの。周りの席の女の子、泣きそうになてたよ。弱い女の子怖がらせるようなケチなことして嬉しい? 図体デカいなら器もデカくなき、ただの阿呆だよ」
 肚に力を込めてゆくりと言う。殴られるならそれでいい、と思た。表情が揺らぐ。子どもぽい顔しているな、と思たところで、先生に教室に入るよう、促された。戸を開けると、教室内が一瞬、静まり返た。席に座た大男は、泣いていた女の子に小声で、ごめんな、と言てから机に突伏した。女の子は両手で膝を摑んで縮こまていた。大男の名前が健介だというのは、そのあとの自己紹介で分かた。
 放課後、健介に呼び止められた。
「教室内で恥かかされち、アンタも引込みつかないでし。別にメンツ潰したかたわけじないし」
 普通に話できてよかたわ、と言いながら手を振て別れた。それからときどき、一緒に〇〇行こうや、と言われて、不服がなければ付き合うようになた。健介のグループには他にも女の子はいた。華英や芹菜たちで、男の子に寄りかかるタイプの子たちだた。あるとき、仲間の昌人に言われた。
「健介、桜のことが好きなんだよ」
「そういうことは自分の口から言え、て伝えといて」
 直接の告白はないけれど私がそばに居ると目に見えて機嫌がよくなる。グループのやんちにも付き合た。先生たちの腰の引けた態度を見るにつけ「いい子」でいるのはばかばかしいと思た。普通の女の子たちからは距離を置かれた。健介の隣で泣いていた女の子は私に話しかけようともしなかた。
 夜中の集会へも何度か顔を出した。先輩のところへ顔見せに行く、と言て華英を連れて行た。翌日、華英の様子がおかしい。問い詰めて話を聞き出した。すぐに健介を呼び出して、何も言わずに張り倒した。
「アンタ、最低だよ」
 健介は黙たままだた。昇降口の下足箱のいちばん奥の列は、風が吹くたびにグラウンドから吹き寄せられた土埃が舞い上がた。
「そんなこと、胸張てやてるの? なら私を連れて行きな。行けるでし
 小声で何か言ている。
「できない」
 そう聞こえた。もう一発殴ろうとしたとき、拳で目を拭た。
「桜は渡さない」
 洟を啜る音がした。
「じあ華英や芹菜なら渡してもいいのか? ふざけるな」
 下足箱を蹴飛ばしたいのを必死で堪えた。授業は始まていたが、健介と私が教室からいなくても周りは意味ありげに目配せをしてそれきりだろう。
「桜は、渡さない」
 こちらを見下ろす目は涙目になていた。
「はあ? 何言てんだ。女の子を差し出してご機嫌取りしてるやつが」
 私に何を言われても健介は言い返さなかた。タイミングの悪いやつだ、と思た。
 それから一月ほどして、健介が入院した。バイクで転んだ、と言う。昌人たちとお見舞いに行くと、ベドの上の健介は包帯だらけの顔で微笑んで、ギプスをした左腕を上げた。他の連中が気を利かせて先に帰たあと、病室でふたりきりになた。
「ケジメ、つけたから」
 シーツに目を落とした健介の顔は、包帯越しでも大きく腫れ上がているのが判た。一八〇近い体軀で、ひたすら耐え続けたんだ、と思う。病室のにおいの中で、うなだれたまま時間が過ぎた。

              〇
 中学三年になた。健介たちもそれなりに進路について心配し始めた。健介は工業高校で、昌人や政道は市街地の私立高校、華英や芹菜は看護系の高校を目指すという。
 家の周りでときどき、悠斗のママと擦れ違うことがあた。挨拶すると、何も言わずこちらを見る。髪を染めてスカートを弄た私を見て、ああやぱり、とでも言いたげな顔だた。
 中学の授業は、下位の生徒に合わせて進む。一時間の授業で意味のある内容は五分程度だ。見切りをつけた秀才くんたちは授業を聞き流して塾へ行く。中位の子たちは退屈している。下位の子たちは聞いてはいない。誰のためか分からない授業が今日も続いている。
「津原高校へ行くよ」
 私は市内一の進学校の名前を上げて宣言した。口笛を吹き鳴らして、桜なら行けんじね? おもしれーよ、絶対受かれ、と言われた。おそらく内申書の行動とか人物とかの評価はマイナスだらけだろう。受かるためには、文句なしの成績を取るしかない。
 先生たちには反対された。三番手高校なら入れるから、と説かれたけれど、無視した。この中学校への最後の嫌がらせのつもりだた。あいつらはろくな人生を送らない、と暗に名指ししていた問題生徒が、可愛い可愛い生徒たちを押しのけてトプ校に合格するのだ。私は勉強を始めた。もともと授業内容は聞くだけで憶えていた。問題演習をしながら記憶内容を整理するだけで成績は急上昇した。塾で実施される県内統一模試には髪を染めたまま参加した。秋口になり、ぼやけた顔で進路変更を勧めてくる担任に模擬テストの成績を見せると、何も言わなくなた。県下で9位、学校別では2位だた。とりあえずあと一人をぶち抜く。その目標は、最後から二番目の模試で果たされた。

 入試を迎えた。筆記試験は正直、間違えた箇所はないと思う。面接は染めた髪のままで臨んだ。理由を訊かれたので「私は中学三年間この恰好で通してきました。従てその恰好を偽らずにお見せすべきだと思いました」と答えた。面接官同士が囁き合たあと、「本校ではその髪は校則違反になる」と言う。「もちろん合格の暁には貴校の校則は遵守します。それが当然だと思います。万が一不合格でしたらこの恰好のままでいます。宜しくお願いします」一礼すると、面接はそれで終了になた。
 一週間後、合格発表掲示板に私の受験番号があた。その足でいつもの美容室に行き、こうオーダーした。
「黒染めして、なるべくダサいシトにしてください」
 馴染みの美容師さんは声を殺して笑た。そういうオーダーは初めてよ、と言いながら小声で「津原に通たんでし、おめでと」と囁いた。
 できあがた顔は、我ながら子どもぽかた。ハニースイートの夕暮れを思い出す。鏡に映た姿がすこし潤んだ。

              〇
 津原高校に入てから、毎日、悠斗の家の前を通てバス停まで歩く。悠斗のママに会うと、微笑んで「こんにちは」と挨拶する。ママは笑顔で挨拶を返していたが、一週間ほど経つと笑顔が曇るようになた。黄砂のかかた空は、それでも春の陽射しを届けていた。
 高校の授業は静まり返ていた。しかも全員が予習・復習をやてきている。冗談に思えたが、乗てみるのも悪くない、と思た。四月下旬の担任面接で、医学部志望なのか、と訊かれた。文系です、と答えたものの、そういう目で見られていることを感じた。
 七組の女の子たちとは無難に仲良くなた。出席番号順の席で、私の前に座ていた女の子は金髪だた。何だか負けた気がしていたけれど、自己紹介で振り向いたその子は言た。
「ウト夏菜子です。父がイギリス人です。不良ではありませんので、期待しないでください」
 ウトちんとはその日のうちに友だちになた。肌理の細かい肌に、青い眼、金髪、そして私と同じくらいの長身だた。はにかむような笑顔で、見ているうちに思わずキスしたくなる。私でさえそうなのだから、男の子たちはさぞたいへんだろう。三歳のときから日本在住で、見かけを除けば日本の女の子だた。
 可愛らしい顔立ちから、男ともだちくらいいくらでもいそうだけれど、付き合たことはない、と言う。「相手を選んだ方がいいよ」中学の時の経験から真剣に言うと、ウトちんは「ちんと桜に見て貰うから大丈夫」と笑た。
 女の子の友だちと一緒に過ごす日々が続いた。一月の下旬だたと思う。ウトちんが珍しく相談があるという。
「好きな子ができた。一組の間部悠斗くん」
 はい?
 国立大附属中学から来たらしい。子どものころからテニスをやていて高校入学と同時にテニス部で活躍している。今年はあと一歩でインターハイを逃したけれど来年は確実だ、と。性格は穏やかで顔立ちもいい、と。
 そうですか。
「バレンタインに告白するから、桜にも会て欲しいの」

 ウトちんが日増しにきれいになて行くのを、砂袋になた気分で見つめていた。そばにいるだけで我を忘れそうになる。健介が誰かを床ドンしたときもこういう気持ちだたのか、と思う。自制心の強さを拝みたい気がした。
 バレンタインデー当日は、悠斗の周りにひとが多過ぎて、チコレートは渡せなかた。落ち込むウトちんを叱咤激励して、翌日、家の近くのバス停まで連れて行き、そこで手渡しした。悠斗は私を見て顔色を変えた。ウトちんの渾身の告白を穏やかに聞いて、連絡先を交換し、別れた。その場に崩れそうなウトちんを抱きかかえる。「言えたよね、私、言えたよね?」うんうん、がんばたよ、と言うと、涙をこぼした。真白な頰に伝うしずくは息を呑むほどきれいだた。
 一週間後の金曜日、上鳥山公園で会うことになた。
 当日になて、ウトちんの様子がおかしい。「行かない」と言う。理由を訊いても答えない。
「桜が代わりに行て」
 そういう大事なことは自分で行かないと駄目だよ、と言たけれど、「桜、お願い」とだけ言て涙ぐんでいる。悠斗に聞きたかたけれど、私はメールアドレスも知らなければLINEにも加わていない。時間は迫ていた。

              〇
 降りしきる雪の中ではさまざまなものが見える。居もしないものや踊り出す樹木。
 人影が近づいて来たときも、それが悠斗だと分からなかた。
 髪や肩に降りかかた雪を払いながら、お待たせ、と言う。
 言わなければならないことを言う。隣の切り株椅子に座たところで口を切る。
「ウトちんの告白の答えを聞きに来たよ」
 手のひらで顔を擦る。最後に鼻を啜てこちを見た。目許は変わていない。頰がすこしこけて男の子らしくなた気がする。
「断た、電話で」
 身体が熱くなる。振り払うつもりで、どうして、と叫ぶ。
「もう付き合ている子がいるとか?」
 首を横に振る。軒の外を舞う雪のおかげで頭がくらくらしてくる。睨みつけている悠斗の顔がしだいにぼやけてくる。
「なら、ウトちんと付き合えばいいじん。言あなんだけどめちめちいい子だよ」
 耳元が締め付けられる。私は悠斗に嘘をついたことがなかた。目尻までがぴりぴりと痛む。
「好きな子がいる」
「へえ。まさか私とかいう落ちじないよね」
 語尾が震えていたのは寒さのせいだ。だから悠斗の目が優しくなたのは気のせいなんだ。
「よかた、分かてたんだな」
 薄暗くてよかた。雪のせいで視界がちらちらして、互いの顔がはきり見えなくてよかた。切り株椅子の角を摑む。どれだけ力を入れても微動だにしない。
「桜が居るのは四月から知てたよ。でも、あんなことがあたし、それにもしかすると他に好きなやつができたかもしれないて思て、いままで黙てた」
「ぶてもいい?」
 顔全体が脈打ているみたいだ。どうぞ、と顔を差し出されて、手のひらで軽く触れる。指先が融けそうに熱い。
「私が中学時代、どうだたか知てるよね」
「うん、ママから聞かされてた」
 無言で睨みつけて来た顔を思い出す。
 手の甲に雪片がとまる。ちいさなしずくになたあとも、どこからか拾てきた光を宿し続けている。
「ずと好きだたんだ」
 胸から顔にかけて鼓動が伝わる。座ていてよかた、とぼんやり思う。高校に入て初めてできた友だちの顔を思い浮かべる。可愛くて、性格もよくて、替われるものなら替わりたい、と何度も思た。あの子と付き合う男の子がどれだけ幸せか、想像するのも怖かた。
「いつから好きだたの」
 言葉がちんと出ているかわからない。雪が静かに吸い込んで行く。
「最後に、ここで会た日」
 こめかみを針が真横に刺し貫く。あの日、具合を悪くして、会うことを禁じられたのだ。
「桜がぼくのいちばん好きなものを用意してくれた。誰もそんなことを気にしてくれなかたのに。叱られても、ぼくが欲しがていたとも言わずに庇てくれた」
 怖かたんだよ、と言いそうになる。怖かたから、言えなかただけだ。本当ならちんとママに話して、好きなものを少しは食べられるようにすればよかた。そうすれば、悠斗のママだて、私を目の仇にして自分を保たなくてもすんだかもしれないのに。
 六年近く、何もしないでいたのは私だ。無理やり冷ました顔を上げる。
「やぱり、やめよう。悠斗を危ない目にあわせたくない。ボコられるよ」
 雪が東屋の屋根を打つ音が耳鳴りみたいに聞こえる。
「健介のこと? なら大丈夫だよ」
 悠斗の声が、急に大人びて聞こえる。声変わりしたんだ、と思う。
「小学校のとき、ちとテニススクールで顔見知りだたんだ。あいつ、すぐやめたけどさ。あの子に電話して断たあと、街で会たんだ。中学校のことも聞いてたんで『桜と付き合うから』て言たら、笑てたよ」
 背中が熱くなる。あのばか、恰好つけやがて。ひとがこんなに大恥かいてまで頑張てたのに。
「でもさ、最初のキスはやぱり、初めての子がいいんじない? 私、無理だから」
 全力のパンチと引き換えに、唇を押しつけられたのは中二のときだた。顔を剝ぎ取て投げ捨てたい気がする。
 悠斗がちいさく頷く。
「いや、それ、ぼくも無理」
 理不尽だとは分かているのに目の中で何かがちいさく弾けた。六年も会わなければ何があても不思議じないのに。
「最後にあた日、憶えてるかな。サンドイチ食べて、そのあと公園の中、散歩したよね。あそこの桜の木のところ」
 指差す先は雪で霞んでいた。
「枝につぼみがいぱいついてて、まだ咲きそうになかた。そうしたら、早く咲くように、て桜が息をはあて吐きかけたんだ。何度も何度も吐いているうちに眩暈がしたのかくらとして。地面に倒れる手前で抱き留めたけど、ちうど顔が目の前にあて、それで。それが初めてだたから」
 指先で触れた耳朶が熱い。もうどうなてもいい気がして、笑いがこみ上げてきた。雪がさらに激しさを増す。ひとしきり笑たあとで、悠斗に向き合う。
「ひどいね。変態だね」
 悠斗は黙たままだ。ここで「ごめん」なんて言われたら張り倒すところだけれど、要らないことを言わないのは昔のままだ。
「そんな変態にウトちんは任せられないね。責任もて、私が番しとかないと」
 ウトちんの顔が浮かぶ。ほんとうにごめん。何度でも謝る。謝るけど、譲れないよ、ごめんね。
 雪が積もり始めていた。東屋の周囲が白くぽくぽくに変わていく。おさとうみたいだた。見境なしに五つもカプに入れちて。見る目ないんだから。後悔しても知らないからね。

 喉から胸にかけて、不規則に痙攣している。ああ、私はずと泣いていたんだ。足元に吹き込んできた雪が、しずくに触れてついと融ける。
              (了)
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