てきすとぽい
X
(Twitter)
で
ログイン
X
で
シェア
【BNSK】品評会 in てきすとぽい season 13
〔
1
〕
…
〔
4
〕
〔
5
〕
«
〔 作品6 〕
»
〔
7
〕
〔
8
〕
屋上ガールズ
(
大沢愛
)
投稿時刻 : 2015.07.19 23:56
字数 : 8145
1
2
3
4
5
投票しない
感想:2
ログインして投票
屋上ガールズ
大沢愛
カー
テンを開けた窓から月の光が射し込んでいた。
教室の中には、いろんなところにイレギ
ュ
ラー
な影が蹲
っ
ている。たとえば机の上に積み上げたノー
トやプリント。椅子の座面に資料集や辞書。体操服や芸術の用具、体育館シ
ュ
ー
ズをぶら下げた机横のフ
ッ
ク。窓枠の下辺に沿
っ
て個人用ロ
ッ
カー
が並んでいる上にも、柔道着だのラケ
ッ
トだのが転が
っ
ている。
廊下から教室内に入
っ
た瞬間、汗や埃の混じ
っ
た臭気を感じるけれど、しばらく座
っ
ているうちになんとなく気にならなくなる。高校というのは、大抵のことには慣れてしまう。風邪で休んだあとに登校すると、こんなにも馴染めない場所だ
っ
たのかと唖然とする。もし私が不登校にな
っ
たら、正直、二度と来たくなくなるだろう。
私は高校が大嫌いだ
っ
た。だから休まない。基本的に社交性のない私がこのまま社会へ出ても路頭に迷うだけだ。社交性を補完するためには学歴は必要だし、高校というシステムは社交性なしで人間関係を維持するのがかなり容易な造りにな
っ
ている、と思う。だから私は入学後、御坂伊織という堅苦しい名前から離れて、どことなくチ
ャ
ラ
っ
ぽく「いおち
ゃ
ん」と呼ばれるようにな
っ
た。部活動には所属していない。さすがに一定の興味に特化した集団に馴化するほど自分を偽るのは無理だ。でも、単なる帰宅部ではよりどころがなくな
っ
てしまう。
そこで私は、交通委員にな
っ
た。
うちの高校では、自転車通学がメインだ。住宅地の真ん中、という立地の関係で、朝夕の登下校時間には学校周辺の道路が大渋滞にな
っ
てしまう。校門から出たところでの接触事故や通行違反等で、高校にはし
ょ
っ
ち
ゅ
う苦情電話が入
っ
ているしい。さらに、自転車通学生の数に比べて自転車置き場の広さが足りず、雑に止めると置場はすぐ満杯になり、遅刻ぎりぎりでや
っ
てきた生徒は通路や置場外の草叢に自転車を放り出して昇降口へと全力疾走する。
つまり、交通委員の仕事はいくらでもある、ということだ。
朝夕は生徒でご
っ
た返す校門や外の道路脇に立
っ
て、誘導や一列走行を呼びかける。これは「交通安全のため」だけではないらしい。交通委員会の初回会合で顧問の真田先生が言うには、こうや
っ
て交通整理をや
っ
ている姿を見せるのと見せないのとでは、学校に来る苦情の数が明らかに違
っ
てくるそうだ。
「人間というのは面白いもので、イラ
ッ
とする状況にな
っ
ても、そこで苦労している人間を目の当たりにすると口に出せなくなる。それが見えなければ言いたい放題になるけどな」
この真田先生は毎年、卒業式のときにグラウンドに保護者の車を誘導する係をや
っ
ているそうだ。土砂降りの雨だと足元はぬかるみになり、正装した保護者からは文句が出そうだが、今までに一度も言われたことがないらしい。なぜなら真田先生は、土砂降りの中、ゴム長靴を履いただけで傘も差さず雨合羽も着ずに、旗だけを手にずぶ濡れにな
っ
て誘導するそうだ。草履と白足袋が泥水に浸か
っ
た父兄も、前髪からしずくをぽたぽた垂らしながら「ご苦労さまです」と声をかける真田先生には何も言えないのだろう。実は裏では「伝説の交通係」と呼ばれているというのもなんだか納得できる。その話を聞いて以来、中年太りで風采の上がらないはずの真田先生がほんのすこしカ
ッ
コよく見えてしま
っ
てすこしだけ落ちつかない。
週一回、昼休みには自転車置き場へ行
っ
てきちんと止めていない自転車のチ
ェ
ッ
クをする。同時に、通学証ステ
ッ
カー
を貼
っ
ていなければ中庭に移動させて鎖で縛り、放課後、反省文・ステ
ッ
カー
再交付と引き換えに本人へ引き渡す。出頭をさぼ
っ
て部活動に顔を出したら一週間の活動停止だ。頭で考えると何ということもなさそうだけれど、自転車には大抵、鍵がかか
っ
ている。鍵のかか
っ
た自転車を中庭まで百メー
トルあまり引きず
っ
て行くのはかなりの重労働だ、と言
っ
ておく。
運ばれているのに途中で気づいた男の子が全力で走
っ
て来ることがある。
「いおち
ゃ
ー
ん、勘弁してよー
」
初夏になると、運ぶ途中で制服の内側には汗が滲んでいる。振り向いて笑顔を作
っ
てみせるけれど、たぶん本音が漏れているのか、男の子はすこし怯える。
よく見ると、バレー
ボー
ル部の河本翼だ
っ
た。芸術で同じ美術選択のクラスにな
っ
ている。
「あー
、いいとこに来たねー
。運ぶの手伝
っ
てよ」
翼は身長一七〇の私よりも頭ひとつデカい。ハンドルとサドルを掴んで、ぐいと差し出す。
「そんなー
。すぐ戻すからさー
」
「アンタね。この衆人環視のもと、ソレができると思
っ
てるの」
校舎二階を指差す。職員室外の廊下窓から、真田先生が手を振
っ
た。
「ここでアンタを許したら、私との関係が疑われるよね。裕未に訊かれたら言
っ
とこうか? アンタがしつこく言うから付き合うことにした、
っ
て」
同じクラスの麻生祐未は美術部だ。翼はずいぶん前から好きだ
っ
たらしいが、まだ告白はできていないらしい。美術教室に裕未の絵が飾
っ
てある。油彩で描き込まれた人物像はすこし禍々しく、色白で屈託のない裕未のイメー
ジとは真逆だ
っ
た。
「あの、ホント勘弁してください、お願いします」
そう言いながらも、私に代
っ
て自分の自転車を抱え上げて中庭に向か
っ
て走る。制服の埃をはたいて、二階窓の真田先生に一礼する。こういうとき、交通委員と同じ中庭ではなくわざと二階窓のところにいるのが真田先生流だ
っ
た。同じ中庭にいると目の届かないところで交通委員を脅す子も出てくるけれど、二階の窓からは死角がない。強要されても二階窓を指差せば大抵は引き下がる。考え抜かれたシステムというのは気持ちがいい。緩い顧問の元で放し飼いにな
っ
ている部活動よりも、交通委員を選んだ所以だ
っ
た。
翼は鎖係の子に自分で自転車を渡し、汚れた両手をはたきながらうつむいて帰
っ
て来る。恨めしそうな視線を受けて、声をかける。
「アンタ、バカねー
。自分の自転車なんだから、解錠して乗
っ
て行けば楽だ
っ
たのに」
「あ
っ
」
周辺視野の中で、真田先生が笑
っ
ていた。翼の後ろ姿に背を向けて、笑いを噛み殺して自転車置き場へと駆け戻る。
七限が終わ
っ
た。校内のスピー
カー
から曲が一斉に流れ始める。教室から溢れてくる人波の中を、知
っ
た顔に適宜、会釈とトー
クを振り撒きながら掃除分担箇所の中央廊下へと向かう。階段の踊り場のところで裕未に会
っ
た。私の肩におでこをすりつけてくる。
「猫のにおいつけ行動」
肩まであるストレー
トヘアを両手で掴み、齧るふりをする。
「ホ
ッ
キ
ョ
クグマの共喰い」
悲鳴を上げた裕未が、ちいさく囁いた。
「三時半、だね」
笑顔が固まる。そのままうなずくと、身体を翻して階段を駆け上が
っ
てい
っ
た。ほんとうにそんなことができるのか。一階の掃除用具庫から箒と塵取りを取り出して、中央廊下入口の敷居を越える。曲のリズムに急き立てられるように砂と枯葉を掃き始める。柱の付け根をぐるりと掃き終わり、腰を伸ばした拍子に校舎一棟を見上げた。
一棟から三棟までのうち、四階まであるのはこの一棟だけだ。そして、あんまり意識されることはないけれど、一棟の中央階段は四階から上もある。別に立ち入り禁止ではないけれど、一棟四階にあるのは地歴教室や大会議室、和室とい
っ
た、ふだんの授業ではあまり利用しない教室ばかりのせいか、生徒は近づかない。
私がここに気づいたのは〈春の交通安全運動〉のときだ
っ
た。校舎の四階壁面に横断幕を掲げることにな
っ
て、四階の窓からロー
プを垂らし、先に幕を結えて引き揚げることにな
っ
た。や
っ
てみると左右は良いのに真ん中だけが垂れる。下から見上げると真ん中部分に窓があるので、あそこから引
っ
張ろう、と思い、中央階段を駆け上が
っ
た。ところが四階部分は壁にな
っ
ていて、階段はまだ上に続いている。そのまま昇ると、確かに踊り場相当の部分に窓があ
っ
た。クレセントキー
もついている。開けようとしたが、開かない。よく見ると溶接してあ
っ
た。窓の下端は足首の高さにある。う
っ
かり開けてバランスを崩せば簡単に墜落してしまう。校舎の四・五階の高さから落ちればおそらく即死だろう。窓のガラスに顔を近づけて見下ろす。玄関前のアスフ
ァ
ルトに散
っ
た交通委員の顔は見分けがつかなか
っ
た。踊り場から数段登
っ
たところは畳二枚分ほどの床にな
っ
ていて、その先は鉄製のドアにな
っ
ていた。ノブを回そうとしたけれど鍵がかか
っ
ている。不透明な鉄線入りのガラスは外の明かりを映していた。
それから朝夕の交通整理や昼休みの自転車点検のたびに、気がつけば何度も校舎を見上げるようにな
っ
た。一棟の真ん中の、四階窓より一枚分高い、あの窓。何年か前にあそこから落ちた生徒がいたのかもしれない、と思うと、夕暮れの暗い窓の向こうに人影が蠢いている気がした。
ある日の昼休み、職員室に呼び出しを喰ら
っ
た子のヘルプで自転車置き場から違反自転車を運んでいる途中、いつものように見上げた。
人影があ
っ
た。
中庭から戻
っ
て来るときにもう一度見る。やはり何かがいる、と思
っ
た。呼び出された子がや
っ
て来たのと交替でフリー
になると、すぐに中央階段を駆け上
っ
た。四階まで来たところで呼吸を整えて、ゆ
っ
くりと上る。開かずの窓から光が射しこむ。このなかに女の子が一人、スケ
ッ
チブ
ッ
クを広げて座
っ
ていた。
裕未だ
っ
た。
「なにや
っ
てるの」
お互いにそんな言葉を掛け合
っ
て、それからなんとなく笑
っ
た。同じクラスだけれどそれまでは話したことがなか
っ
た。裕未はときどきここに来て、窓からの俯瞰アングルを描いている、という。
「できればこう、いろんな角度から見下ろしたいんだよね。ほら、私チビだからさ」
そう言
っ