てきすとぽい
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【BNSK】月末品評会 in てきすとぽい season 3
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…
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〔 作品11 〕
(時間外作品)身の回りの世界で
(
ほげおちゃん
)
投稿時刻 : 2014.06.01 23:38
字数 : 8620
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(時間外作品)身の回りの世界で
ほげおちゃん
突然だ
っ
た。
職場で仕事中に電話がかか
っ
てきたのだ。
「潤ち
ゃ
ん、大変だよ」
少し焦
っ
ているようだ
っ
た。もしそれが演技だとしても、ニコにしては随分珍しい。
「どうしたの」と聞いてみる。
「お母さんが心臓発作で倒れた
っ
て」
お母さん。
ニコのお母さん
っ
て一体どんな人なんだろう。
「潤ち
ゃ
んのお母さんだよ」
まるで傍で私の様子を観察していたみたいに、ニコが言う。
「さ
っ
き家に電話がかか
っ
てきて、一時間前に◯×病院に運ばれた
っ
て。◯×病院
っ
て分かる?」
「うん」
◯×病院は実家の最も近くにある病院だ。評判はとくに良くもなく悪くもなく。私がかつて小学生のとき自転車で転んで骨折した際も、その病院で治療を受けた記憶がある。手術前の全身麻酔注射が恐ろしく怖くて
……
「いま治療中なんだけど意識が戻らないらしくて
……
今すぐその◯×病院に来て欲しい
っ
て」
「◯×病院だと、すぐには行けないね」
「
……
そうなの?」
いつもの調子に戻
っ
たようにニコが言う。
「だ
っ
て◯×病院
っ
て地元だから。ここから電車で二時間以上かかる」
「そうなんだ
……
だけど、行
っ
たほうがいいよ」
ニコに促されて、うん、と私は言
っ
た。
それから途中の駅で待ち合わせすることを約束して、私たちは会話を終えた。
そうか、意識が戻らないのか。
電話を切
っ
た瞬間、ようやくそのことについて実感が湧いてきたような気がした。
「長谷川さん、どうしたんですか? 病院とか言
っ
てたけど
……
」
後輩が声をかけてくる。
「母が、倒れた
っ
て」
「ええ
っ
」
後輩がまるで自分のことのように驚いた。
ち
ょ
うどタバコ休憩から戻
っ
てきた上司も慌てたように近寄
っ
てきて、
「それ、大丈夫なの?」
「なんか意識戻らないみたいで」
「まじか」
「早く行
っ
たほうがいいですよ!」
叫ぶように後輩が言う。
「うん、だから悪いけど今日はこれで上がらせてもらおうと思
っ
て」
「そんなの当たり前じ
ゃ
ないですか」
私は書き掛けのメー
ルがあ
っ
たのだけど、後輩に促されるままにパソコンをシ
ャ
ッ
トダウンしてしま
っ
て。
「じ
ゃ
あごめん、後はよろしく」
「お疲れ様です」
まるで職場から弾き出されるように私は会社を出た。
「何両目に乗
っ
てる?」
十七時ち
ょ
うどに待ち合わせの駅に着くことをメー
ルで伝えると、ニコはそのとおりに返信してきた。
「五両目」
「わか
っ
た。じ
ゃ
あそのあたりで待
っ
ておくね」
待ち合わせの駅では、大量に人が乗り降りする。私もその集団に紛れるように降りたのだけど、ベンチ付近に立つニコをすぐ見つけられた。
ニコはまだ学生服を着ていた。
「お待たせ」
「じ
ゃ
あ行こう」
エスカレー
ター
を上がり、乗り換えのホー
ムに向かう。
「潤ち
ゃ
んの携帯にはさ、電話かか
っ
てなか
っ
た?」
「かか
っ
てたよ。気がつかなか
っ
たみたい」
会社を出た後にスマホを見てみると、ニコから電話がかか
っ
てくる前に、母名義の不在着信が二件かか
っ
ていた。バイブで震えていたはずなのに気がつかなか
っ
たらしい。
「だよね、潤ち
ゃ
んのお母さんの携帯から電話をかけている
っ
て言
っ
てたから」
ニコはエスカレー
ター
の二ステ
ッ
プ上から私に話しかけている。
「折り返し電話はした?」
「してないよ。用件は分か
っ
ているから」
「そうじ
ゃ
なくてね。行くのに時間がかかる
っ
ていう件」
ニコはエスカレー
ター
を降りると私の隣に立
っ
て、
「私も調べてみたけど、や
っ
ぱりここから一時間半はかか
っ
ち
ゃ
うんだ。電話をかけてきた人はすぐ来て欲しい
っ
て言
っ
てたから
……
たぶん電話かけておいたほうがいいと思うの」
ニコ曰く、電話をかけてきたのは雑誌の編集者とのことだ
っ
た。母は最近、雑誌で毎月小説を連載していたはずから。読んだことはないけれど、噂によると結構評判は良いらしい。
「そうかもしれないけど
……
それよりも早く行
っ
たほうがいいんじ
ゃ
ない?」
「快速電車が来るまではまだ少し時間があるよ」
どうやらニコは私よりも状況を把握できているようで、仕方なく私はスマー
トフ
ォ
ンを取り出し電話をかけることにした。
本当は電話したくなか
っ
た。
だ
っ
ていくら緊急事態だ
っ
てい
っ
ても、人の携帯から電話をかけてくる
っ
て何だか
……
意を決して電話をかけてみると、二回コー
ル音が鳴るだけで相手に繋が
っ
た。
「はい」
「あの
……
娘の潤なんですけど」
電話口の向こうはひどく静かで、まるで暗黒に声をかけているようだ
っ
た。
「はい」と男の人は言う。
「ニコから聞いて
……
あの、ニコ
っ
ていうのはさ
っ
きあなたが自宅に掛けたときに出た女の子なんですけど
……
それで
……
◯×病院に早く来てほしい
っ
てことだ
っ
たんですけど、場所が遠くてあと一時間半ぐらいかかりそうなんです。すみません」
仕事の言い訳をしているみたいで、私はなぜ謝
っ
ているのか分からなか
っ
た。
男の人があまりにも何も喋らず、断罪されているような気分になる。親が大変なときに、一体何や
っ
てるんだ
っ
て。
「そうですか
……
」
意気消沈しているように男の人が言
っ
た。
「あの、本当にすみません」
「いえ
……
」
男の人はそこで一旦言葉を止めた。姿が見えないのに、一度大きく息を吸い込んだのが分か
っ
た。
「頼子さんは、逝
っ
てしまわれました」
「え
っ
」
思わず絶句する。
「申し訳ありません
……
私がいつもどおり家に向か
っ
ていたら
……
」
言
っ
たそばから足元が砂みたいに崩れて、そのままどこかへ吹き飛ばされてしまいそうな
……
張り詰めていた心が無音で弾ける音を私は聞いた。私よりも男の人のほうが、よ
っ
ぽど母の死を感じているようだ。
とりあえず病院には行くということを伝え、私は電話を切
っ
た。
ニコが話しかけてくる。
「どうしたの?」
「お母さん、もう死んじ
ゃ
っ
た
っ
て」
「え
っ
」
ニコが絶句する。
さ
っ
きの私の再生を見ているかのようだ
っ
た。
しばらく無言で立ち尽くしていたけどニコは自分で立ち直
っ
て、
「とにかく病院に行こう。電車がもう少しで来るから」
「うん」
空中通路を渡り、エスカレー
ター
を下
っ
て乗り換え先のホー
ムに向かうと、ほどなくして電車が来た。
孤独にな
っ
た。
電車がスピー
ドを緩めてホー
ムに侵入してくるのを見つめながら、私は不意にそんなことを思
っ
た。
天涯孤独だ。これで私は本当に天涯孤独にな
っ
たのだ。
――
*
――
*
――
夜眠
っ
ていると、ニコと出会
っ
たときのことを急に思い出すことがある。
あの頃は毎日午後十時近くまで仕事して、毎日が疲労感でい
っ
ぱいだ
っ
た。休日だ
っ
てふとしたときに仕事のことが頭を過ぎ
っ
たし、何より自分はず
っ
とこのままで死んでしまうのだろうか
っ
て、不安でい
っ
ぱいで。
もう夜も遅いのに、歩いて帰るのが好きだ
っ
た。
もちろん、会社までかかる三十分以上の道のりを全部じ
ゃ
ない。途中で電車を乗り換えて一駅行くから、その一駅分を歩くのだ。
電車で五分だから、歩けば三十分ぐらい。ただでさえ遅いのに帰るのがさらに遅くな
っ
てしまうけれど、それでも何もしないまま一日を終えるよりはましだ
っ
た。外を歩いているときだけ私は私でいられる気がした。
夜は昼よりも街が澄んでいる気がする。とても静かで、自分の足音まで気にな
っ
てしまうような。乗り換えの駅が一番中心地で、家までの道のりはその中心地からどんどん離れていくようにな
っ
ていたから、歩みを進めていくたびに人がいなくなる。時折走る自動車の音が、いつまでも耳に残るように響いて。
自分ひとりのために街が用意されているようだ
っ
た。もしず
っ
と起きてこの街にいられたら、永遠に朝を迎えない気がする。
橋を渡り、欄干の外に見えるまるで液状のコンクリー
トを流したような川と、そこにゆらゆらと光を投げかける月。たしかそのときは満月だ
っ
たはずだ。今までいろんな人がこのような景色に幻想を抱き、その生涯を終えてい
っ
たのだろうと思う。
橋を渡り終えて、その先にあるもはや意味をなさない信号を無視して歩いて。
活動を終えた街中を行くのも、もう終わりだ。
私は最後に、誰もいない公園をいつも通り横切
っ
て行くことにした。