あなたは今でも、魔法を信じ続けていますか
宛先 日野秀幸
件名 Re:償い
返信が遅れてしまい申し訳ありません。前回の仕事先であるスウ
ェーデンから日本へ戻って来た直後に、プライベートで使用するメールアカウントにあなたからのメールが届いている事に気がつきました。今更どうして私にメールなど送ってくるのだろうかと訝しみ、あなたへの愛情と憎悪が混ざった複雑な気持ちを抱えながらも、私に対する言い訳に終始したあなたの長文メールを拝読しました。いくつかに分けて送られてきた、計六万文字にも及ぶ膨大な文字数のメール。まるで中編小説並の長さではないかと半ば呆れながら、しかしあなたの凝縮された熱い思いを感じ、最後まで読み進めるに至りました。それが半年前の出来事で、現在も月に二度ほどのペースで、あなたから送られてきた最後のメールを読み返しています。最初に読んだ時はなんて長い文面を、読む方の気持ちも考えずにだらだらと送ってくるのだろうと思ったものですが、しかし改めて読み返してみると、あなたの長い年月の中で培われ育まれてきた償いの感情が込められているのが、文面から確かに感じられます。それは、六万字でも収まりきれないくらいの勢いを感じさせ、喩え二十万の字数を与えられたとしても、あなたにとっての気持ちを語るに短かすぎるものだったのではないかと思うのです。
まず、こんなにも返信が遅くなってしまった私なりの理由を述べておこうと思います。そもそも半年前にメールを読んでから今日に至るまで、あなたのくだらないメールなんかへ返信しようなどという気はさらさら起こらなかったのです。あなたから送られてきたメールはそれだけで完結しているように見え、自分勝手に何かを終わらせようとしているように見え、私の返信など決して求めていないのだということがありありと感じられたからです。そのために今現在も、自己憐憫に浸ったような文章を送ってきやがって、と怒りは収まりません。勝手に一人で感傷に浸りながら私との想い出を終わらせようとするなと思っています。もちろんあなたの世間体と尊厳のためにも、あなたから送られてきたメールは誰にも公開することはありません。私の方も、あなたとの想い出を消し去りながら生きて行こうと、もうあなたのことなんかで煩わされたくないと、一度は己の心を抑えました。
しかし今日になって、故郷で行われるクリスマスイベントのための作品を作っている傍ら、あなたと初めて出逢った時のことや、あなたから与えられた極わずかな愛情が頭の中で鮮やかに蘇ってしまい、どうしてもあなたへの言葉を書かずにはいられない気持ちになってしまったのです。やはりあなたは、いつまでも私の心に棲みついて離れないのですね。決して私の中から出て行こうとはしません。いつも心の奥底で、私が駄目になりそうな時のために密かに私を待っているのです。そうして気分が落ち込んでいる時、心の裡にあなたを見つけて、私はただ困惑するのです。なぜあなたの事を思い出してしまうのだろうと悔しくなるのです。あなたから送られてきた長文メールを何度も読み返すたびにそのような思いが、今までは抑えつけていたモヤモヤとした思いが、私の胸の裡に膨らみました。そうしてそれは今日、唐突に、私自身によって書かれる時を待っていたように、表現されることを望んでいたように、こうして書かれることとなりました。我儘かと思いますが、こうして宛てもないメールを送らせていただきます。ちなみにこのメールは(もし誰かの目に触れるのならば)あなた以外の人に見られることになると思います。が、そうであったとしても、あなたはもう怒らないでしょう。
あなたへの返事を書くにあたって再度メールを(六万字分)読み返していると、例によって、あなたと初めて出逢った時のことを思い返していました。数えてみれば、あなたとの出会いはもう三十四年も前になるのですね。今更ながらにその年月の長さが、心を締め付けるように感じられます。
あなたと初めて出逢ったのは、間断なく雪の降りしきる真冬のことでした。映像作家として名の売れていたあなたは、あの頃に流行り始めていたプロジェクション・マッピングを拵え、私の住んでいる北国の地方都市にやってきたのです。
まだ世の中のことなど何もわかっていない十四歳の少女だった私は、友達と二人で、あなたのプロジェクション・マッピングが披露される会場に来ていました。以前にもお話したと思いますが、その時はまだあなたの存在を知りませんでした。ただ無目的にイベント会場の中をぶらぶらと歩いていたのです。たくさんの精巧な雪像が展示され、美味しそうな香りを運ぶ出店が連なっている中、私たちは何とはなしにぶらぶらと歩き、人いきれにうんざりとしながら、それでいて何故か、より人が多く集まりそうな方へ足を向けていたのです。それは恐らく、格好いい男の子とぶつかるとか、ナンパされるとか、そんなドラマのような甘い出逢いを期待していたのでしょう。それくらいに私たちは子供だったのです。
今でも目に浮かぶほどはっきり覚えていますが、あなたの映像が流れる会場には、数え切れないほどの人が集まっていました。静かな息遣いと、囁き合う声、そして雪を溶かすような熱気が肌に感じられたのです。周りにいる彼らは何かを待っているように――実際にあなたの作った映像を待っていたのでしょうが――まるであなたの手によって世界が塗り替わる瞬間を待っているように、そこに集まっていました。その場所へと、偶然にも迷い込んでしまった私は、何か厳かな礼拝でも始まりそうな雰囲気にただただ圧倒されていたのです。何か途轍もないものが始まろうとしている予感だけが、粟立った私の肌をひっかくように感じられました。期待に満ちた声。周りにいる人と体がぶつかり合う感覚。メインイベントが始まろうとしている雰囲気。そうして、いつの間にか群衆の中心に来てしまった私たちは逃げる事も出来ずに、少しでも前に行こうとする人々の波に流されていました。後方から迫ってくる肉壁に押されながら抗わずにいると、いつの間にか流れが止まって、辺りが妙に静まり始めます。ようやく落ち着けるかなと思ったと同時に、私たちを照らしていた眩しすぎる照明がふっと消えました。私たちは辺りが見えぬほどの暗闇に包まれました。周囲の人々の息遣いと声が、より近くに、そうでありながらも、より遠くに感じられる不思議な空間に投げ込まれたのです。これから一体何が始まるのだろう、どんなことが起こるのだろうと、不安と期待が複雑に入り混じった、まるで革命を待ち続ける人のような気持になりながら、私は前方を見続けました。照明が消されてから何秒か経った後、前方の壁に光がぽうっと灯るのが見えました。それはどうやらステージの中に建てられている、雪で固められたお城に映された光のようでした。雪の城をスクリーンとして、そこに光が照らされる光景を、私はただじっと眺めていました。まるで夜が明ける時のような、水平線の向こうで少しだけ光と混ざった闇のようにきれいな青色。私は唐突に人々の前に晒されたその青色を、ぼうっとした眼差しで見つめていたのです。そこに立ち尽くす全ての人々が、取り憑かれたようにその青色に見惚れていたのだと思います。それが映し出されると共に僅かな歓声が、そして引きこまれたが故に零れる嘆息、それらの微かに漏れていく喜びの音が聞こえました。雪の城に広がる青色は、その立体世界の中に三人の人影を映しました。あなたが描いたであろうその影たちが映像の中に現れた瞬間に、待ちわびていたかのようにスピーカーは音楽を流し始めます。その時に流れた音楽を、当時の私は知りませんでしたが、かつてあなたと出逢ってから教えてもらって以来、今でも聞き続けている曲です。それはあなたの作りだした映像にぴったりとシンクロしていました。スウェーデンの音楽家、ポスト・クラシカルの新星、ヨハン・アーリス作曲の「残酷なエイプリル」。繊細で、触れたら折れてしまいそうな程に寂しげなピアノの旋律は、人々の胸にかつての悲しい記憶や、何かとの別れを想起させ、その美しい旋律に身を任せたまま、まるでノイズにも似た、唐突に現れたエレクトリック・バスドラムの音と、機械的なスネアの音が綺麗に絡み合い、私たちの心に激情と衝動を生み出そうとするのです。その音に合わせ、青色の中で生まれた影たちは踊り始めました。クラシック・バレエのような、しかしそうでありながらも何か、もっと自由な表現、人生において抱いてきた悲しみを素直に表現するような、見る者の心の中に何かを訴えずにはいられないような感情に満ちたクラシック・ダンスを、影たちは躍るのでした。私は、いえ、そこに存在した全ての人々は、その映像に引き込まれていました。私はあなたが描き出した、見る者の心にそっと触れるような表現から、目を離すことが出来ませんでした。雑談も、歓声も、僅かな呼吸ですら許されない程の、緊張と喜びに満ちた空間。雪の城に映し出されたあなたのプロジェクション・マッピングは、それほどまでに人々を魅了し、私たちの心に感情を残そうとしていたのです。当時の十四歳だった私は、まるで魔法にかかったみたいに、息をすることも忘れ、あなたの作り出した映像を見続けていました。いえ、それは正真正銘の、魔法そのものであったと私は思います。例えばパブロ・ピカソが「青の時代」に描いたように、ウォルト・ディズニーが「ミッキーマウス」を生み出して人々を惹きつけたように、あなたは青色の中に踊り出す影の人々を生み出して、私たちに素敵な魔法をかけていきました。あなただけが使えた魔法。あなたは、私の人生の中で唯一で出逢えた、表現者と呼ぶにふさわしい人でした。私と同時代に生きた、ただ一人の魔法使いでした。だってそうでしょう? そこに集まった大勢の人の心を、まんべんなく魅了できるなんて、まさに魔法ですもの! 十四歳だった私も例外なく、あなたの作り出した魔法にかかってしまったのです。ある人はあなたの作り出した映像を見て涙を浮かべ、ある人は全身の力が抜けたようにその場に立ち尽くし、映像が終わった後も、余韻を味わうように、そこに何かを見ようと真っ白な雪の城を見たまま呆けていました。私と友人もまた、あなたの映像に感情を揺さぶられ、涙を浮かべていたうちの一人です。思春期の鋭い感受性を大きく揺さぶり、私の中で育ち始めた拙い感性に色とりどりの爆発を起こし、私の今までの価値観や思考や物の見方、そして感覚というものを、ことごとく塗り替えて行ってしまったのです。
あのすばらしい映像の余韻が抜けきらないうちから、これを作った人はどんな人なのだろうという思いに囚われました。私は生来の我儘ぶりを発揮して、友人の腕を掴んでは引っ張り回し、あなたの姿を探しました。この映像の制作者が、まだ近くにいるかもしれない。ここに来ているかもしれない。会ってみたい。会って何を伝えればいいのか、あの映像の感想をどのような言葉で表現すればいいのか、そもそも言葉にしてしまうこと自体が陳腐になってしまうのではないか、あなたは言葉にされるのを嫌うのではないか、とも考えたりしましたが、しかしあなたがどう思おうが、私はどうしてもあなたに会わなければならないような、私の運命を変えるために、今までのつまらない灰色の人生を塗り替えるためにあなたと言葉を交わさなければ済まないような、そんな気持ちになっていたのです。先ほども書きましたが、私は今までの自分を変えるような、誰かとの出会い、おとぎ話の世界に連れて行ってくれるようなそんな出会いを求めていたのです。
ステージ裏で腕を組みながら立つあなたの姿を見た時、間違いなくこの人があの映像を作った人だ、と思った事を覚えています。なぜそう思えたのでしょう。勘と言ってしまえばそれまでなのですが、数人のスタッフたちが慌ただしく動く中、関係者が興奮気味にあなたの映像の感想を述べ合う中で、ただ一人つまらなそうに観客やスタッフたちを眺めていたあなたを見て、うん、この人なら確かにあの映像を作るだろうな、と子供心に感じられたからなのです。今でこそ知っていますが、あなたは基本的に他人に興味を抱かない人でしたね。たとえ何かの理由で興味を持ったとしても、深く関わり合おうとしない、自ら孤独の中に沈み込んでいくのを好む人。それはずっと変わらなかったと思います。
あなたの姿を見つけた私は、迷わずあなたの元へと走りました。ロープの内側に入った私に気づいたスタッフが、慌てて制止しようとした瞬間、なぜかあなたは「その子、知り合いだから」と嘘を吐かれましたよね。その言葉は、今でも不思議なものとして私の心に残っ