【BNSK】品評会 in てきすとぽい season 6
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権兵衛の決断
投稿時刻 : 2014.09.05 23:12 最終更新 : 2014.09.06 01:37
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- 2014/09/06 01:37:18
- 2014/09/05 23:12:08
権兵衛の決断
伝説の企画屋しゃん


 それは何十年かぶりに襲いかかてきた強い衝動だた。
 ビルマに戻らなければならない。
 丸々一世紀を生き、渇望の大半を失た老体だたが、古木に花が咲くこともある。金子権兵衛の腹の底が、じんと熱く波打た。
 きかけは葬式だた。年が明けて間もなく、向かいの家の信三が亡くなた。享年86歳。葬儀では僧侶が読経をあげ、その姿を目の当たりしているうちに、かつて自分が袈裟をまとていたことを権兵衛はふいに思い出してしまたのだ。
 戦争が終わて婿入りする以前、権兵衛は水島と名乗ていた。おーい、みずしまー。法衣でふくらんだ僧侶の背中を眺めていると、戦地で投げかけられた戦友たちの声がまざまざと蘇る。
 現地人に変装することが得意だた権兵衛は、終戦間際、降伏を潔しとしない小隊を説得するために単身ビルマの山へと潜入した。
 手にしたのは、現地の竪琴・サウンガウ。音楽の才能にも長けた権兵衛だたが、あの時ほど己の無力を呪たことはない。
 玉砕の道を選んだ日本兵たちは、せめて死ぬ前にと部隊に数人の女を呼び宴を開いていた。
「おい、水島。この女、お前を食べちいたいくらいだと言ているぞ」
 どうやてかき集めたのか、テーブルはあらゆる食べ物で一杯だ。
「みずしまさーん、たくさーん食べーる。もともと太て、おいしくおいしくなーれ」
 妖艶に身体をくねらせる一人の女。権兵衛はあろうことか一瞬で心を奪われた。
「い、いけません。日本には、私が残してきた許婚の島風が……
「ノー。わたーし、英国で生まれた帰国子女のコンゴウでーす。提督よりも、水島さん食べちいたーい。バババニンラ
 ますぐで激しい求愛に、権兵衛はたじろいだ。慎みを美徳とする小さな島国では、まず出会うことがない異性と言えた。
「ぐ……、お国のために戦地に赴きながら、女人に翻弄されるとは。これでは故郷のとと様かか様に申し訳が立たぬ」
 コンゴウが差し出した皿から目をそらし、権兵衛は自らを恥じた。傍らでは戦友たちが北京ダクさながらに豪勢な料理をかきこんでいたが、彼らは命を捨てる覚悟が定まている。
「へーい。みずしーま。暗い顔してないで、ご飯食べーるね。コンゴウ、霜降り肉だーい好き。脂肪たくさんたくさん蓄えてプリーズ」
「す、すまん、それはできぬ。私は彼らとはちがい覚悟のない人間。あなたの期待にこたえられる器ではない。ど、どうか、待ていてください。仏門に入て、自分を鍛え直します」
 子犬を思わせる濡れそぼつ瞳。七武海のハンコクの虜にされた海賊どもの悦楽が、権兵衛にも理解できた。いそうのこと、私も石になてしまえば。そう思い席を立つ。こんな軟弱者が他人を説得するなど笑止千万。そんな自虐的な悟りが自然と湧いてくる。
 御免と短く告げると、権兵衛は山を下りたその足で街道沿いにある寺の門を叩いた。だが、一夜だけの邂逅だたにも関わらず、修行中もコンゴウのことを忘れたことはない。やがて終戦を迎え、帰国を決断した権兵衛だたが、気になたのはあの山のことだた。
 再び小隊のもとを訪れると、そこは無人の砦と化していた。不思議なのは爆撃された痕跡が見えないのにも関わらず、夥しい数の人骨が転がていたことだ。
 土地の者たちが弔たのか、いくつかの人骨は巨大な鍋の中で折り重なていた。
 あるいは、兵たちは自害したのだろうか。合掌する権兵衛の前を幅の広い影が通りすぎる。
 一瞬、コンゴウのようにも思えたが、その人影はふくよかすぎた。どこで栄養を溜め込んだのか、戦時下だたとは思えないほど立派な肉付きだ。
 あれがコンゴウであろうはずがない。見間違いかと肩を落とすと、権兵衛は船の出る港町へと向かていた。

 そうして、およそ70年後。
 信三の葬儀から日が経ても尚、権兵衛の胸の内はビルマへの想いで焦がれていた。
 入れ歯に使う金属を換金し、件の山の近くに学校を建ててみたものの、むしろ逆効果。届けられた感謝状を目にし、殊更に彼の地への意識が強また。
「ほにらへらほにへへら、ほに
 ある昼下がり、権兵衛はタクシーに乗り込むと、ついにビルマへと向かうことを決意した。
「ほにらへらほ・・・? 爺さん、それじ分からんな。通訳はおらんのか」
 運転手に聞き返され、再度行き先を告げる。権兵衛は、幸運の星のもとに生まれたのだろう。よほど人がいいのか、圧倒的に聞き取りづらい権兵衛の言葉にも運転手は必死に耳を傾けた。
「へに、へに、ほひらへら」
「だから、それじ分からんと言ているだろう」
「ろうかほにらいれすら。へひへに、ほひらへら
「なんだて。正気か、爺さん。あんたそんな遠くまで行こうていうのか。やめておけ。確実に死んじまうぞ」
 ルームミラー越しに交わす視線。あれからコンゴウはどうなたのか。おそらくは生きていまいが、せめて墓前に花を手向けたい。その願いが形となて現れた。権兵衛は後部シートの上で深々と土下座した。
「なんだよ。なんだよ、それは。爺さん、あんた漢の目をしているじねえか。ち、分かたよ、後は俺に任せておきな。魚津のチーターと呼ばれたこの俺だ。棺桶の蓋が閉じる前に、目的地まで届けてやるぜ」
 それから何時間が経ただろうか。高速を乗り継ぎ、タクシーはようやくある建物の前で停車した。
「へに、へに、ほひらへら」
「おうよ。爺さん、よく頑張たな。ここがあんたの目指した場所さ」
 昔の面影はないことは覚悟していたが、やはりと受け入れざるを得ない。町にはかつてはなかた鉄道が走り、近代的な駅舎まで建ている。
 自分を食べちいたいくらいだと言てくれたコンゴウ。愛らしい笑顔は、微笑みの国と呼ばれる隣国の女性以上の眩さだた。
「爺さん、あんたのことは忘れないぜ。くれぐれも達者でな」
 運賃も受け取らずに走り去るタクシーに、権兵衛は敬礼した。そして近くにあたベンチに腰掛けると、唯一の荷物である竪琴の弦を爪弾いた。
 日本に戻る体力はなくはない。しかし、このままビルマに骨を埋めるのもまた運命。
 そのつぶやきに呼応するかのように、どこかでインコが鳴いていた。
 おーい、みずしまー
 インコが駅舎から呼びかける。
 そこには、入間という二つの文字。
 それを見ることもなく、権兵衛は満足したようにゆくりと瞼をとじた。
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