時流れ海流る
これは人間の時間で言う一秒を千年ほどの長さに感じる生命体の話である。それはいつのことかわからないが、彼らは遠い昔、はるばる外宇宙から地球へ移住した。大体、二秒は昔のことらしい。
彼らは周囲にどんな生物も認める事が出来ない。微生物も、あるいは人間程な動物も、彼らにしてみれば動いているとは思われないからである。丁度地球の大陸が、ほんのわずかずつ動いているのと同じくらいに彼らは動物の移動を認識している。例えば人間が一歩歩くかどうかという間に、彼らにと
っては千年が過ぎている。この世界のすべてが、彼らには地形に等しい。
彼らの平均的な大きさはゾウリムシ程である。しかしその知能は、人間と同程度に発達している。長寿の者は0.12秒も生きるという。生命維持に必要なのは太陽光と空気だけである。四本の足でにょろにょろと歩き、彼らは社会を作り、国を作った。とはいえ彼らは食のために働く必要がまるでないから、第一に重要なことは子孫を残すことであって、それ以外にすることは特にない。神は何故彼らに知能を与えたか、それはもう考えなくて宜しい。
することはなくても、しかし考える事が出来る以上、彼らは哲学を発達させた。暇なほど発達する学問が、それだったらしい。一方非力な彼らが加工できる物質があまりにも少ないので、創作や、発明はあまり無い。自然科学の発達も遅い。彼らは大別して二種類と言える。何も考えずに気が向いたら子作りをして、あとはふらふらしている者。これがマジョリティである。もう一方は、哲学者で、子作りを軽蔑し、あることないこと考えている。こいつらは全くマイノリティである。特に哲学者の間には、微生物などの死骸の一部を加工して帽子の様なものを被る流行があった。
今も、年齢0.02秒程の若者がミジンコのクチバシを斜めに被って、仲間と議論している。
「何故我々は生まれたか?この問いこそが生を得た我々の最重要項目だ。馬鹿な連中は子作り以外には碌に動かないで空気をむさぼるばかりじゃないか。あれが真の幸福とは僕には思えないね」
「そうだ、生を充実させねばならない」
ゾウリムシの繊毛を編んだ帽子を深く被った男が同意を示した。ミジンコの若者は続けて多いに気焔を吐く。
「生命哲学の権威が、生物の第一目標は子孫を作る事だと論文で書いて以降は全く我らの社会はひどいもんじゃないか?みな全ての悩みが解決したとでも言う様に家庭を築いたらそれで満足したと、これで役目は終わったという風に虚ろな生を消費している」
などと話している内に、いつの間にか細胞壁のスカートを履いた女性が、彼のすぐ後ろに近づいていた。
「子作りが幸福なことには違いないでしょう?」
彼女は熱弁を振るう若者の耳元でハスキーに言った。うぶな若者はそんなことで顔を赤くして飛び上がった。
「うわっ、ボッド。耳元で妙な声を出すんじゃない!」
大いなる気焔もこれで帳消しになった。繊毛を被った男はやれやれと肩をすくめた。そして女に挨拶した。
「やあ、ミス・ボッド」
「はぁい、ラッド。そして愛しのヘッド」
ボッドはミジンコの若者・・・ヘッドの頬をつついた。ヘッドはつんとして嫌がった。
「ボッド、今ラッドと真面目な話をしていた所なんだ。邪魔しないでくれるか」
「おいおい『愛しのヘッド』は訂正しないのかヘッド。君たちいつからそんな仲だ?」
ラッドがからかって言う。ヘッドは違う違うと急いで否定した。ボッドはうふふと余裕で笑った。
「どうしたの?恥ずかしがらなくてもいいのよヘッド」
とびきり媚びた声でボッドは言う。
「お前とはただの幼なじみだろ!特別な関係なんかあるもんかよ。あっちへ行っててくれ」
「わたしも哲学者の仲間よ?話に混ぜてくれてもいいでしょ。・・・そうそう、子作りが気持ちいいって話だったかしら」
ラッドはそんな話だったか?とおどけた顔をする。しかし以外と真面目にボッドは続けた。
「あんた達がどれだけ語った所で、私たちが後世に残せるのは、結局遺伝子だけよ。書を残しても、そのかわいい帽子を残しても、いつか消えて忘れ去られてしまうわ。ヘッドは特にわたし達の種がさらに発展していくって理想を掲げてるけど、たぶんそんな発展は無いのよ。残せるのは遺伝子だけ。精神は残せない。あらたな個体を作るのが、最大のクリエイティビティよ」
ボッドはどう?と二人に目をやる。ラッドは間を取り持つ様に言った。
「確かに、一見物質的な物は後世に残せる気がする。帽子や、服や・・・でもそれだっていつかは壊れてしまう。そうしたら結局は無いのと同じ事だ。時間制限付きの残留とでも言おうか。しかし遺伝子は次から次へ、バトンを繋いでゆく事ができる、というわけだね」
ヘッドはいや、と言った。
「いやそれは個体レベルの視点だからそうなんだ。俺たちは生きるのも死ぬのもみんなバラバラだ。だから社会を持っているんだ。社会という形式は群衆によって支えられるシステムだから、個が無くなっても別の皆が支えていく。そうして支えられているうちに、あらたな個が生まれてシステムの担い手になっていく・・・つまりとんでもない災害とか戦争で全滅しない限り社会は遺伝子と同じく残っていくんだ。勿論変容していきながらね」
ボッドはそれみたことかと指摘を始めた。
「結局あらたな個が生まれなきゃ始まらないってわけじゃないのそれって」
「そうだけど、全員が個を作るのに準じる必要は無いと思うんだよ」
ヘッドが反論する。そこへラッドが助け舟を出す。
「大勢が個を作るうちに、一部がその社会というのを進化させようって、僕とヘッドは考えているんだよ。なあ、ヘッド」
頷くヘッド。しかしボッドは納得し難いという顔をしているので、ラッドは言いたい事があるなら言いたまえと促した。
「その一部と大勢の間にはどんな隔たりが生まれるのか心配だわ。一部が特権階級的に社会を変容させる事が出来るとしたら恐ろしいと思わない?そうでなくても、皆がその社会を進化させる側に立ちたがったら、誰も個を作らなくなって、社会が崩壊してしまうかも。結構穴がある気がする」
確かに、とラッドは頭をかく。ヘッドも特に反論が無く、黙った。
すると彼らからちょっと離れた所でざわざわと騒ぎが起こった。当然若者三人も、騒ぎの方へ注意を向けた。どうやら彼ら生命体のなかでも老賢者と呼ばれる者が、台に乗上って何か演説しようとしているらしかった。数十の野次馬が群がりつつあった。
「なんだろう、見に行こうぜラッド、ボッド」
「ああ、ありゃカッド爺さんだ」
「どうしたのかしら」
カッドはこれ以上集まらないと見て、資料を手に話をし出した。皆、興味深そうに耳を澄ましている――何せ暇なのだ。
「集まってもらってどうもありがとう。これから皆さんに衝撃的な事実を発表せねばなりません。ご静聴願います・・・」
カッドが話したのはこういうことだった。
最近、東の水辺の様子がおかしいことに気がついた。数少ない自然科学者をかき集めてカッドは東に面する途方も無い水場を調査した。するとまずわかったことが、この南北に広がる水辺が、どうやら彼らのもつ計測器では数字が追いつかない程広いということ。そして東に行く程深くなるこの水辺は、やはりどこまでも深くなり続けるということ。そして最も恐ろしいことには、この水が徐々に西進しているらしいということだった。
今やデッド家の家屋は水に埋まりつつある。そしてこの水は西進の早さを徐々に増している。このままでは、そう遠くない未来、この白い土地は水に沈むだろうというのが、カッドの説明だった。
「うそつけー!」
「ボケ老人!」
「胡乱な哲学者め!」
恐るべき予言に、野次馬は混乱し、その心理的な負荷を怒りに換えて壇上を罵った。
群衆の騒ぎはどんどん広まっていった。壇上にのぼってクラゲの針で殴ろうとする者まで現れた。カッド含む科学者は大慌てで逃去っていった。なおも追おうとする者もあったが、カッドを信望する有志によって取り押さえられ、その衝撃の発表会場は静まった。
遠巻きに聞いていたヘッドらは、心配そうになり行きを見つめていた。ボッドはヘッドに肩を寄せて言った。
「大丈夫よね・・・」
「ああ・・・」
ヘッドも何が真実か解らない。あまりに唐突で荒唐無稽な、そして想像するも恐ろしい予言にぞっとした。一方ラッドは恐怖の発表に色を失い、悄然と失禁していた。
それから(彼ら感覚で)数年が過ぎ、いよいよ彼らは予言を信じないわけにはいかなくなっていた。また多くの住居が浸水し、彼らは西へ追いやられていた。そして水の進攻速度は圧倒的に増してい