9月1日、ワ・サラー飛来する【時間外投稿・投票対象外作品】
ワサビー
星を旅立って300年が経っていた。
かつての仲間がいるらしいと聞いて訪れた星は、見たことのない光景が広がっていた。
「やや、もしやこれは荒野っていうやつかわっさー」
船から降りると、ワ・サラーは額をぴしゃりと叩いた。
この星にも都市部があるが、ここからは遠く離れている。
異星人であるワ・サラーにとっては、むしろ人影がないのは好都合だった。
とはいえ、こんな広漠とした風景はほかの星でも体験したことがない。
必然的に文明度が推し量れたが、同時に危惧したものがある。
この星にはまだ争いが残っているのではないか。
だとしたら、仲間たちが潜伏している可能性もなくはない。
「むっ、その船はアズミノ型。まさか、お前は……」
背後を振り返ると、いつの間にか一人の男が立っていた。
瞬時に身構えたのは、男に見覚えがあったからだ。
「き、貴様はマズマ大陸の将軍イ・ヌボー」
ワークマンこぐま座店で購入した農作業着のポケットからハンカチを取り出す。
慌てて口と鼻をふさいだのは、アニマルボムの被害を防ぐためだった。
その場にいる者たちを小動物に変えてしまう瞬間遺伝子組み換え装置。
反帝国軍の一員だったワ・サラーたちは、かつてアニマルボムにより敗北に追い込まれてしまったのだ。
「慌てるな。今の私は将軍イ・ヌボーではない」
「なに? では貴様は何故この星にいるのだわっさー。俺の仲間を探しに来たのはお見通しだわっさー」
面倒だ、と口にすると、イ・ヌボーはワ・サラーの襟をむんずとつかんだ。
「ひとまず落ち着いて話そう。30分ほど離れた場所に小さな町がある」
船の裏まで引きずられると、ワ・サラーは停車していたピックアップトラックに押し込まれた。
逃げようとしたがエンジンがかけられ、トラックが走り出す。
窓の外では小型のカンガルーの群れが、不思議そうな顔で視線を向けていた。
「おい、イ・ヌボー。あの生き物はなんだ? もしかして、貴様がアニマルボムを使って俺の仲間を……」
そこまで言って舌を噛んだ。
舗装されていない荒れ道である。
痛いということもできないワ・サラーを横目に、イ・ヌボーはやれやれといった体で首を振っていた。
アズミノ、ウトウギ、マズマ、ヒキミ。
故郷のワサビー星はこの4つの大陸から成っていた。
一つの大陸には一つの国があり、長らく平和を保っていたが、異変が起きたのが300年前。
少数ながら特殊な科学力を持つマズマが、突如として各大陸に武力介入をはじめたのだ。
「ぐっ、この町。もしや貴様の砦ではないだろうな」
飯を食わせてやると誘われ入った店は、屈強な男たちがテーブルについていた。
「安心しろ、ここは単なる場末のダイナーだ。もっとも食事をするには、貨幣が必要になるのだがな」
「貨幣? なんだ、それは。説明しろ」
「この星は病んでいる。その根源が貨幣の流通だ」
イ・ヌボーは苦々しい顔でコーヒーを喉に流し込んだ。
聞けばこの星では、貨幣をどれだけ持っているかで生き方が変わるという。
一見合理的に思えたが、マスタード野郎みたいな発想だ、とイ・ヌボーは吐き捨てた。
「マスタード野郎とは聞き捨てならないわっさー。ならば、貴様はどうしてこの星にいるのかわっさー」
星間貿易のライバル、カ・ラシ星を指す最上位の侮蔑語。
それがマスタード野郎であるが、よほどのことがなければ口にされることはない。
ワ・サラーはイ・ヌボーの口調に、並々ならぬ怒りを感じ取っていた。
「マスタード野郎は、マズマの指導者たちも同じだった。あの内乱の後、俺は自分の大陸に反旗を翻したのさ。つまり、今はお前らアズミノと同じ逃亡者というわけだ」
「ところで、イ・ヌボー。これは、どういうことだ。ホットドッグとかいう食べ物にかかっているこの黄色いもの。なんだかすごく嫌な感じがするわっさー」
「この星では、それが食べ物の味付けとして好まれている。どうだ、ワ・サラーよ。私とともに、この星に革命をもたらそうじゃないか」
こんなものが、と絶句すると、ワ・サラーは無条件で肯いていた。
たとえ辺境の星であっても、このような不快なものが存在することは許されない。
すべては貨幣のせいだと訴えるイ・ヌボーに、潰すしかないわっさーとワ・サラーは応じた。
「では、イ・ヌボーよ。今から俺たちは同志だわっさー。貴様の計画を聞こうじゃないか。何か策があるんだろうわっさー」
アニマルボムの技術を応用する。
ざっくりと答えると、イ・ヌボーは緑色のチューブを取り出した。
「このチューブを使うといい。オーストラリアと呼ばれるこの大陸では貴重品だが、お近づきのしるしに一本やろう。スシやソバという食べ物に使うと絶品だ」
どういうわけか懐かしい気分に浸れる緑のチューブ。
なるほど、この星にもそれなりに見どころがあるらしい。
そう思いながら、ワ・サラーはチューブを受け取った。
イ・ヌボーの計画は、大胆なものだった。
貨幣に変化をもたらし、使い物にできなくしてしまうのだ。
「アニマルボムは有機物に作用していたが、技術的にはあらゆるものの本質を変化させられるのさ。それなので人体以外に使えないわけではない。貨幣を手にした瞬間、紙幣や硬貨に火が付きボヤが起きる。私はそのように調整した」
「うーん、簡単に言えば、貨幣が人と接触するとボヤが起きてじゅっと燃えるのだな?」
「そのとおり。この大陸の通貨はオーストラリアドル。私はこの新たな技術を金ドルボヤーじゅっと名づけようと思う」
「なんて素晴らしい名称だわっさー。貨幣を燃やし尽くして、この黄色のも絶滅させるだわっさー」
「わっさー。そうして真に平等な世界が訪れる。為政者が豪遊するそばで、飢えた子どもが路頭に迷うこともなくなる。我らワサビー星人がグランドルールを作るのだ」
イ・ヌボーが何故この星に定住しているのか。
故郷のワサビー星はどうなったのか。
聞きたいことが山ほどあったが、それ以上に大事なことを忘れている気がしなくもにゃい、もとい、ない。
「うっしゃ、大筋が決まったのなら、敵情視察だわっさー。俺は少し散歩してくるわっさー」
店を出て街を歩く。
思えばマズマは、旧態然とした各大陸に業を煮やして武力制圧を開始したのだった。
その先陣を切った将軍イ・ヌボーと未知の惑星で手を組むとは想像もしていないことだった。
だが、何かがおかしい。
果たしてこんなところで、イ・ヌボーと出会うことなどあり得るのだろうか。
ソフトクリーム屋の前で立ち止まると、ワ・サラーは麦わら帽のつばに手を当てた。
この星に来たのは、何故か。
三日前、ケイヨーD2おうし座店で農薬を買う最中、ワサビーと呼ばれる生き物がいるという噂を聞きつけたのだ。
「おい、そこのでかいの。あの生き物は、なんというのだわっさー」
荒野でも見掛けた小型のカンガルーを指さし、ワ・サラーは通行人に問いただした。
「あ? ありゃワラビーだろう。見て分からんか」
「ワ、ワサビー? なんということだわっさー。俺の仲間たちはやはりアニマルボムで……」
聞き間違いを指摘することもなく、通行人はその場を立ち去った。
イ・ヌボーめ、ただではすまさんぞ。
鼻息を荒くして踵を返すと、一匹のワラビーが立ちはだかった。
何かを語りかけるかのようなつぶらな瞳。
それはまるで、過ぎたことより未来を作れと訴えているようだった。
「ふ、復讐よりも革命を成就させろ。貴様はそう言っているのかわっさー」
膝から崩れ落ちたワ・サラーの肩に、ワラビーはそっと手を載せた。
遠くでワ・サラーを探すイ・ヌボーの声がする。
「わ、分かったわっさー。俺はこの星で故郷の悲劇が繰り返されないよう、がんばるわっさー」
涙をこらえると、ワ・サラーはすくっと立ち上がった。