第4回 てきすとぽい杯
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寒い四月の夜に
投稿時刻 : 2013.04.13 23:08
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寒い四月の夜に
なんじや・それ太郎


私の父は日本に住むことには反対だたのだ。
しかし、中国残留孤児である母が祖国に帰る際、医者としての中国での生活を捨ててまで日本に来たのは、それだけ母のことを愛していたからではなかろうか。
日本に来てからの父は、医師としてのプライドから普通の職業に就こうとはせず、日本語もろくに勉強しないで昼間から飲んだくれていた。
生計は料理屋でパートで働く母の収入と、国から出るわずかな補助金で成り立ていた。
私は今まで好きだた父の堕落ぶりに戸惑たももの、どうすることもできず勉強に没頭することで気を紛らわせていた。
日本語にハンデのあた私は、数学や理科の勉強では他の生徒に負けないよう努力したつもりだ。
そのおかげで大学は医学部に進むことができた。
父は私が医師の道を進むことを知り、喜ぶどころかさらに酒を飲むようになた。
私のなけなしの奨学金まで父の飲み代に消えることがあた。
そんな父が病気で入院したのは帰国して六年目のことであた。
日本語が話せない父のために、私は通訳を買てでた。
私はまだ医学生だたが解剖学ぐらいは終えていたため、何とか通訳を務めることが可能だた。
ところがそれは同時に父の病状が芳しくないことを自分で知る結果にもつながた。
父はもうじき死ぬのだ、と確信せずにはいられなかた。
窓の外に星と月とが輝くある夜のこと、「日本語が勉強したい」と父が言い始めた。
どういう風の吹き回しなのだろうか、私は訝しく思いながらも父のための教科書などを用意した。
父の入院生活と日本語の勉強は続いた。
「お医者さんや看護婦さんに日本語でお礼をしたいな」と父がつぶやく。
「だてこれだけの設備で闘病ができるのだ。私は日本で入院できて嬉しいよ。勉強の時間もたくさんある」
「そんなこと言わないで早く退院しようよ」
「無理だな」と父は断言した「こう見えても俺は医者だ」
その力ないことばに私の心は涙で濡れた。
それから数日して、父は色々な人に日本語でたくさんのお礼を言い募た後で静かに死んでいた。
入院した当初とは違て、最後は多くの人に愛されていたように思う。
波乱だた父の人生が幸せだたかどうかは私にはわからない。
しかし、日本語を話している時の父の笑顔は、眩しい太陽のようでとても輝いていた。
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