てきすとぽい
X
(Twitter)
で
ログイン
X
で
シェア
第4回 てきすとぽい杯
〔 作品1 〕
»
〔
2
〕
〔
3
〕
…
〔
21
〕
寒い四月の夜に
(
なんじや・それ太郎
)
投稿時刻 : 2013.04.13 23:08
字数 : 936
1
2
3
4
5
投票しない
感想:3
ログインして投票
寒い四月の夜に
なんじや・それ太郎
私の父は日本に住むことには反対だ
っ
たのだ。
しかし、中国残留孤児である母が祖国に帰る際、医者としての中国での生活を捨ててまで日本に来たのは、それだけ母のことを愛していたからではなかろうか。
日本に来てからの父は、医師としてのプライドから普通の職業に就こうとはせず、日本語もろくに勉強しないで昼間から飲んだくれていた。
生計は料理屋でパー
トで働く母の収入と、国から出るわずかな補助金で成り立
っ
ていた。
私は今まで好きだ
っ
た父の堕落ぶりに戸惑
っ
たももの、どうすることもできず勉強に没頭することで気を紛らわせていた。
日本語にハンデのあ
っ
た私は、数学や理科の勉強では他の生徒に負けないよう努力したつもりだ。
そのおかげで大学は医学部に進むことができた。
父は私が医師の道を進むことを知り、喜ぶどころかさらに酒を飲むようにな
っ
た。
私のなけなしの奨学金まで父の飲み代に消えることがあ
っ
た。
そんな父が病気で入院したのは帰国して六年目のことであ
っ
た。
日本語が話せない父のために、私は通訳を買
っ
てでた。
私はまだ医学生だ
っ
たが解剖学ぐらいは終えていたため、何とか通訳を務めることが可能だ
っ
た。
ところがそれは同時に父の病状が芳しくないことを自分で知る結果にもつなが
っ
た。
父はもうじき死ぬのだ、と確信せずにはいられなか
っ
た。
窓の外に星と月とが輝くある夜のこと、「日本語が勉強したい」と父が言い始めた。
どういう風の吹き回しなのだろうか、私は訝しく思いながらも父のための教科書などを用意した。
父の入院生活と日本語の勉強は続いた。
「お医者さんや看護婦さんに日本語でお礼をしたいな」と父がつぶやく。
「だ
っ
てこれだけの設備で闘病ができるのだ。私は日本で入院できて嬉しいよ。勉強の時間もたくさんある」
「そんなこと言わないで早く退院しようよ」
「無理だな」と父は断言した「こう見えても俺は医者だ」
その力ないことばに私の心は涙で濡れた。
それから数日して、父は色々な人に日本語でたくさんのお礼を言い募
っ
た後で静かに死んでい
っ
た。
入院した当初とは違
っ
て、最後は多くの人に愛されていたように思う。
波乱だ
っ
た父の人生が幸せだ
っ
たかどうかは私にはわからない。
しかし、日本語を話している時の父の笑顔は、眩しい太陽のようでとても輝いていた。
← 前の作品へ
次の作品へ
→
1
2
3
4
5
投票しない
感想:3
ログインして投票