第32回 てきすとぽい杯
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悪夢
投稿時刻 : 2016.04.16 23:45
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悪夢
古川遥人


 彼女の夢が悪性のウイルスに犯されたらしい。彼女が運ばれた病院にて僕はそう説明を受けた。今朝、いつも六時半には出社する彼女が起きてこないので、僕は彼女を揺さぶて起こそうとした。が、彼女は何も反応しなかた。呼吸はしているし、もちろん脈だてあたが、しかしどんなに強く揺さぶても彼女は起きなかた。これは何らかの病気ではないかと疑た僕は、彼女を車に乗せて病院へ向かい、受付で説明をして、彼女を診てもらた。診察室に入り、検査を経た後に、医師は彼女が悪性夢寄生病という病に罹ていると告げた。この病気はどうやら、体の中に入たウイルスが脳まで到達し、そして宿主が眠ているときに、脳のある部分に作用して、悪夢を見せるらしい。それから徐々に脳を侵食していき、宿主が睡眠から覚めないように働きかけ、眠ている宿主を24時間かけて殺してしまうのだという。何とも恐ろしい病気だ。この病から救うには、患者と近しい人が、患者の夢の中に入り、悪夢の原因となているものを殺さなければならないのだという。夢の中には、宿主を殺そうとする何かが棲んでいるらしい。それを殺して悪夢から解放することができれば、患者は目覚める。そうして目覚めさえすれば、ウイルスの進行は一時的に止まり、外部からの治療が可能になるとのことだた。
 僕は医師から説明を受けた。医師は重い口調で言た。自体は一刻を争う状況です。昨夜の十二時に就寝したと仰られたので、タイムリミトは今夜の深夜十二時頃です。それまでに、彼女が信頼している人物が夢の中に入り彼女を救わない限り、彼女はウイルスに殺されてしまうことになります。もしあなたに覚悟があるのならば、彼女の夢の中に入り、彼女を救てください。この病は、眠ている状態での治療ができません。私たち医師は干渉することができないのです。治療することもできないのです。それに彼女が愛情や親しい友情を感じている人物でないと、夢の中に入た時に拒絶反応が出て、バグのような現象が起きることがあります。今すぐに、彼女の目を覚ますことが可能なのはあなた一人です。ただし、もちろん危険はあります。彼女の夢の中に入り、あなたが殺されるか危害を加えられた場合、あなたの精神や脳にも損害が出る恐れがあります。それでもあなたは夢の中に入りますか。
 僕は躊躇することなく頷いた。断る選択肢などなかた。医師も頷くと、僕を違う部屋へ連れて行た。そこにはコンピターにつながれた大仰な機械があり、彼女は様々なケーブルが繋がれたヘルメトのようなものを被らされていた。そのケーブルが多くの機器へと繋がり、彼女の脳など僕にはわからない何事かまでをモニタリングしているようだた。医師は僕の傍に立ていう。あなたには彼女と同じものをかぶてもらいます。そうしてそのまま、睡眠導入剤にてあなたには睡眠状態に陥てもらいます。こちらであなたの脳と彼女の脳をリンクし、あなたを彼女の夢の中に侵入させます。はきり言て、彼女の夢の中がどのような世界になているかまでは正確には判りません。それはとても危険な世界かもしれませんし、超現実的な世界かもしれません。僕はヘルメトのようなものを被た。医師がカプセルを手渡す。僕はそれを飲みこんで、すぐに眠気がやてきた。
 気が付くと、僕は海岸にいた。僕の住んでいる町の海岸だ。そして僕は浜辺に敷かれたシートに座ている。パラソルが日差しを遮ている。
「添木くん」
 僕を呼ぶ声がする。振り向くと彼女がいた。二人。そう、彼女はなぜか二人いた。全く同じ姿の人物が、僕の前に二人いる。片一方は微笑みながらこちらを見ている。もう片方は退屈そうな顔でこちらを見ている。僕は混乱する。これはどういう状況なのだろう。なぜ彼女が二人もいるのか。確かにこれは夢の中だ。どんなことでも起こりうる。だが、目の前の事態はどういう意味を持ているのだろう。何を示唆しているのだろう。そう考えて、僕は一種の直感として、ある考えが浮かんだ。彼女のどちらかが、ウイルスなのではないか。どちらかが偽物で、彼女に化けているのではないか。だとしたら、僕はどちらが偽物かを見抜き、偽物である方を殺さなければならない。姿形は彼女と全く同じ偽物を。
 微笑みを浮かべている方の彼女は、どうやら僕にかき氷を買てきてくれたようだた。僕は受け取てお礼を言た。そうして彼女は隣に座り、僕に寄り添てくる。退屈そうな彼女は、特に僕の方を見ることなく、僕の隣に寝そべた。目を瞑てただじとしている。どちらかというと、微笑みを浮かべている方がいつもの彼女に近かた。だが、それだけでこちらが本物だと断定するのは早計な気がした。もしかしたら、退屈そうな方が彼女の本心に近く、僕といるときは演技をしていた可能性だてあるのだ。彼女は僕といるときは退屈に思ていて、実際の彼女の気持ちはこちらだた可能性だてある。それは僕にとて悲しいことではあるが、彼女を救うためには、選択を誤てはいけないのだ。本物の彼女を僕は見極めなければいけない。
 それから海へ入ている時も、昼飯を食べている時も、砂で遊んでいる時も、帰りのバスに乗ている時も、彼女のどちらが本物であるかわからなかた。そうして時間だけが過ぎていく。恐らく夢の中の時刻と現実の時刻はリンクしているのだろう。日が暮れ始めるとともに僕の焦りは増していた。あと六時間くらいしかない。もうそろそろ決断をしないと彼女は死んでしまう。だがどちらが偽物であるかの確証は、まだ持てていない。一か八かの賭けに出るしかないのだろうか。このまま何もせずに彼女を死なせてしまうよりも、二分の一に賭けて彼女が助かる可能性に縋る方が、救いがあるように思う。
 僕は家に着いて、夕食の支度をする二人の彼女の後姿を見る。そうしながら工具箱に仕舞てあるナイフを手に取ら。どちらが偽物なのだろう。その問いは、僕がどちらを信じるかという問いに似ているような気がした。どちらが本物であてほしいかという希望に似ている気がした。もちろん僕としては、微笑みを浮かべている優しい方が本物であてほしい。が、退屈な態度を見せる彼女が、どうしても僕の気を引いているのだた。なぜだろうと考えて、答えに行きつく。出会た時の彼女の表情が、退屈な表情を浮かべている彼女そのものだたからだ。彼女は孤児だた。大学の同じゼミで出会たときに、彼女は同じゼミの男の話をとても退屈そうに聞いていた。その時の表情を、僕は思い出したのだ。彼女はその男と付き合ていたのだが、僕と関係を持ち、僕と付き合うようになた。だから退屈な方が本物の彼女だろうと思たのだ。だが反論する僕の心の声も聞こえる。いや、そんな単純ではないだろう、と。彼女は昔とは変わり、僕と付き合うことによて、微笑みを浮かべる彼女に変たのではないか。僕は迷う。どうすればいい。そうして僕は決断する。僕は料理を作ている彼女に近づく。ポケトに仕舞ていた刃物を握る。僕は大きく振りかぶる。退屈そうな表情を浮かべる彼女に向かて。彼女が偽物だ。その意志を持て。
 その瞬間、背中が熱せられるような衝撃と、すぐに激しい痛みに襲われた。僕は反射的に後ろを振り向く。
「やと本性を現したな、ウイルスめ!」
 僕の後ろに立ていたのは、彼女と昔に付き合ていた男だた。先ほど言た、彼女とゼミで話していた男だ。僕に彼女を取られた男。なぜ彼がここに。まさか彼も夢の中の人物なのか。
 彼は口を開く。
「気持ち悪い男だ!お前が彼女の脳みそを食おうとしているウイルスだな。殺してやる。殺してやる」
 そう言て彼は、何度も僕を鋭い刃物で突き刺してくる。僕は抵抗しようとするが、体に力が入らない。
「彼女は解離性同一性障害なんだ。いわゆる二重人格。それを知らないで彼女を殺そうとするお前はウイルスだ。ずと彼女に付きまといやがて!死ね!糞野郎が!」
 そう言いながら彼は何度も僕を突き刺してくる。僕はどうしてこうなているのか解らないまま、激しい痛みに襲われる。なぜこの男が夢の中にいるんだ。まさかこの男も現実から夢の中に入てきたというのか。僕に彼女を取られた情けない男のくせに。彼女に退屈な顔を刺せていたつまらない男のくせに。
「まさか俺が朝早くから仕事に出ている間に、お前が家に忍び込んで病院に連れて行くとはな。ええ? 夢の中の恋人ごこは楽しかたかよ、ストーカー男。それともお前が本当にウイルスなのか。まあどちでもいいけどな。とにかく俺にとてお前は死んでもらた方がありがたいんだよ」
 彼はそのわけのわからない言葉をしべりながら、僕の心臓を突き刺している。ストーカーはお前だろう。僕は彼女の恋人なのだ。彼女のことを理解しているのは僕だし、彼女を救えるのは僕しかいない。ああ、なぜこんな男に殺されなければならないのか。どうして体が動かないのか。これは本当に夢の中なのか。現実なのか。今までのすべてが僕の見ていた夢の可能性はないのか。僕はこんなことで死んでしまうのか。僕は自分から流れ出る血を見ながら、重たくなていく瞼を閉じる。最後に思たのは、誰がウイルスだたのかということだた。そして彼女が病に罹たこと自体から、現実だたのかも判らない。これは僕の夢なのか。ああ、なんだろう。僕はわけのわからない悪夢に閉じ込められている。そう思いながら僕は真暗闇の中へ吸い込まれていた。
 
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