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【BNSK】2016年8月品評会  
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夏のベリー
大沢愛
 投稿時刻 : 2016.08.14 23:57
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夏のベリー
大沢愛


          1
 夏の教室では胸元をはだけるべきだ。
 
 べつに暑いからだけじ。ちと想像してみてくれ。ここは男子校だ。朝ぱらからクソみてな朝練があて、どいつもこいつも汗まみれだ。シズの中でソクスに包まれて蒸れた足が、吐きそうな臭気を放ていやがる。帽子かぶて蒸れた頭、汗を吸たシツ、そんなこんなが教室中に遠慮なしに臭いを発散しまくている。
 もちろんシワーなんて気の利いたモンはね。だからて水道のとこで頭から水を被ていると先輩にどやされる。そりそうだ。頭皮の脂をぶちまけた蛇口で水が飲めるかて話だし。実際、散水用の水道とか校舎裏の怪しげな蛇口とかはとくに占有されちまていて、2年生でしかもマイナー(つまりは勝てね)部活の俺らは制汗スプレーを頭から吹き付けて耐えるしかね
 だけどよ、モノには限度てモンがある。いくらメーカーが消臭機能を謳おうが、最終的な部分じ隠しきれね。なんかヘンなふうに化学反応起こした臭気が自分の身体にまとわりつくようになるんだ。「無臭性」てヤツを使て、隠しきれね臭いに落ち込むよりは、てんで、シトラスだのレモンだの、鼻につく香りを吹きつけることになる。正直、あれやこれやが混ざり合うと吐きそうになる。何やてるんだ、て話だよな。野球部の井戸なんざ、水虫の足指にまでシトラスを吹きつけやがる。おかげでシトラスの香りがするたびに、水虫で抉れた指の股が目の前に浮かんできて、なんていうか地獄絵図だ。
 この耐えがたい状況をサーバイブするための方法は、意外に近いところにある。人間て、自分のにおいには耐えられるんだ。たとえ煮しめたようなとんでもない悪臭でも、自分のにおいだと思えば厭味たらしいミントの香りよりもよぽどマシに思える。
 というわけで冒頭に戻るんだ。

 夏の教室では胸元をはだけるべきだ。
 
 腐女子のチンネーが妄想するみたいに、男同士でセクシーアピールしてるわけじ。中にはそんなのもいるかもしれねが、放とく。男湯に入るときにこの中にモーホーがいるかどうか気にしたて始まらねだろ? それと同じだ。女子校だて、スカートまくて、ついでにパンツまで浮かせてパタパタやてるんだろ? うちの高三のクソ姉貴が言てやがた。あまりの暑さにパンツ脱いで授業受けたバカ女がいて、なんとも言えねニオイが教室に漂たとか。慌てて制汗スプレーを例の部分に吹き付けたら、シレにならねくらい沁みて痛んで、ノーパンのまま保健室送りになたとか。またく、訊きもしねのに女子校ネタをぶちまけやがるこのクソ姉貴のおかげで女に関する幻想は便所の雑巾並みに汚されちまたよ。もちろん、クソ姉貴やノーパンバカ女以外の、もうちとはマシな女子だているに違いね……て信じて。切実に。
 鬱陶しい教室の混合気の中で、胸元から這い上る自分の体臭が鼻先をかすめるだけで人心地がつく。パンツ経由の臭気も含まれているからマジで綺麗事じすまねけどな。なんていうか、これて動物的には正しい気もするんだ。イヌがなわばりの証拠にテメのシンベンひかけるだろ? テメのニオイがついてり安心するてわけだ。ネコだて耳の後ろの汗腺からの分泌物をすりすりしながらなすりつけているわけで。それに比べり、俺たちはテメのニオイをテメで嗅いでいるだけだから、ずと紳士的だろう。
 ……立ち往生、て感じもするけどよ。
 ともあれ、俺はムカつく英語のテキストをうちわ代わりにしながら、愛用の制汗スプレー「ラムネ」と体臭の混じりあたにおいの中で、ぼんやりとしていた。机に触れた肘の下にはべとりと汗が溜まる。じとしているだけで、ズボンの内は濡れ雑巾レベルに蒸れて行くのが分かる。こんな状態でリーングもクソもあるかよまたく。リーング担当の岡間のハゲ野郎、「英語を捨てるのは人生を捨てるのと同じだ」とかぬかしやがる。英語は捨てなかたかもしれねが代わりに頭髪には逃げられてるくせによ。修学旅行で外人が来るとそと身を隠す、という噂はこの間、北海道修学旅行で見せてもらた。英語が得意な飯嵜が話しかけたらドイツ人で、英語は同レベルだたんで笑えたけどよ。

「ちーす」
 教室入口から声がする。黒板上の時計は八時二十分を指していた。朝練のね、文化部か帰宅部の連中の登校時間だた。そもそも今は八月一日で、授業じなくて補習なんだけど。このあたりはクソ田舎でろくな予備校がねせいか、やたらと学校信仰が強。「学校の授業さえ受けていれば国立に行ける」「塾に行くと落ちる」「早慶よりも地元の駅弁国立」みたいな。地元の国立ヒトコ大学の合格者数が誇り、だたのが最近じ全国津々浦々の国公立大学への合格者数が100人を超えている、というのがアイデンテになていた。ヒトコ大学へは20人程度で、あとはもうマジでアザラシ公立大学だのチンスコウ市立大学だの、この県で真当に生きている限りは知ることのなかたはずの公立大学へ強制的に捩じ込まれる。下手をすると1,000キロの彼方だ。菅原道真だて流されたのはその半分くらいの距離だてのによ。進路指導に逆らうと調査書を発行してもらえねらしいから、とりあえずはアザ大やチン大に送られね程度の成績はとらねと。
 教室入口から次々に入てくる顔、顔、顔。見れば分かる。どいつもこいつも三十分以内に家でシワー浴びてきました、てツラだ。またく、俺はなんで運動部なんかに入ちまたんだよ。それも暗幕を引いて窓もドアも閉めきるバドミントン部なんかに。
 たぶん、部の勧誘が四月だたからだ。
 いくら中学からやてたからて、勧誘が七月とかなら迷わず書道部にでも入たはずだ。書道にはひとかけらの関心もね。ただ、なにしろ書道教室にはエアコンが入ている。俺の書道に関する知識はそれだけだ。だが、正直グとくるぜ、これは。エアコンのためなら墨擦り2時間だろうが文鎮1,000本ノクだろうがやてやろうじか。どうせ男子校だ。そう、俺たちに女はい(ら)ね。エアコンだけがともだちさ。
 焦点のぼやけた視界が急にはきりした。穂村翔太の野郎が入てきた。コイツはイケメン、というよりもお坊ちんヅラだ。さらとした髪に第一ボタンまで留めたシツ。だがそんなことはどうでもいい。

 コイツには、女がいる。

 しかも相手は共学校だ。女子校じ。つまり、うちのクソ姉貴の暴露した阿鼻叫喚の世界とは無縁の子だ。なんかもうそれだけで背中に羽根が生えて見える。もちろん写メを見せてもらた。うちじ、女ができたやつにプライバシーなんざ存在しね

 写メを見た感想。
「こんなかわいい子が存在するなんて、うちの県もまだまだ捨てたモンじな」

 バレー部の桧垣が写メを呉れと土下座したけれど、さすがに翔太に拒否られた。ま、ヘンなコラを作てアレな目的に使うに決まているし。それをネトにでも流された日にはシレにならねし。
 恐ろしいことに女の方から翔太に告てきたらしい。男から告る→フラれる→女が拡散して笑いものにする、という黄金パターン以外がリアルで存在するとは思わなかた。告白された翌日、翔太は手紙を渡された。もちろん、それは俺たちに公開された。何を書いてあたか、翔太以外は誰も見ていない。俺たちは手紙を回し読みじなくて「回し嗅ぎ」をした。俺の手許に回て来たときには既に五人くらいの鼻の脂があちこちについていたけれど、なんだかいい匂いがした、気がした。興奮のあまりそれどころじなかたからだ。翔太の手許に戻たときには手紙はよれよれになていた。翔太は怒りもせずにそれを丁寧にしまた。考えてみれば、俺たちは手紙を嗅いで興奮しているけれど、コイツは直に触れられるし、もといろいろとできるのだ。にこやかな翔太が本気で憎らしい。
 でも、手紙はやぱりいい香りだた。
 翔太が机の間を歩いてくる。
「コイツ、今朝、女連れで季ノ坂を通て来てたぜ」
 誰かが囃し立てる。一瞬、空気が止また。
 いや、だて季ノ坂てのは、国道とか県道じ。うちの学校への近道で、緑丘を越える山道だ。畑と祠のある丘で、足元は羊歯の生い茂る湿た土。あたりは鬱蒼とした木立に囲まれていて、昼間でも薄暗い。
 ということはつまり……
 真先に飛び掛かたのはサカー部の東郷廉だた。翔太の胸元に顔を埋めて嗅ぎまくる。周りの連中が次々にあとに続き、組体操もどきの人だかりになた。
「これ、イチゴの香りじねーかよ、このケダモノ!」
「朝ぱらから女と何してやがたんだ、スケベ野郎!」
 どう見ても翔太よりも群がた連中のほうがケダモノ感はあたけれど、俺も飛びかかたからあんまり悪くは言えね。野郎どもの頭皮の臭いや制汗スプレーの臭気の中、嗅覚を研ぎ澄ませる。
 やみくもに嗅ぐな。
 選択と集中だ。
 嗅ぐのは鼻じ
 そう、こころで嗅げ。
 そのこころが汚れきているのが問題だけれど、確かに俺の鼻は甘い香りを嗅ぎ当てた。
 これが共学校の、しかも無茶苦茶に可愛い女の子の香り。
 朝起きて、これをつけるときはやぱり下着姿、いやいや全裸かもしれね
 途中まで一緒に歩く翔太に嗅がせるために、裸になてあそこやここに制汗スプレーだかウターだかをつける。
 女の子は絶対に興奮していたはずだ。そうでなくても、ちとくらいはそういう気持ちがあたはずだ。いや、あた。そうに決まている。反論禁止!
 この野郎、あの可愛い子にそこまで思わせていやがるのか。ゴミを見るような目で睨まれて無視される経験しかねちにと、もはや犯罪だろうが。
 客観的には翔太の服についた女の子の残り香を嗅いでいるほうが明らかに犯罪ぽかたけれど、そんなことは認めてたまるもんか。女の子にそういう気を起こさせるなんざ、あならね。お父さん許しませんよ? まあ、世の中の大抵の父親は、娘の残り香を争て嗅ごうとする男子高校生の方を殺したいと思うだろうけど。
 だめだ、娘の残り香、とか言た瞬間、居てもたてもいられなくなる。
 朝の予鈴が鳴る。ぎりぎりに駆け込んできた連中は何人もの男に抱きつかれている翔太を一瞥して、そのまま自分の席に腰を下ろして煽ぎ始める。かかわりあいになりたくねんだろう。その気持ちはよく分かる。
 訳の分からね高揚感は急に引いて行た。寄てたかて抱き締められているうちに翔太自身が汗をかき始めやがたんだ。女の子の甘い香りを翔太の体臭が凌駕するに及んで、暑苦しい集団は崩れた。当たり前だけれど、俺たちの顔に残たのはイチゴのフレグランスじなくて翔太の汗臭だた。もちろん、翔太のシツには俺たちの顔の汗や脂が塗りたくられたはずだ。
 もし俺が同じ目に遭わされたら、間違いなくブチギレる自信がある。俺のハニー(もちろんそれは可愛くて性格もよくてナイスバデで俺にベタボレでいつでもキスだのプラスアルフだのを俺に求めてくる女の子だ。くそ、言てて涙が出てきやがるぜ)のにおいを汗臭野郎どもに絶対に嗅がせたくね。ところが、翔太は怒りもせず、制汗シートで顔や胸元を拭ている。
 つまり、ここがリアルで女の子と付き合ているやつと、そうじやつとの違いなのかもしれね
 女の子の匂いに昂奮するなんてのは、結局は二次的なモンなんだろう。目の前の女の子本人のほうがいいに決まてる。しかも、生の女の子と付き合ていて、いつでも触れたり何やかやしたりできるなら、服についた残り香ごときでガタガタ言う気にはなれねのか。いや、制服越しの匂いなんかよりももとアレなモンを堪能しまくているから、服くらいいくらでも嗅ぎやがれ、みたいな?
 リーングの岡間が教室入口横に立てやがる。チイムが鳴り始まると同時に教室に入て、鳴り終ると同時に起立→礼→着席を完了させるのがアイツの趣味だ。厳格で切れ者の教師を気取てやがるんだろうが、単に嫌われモンで職員室に居づらいだけじかと思う。
 うちわ代わりに使ていたテキストは、散た汗のおかげでつるとした表紙のあちこちが疣みてにボコボコ膨らんでやがる。もちろん、またく予習してね。板書をテキトーに書き写しただけのノートは我ながら意味不明で、試験前に読み返しても何の効果もねだろう。何度も床に落としたおかげであちこち罅が入ている。確か電池が切れかかていて、頼りない画面にうすらとしか表示しやがらねのは俺の学力そのものだ。なんのために耐えるのか分からね一時間が始まろうとしている。分かていることはひとつだけだ。
 ああ、女が欲しい。どこかにいるという、可愛くて性格の良い女の子が。ガンダーラ、ガンダーラ♪

 チイムが鳴た。教室に入てきた岡間が教壇を足早に歩く。「知的で厳しい」つもりらしいが、見た感じは悪化した歯周病に逆ギレしてるツラみたいだ。日直の舟木の「起立」に合わせて立ち上がる。鼻先に、誰かのシトラスの臭気がまとわりついた。

         2
 夏季前期補習は午前中のみ四コマで、午後には何もね。つまり、部活タイムてわけだ。運動部はとにかく毎日、練習がある。ネタが尽きたり体育館やグラウンドのローテーンから漏れたりすれば、ひたすら走らされる。バドミントン部はとくに坂道ダだの階段昇りだの、とにかくハイホーハイホーな営為が課される。学校の外周走から丘のてぺんの神社まで走り、五百段くらいある石段を十回ダだ。石段部分は木陰になていて、涼しい風が通る。ラキーだと思うか?
 ンなワケねーだろ。
 炎天下じ死ぬような暑さでそんなものはいなかたけれど、木陰になるや否や、藪蚊の大群が襲いかかてくる。じとしていたら全身ボコボコに刺されちまうから、とにかく全力で走るしかね。てぺんまで上がても、立ち止まればたちまち藪蚊が熱血歓迎だから、手足を無駄に振り回してジグを続けることになる。
 つまり、一瞬たりとも休めねわけだ。
 このルーンのトレーニングを考案したやつはナチスの残党なんじかとマジで思う。
 神社の境内で藪蚊から逃げ回ていると、木立の間から丘の向こう側の街並みが見下ろせる。臙脂ぽい屋根は、県立の女子校だた。つまり、翔太の彼女の通ている学校だた。
 鯔野雄次が無駄に深呼吸を繰り返してやがる。
「ここでこうやてると、女子高生の匂いがしてくる」
 聞きつけた何人かが同じようにスーハーし始める。
 ……なんていうか、情けね
 いくら女日照りだからて、たぶん一キロは離れた女子校の匂いがここまで伝わるわけねだろうが。あの校舎は芳香剤かよ。
 ああなオシマイだと思いつつ、俺も深呼吸を始める。もちろん、クールダウンのためだ。他意はね。たぶん。

 あれ

 ちと待て。
 いま、確かにいい匂いがしたぞ。甘い、なんていうか、そう、イチゴの香りだ。翔太の彼女のアレだ。近くに来てるのか? もしかすると女子校も午後部活でここまで走らされているとか。顧問の徳田、グブだ! バドミントンは素人で部員がバテたときだけ罵倒するという素敵な性格だけどよ。
「女の匂いがする!」
 園田祐樹が甲高い声を上げる。コイツは試合会場の靴箱を使うとき、前に女子が使ていたところを狙て蓋を開けて残り香を嗅ぐという変態野郎だ。
 ちと我に返る。この野郎と同レベルなんてさすがにシレにならね
「おお、マジでにおいする!」
「そのへんに隠れてんじねーか」
「や、暑いですね。コイツらみんなケダモノですが俺だけは紳士ですよ」
 三番目が首を絞められていると、またイチゴのニオイがした。穿いているのがぶかぶかのハーフパンツでよかた。これがジジとかだと、なんというか天竺への旅に出たくなる光景だ。
「あれー、もしかして、これじね?」
 日向栄輝がその場でジグしながら汗まみれのシツをつまみ上げる。園田祐樹が顔を近づけ、おお、と叫ぶ。
「駅前でさ、制汗スプレーの試供品配てて。貰た女の子が落としたのを拾たんだ。せかくだから使わないとね、もたいないし」
 落し物に手を出すな犯罪者、と異口同音に言いながら何人かが殴りかかる。俺も遅れて加わり、脳天に一発入れたけれど、あたりに漂うイチゴの香りは正直、いいにおいだた。ありがちなシトラスやミントを避けて愛用しているラムネの香りも、これに比べるとなんだかわざとらしい気がした。
 やぱり、女の子用に調製してあるにおいは、どこか違う。基本的に女の子がつけるものだけれど、男がドン引きするニオイだと売れねはずだ。付き合てる男が喜ぶような香りでねと。
 つまり、これをいい匂いだと思う俺は正しい。
 決してヘンタイとかじ
 やましい理由じなくて、なんだか惹きつけられるような香りだ。
 俺は寄り集まてくる藪蚊を片端から叩き潰しながら、ヘンな積極性が湧いてくるのを感じていた。

 うちの高校から自転車を飛ばして2キロほど海岸通りへと向かたところにデスカウントストア・コクスがある。なにしろ田舎だから無料駐車場ががつり用意されていて、いつもほぼいぱいだ。日用品のうち、生鮮食料品は置いていないけれど、酒類は箱で積んである。親父用のビールを箱買いするときにおふくろの車に乗て来る。クソ重いビールを担ぐ代償にカプ麵だのポテチだのを買てもらう。店内は地元のオバサン連中が主で、うちの高校の制服はめたに見かけなかた。
 だからこそ、だ。
 傾いた陽射しを右半身に受けながら、俺は汗を飛ばしつつコクスに着いた。あちでもこちでもミニバンのリアハチを開けて、ダンボール箱を積み込んでいる。チリを駐輪場に止めて、ホースリールとビニールプールに挟まれた入口から中に入る。
 涼しい、というか寒い。
 気持ちいいというより、この涼しさに慣れたあとの店外が怖い。
 キリーを押すオバサンを躱しながら、化粧品コーナーへと向かう。大丈夫だ。知た顔はいね。特売の野郎用シトラス制汗スプレーが通路にはみ出している。その向こうに、あた。
 普段は目もくれない、女の子用の制汗剤の山が。
 落ち着け。
 俺は女の子用の制汗スプレーが欲しいだけなんだ。
 ……充分ヘンタイじねーか。
 たとえば生理用品を俺が買たら非難されても仕方ねだろう。だけど、これは制汗スプレーなんだ。いいじねーかよ。誰かに迷惑がかかるのか? レデスオンリーとでも書かれているか? そう、これは真当な購入であり、誰からも非難されることじ
 背後を通り過ぎたオバサンが、俺を睨んだ気がした。通行の邪魔になたわけね。ごめんなさい。俺はおばさんが別の島へと移るまで、野郎用シトラスの制汗スプレーの効能を熟読していた。これだけ熱心に読んだのにまるきりアタマに入らね。岡間のリーングの授業並みだ。
 並んだ女の子用制汗スプレーをようやく目にする。ピンクとかオレンジとか、今までに慣れ親しんだブルー系とは異質の色合いだ。フルーツ系の香り。アプル・オレンジ・マスカてどんな香りだ? 
 そして、ストロベリー。香りを試せるように、ちいさな紙がついている。これを嗅いでしまうと、なんだか翔太の胸元を嗅いでいるような気がしてしまう。たぶん、これでいい。手を伸ばそうとして、隣のラズベリーに気づく。
 おい、ラズベリーてどんな香りなんだ? さらにブルーベリーてのもある。
 これはアレか、女の子てのはストロベリーとラズベリーとブルーベリーの香りをきちんと嗅ぎ分けて、「やぱラズベリーよねー」「ブルーベリーしかない」とか言い合てるのか? すげよ。いままで俺に縁がなかただけのことはある。
 しかも、わざとのようにその横に「ベリー」というのまである。
 ベリーてなんだ? 複合型なのか? それともすべてのイチゴ系の祖型としての存在なのか?
 スマホで検索したかたけれど、デスカウントストアの店内、しかも女の子用制汗スプレーコーナーでスマホを取り出してこそこそ調べている光景て、怪しくねか? 別コーナーに移動したら? あまり事態は改善しない気がする。そうか、これて要するに万引きぽいんだな。
 俺は「ベリー」のボトルを掴んだ。なんだか人肌に温かい気がした。つい隠してしまいそうになるが、それこそ万引きを疑われる。別室に連れて行かれ「何でこんなもんが必要なんだ?」とかねちねち訊かれたら。
 「これはおふくろに頼まれたんです」と強弁しよう。それ以外にね。「町内会の盆踊りで浴衣を着て踊るときに使うからて」それでベリーの香りなのか。家族ながら何を考えていやがる。たぶんおふくろも同じことを思ていそうだが。
 レジ打ちのおばちんはとくに疑問も感じなかたみたいで、一歩間違えば俺の社会的信用を失墜させかねないブツをあさりと袋に入れてくれた。レシートを買い物籠に残したまま、袋を提げて自動ドアをくぐる。
 悪夢同然の暑熱が覆いかぶさてきた。
 チリの籠に袋を入れて、上にバグを乗せる。とりあえずこれで、立ち止まりさえしなければ中身を咎められることもね。白ぽいコンクリートの上に陽炎が揺れている。焼けたアスフルトのにおいのなか、俺は自転車を漕ぎだした。

         3
 玄関に入たとたん、ひんやりした風に頭がくらくらする。クソ重いバグを上り框に投げ出して、スニーカーを脱ぎ棄てる。そのままシワーを浴びたいと思ていたけれど、とりあえず俺の部屋で寝転がりて。汗を含んで重くなたソクスをつまんで廊下を歩く。
「あれ、遅かたね、アンタ」
 居間のソフに座た姉貴が、アイスにしぶりつきながら声を掛ける。
 ちと待て、それは俺が食おうと思てたドールのスウのやつじか?
 下手に突込むとややこしくなる。袋を右手で握り締めて、階段へと向かう。
「何買たの」
 うるせな。浴室前の籠に丸めたソクスを投げ入れる。そのまま段を登ろうとした途端、目の前にタンクトプの胸が揺れた。
「脂足で廊下を歩くなて言てるよね。スリパ履いて来な」
 バスケやてただけあてヘンなところで素早い。言い返すと足が飛んでくる。無言で玄関に引き返し、スリパを履いて戻てくる。アイスのステクを銜えた姉貴が階段の手すりにもたれている。シトパンツの足を突き出している。乗り越えようとすると足の甲で払われる。
「なんだよ」
「質問に答えな。その袋は何さ」
 またく、なんなんだコイツは。昔から、俺が隠そうとしているものについては異常に鋭い。取り上げて囃し立てられて、喧嘩になたら大抵は俺が負ける。中学三年までは姉貴のほうが背は高かた。いまは四センチほど俺が逆転しているけれど、体格より力より、なんかどうやても勝てね気がする。
 ここで「なんでもいいだろ」とか言ちまうと絶対に見逃さね。わざと面倒臭そうに、「汗止めだよ」とつぶやいて袋を振てみせる。
「身体ベトベトだからさ、鞄置いたらシワーする」
 バグを肩にかけて階段を昇る。二階の蒸れた空気に頭を突込んだところで肩越しに振り向く。姉貴の姿はなかた。
 浴室で熱いシワーを浴びると、ようやく家に戻た実感がわいてきた。バスタオルで身体を拭いて新しいトランクスを穿くと、階段に向かう。生温かかたはずの空気が涼しい。部屋のエアコンはONにしておいた。階段を駆け上がると、部屋の戸を開ける。
 やぱり、と思う。
 俺のベドに姉貴が横たわていた。
 仰向けになて、「ベリー」の制汗スプレーをつまんでいる。涼しいはずの部屋の空気が熱でねじれた。
「アンタ、なにこれ。こういう趣味あたの」
 からかうような声だ。右手で奪い取ろうとする一瞬前に身体を捻て躱しやがた。なんでコイツはひとのベドに平気で横になれるんだ。胸の前にスプレーボトルを抱え込んでこちを見上げてやがる。
「いいだろ、返せよ」
 しまた、と思いつつ声を出した。ガキの頃から、こうやて俺のものを取り上げたときには泣くまで返しやがらねんだよ、コイツは。俺が半泣きになるたびに嬉しそうにからかいやがる。だから絶対に弱みを見せちならねんだよ、ほんとうは。
「可愛いんだ。女の子用じん」
 それを言うか。見れば分かるけど、わざわざ言うか。
「女の子にモテないから、せめて女の子の匂いを嗅ぎたくて買たわけ? うわー、引くわ
 姉貴よ。
 惻隠の情てものはねのかよ畜生。
 パケージを破てキプを取る。掴みかかて奪い取りてけど、こういうときに限て上はタンクトプ一枚でブラもつけてやがらね。計算ずくだぜ絶対。
 手の甲にひと吹きして鼻を近づける。嗅ぎ覚えのあるイチゴの香りだた。俺の勘は正しかたぜ。いまは喜んでる場合じけどよ。
「ね、つけてあげようか」
「いらねよ。外に出るときに使うから」
 コイツ、吹き出しやがた。枕に顔を埋めて背中を痙攣させる。
「いや、アンタ、マジでコレつけて学校行くわけ? そういうキラで通すの? いやー、おねーん、それはどうかと思うなー
 ほといてくれ。レト・イト・ビーだ。
 気がつくと鳥肌が立ていた。ジジだのジーンズだのを脱ぎ散らかした部屋の中で、俺は何をやてるんだろう。
 ひとしきり笑い転げて気が済んだのか、姉貴はベドから起き上がた。ベリーの制汗スプレーを俺に差し出す。ひたくると、またちいさく吹き出す。
「ま、いろいろあるよねー。がんばりな」
 くすくす笑いながらベドから降りる。俺の右肩をぽんと叩いて、部屋から出て行た。俺はスプレーボトルを握り締めて、立ち尽くしていた。なんのために恥を忍んでわざわざコクスまで行て手に入れたのか分からなくなてきた。姉貴に開封されたボトルはなんだか「けがらわしい」モノみたいだた。
 ヘンな予感がして振り向く。
 姉貴が入口のところから覗いていた。
「ね、私にも貸してよ、ソレ」
 枕を掴んで全力で投げつけた。あさりと躱される。廊下を笑い声が遠ざかて行た。

 翌朝。
 その日はバドミントン部の朝練はなかた。いつも通り朝飯を食い終る。洗面台は一足先に起きた姉貴が占領していた。仕方なくトイレで歯を磨き、歯ブラシを洗面台に戻す。ドライヤーでブローした髪の匂いが立ち込めていた。二階に上がて、俺の部屋に戻る。シツとズボンを穿いて、適当に髪をとかしてムースで固定する。机の上には、ベリーの制汗スプレーがあた。
 これを使ていいんだろうか。クソ姉貴の高笑いが聞こえる気がする。いつものラムネのスプレーが隣にある。あんまり悩んでいる時間はね
「おーい」
 背後から声がする。
 入口のところに、制服に着替えた姉貴が立ていた。なんだか不思議な感じだた。いつもは着崩して見せるのに、珍しくきちんと着こんでいる。
「アレ、貸しな」
 顎で机を示す。ラムネのやつでも投げつけてやりてのをぐとこらえて、ベリーのスプレーボトルを差し出す。
 受け取た姉貴はその場でキプを取ると、ボタンを外して胸をはだけ、盛大に吹きつけ始めた。首回り、両腋、そして胸元。あたりにはイチゴの香りが立ち込めた。
いい香り、という感じじ。化学的に合成された香料の匂いだた。こんなもん、わざわざ買てまで吹きつけるもんじな。ついでに言えば、人の部屋で使うんじよ、クソ姉貴。
ひとしきり噴霧した後で、キプをはめる。制服のボタンを留めて、襟元のリボンを結び直す。女子制服てのはヘンな小物が多い、と思う。可愛い子がつければ可愛いんだろうけどよ。
 ボトルをかざして手招きする。やるよ、と言いたいのを堪えてそばまで行く。ベリーのスプレーボトルに手を伸ばす。掴む寸前でつい、と引かれた。バランスを崩しかけた俺は、次の瞬間、姉貴の腕の中に納まていた。強烈なイチゴのにおいが鼻に押しつけられる。柔らかいとか何とか、そういうのは分からなかた。力、強な、とは思たけれど。
 俺の耳と肩の間にボトルが挿し込まれる。顔の周りの空気が広くなた。クソ姉貴は自分の胸元をはたきながらこちを見ている。
「そういう感じなんだろ」
 そう言い捨てて部屋を出て行た。
 呆然とする俺の胸元には、ほのかなイチゴの香りが漂ていた。俺が買てきたベリーの制汗スプレーた。そしてクソ姉貴のにおいだた。言いたいことは分かるけれど、もうちと他にやり方はねのかよ、と思た。
 たぶん、クソ姉貴もおんなじことを思ていただろうけれど。

 俺が我に返たときは遅刻ギリギリのタイミングだた。
 いまから行けば予鈴くらいに教室に入れるだろう。文化部や帰宅部の連中と一緒の時間帯だ。
 イチゴの香りを曳きながら、俺は階段を駆け下りてゆく。
                   (了)
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