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【BNSK】2016年9月品評会
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〔 作品5 〕
冴えない一日
(
古川遥人
)
投稿時刻 : 2016.09.26 00:00
字数 : 9316
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感 想
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冴えない一日
古川遥人
――
これは小説家、古川遥人のある一日を切り取
っ
たドキ
ュ
メンタリー
である。
古川遥人。職業小説家。マイナー
誌のとある新人賞を受賞したものの、売れることのない自己満足の作品を書き続け、出版社から遠まわしに馘首のような宣言をされた後、彼は有名な流通会社で派遣社員として働いている。もちろん未だ小説を書き続けているが、どうにも広く大衆に受け入れられる小説を書くことはおろか、自らの数少ないフ
ァ
ンにまでそ
っ
ぽを向かれるような作品しか書けないでいる。そんな彼は武者修行とばかりに、ここ数か月ほど、ネ
ッ
トにて『木下季花』という何ともキ
ッ
チ
ュ
な名前を用いて、思いついた小説を書き続けている。
そんな売れない小説家である古川遥人の一日に、我々は密着することにした。純文学の世界で戦い続けようとする彼の、ありのままの姿を私たちは捉えなければならない、と、そんな使命感にかられたわけではない。ただ単に、大学の課題で何か発表しなければならなか
っ
た時に、たまたま知り合いの従兄弟が古川遥人という作家で、なんとなく依頼をしたらオー
ケー
をもらえてしま
っ
たのである。別に古川遥人を有名にしてやろうだとか、彼の苦悩を世に伝えたいわけではない。大学の単位が欲しい。ただそれだけだ。
シルバー
ウ
ィ
ー
クの最終日。
古川遥人は、午前九時半に目覚めたものの、すぐに二度寝を始める。
午前十時半に再び目覚めると、寝癖がつきまく
っ
た髪をかきながら、スマー
トフ
ォ
ンを手にリビングへ向かう。寝転がりながら一通りスマー
トフ
ォ
ンに入
っ
ているアプリを巡回した後、彼はカメラを見て、一言、重大な発言を我々に残したのである。
「小説家として、新宿の風俗店に行かなければならない」
なんという一言だろう。我々はその重みにひれ伏すような思いだ
っ
た。純文学作品は、教科書に載
っ
ている夏目瀬石の『こころ』、芥川の『羅生門』、太宰の『走れメロス』辺りしか読んだことのない我々だ
っ
たが、なんとなく純文学では奔放な性描写が描かれているようなイメー
ジがある。つまり、小説家とは性行為に熟知していなければならないのだ。彼はそのことを我々に教えてくれた。つまり勉強のために彼は風俗店に行こうとしているのだ。古川遥人は、非常に勉強熱心な作家なのである。
我々は、風俗店に行くのが初めてだという彼のために、一緒にな
っ
てどこの風俗店がいいかを調べ始めた。正直に言
っ
て、我々も風俗店になど行
っ
たことはない。古川遥人に、どのような行為をしたいのか、どのような女の子がいいのか、我々は興味のないそんな質問を彼に繰り返しながら、非常に面倒な思いをして、ようやく幾つかの店舗に絞り込んだ。その結果を彼に見せると、彼は頭をかきながら、くぐも
っ
た様なボソボソとした声で、「これ」と言
っ
て、我々が選んだ中から一つのサイトを指差した。
『ガー
ルズ痴漢ヘヴン』
痴漢。
それはまさしく純文学らしいテー
マと言えるだろう。
本来なら逮捕されるようなその行為を、彼は身をも
っ
て体験しようというのである。いわゆる罪の意識を、その身を持
っ
て学ぼうというのである。彼ほどの作家は中々いないだろう。ドストエフスキー
に匹敵するような才能の塊である。
さ
っ
そく我々は、恥ずかしがる彼を半ば罵倒するように奮い立たせて、予約の電話をさせることに成功した。彼は電話で人と話すのが大の苦手なのである。そのあたりの繊細さも、純文学作家としての大切な才能であると言えるだろう。純文学作家として大成するのは繊細な小説が書ける人物であると、2チ
ャ
ンネルのまとめサイトで読んだことがある。
我々からしても、古川遥人という冴えない人物が風俗店に行くという非常に面白そうな
――――
もとい、純文学作家として常に造詣を深めていく姿勢を追いたくもあ
っ
たので、ここは心を鬼にして、お前ら電話してくれよと嘆く古川遥人に電話をさせたのである。
「午後三時から、し
ゅ
うかち
ゃ
んという子で、六十分コー
スでお願い致します」
その声は非常に繊細に震えているのであ
っ
た。
我々は、半袖のTシ
ャ
ツに、リ
ュ
ッ
クサ
ッ
ク姿で出かける古川遥人を追
っ
た。
秋を感じさせる非常に涼しい一日。
辺りを見回しても長袖を着ている人物ばかりである。この男は、恐らく季節に対する感覚が馬鹿なのだろう。半袖なんか着ているから腕に鳥肌が立
っ
ている。そのあたりの感覚も、常人とは違う、さすが小説家というものだ
っ
た。我々とは違うのだということを、見せつけている。
しかしながら、古川遥人の人生と言うものには、常に困難が付きまとう。
彼は時刻を間違え、家の前にあるバス停でバスを乗り過ごすという、さすがに我々も苦笑せざるを得ない失態を見せた。そうしてすぐ、後ろにいる我々の方を見て、口を開く。
「人間、楽をして目の前の便利さに頼
っ
てはいけないのだよ」
スマー
トフ
ォ
ンの音声機能で乗換案内を調べている彼の言葉には、重みがあ
っ
た。我々は舌打ちをしながら、その言葉を心に深く刻んだ。
急な坂道を下
っ
て、古川遥人は別の路線のバス停まで歩く。日ごろの労働でひざを痛めている彼は、まるでお爺ち
ゃ
んみたいな歩き方を見せる。死にそうな亀のようなその歩みにつきあいきれずに、我々は先にバス停で待つことにした。
連日の雨で苔むした坂道を、馬鹿みたいに何度も滑りながら現れた古川遥人は、俯きながらバスを待ち続けた。この男、衆目のある場所で顔を上げることが苦手なのである。バス停には仲睦まじそうな親子もいて、その辺のいかにも普遍的な幸せという感じも、古川遥人の苦手なものであ
っ
た。
「焼肉行
っ
たら、お肉いー
っ
ぱい食べるんだ! 今日は手加減しないんだからね!」
はし
ゃ
ぐ子供が何とも可愛らしか
っ
たが、古川遥人は目の焦点のあ
っ
てない様子で虚空を眺めながら、風俗店に行くためのバスを待ち続けている。
「今日はお肉、明日はおでん、もうすごいよ
ぉ
」
子供は幸福そうな表情で、恍惚の声をあげた。何がすごいのか判らないが、この子供にと
っ
て、毎日の食とはそれほど重要な部分を占めているのだろう。
我々の子供時代を思い返せば、おでんでそれだけ喜べるものかと疑念が浮かぶが、おでんが好きな子供だ
っ
ているだろう。我々は断固として、おでんはおかずにならない派として生きてきたわけだが、無邪気におどけながら熊のような体格をした父親に笑いかける姿は、本当に幸せそうな家族だ
っ
た。
ようやくバスが来て、古川遥人は先に来ていた家族や我々を一切気にかける様子もなく、一番にバスに乗り込んだ。その際に、あの人、リ
ュ
ッ
クの口が開いてべろんべろんにな
っ
てるよ、と子供に指さして笑われ、バスの乗客たちの失笑を買うという、さすがに我々も呆れざるを得ない惨めな体験をしていた。が、それすらも純文学作家に欠かせない要素の持ち主だと言えるだろう。どこかのすごい人も言
っ
ていたではないか。『願わくは、我に七難八苦を与えたまえ』。つらいことを呼び寄せ、惨めな人の気持ちを理解するというのもまた、作家として大切な要素なのだと、古川遥人の背の、口の開いてべろんべろんにな
っ
たリ
ュ
ッ
クを見て思い知るのだ
っ
た。
およそ二時間近くかけて、我々は新宿という名の大都会へたどり着いた。
群衆の中に放りこまれた古川遥人は、今にも卒倒しそうなほどに顔色を青くし、挙動不審な様子で改札のあたりをぐるぐる回
っ
ていた。風俗店に行くには、どの出口から出ればいいのか判らないらしい。我々はあえて、面白そうなので彼を放
っ
ておくことにした。彼はスマー
トフ
ォ
ンを見つめながら、同じ場所を馬鹿みたいにぐるぐるとまわ
っ
ている。餌を探しまわるも見つけられない犬のような切なさを我々に伝えてくれる。
十五分近くかけて、古川遥人はようやく目的地までのルー
トを見つけ出し、風俗店へ向けて歩き出した。我々も後を追
っ
た。
「新宿とか五反田
っ
て、いつ来ても生ゴミみたいな匂いがする」
古川遥人は、歩道橋の階段をのぼりながら、ふとそんな言葉をぽつりと漏らした。膝の裏が破れたチノパンを穿いた男がそんな言葉を漏らすと、非常に哀愁のようなものを感じさせる。『東京とはゴミのような汚い場所だ』。恐らく古川遥人はそのようなことを伝えたか
っ
たのだろう。彼の背からそんな思いをひしひしと感じている。
古川遥人を先頭に我々がたどりついた場所は、廃墟にしか見えないビルだ
っ
た。本当にこの中に人がいるのか。何らかの店舗が営業されているのか。表の看板には、名前だけでは判然としない幾つかの店舗が記載され、実際に生きているビルなのだと判るが、しかし一歩ビル内に踏み込んでみると、コンクリー
トはひび割れ、エレベー
ター
は動かず、何より照明が一切ないのだ
っ
た。
案内を見ると、『ガー
ルズ痴漢ヘヴン』は三階にあるようだ。
我々は死んだようなビルの階段を上が
っ
て行
っ
た。人の気配などまるで感じられない。むき出しのコンクリー
トの壁は相変わらず汚らしくひび割れ、そして何の物音も聞こえない。
『←受付所』という白い簡素な看板を見つけ、我々はその指示に従
っ
て歩く。本当にこんな場所に奔放な性行為への道が通じているのだろうか。あるいはこんな場所でなければ、奔放な性行為への道は存在しないのだろうか。少し進んだ場所に、『受付所、ここです』という看板と、暖簾のかか
っ
た入り口
……
と言うよりも、分厚くて透明度の低いビニー
ルが垂れ下が
っ
た入り口を発見した。
中に入ると、似合
っ
ていないスー
ツを着たやくざのような男がカウンター
の向こうに二人ほど立ち、その奥では数人が通話をしているのが見える。我々は、間違
っ
てやくざの事務所に突入してしま
っ
たのではないかと焦
っ
た。体中に緊張が走る。古川遥人は、小刻みに痙攣しながら、首をぶるぶると震わせる。喉がごくりと鳴らされる。顔面蒼白。ここまで顔色が真白な男を我々は見たことが無い。まるで血液が真白のペンキと入れ替わ
っ
ているようにさえ思える。
そして唐突に我々に向けられた、『い
っ
らし
ゃ
いませ!』という明るい声。古川遥人はびくりと体を震わせる。まるで火花のようにそれは我々の前で弾ける。古川遥人が一瞬だけ白目にな
っ
たのを我々は見逃さない。一秒ほど気絶していたのを見逃さない。
どうやらここは『ガー
ルズ痴漢ヘヴン』で間違いないようだ
っ
た。
どんな世界にもルー
ルと言うものがある。
もちろんそれは風俗という世界においても同様だ。
六十分コー
ス、一万五千円を払
っ
た後、古川遥人はやくざのような男から説明を受ける。
およそ十個以上の禁止事項、そしてここから近いホテルへの道、ホテルに入
っ
たら今から渡す三枚の紙のうちの一枚を受付に渡すこと、そして部屋に着いたらここに電話をして部屋番号を伝えること、風俗嬢が部屋に着いたら扉を三回ノ
ッ
クするので、扉を少しだけ開けて、風俗嬢からうがい薬と貴重品入れを受け取ること、そして風俗嬢の準備ができたらシ
ャ
ワー
ルー
ムの扉をノ
ッ
クするのでそこからプレイが開始されること、ちなみにホテルは歩道から階段を下りた場所にあるので少しわかりづらいかもしれないこと。
何事にも順序とルー
ルが定められている。決められた通りに物事は運ばれていく。その決まり通りに運ばなければ目的のものにはたどり着けない。そしてそれこそが、安全と安心を生む。お互いにと
っ
て。
ルー
ル。それは小説の中にも我々の生活の中にも存在する。そのことを古川遥人は改めて、風俗店にて発見したのである。
店員から受け取
っ
た紙のうちの一枚が、自らが風俗客だということをホテルに証明するもので、そしてホテルまでの地図が簡単に描かれている。どうやらここから一分もかからない位置にあるらしい。我々はその距離に安心して古川遥人の後を追う。が、さすが古川遥人。ここでも我々に対するサー
ビス精神を欠かさない。
このとてつもなく短い距離の中で、迷
っ
たのだ。
ビルからわずか三十秒ほどの道のりの中で。
もはや方向音痴という言葉では説明できない、何かしらの異常を抱えた脳みそに我々は付いて行
っ
ているのではないか。古川遥人は地図を見ながら、何度も同じ道を、二十メー
トルほどの距離を行
っ
たり来たりしている。明らかに不審者だ。フ
ァ
ミリー
マー
トの前を行
っ
たり来たりしているから明らかに店員がこちらを横目で見ている。そしてそんな不審者の後を追
っ
かけまわす我々も不審者だ。我々はい
っ
たい連休の最終日に何をや
っ
ているのだろう。これから痴漢しに行くのに道に迷
っ
てしま
っ
た男の後を追い回す。全くも
っ
て無駄な時間だ。
結局ホテルに着いたのは、予約していた時間五分前のギリギリだ
っ
た。
古川遥人はホテルという名のつく建物にほとんど入
っ
たことが無い。もちろんラブホテルなんて初体験である。
受付は、お互いの顔が見えないように板で隔てられているようだ
っ
た。もちろん手を入れられるくらいの隙間は空いていて、そこでルー
ムキー
受け取れるようにな
っ
ている。
彼はキー
を受け取り(受付は声からして若い女性だ
っ
た)、四○一号室へ上がる。
部屋の扉を開けると、わずかなスペー
スの後にもう一枚の扉があり、その扉を開けると狭い中にベ
ッ
ドが置かれた部屋とな
っ
ていた。