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【BNSK】2016年9月品評会 
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英雄(ヒーロー)のいない曲馬団
 投稿時刻 : 2016.09.19 00:14
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英雄(ヒーロー)のいない曲馬団
白取よしひと


先生と初めてお会いしたのは、庁舎の廊下から中庭を臨むと今が盛りと桜が開花しており、ひと風吹くと珠と零れる、その様な季節でした。僕はその桜をそしてその彼方に見える陸軍駐屯地の正門に立ち尽くす守衛を見るにつけて、この春まで勤務していた師範学校に思いを馳せていたのです。そうです。郷里にある学校の傍にも駐屯地があり同じ様に守衛が立ていたのでした。先生はステキを愛用されております。その時もコツコツと床を鳴らしながら歩み寄られた筈ですが、それに気付かぬ程、私は外に見入ていたのでしう。
「何を見ているのかね」
僕は夢から覚めた様に振り返りました。猪口帽に銀筋の丸眼鏡。その下にはカイゼル髭をたくわえています。上品で綾の入た背広を纏うその姿は高級官吏を絵に描いた様なお姿です。先生は興味深そうに眼鏡の向こうにある目を丸くして僕に問いました。僕はこの春入庁した者で、禄を頂いていた師範学校に想いを馳せていたのだとありのままに語ります。それを聞くと只「そうですか」と言うばかりで、しかしそれでいて暫し硝子越しの桜を眺めてからコツコツとステキをついて立ち去てしまわれました。 
私は机に戻り、年端の近い同僚に向けてこんな事があたのだよと話しかけますと、それは先生に違いないと断言されます。何でも先生とは井深一等書記官と云う方で、主に史書編纂事業に関わているそうです。文部内は石を投げると帝大出にあたると言われるほど一流大学出が当たり前です。しかし書記官は師範学卒らしいと聞かされてそれは驚きました。それでもその知識たるや深淵の如くと語られ、並み居る帝大出や学者先生が束となてかかろうとその見識に叶う者はいないそうです。何程ご苦労されて自己研鑽されたものでしうか。
しかし、先生と呼ばれる所以はそれだけではないらしいのです。文部の一等書記官ともなれば、それに関わる学舎や出版の業者は言うまでもなく、関連の博物館に至るまでその便宜の及ぶ範囲は誠に幅広いでしう。常人いや俗人であるならばその接待に溺れ、私腹を肥やしていてもおかしくないのですが書記官はそんなものには興味もない様なのです。そればかりか、文部内輪の宴にも滅多に顔を出す事もなく人付き合いも乏しい。所謂、先生とは変わり者と同義で使われているそうです。

 この廊下が先生とのご縁を結ぶのでしうか。日も幾日かあらたまり、何時ぞやと同じ様に窓際で駐屯地から整列した隊列が出てくるのを眺めていると再び声を掛けられたのです。
「君が師範から来た佐藤君かな?」
僕が礼を尽くして挨拶をすると、その答えを咀嚼するかの様にゆくりと頷き、唐突に夕食を共にしないかとおりました。雲上の方から、しかも人付き合いを避けているとの評判の方からのお誘いで僕は仰天致しました。
「なかなか良い処があるのだよ」
後に聞いた話に依ると、僕が勤務していた師範学校の校長と書記官は旧知の仲であり、人員欠乏故推薦してくれと請うたのは書記官その人だたのです。その様な事もあり、僕を見るにつけて気に掛けていてくれたのでしう。誠に有難いことです。

 吹き溜まり。僕は思わずその言葉を連想してしまいました。ガード下の屋台に、飛んできた木端を無理やり寄せ木して作たのではないかと思える店。ここが一等書記官様の良い処なのでしうか。
先生は慣れた様子で声を掛けます。そしていつもそうする様に頭から猪口帽を降ろすとステキと共に店主に渡しました。店主と言てもステテコに腹巻をぐるりと巻いた赤ら顔の親父です。先生から座り給えと導かれた先は、いかにも拾い集めた板を打ち付けて拵えた長椅子でした。そしてまた日頃そうしている様に鳥と日本酒を頼みます。傍らの僕に生憎、ここには洋酒がないのでねと微笑まれました。
「さて、そろそろだと思うのだが」
先生はぽつりとそう漏らされます。何がそろそろだと云うのでしう。もしや他に知人でも来るのだろうかと思いながら、焦げて燻た鳥を噛みちぎると意外とこれが美味でした。
 暫くするとまるで舞台の幕が開き、出番の役者がぞろぞろと登場する様に店は若者で溢れました。殆どの者は当世風の洋服を身に着けておりましたが袴姿も何人か紛れています。中には敢えて洒落で着込んでいるのでしうか。恰幅が足りず線の細い着流し姿もちらほらと見えます。
彼らの様子を見ますと誰某の作風がどうだとか彼の表現は何とやらを愚弄している等と、結論が出る筈もない事に弁舌凄まじく、時には感情的になり怒号を飛ばして胸倉を掴み合う者も出て来る始末です。時折、活発な黄色い声も響きます。気付きませんでしたが女学生も混じておりました。遠く南方の密林で先生と二人鳥を囓る。その様な錯覚をしてしまいそうです。
これは茶飯な事なのでしうか。主人は気にせず眉間に皺を寄せ汗を滴らせながら、ひたすら鳥を焼いております。屋台を抜ける風もなくその煙がどこぞの山の噴煙の様に店に充満すると、討論者の熱気と相まてさながら蒸し風呂にいるかの様です。僕は達観的に眺めておりましたので、一見情熱に満ち満ちているかに見える彼らでしたが、正直お互い不安や傷を舐め合ている様にも感じられました。
「どうかね。ここは」
僕は気の利いた言葉が浮かばず、なかなかに若者たちの意気が溢れていると無難に返します。先生曰くこの辺りには美術学校があり、その学生を当てにした長屋が多く集まているそうです。そこには美術ばかりか文学の徒も集まており、言うなれば下町のカルチラタンみたいなものかなと笑ておられました。
「明日の都合はどうかね。もう一度誘わせて頂きたい」
先生はそう言われると店主に帽子を所望されました。驚いた事にそれを見た若者たちは、先生もうお帰りですかと敬語で挨拶するではないですか。先生はやはりここでも先生なのです。

 翌日は遠く日本橋まで足を伸ばす事となりました。先生は街で所要があるらしく現地で待ち合わせする事になたのです。果てさて今回の約束を果たすのは億劫であり、勇気が必要でした。上司の誘いだから、いやそうではありません。一張羅の背広を調達し上京してきた田舎者にとて華やかな街ほど悍ましいものはないのです。
案の定、日本橋には流行の洋装や上品な着物に身を包んだ人々で溢れておりました。僕は必然を呪いながらその一張羅で来ています。嬌声をあげながらモスリンで着飾た子供たちが突進して参りました。僕はまるで異国の文化に気圧される様に道を譲ります。
約束の白木屋百貨店に着くと既に先生はステキに身を預けて待ておられました。目当ての店は目貫通りから外れた場所にある様です。僕は少々安堵し先生の背中を追いました。
「あそこだよ」
看板には金文字で巴里亭と書かれております。重厚な扉の両端に彫刻の柱が設けられており、丸みを帯びたアーチの線で装飾されておりました。様式など私には分かりません。如何にもそれが高級に見えるものですから僕は足が竦みました。あまりにも昨日の屋台と比べると天と地程の違いがあり、先生は僕を揶揄ておられるのではないかと恨めしく思います。もちろん僕はこの様な店には足を運んだ事はありません。それどころか郷里にはこんな店は一軒もないのです。店には接待の女給もいるでしう、しかし気の利いた会話など出来ない自分は想像しただけで眩暈を憶えました。
先生はそんな僕の様子に構わずささと店内に入てしまわれます。そして屋台と同じくボーイと呼ばれる男へ帽子とステキを渡すのです。やはりここでも先生と呼ばれ歓迎されています。その時思たのです。先生にとては、あの屋台もこの巴里亭も何ら変わりがないのではないかと。そう思わせる程、先生は気取る事なく自然体のままで昨日のそれと同じく過ごしておられました。
「書記官。この様な高尚なお店、私にはもたいないです」
これは私にできる精一杯の拒絶でした。しかし先生は一瞬慈しむ様なお顔をされたものの、笑みを浮かべられ君は周りの様子を見ていれば良いとおるだけです。
接待の女給たちが群がて参りました。この時ほど先生を恨めしく思た事はありません。私が「は。ええ」と必死に相槌をしている中、先生は楽しそうに会話を楽しんでおられたのです。
 ふと隣のテーブルから笑い声がしましたので目を向けると、一人で大勢の女給を従えている客がおりました。恰幅のいい男です。身に着けているものは世の中に疎い僕が見てもそれは高級そうなものばかりで大層羽振りが良い様です。その羽振りに比例するかの様に笑い声もまた豪快で店内の雰囲気を仕切ておりました。それに比べたら、先生など慎ましやかなものです。男が笑うとそれに合わせるかの様に女たちも笑います。しかし男の笑いに合わせ、女たちがさざ波の様に揺れる度にどこか白々しく感じるのは僕が慣れない田舎者だからなのでしうか。先生は言われました。
「そろそろ出ましうか」
その救いの言葉に、お恥ずかしい事ですが思わず笑みが湧いてしまたのです。客の早々な退散に女給たちは拗ねましたが、先生はうまくあしらい店を後にしました。結局、その店ではつまみ程度しか口にしていません。その辺先生は良くお気遣いをして下さり、蕎麦屋に寄てくれました。今でもあの味は忘れられません。僕はそんなつまらない男なのです。
 先生は帰宅の道筋が分れるまで人力車に乗せて下さいました。揺れる車中、唐突にこの様な事をおいます。人は仮面。成りすましだと。僕は呆気にとられ先生の顔を見詰めるだけで返す言葉も見つかりません。先生は余程疲れたのでしうか、それとも言うべき事は話したからなのか、それきり目を閉じて僕が下車するまで一言もおいませんでした。二人で食事をご一緒させて頂いたのは後にも先にもこの二度だけです。

 東京に無案内であり、その上馴染みの店を開拓するなど億劫な私ですので先生に案内されたガード下の店に何度か足を運びました。近頃では主人の愛想も良くなり、学生たちにも顔が知れてきたのか冷ややかな目線を向けられる事も少なくなりました。その日は、大層興奮した学生が主人に自慢話をしております。何でも曲馬団を観て来たらしいのです。それもそんじそこらの曲馬乗りではありません。
「チリオ見たんだとさ!」
主人が赤ら顔の鼻を膨らませました。その名前は聞いた事があります。度々来日している伊太利亜の曲馬団で、単に曲乗りだけではなく猛獣を操るなどして大変人気があるそうです。この頃はチリオと曲馬団は同義語で使われており、それが日本の曲乗りであてもチリオを見たで通るのです。僕は学生と主人の掛け合いを聞きながら鳥を齧りチリオを思い浮かべました。華麗な曲乗りと客を驚かす猛獣使い。湧き上がる歓声。そして演目の間を埋める道化たち。
 
 文部に入庁して半年が過ぎ、紅葉した銀杏並木の葉が木枯らしに吹かれて路面が煉瓦色に敷き詰められる季節になりました。その煉瓦色の絨毯を踏みしめながら登庁しますと、一階の人事掲示板に職員が群れ何やら騒がしいのです。騒然とした雰囲気に戸惑いもしましたが、恐る恐る傍らの方に伺うと正しく驚くべき事件が起きておりました。先生即ち井深一等書記官が辞職されたのです。先生は僕が文部に入庁するきかけを作た方で言わば恩人であり、しかも入庁間もなくの頃一度ならず二度までも食事にお連れ頂きました。
僕は確かな話を聞きたいと思い、この噂話の輪から逃れて史書編纂室に急ぎました。幸運な事に何度か先生をお尋ねした関係で顔見知りの職員が目に入りました。
「先生は意地を張り過ぎるのですよ」
彼の口からは吐息とともにその言葉がこぼれました。事件は本日俄かに起こり、そしてあけなく先生の辞任で収束したのです。何でも本年度に入てから、頻繁に内閣より派遣された学者たちが押しかけて編纂文書の検閲を行ていたのだそうです。彼らは独自の判断で勝手に削除や変更を指図します。これは学舎から寄せられた膨大な資料をまとめ細密に検証し、史実に則るを是とする編纂担当からすると我慢ならない事だたでしう。しかし相手は内閣から特務を帯びて来た連中です。ここも役所なのですから右倣えになるのが常識でしう。しかし先生は違た。改ざんを強要されそれを拒否して威嚇されると、あさりとそのまま辞任してしまたらしいのです。
慌てたのは文部の上役の方々です。井深の見識何者にも代えがたしだたのでしう。辞職を思い留まらせようと先生のご自宅に向たそうです。しかし先生は戻らないでしう。僕はそう思いました。先生は短慮を犯す方では決してありません。この日が来る事を分かておられたのです。気負いもせずに潔く、そして未練など更々なく辞職を決意されたに違いない。何故かその様に思えました。風月堂の洋菓子でも携えてお伺いしてみようか。すると先生は何事もなかたかの様に、良くいらいましたと笑顔でお応えになるでしう。その様なお方です。
「あ、そうそう」
思い出した様に職員は白色の細長い箱を持て参りました。それには「教務 佐藤殿」と付箋が付けられております。
「先生が君に渡してくれと置いていかれました」
僕は両の手でそれを受取ると編纂室を後にしました。廊下で、高さがなく細長いぺたりとしたその箱を開けると鼈甲のペーパーナイフが入ておりました。窓辺に翳すと甘く美しい琥珀色です。どこぞの紋章なのでしうか。極めて細い金の線で装飾が彫られています。近頃は親しく会話などありませんでしたが、先生のお気遣いに涙が出る思いでございます。

廊下の窓から外に目を向けるといつもの様に駐屯地正門が見えました。中隊でしうか。練兵行進でその門から出て参ります。腕を大きく振り、堅く巻かれたゲートルの足を振り上げた勇ましい行進です。そのあまりに揃た動きを眺めているとまるで子供頃遊んだ兵隊人形を連想しました。
目線を庁舎中庭に戻すと節くれて棘の様に空を刺す桜があります。痛々しいほど寒風に晒されているこの枝に、あの時は零れんばかりと花がついておりました。外套の襟を立てて歩む職員たちの姿も見えます。髭をたくわえステキをついて紳士然とした彼らも寒さには屈するのか、その身なりと猫背が不釣り合いに見えます。それらを眺めていると、ふと先生の言葉が思い出されました。
「人は仮面。成りすましだ」
あの時先生は何を私に伝えたかたのでしうか。上京したばかりで都会に圧倒され、人付き合いが苦手で自信を失い、望郷の念で中庭を眺めている様な私に何を伝えたかたのでしうか。先生は非常に頭の良い方です。何かそこには深い意味が込められている様に思えてなりません。
理想は高く意気盛んですが湧き起こる不安を自制できず吠えたり相憐れむ若者たち。今がわが世と景気の良さで沢山の女給たちを侍らせて得意になている男。そしてそれを一見賑々しく囃子立てますがどこか冷やかな女給たち。僕は一度降ろした目線を再び駐屯地に戻しました。能面の様に正門に立ち尽くす門番の兵士。誰に見せるのか、いや誰も見てはいないのに高らかと腕と足を高らかに振り上げ行進する兵士たち。
「チリオ見たんだとさ!」
屋台の主人の声がします。チリオ。そうだこの世は曲馬団みないなものかも知れない。いや待て下さい。ここには演目で活躍する英雄(ヒーロー)なんて一人もいやしない。みんな仮面を被た道化師ではないですか。あれだけ息巻いて情熱的に夢を語る若者でさえ、不安に押しつぶされ膝小僧を抱いた孤独な自分を仮面で隠しているのではないですか。そして僕もそうです。それなりの顔で事務を熟し文部職員と恰好付けたところで、中身は卑屈で意気地の無い小心者です。
「先生は」
僕は不覚にも言葉に出してしまいました。先生こそ英雄ではないでしうか。肩肘張らず日を暮らし、どの様な類の人間にも差別や余計な気を使う事なく接する。そして今回ご自分の意思を貫かれた。
「私は英雄なんぞではないよ」
先生の声が聞こえる様です。いや、私こそ道化師かも知れないと言われるかも知れません。
先生は都会や人に物怖じしていた僕に向けて、皆道化師なのだから何に気を使う事があるものかと叱咤して頂いたのかも知れません。
「チリオ見たんだとさ!」
沸き立つ曲馬団公演。曲馬乗りだけじないよ!お目当ては猛獣使いかい?
しかし英雄はおりません。皆仮面やおどけた化粧で顔を隠し演目を熟しています。
英雄のいない曲馬団。僕は堂々とした道化師になれるでしうか。

 鉛の雲間より放たれた冬の日差しが窓を通して筋となり心地よく廊下に降り注ぎます。僕は踵を返し机に向いました。


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