てきすとぽい
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第37回 てきすとぽい杯〈てきすとぽい始動5周年記念〉
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ねじれのハンス
(
白取よしひと
)
投稿時刻 : 2017.02.18 23:11
最終更新 : 2017.02.18 23:17
字数 : 2597
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2017/02/18 23:17:30
-
2017/02/18 23:11:59
ねじれのハンス
白取よしひと
ハンスは、薄汚れたチノパンツのポケ
ッ
トに両手を埋め不機嫌な顔で歩いている。昼に食べたベー
コンが歯に居座
っ
たままなのが気に食わないのか。それとも、昨晩つぶしたニキビがうずいているのか。とにかく、いつも何かに苛ついているので、恐らく不機嫌の理由は本人にも理解できていない。道筋の電柱に設らえられているスピー
カー
からは、帝国政府の宣伝が絶え間なくや流れているが、それはハンスの耳に留まる事なくすり抜けていく。
彼はその仏頂面のまま、まるで茹でた海老にも見える猫背の体で歩いていたが、飛行船記念公園へと至る道筋の途切れが目に入ると、ニキビを散らした丸顔にも増して、木の実に似た丸い目を大きく開くとその敷地に入
っ
て行
っ
た。
公園に入
っ
たハンスは、さして目的があ
っ
た訳ではないらしい。暫く園内に植樹された針葉樹の並木を見上げながら歩いていると、真正面に見えてきた色褪せた木のベンチが目に留ま
っ
た。昔は鮮やかな赤で塗られていたのだろうか。雨風に洗われ、斑(まだら)に残る赤の塗装が実に貧相である。それでも何故かハンスは、まるで目当てのものが見つか
っ
たかの様にそれへと真
っ
直ぐに向かい。満足げに赤鼻を大きく膨らまして腰をおろした。
麗らかな日差しで、ほどよく温ま
っ
た木肌が何とも言えず心地良く、ハンスはその丸い目を細めた。背もたれに背中を預けると空は蒼の一枚板だ。ハンスはその片隅に出来た染みを見つけると、類い希な発見でもしたかの様に凝視した。それは確かに生まれたばかりの入道雲であり、平穏無事な蒼板の片隅で着々と波乱を企てる反乱者に相違ない。ハンスはそれが何故か愉快に思え、下卑た笑みを浮かべる。
目を降ろすと、ベンチの座面に鮮やかな緑が違和感を伴い目に留ま
っ
た。赤斑の座面に緑があり、麗らかな日差しと相ま
っ
てギラギラとしたハレー
シ
ョ
ンで目に突き刺さる。良く見ると、それはひ
ょ
っ
こりと頭を擡げたネジに引
っ
掛けられた緑の布切れであ
っ
た。
ハンスは布切れを手に取り、意味もなく日差しにかざしてみた。これは可憐な少女がここに座
っ
た際、ネジに引
っ
掛けて破れたスカー
トの布ではないか。その少女は気高く豊かなプラチナの髪に違いない。ハンスは更に妄想を膨らませた。腰を上げた時、スカー
トが裂ける音とともに驚きの声をあげたのか。それとも人前で破れを指摘され、羞恥に頬を朱に染めたのか。その光景を思い浮かべると思わず口角が上がり「ぐふふ」と声を漏らす。
「お隣はよろしいかな? 」
布に見入り、恍惚に浸
っ
ていたハンスは驚いて思わず背もたれから背を離した。いつの間にか紳士然としたコー
トの男が傍らに立
っ
ていたのだ。山高帽に黒豹にも似た艶やかな漆黒のコー
トをまと
っ
た男は、社交辞令的な言葉を掛けハンスの横に腰かけた。その刹那、ハンスの胸に湧き起こ
っ
た狂喜は如何ばかりであ
っ
たろうか。男の尻は、虎視眈々と獲物を待ち受ける飛び出たネジの上にあるのだ。込み上げる笑いを堪えるこのひと時は至福そのものであり、衝撃的な結末を目の当たりにできるこの幸運は、実に公園に立ち寄
っ
た事に意義を持たせるものだ。
男は抱えていた包みをハンスとの間にかさりと置いた。それは僅かに束ねられた花束だ
っ
た。包みの先から真紅の薔薇が顔を覗かせている。これから女と会うのだろうか。ハンスは颯爽と花束を差し出す男の尻が裂け、パンツが剥き出しにな
っ
ている滑稽なシー
ンを想像した。
ハンスはベンチを離れ、遠目から男の様子を楽しもうと、公園の中央にあるロー
マ様式の噴水に向けて歩き出した。噴水の縁に腰かけ、男が立ち上がるのを待とうと再び空の反乱者を探したその時だ。信じられない事だがハンスは間が差した。彼にはこの間が差したの言葉が適当だろう。どこに潜んでいたのか、奇跡的な一片の善意が頭を擡げたのである。
見上げた空の蒼さがそうさせたのか。ハンスはベンチに駆け戻り、立ち上がろうとする男を必死に止めた。
「そのまま! 立たないで下さい! 」
男はいきなり駆け寄り叫ばれたので何事かと仰天した。ハンスから、静かに腰を擦らさず立ち上がる様言われ、男はその言葉に従
っ
た。そのお蔭で男は救われたのである。いや、救われたのではない。男の尻の下にあ
っ
たネジは、何故か素直に板の中に収ま
っ
ていて、引
っ
掛かる部分などないのだ。ハンスは愕然とした。それは忽然と湧いた善意を揶揄(やゆ)するかの様に、ネジは澄ました顔で板の中に隠れている。男は怪訝な表情を浮かべたが、文句ひとつ言う事もなく、この場を去
っ
て行
っ
た。
――
どうしてなんだ。
ハンスは茫然とした。男の背中を目で追うと、その先の樫の木の下に女が立
っ
ていた。すらりとして、とび色の上品なコー
トをまと
っ
ている。日差しを返すそのブロンドは、まるで天使にも見えて、た
っ
た今まで自分の傍らにいた男に対し嫉妬の情が沸き起
っ
た。
ハンスは納得がいかず、再びベンチに腰賭けネジに触れてみた。それは何事もなか
っ
た様に固く締まり澄ましている。
どこからか風の音が聞こえた。天を仰ぐと、いつの間にか反乱者は頭上に迫り、分厚い体をねじり渦を巻いている。蒼の一枚板は先ほどまでの面影も無く灰色に染まり、僅かに残る四隅の蒼さえも反乱者に引き寄せられる様に姿を消そうとしていた。
――
同志よ!
ハンスは空に湧いた灰色の瘤(こぶ)に親近感を覚えた。
――
善意なんて、おいららしくもない。
背を丸め、ベンチのネジに手をあててみた。その頭に爪を引
っ
掛け、必死に回そうとする。何故か固く締められたそれは頑強に抵抗する。ハンスは意地にな
っ
た。やがて爪は割れ、そして剥がれて指からは血が滴り落ちる。そのしつこさに屈服したのか、ネジは再び廻りだし頭を擡げ始めた。
――
空がねじれる。ネジよ回れ。みんなねじれろ!
ハンスは空に向けて甲高い声で高笑いした。そのニキビの散
っ
た丸い頬に大きな雨粒が落ちる。樫の木に目を向けると、男女は雨に驚き慌てて駆け去
っ
て行くのが見えた。
「同志よ! 我らの勝利だ! 」
それに応えたのか雨脚は更に強くなり、辺りは大粒の雨がもたらす轟音(ごうおん)に包まれた。ハンスはその雨に打たれながらベンチのネジに一瞥を送り、背を丸めて駆除剤に驚いた蚤(のみ)の如く跳ねながら駆け出した。
どこかのスピー
カー
から、異常気象を告げる臨時ニ
ュ
ー
スが流れている
。そのねじれた声音は、ねじれたハンスと共に雨音に紛れ消えてい
っ
た。
了
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