「覆面作家」小説バトルロイヤル!
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青の憧憬
投稿時刻 : 2017.06.12 14:39 最終更新 : 2017.06.12 14:49
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- 2017/06/12 14:49:47
- 2017/06/12 14:39:00
青の憧憬
白取よしひと


お題:純愛/不倫

◆プロロー
 
 樹間を抜けたひんやりとした風は、長い黒髪を揺らしている。鬱蒼とした森がそうさせているのか。抗う初夏の日差しはその甲斐もなく、ここは冷ややかで静謐に時が移ろう。
 どうしてこの島に来たのか。その理由を知り尽くす二人は、何も語る必要はない。
 和美は風上へ顔を向けた。その訳は、遅れて僕に届いた風で石楠花(しくなげ)の香りだと分かた。濃厚に甘く、少し渋みのあるその香りは、辺りを支配する杉の香りを一瞬だが凌駕した。
 寒気からだろうか。俯く彼女の白い頬は淡く朱色に染まる。木漏れ日が落ち、彼女の羽織る鳶色のカーガンが眩く美しい。
 僕は無用に辺りを見回した。原生林に人影などあるはずもない。和美の瞳と通じ合うと、彼女は静かに頷いた。
 
 和美が無意識に発したであろう呼気は、鳥を驚かせたのか木々の葉が騒ぐ。
「ピリ、ピリリ!」と、鳥たちの黒影が飛び交う空を見上げた。
 和美の生の象徴は、滴り落ちて苔間に滲んだ。力を失た体をそと横たえる。目に刺さる青の絨毯に仰向けとなた和美。白のワンピースに鳶色のカーガン。貫かれた胸元から滲む血液が、木漏れ日の中でハレーンを起こした。
 和美は穏やかに瞳を閉じている。まるで、『わたしは先に行ているわよ』と微笑んでいるかに見えた。
―― 僕と知り合わなければ、こんな事にはならなかた。
   跪き、首もとに刃をあてた。和美を目に焼き付け、そのまま僕は彼女に倒れ込んだ。
 
   
 ◆青の憧憬
 
 家族の異変。それは母が受けた1本の電話で始また。
「お父さん、死んだのよ」
 ボソリと漏らした、その意味をすぐには理解出来なかた。出張に出掛けた父は事故で死んだのだろうか。
「今の電話警察からだたの。屋久島に行くわよ」
「屋久島て、あの九州の屋久島?」
   母は頷き、早速、粛々と荷造りを始めている。突然知らされた父の死によて、泣き崩れる訳でもない。どんな気持ちでいるのかよく分からないけれど、青ざめて唇を噛みしめているのは確かだ。その訳は、空港に向かうタクシーの中で聞かされる事になる。
「お父さん、女の人と自殺したみたいなの」
 その言葉は、意外にも心を掻き乱したりはしなかた。それよりも、これからどうなるのだろうかとか、先行きに対する不安の方が大きかた。自分は来年、大学受験を控えている。それ以前に、母と二人で普通に暮らして行けるかも見当がつかない。
 屋久島への移動は、昼から動き始めた事もあて二日掛かりのものになた。屋久島には空港があるのだけれど、乗り継ぎの時間が合わず 、飛行機を乗り継いでから鹿児島港から高速船に乗た。
 その船の中で、親子三人連れの家族が目に入る。
「健一。席を移動しまし
 母はそう言て、最後尾の座席に視線を向けた。穏やかに揺れる船内。座席の背もたれに手を掛け移動しながら、肩越しにさきの家族を見た。そこには、自分と同じくらいの女の子がいる。その子と目が合た。お互いにその目の奥にあるものを覗き見た。
―― もしかして、父さんと一緒に死んだ人の家族なのかな……
 あちの家族は、父さんらしき人と姉、弟の三人連れだ。このタイミングで、母さんがいない家族が屋久島に向かうなんて、偶然にしては出来すぎている。
 
   
 屋久島に着いた僕らは警察署に直行した。受付で、母が恐る恐る身分を名乗ると 、小さな会議室へと案内される。廊下で振り返ると、受付にあの家族が来ていた。やはり、あの家族だたんだと確信した。
 ひと通りの説明が終わると、僕らは病院へと案内された。あの家族は一緒に来てはいない。事情が事情だから、個別に遺体を確認させるつもりなのだろう。
 横たわる父は、少し顔色が悪いだけでいつもと変わりがない。首に包帯がぐるぐる巻きになているけれど、今にも起きて話し出しそうだ。
 出張に出る朝、僕に向けて『健一、それじな』と声を掛けてくれた。思えば、あれが僕に対してのさよならだたのかも知れない。
 父さんが他の女と心中。初めは受け入れられなくて、冷静にもなれなかたけれど、元々うちの両親は仲が良かたとは思えない。僕が部屋に入た途端、二人の会話が途切れていたのに気付いていた。そんな母も、さすがに横たわる父を前にすると涙をこぼした。
「現場をご覧になりますか?」
 霊安室から出ると、担当の警官が聞いてきた。
 
   
「ここで父さんは死んだんだね」
 思たよりそこは山奥ではなかた。道路から歩いて2、3分だろうか。周りを杉で囲まれた森の中だ。地面には苔がみしりと生えていて、歩くとふわふわと柔らかい。発見された場所に至ると、眩い青の苔にくすんだ滲みがひろがていた。
―― こんなにも血が流れていたんだ。
 母は一言も語らなかた。もしかしたら、そこに女の残像を見たからかも知れない。
 案内役の警官は、署に連絡があるからと先に乗車し、無線で何やら話している。恐らく、向こうの家族を担当している者に連絡しているのだろうと思た。
 父はこの島で荼毘(だび)にふされる。とても関東までは搬送出来ないので、お骨で連れ帰ろうと決めたからだ。警察からの聞き取り、遺体の解剖、火葬に関する役場の手続きと、あれこれあるので、この島に二拍滞在する事になた。
 
 翌朝、ホテルの朝食を済ませてから気分転換に海辺を歩く事にした。母もその方がいいだろうと言てくれたからだ。
  岸壁を避けて浜に降りてみた。関東の海とは青さが違た。珊瑚礁なのか、ところどころにライムグリーンもひろがる。ふと、あの青い苔が敷かれた森を思い出した。父も、その人とこの海を眺めたのだろうか。
 振り返ると、遠くからあの女の子が僕を見ていた。動悸が高鳴る。出来れば避けたいけれど、遠くに迂回して帰るのも不自然だ。肚を括て来た道を戻る事にした。
「お母さんと一緒だた人の家族?」
 すれ違いざま、彼女はそう言た。
「一緒だて?」
「お母さんと一緒に自殺した人よ」
 ああ。やはりそうだたんだ。僕は仕方なく頷く。
「自殺の場所を見たの?」
「未だ見に行ていないの?」と、それに問いで返した。
「お父さんは見たくないて。お願い。わたしをそこへ連れて行て」
 彼女は切実な表情で僕に訴えた。余程、最期の場所を自分の目で確かめたいのだろう。うちは、警官に導かれるままについていたから思いもしなかたけれど、もし案内されなければ、僕も見に行く事を希望したはずだ。
「いいよ。でも少し歩くよ。大丈夫?」
「うん。わたしこれでも陸上をやてるの。体力には自信があるわ」
 浜風で揺れるシトカト。白のTシツに短パンのラフな格好は、陸上部と言われて、そのままだなと思た。
 
「この道を外れたらもうすぐだよ」
 僕らはアスフルトの軌道を外れ、密生した杉の、地を這う様に顔を擡げる根を跨ぎながら奥へと入た。道からさほど離れてはいないのに、数歩進むだけでどんどん森は深くなる。苔が生え始め、まるで絨毯の上を歩いている様だ。
「お母さんもここを歩いたのね……
 彼女は誰に語るでもなく独り言を漏らした。そうだ。僕の父さんも歩いたんだ。
 木々が途切れ、少しばかり見通しのある場所に出た。薄暗かたこれまでに比べ、ここは木漏れ日が漏れて、苔が青く光ている。
「ここだよ」
 彼女は何事も見漏らすまいとばかりに、辺りを見回した。
「なんか、ここを選んだの分かる様な気がするわ」
「そうだね」と、僕は手を翳した。そこは二人の血が滲んでいる場所だ。
「そこにお母さんが仰向けになていて、僕の父が上に倒れていたそうだよ」
「それじ、二人抱き合ていたのね」
  抱き合ていたと聞いて、心に感じるものはあたけれど確かにそうに違いない。だけれど、さすがに返す言葉がなかた。
 すると、徐(おもむろ)に彼女はその場に腰をおろし仰向けに横たわた。そして静かに目を閉じる。不思議な感覚だ。僕はその姿を見て、既視感に襲われて目眩を覚えた。この姿を父は見ていたんだ。そして、自らも命を絶た。僕は彼女に対して、説明のつかない感情が溢れてきた。
「わたしね」
 目を閉じたままの彼女は言う。
「わたし。お母さんが大好きだたの。だから……
「だから?」
「お母さんは、大好きな人と一緒に死ねて幸せだたと思うの」
 僕にそこまで言えるだろうか。父のことは好きだた。だけれど、不倫相手との自殺を肯定し、父は幸せだたと言い切れるだろうか。この子は、本当にお母さんの事を好きだたんだ。
 どこからか甘い香りが漂てきた。とても甘くて、濃くて、そして少し渋味がある不思議な香りだ。何となくだけど、父さんたちもこの香りを嗅いだ様に思えた。未だ横たわる彼女を眺める。全身でお母さんを感じているんだ。命ていたい何なのだろう。僕が漠然と捉えている命と、彼女が考えている命とは意味が全く違う気がする。
「あのさ……
「なに?」
「君の名前、教えてくれないかな?」
「亜咲」
「あさき……さん?」
 彼女は目を開いて頷いた。そして、起き上がると体には沢山の苔が付いていた。それを払いながら、名前の説明をする。
「亜細亜の亜に、花が咲くの咲。あなたの名前は?」
「僕は健一。健康の健に漢数字の一。よくある名前さ」
 亜咲は笑た。
「健一さんか……
 不思議だ。名前で呼ばれると、彼女とどこかで繋がた様に感じる。
「いつ帰るの?」
「わたしは明日帰る」
「そうなんだ。僕はあさて帰るよ」
 それ切り、僕らの会話は途切れてしまた。森を抜け、アスフルトに戻り、街に向けて歩き出す。太陽はいつの間にか真上に昇て、森の中では気にならなかた日差しが目に痛い。不思議だ。こうして無言で歩いていても、気詰まりなんてしない。亜咲に対する警戒感はとくに無くなていて、それどころか運命共同体に似た親近感さえ感じる。
「亜咲さん。きと僕ら、もう会う事はないよね」
「そうね……。 でも分からないわ。だて、二人ともこうして屋久島に来るなんて予想もしていなかたでし? 明日に何が起こるか想像もつかないわ」
 確かにそうだと思た。いつの間にか、彼女とまた会いたいと思ている。でも、再会は一生無くて、あの青い絨毯で横たわた幻をずと想い続けるのだろうか。
 僕らが一緒に行動していた事が、お互いの親に知られると難しい事になりそうだたので、街の手前で別れることにした。彼女と別れ、小さくなて行くその後ろ姿を、何度も振り返て眺めた。
  
 翌朝、前もて島から出る高速船の時刻を調べておいた僕は埠頭に向かた。船のエンジンが既に唸り、船尾からは白泡が湧き出している。亜咲の姿を探した。彼女なら、母が死んだこの島を、目に焼き付かせようと必ず甲板に出ているはずだ。晴天の中、白く眩しい甲板に目を走らせた。
―― 亜咲だ!
 真白なワンピースを着て島を眺めていた。僕は少しでも近くに寄ろうと駆ける。彼女の視線がそれに伴て動いた。彼女が見詰めていたのは、島ではなくて僕だたんだ。
 轟(ごう)とエンジンが高鳴り、海水が沸き立た。ゆくりと船は岸を離れ始め、白いワンピースは風で揺れた。
「亜咲さーん! 亜咲!」
 彼女は手を振てくれる。僕は涙が溢れた。父さんの遺体を見ても泣かなかた僕が、涙をこぼしている。

 船は白い線を引きながら遠ざかる。茫然とそれを眺め、父の気持ちを理解出来た気がした。父さんは、亜咲のお母さんを本当に愛していたんだ。
                                                 (了)
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