第2回文藝マガジン文戯杯
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内と外。(選考対象外)
投稿時刻 : 2017.10.09 02:49 最終更新 : 2017.10.09 02:58
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- 2017/10/09 02:58:35
- 2017/10/09 02:49:39
内と外。(選考対象外)
白取よしひと


 今朝は、伊藤さんのひとりごとで目がさめた。もとも、伊藤さんからしてみたら、あたりまえに話しているだけなわけで、実在しない架空の相手に、本気で文句を言ているのだ。呟くくらいならまだいいよ。興奮の度がますと、額の血管をふくらませて怒鳴りだすものだから、毛布で耳をふさごうが頭を沈めようが遮ることなどできない。
 大概の場合、一人が話しだすとそれに連なてお隣さんのスイチがはいる。
(ほら見ろ! まるで伝染病だ)
 鎌田のたぬき親爺が泣きだしたぞ。今日は泣きじうごらしい。目をとじると、二人のわめきは、まるで嘆きの壁だ。そうさ。彼らは向けどころのない鬱屈を、思考の断片のまま吐きちらすのだ。

 特定老人ホーム秋葉の里。ここへ放り込まれたのは、まだ桜には早い春の日だた。 
 入所前から察しはついていたが、ここは痴呆の牢獄だ。同室の二人はもちろん、見かける入所者は、皆どこかいかれている。
 ともあれ施設暮らしがはじまたが、始末に負えないのは、自分の脳みそは正常だということだ。まともに語りあう者がいない。それどころか、呻き叫び、トンチンカンなことをいいだしたり暴れたり。そんな光景を来る日も見せつけられるものだから、まともな精神もネジがぶ飛んでしまう。
 しばらく居て、あることに気がついた。自分が正常であることを主張するのは、意味がないと。一生懸命アピールすればするほど、介護士たちは異常者扱いをする。彼らは、ここで作業をしているのだ。決また時間に定められたメニをこなす。近代的な工場のように、それで報酬を得られるのだ。つまり、私たちはモノだ。暴れたり、騒いだり、よけいなことを主張せずに大人しくしている。それが、彼らにとての良品なのだ。
 呆けたふりをして大人しくしている。それが自分にとても楽なことだと思い極めていた。
 しかし、私には細やかなたくらみがある。ただでさえ退屈な三人部屋だ。せめて、外を見わたせる窓際に移動したかた。外界と隔絶された、そう、ここは異世界と呼んでもいいだろう。異世界のばけものたちに背を向けて、外界の景色を眺めたかた。
 内と外をつなぐ窓。それを眺めるしか、『正常な精神』を、保てる方法はないだろうと思う。
「佐々木さんが暴れてます!」
 あわただしく、サンダルの音が廊下を走てくる。
「どうしたの?」
 主任の介護士が、当番を目の端で睨んだ。
「ヤマ! ヤマ! ヤマ!」
 私は、異常者を装い絶叫した。
「いきなり起きあがたと思たら、窓際によ……
 私はあえて奇行をこころみた。窓際に駆けより、窓の外へ目を向けて叫んだのだ。
「今まで、こんなことなかたのに……
 男の職員たちも触角を揺らす虫のようにゾロゾロと集まてきた。男の一人が提案する。
「取りあえず特別室に放りこみますか?」
 ころあいだと思た。窓際のベドの端に腰をおろし、まるで、それまでが嘘のように静かな様子を見せた。無心に外を眺めている爺を演出し、膝の上に手をおいた。
「景色を見たかたのね……落ちついたみたいだし、特別室に入れるほどじないわ。ベドを移動しましう」
 たくらみは大成功だた。私は季節にうつろう景色を手に入れ、介護士たちは騒がしいモノを沈静化できたわけだ。
 
 ほかの施設はどうか分からないが、入所者に対してのサービスは手抜きが横行していた。それは、作業の間引きだ。あらゆることで間引きが行われている。
 この看護師を見ろ。血圧計を片手に部屋へ入たのはいいが、実際に測たのはひとりだけだ。その癖、記録簿にはてきとうに三人分の数値を記入している。書き終わると窓辺により、空を眺めはじめた。『今日は雨がふりそうね』などと、考えているのだろうか。
「いやな空模様ですね……
 看護師は、ぎとしてこちらを見た。
「おなか……おなかが笑てる!」
 わざと脈絡のないことをいてみせた。彼女は、ほとした顔で退室していく。
 こんな悪戯も、ひんぱんに行ては疑われるだろう。自嘲しなければと思いながらも、何かおもしろい手はないかと悪戯心が湧いてやまない。
 ここで何が一番いやかと聞かれれば、入浴ほどいやなものはない。風呂は好きだ。だけれど、ここの入浴は、人の尊厳を傷つけるには十分なほど屈辱的だ。
「お風呂よ。お風呂!」
 と、腰まわりの太い看護師が入室してきた。そういわれても、理解できる者たちではない。毛布をはがれて、腕を引かれると無表情なままに看護師に導かれた。次の者を立たせている最中、先に立た者は、焦点のあわない目で壁を見つめている。たぬ爺は、トントン、トントンと、おもちのロボトのような意味のない足踏みをつづけていた。
 私たちを操縦するときに名前は無用だ。知能が低い動物を従わせるには力と、『ほら!』みたいな、威嚇の音があれば十分だからだ。
 三人はベドのはざまに整列させられると、太た女を先頭に歩きだす。我々は、もの言わぬ従順なモルモトのように後につづいた。隊列は、フラフラとわずかに揺れながら行進する。これはブレーメンの音楽隊か? いやいや、黄昏の行進さ。そんな言葉が浮かび、口角があがるのを必死にこらえた。
 ましろい回廊を、ヒタヒタと不揃いなスリパの音をたてて行進はつづく。
 廊下の奥から、別の行列が向かてきた。さきに風呂を済ませたのだろう。赤くゆであがたハゲ頭を見ればわかる。
 介護士どうしが、ハイタチを交わしていた。先発の隊列とすれ違い様、私の目はひとりの男にくぎ付けとなた。
(室田!)
 その顔は、歩きながら眉間をよせて虚空を睨んでいた。しらが頭はどこかの芸術家にでも似ていそうなくらい乱れている。室田の表情は胸を突いた。別部署で親交はあまりなかたが、武闘派で知られ理屈ぽい性格だたせいか部下から嫌われていた。
(室田さん。呆けてもなお、あなたは眉をよせているのか……
 ほかに気取られぬように小声で話しかけた。しかし、室田は虚空を見詰めたままだた。

 脱衣室では、もう一人の介護士が待ち受けていた。いつものことだ。私たちはここで服を脱がされる。服を脱ぐなど、わたしは一人でできるけれども、あまり自分で済ませてしまては怪しまれる。そこそこ手伝てもらい、全裸になた。
 介護士の一人は、そのまま脱衣所で何か作業をしているようだ。私たちを先導した太た女が体をあらう。二人一組を先にあらい。あらい終わると浴槽へつれて行た。そして、湯船に座らせてから残た一人をあらう。今回の三人目は私だた。気恥ずかしい気持ちは残ているが、もう慣れてしまた。女に体をゆだねていると、脱衣所から悲鳴があがた。
「な……何してるのよ!」
 思わずわたしはそれに反応して振り返てしまた。浴槽には一人しか座ていない。そして、湯船に一人が浮いていた。
 介護士たち二人は、湯船に入り老人をかかえた。たぬ爺の顔は真赤にのぼせ上がている。洗い場に引きあげると、一人は助けをよびに走た。残された一人、太た女は動顛し、体を震わせた。
 あわただしく常駐医師や看護師が駆け付けて状態を確認した。仰向けで浮かんでいたのがよかたのか、大事はなさそうだ。私は、鈴木さんといに部屋へ戻された。

 昨日の騒ぎとは裏腹に、さわやかな朝を迎えた。雨あがりに晴れあがたからだろうか、山々の緑があざやかだ。
「はい。ここがあなたの担当よ」
 目を向けると、スライドドアの入り口には太た介護士とともに若い女が立ていた。
「菊池です。皆さん。よろしくお願いします!」
 若い方が、ふかぶかと頭をさげた。もちろん挨拶を返す者など一人もいない。
 それから定時の作業には、彼女が世話をしにやてきた。専門学校の研修らしい。初々しいこの子らも、年月がたつと他の介護士みたいになるのだろうか。
「はい。それじ、肌着を取りかえますね」
 彼女は、かならず皆に話しかけた。返事がないのは、彼女自身も知ているだろう。しかし、誰にでも必ず話しかける。その姿を見ていて、ほんの少しだけ遊んでみようかと思いはじめた。彼女は、ずとここにいる訳ではない。それに、会話を封印していた自分は、人と話したくてたまらなかた。
 彼女がシツを頭からかぶせてくれて、下へ引き下げようとした
「いつも悪いね」
「いえいえ。お仕事ですから」
 そう答えた彼女は、目を見開いてわたしを見た。
「あんたみたいな世話好きな人が来てくれて嬉しいよ」
 彼女の口が意味なく動き、そして、ようやく言葉になた。
「佐々木さん。お話しできるの?」
 僕は、笑いながらうなずいた。
 
「そうなんだ……でも、佐々木さんはそれでいいの?」
「正常だと思われるのも疲れるんだよ。第一訴えても信じてはくれないさ。家族も、私がここにいたほうが助かるだろうから、これは絶対に内緒だよ」
 それから二人は、いろいろと語り合うようになた。彼女の名前は絵里。来春には専門学校を卒業するそうだ。おしべりは気兼ねなくできた。なにせ周りは、ぼけ老人ばかりなのだ。気を使う必要なんてまたくない。
「いつまでここに通うんだい?」
「実習は今週だけだから……金曜日で終わりよ」
 会話できるのは数日だけかと思うと寂しく感じた。もしかしたら、この数日は人生最後の会話の日々になるかもしれない。
「でもね……佐々木さんがいるなら、たまに遊びに来てもいいわよ」
 悪戯な目でこちらを見る笑顔は、孫娘のようにかわいく思えた。
 
 絵里の研修が終わ……
 身を乗り出して、窓際から外を見降ろした。小雨の中、ピンクの傘をさした絵里が、敷地を出て行こうとしている。仄かに沈んだあかりの中、ピンクの傘があざやかに見えて目に痛い。
(内と外)
 絵里は、牢獄のようなこの異世界に現れた外界の天使だ。その天使も去てしまた。外を眺められるこの窓でさえ、一枚の壁に変わりはない。そう思たとたん、息苦しくて胸が痛んだ。
「佐々木さんがまた暴れ出しました!」
「なんだ……これで三日連続じないか! 仕方ない。拘束帯でくるんで特別室へ放り込んでおけ。もう一般管理は無理かもしれないな。あと、変わたことは?」
「最近、ひとりごとがもの凄いんです。いつも、絵里て女の子と話しているらしいのですが……
「絵里?」
……妄想ですよ」
 やがて、男の職員たちが群がり、佐々木を押さえつけて拘束帯でがんじがらめにした。力尽きたのか、佐々木の動きは止まり唸り声ひとつ聞こえなくなた。
「主任……死んでます」
「なんだて!」

『どうした訳か……私は外界に出られたようだ。やはり、外は空気もよくて開放感がある。これで気兼ねなく話ができるだろう。なぜなら、私は正常なのだから』
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